カテゴリー別アーカイブ: 大橋謙策の福祉教育論

老爺心お節介情報/第58号(2024年5月5日)

「老爺心お節介情報」第58号

地域福祉研究者各位
社会福祉協議会関係者各位

とても気持ちのいい季節になりました。
皆様お変わりなくお過ごしでしょうか。
「老爺心お節介情報」第58号を送ります。

2024年5月5日   大橋 謙策

Ⅰ 『穂積重遠ー社会教育と社会事業とを両翼として』(大村敦志著、ミネルヴァ書房、2013年4月)を読んで

〇朝日新聞に掲載されたミネルヴァ書房の広告を見て、大変驚き、すぐに読み始めた本が『穂積重遠ー社会教育と社会事業とを両翼として』(大村敦志著、ミネルヴァ書房、2013年4月)である。
〇更に驚いたことは、NHKの朝のテレビ小説の『虎の翼』で俳優の小林薫が演ずる「穂高重親」は穂積重遠がモデルであると知ったことである。
〇穂積重遠は、戦前の有名な民法の法学者であり、最高裁判事や東宮大夫を歴任された人で、以前よりその名前と華麗なる「学閥一族」のことは知っていたが、その穂積重遠の“社会評伝”のサブタイトルに“社会教育と社会事業とを両翼として”が付けられていることに、“社会事業と社会教育の学際的研究”をしてきたものにとって、自分の勉強不足を恥じ入るばかりであった。
〇穂積重遠は、末広厳太郎とともに、関東大震災後に東京帝国大学セツルメントを学生と一緒に行っていたことは知っていたが、穂積重遠が財団法人社会教育協会の会長、理事長を歴任し、「法を軸にした公民教育」をこれほど手掛けていたことは知らなかった。しかも、私は財団法人社会教育協会(当時の財団理事長は有光次郎、元文部事務次官)の「加齢学研究懇談会」で講演(1988年3月)し、その講演録が「高齢化社会に向けてー教育行政はいかにあるべきか」と題して、社会教育協会機関誌『国民』のNO1064(1988年6月)に掲載されているにも関わらず、その社会教育協会の設立者が穂積重遠であることも知らず、本当に恥じ入るばかりである。
〇私が大学院で学んでいる時代は“戦前の研究は皆、封建的で、戦後の考え、研究はいい”という実に単純な「ポツダム研究」(ポツダム宣言の受託前と後)という思考法があったし、「ポツダム研究者」という言い方もあった。
〇また、鶴見俊介が主宰する「転向の科学」という研究同人の思考法があったこともあり、自分自身戦前の社会事業の歴史研究をしているにも関わらず、謙虚に戦前の思想、研究をどこか斜に構えて研究していたのかもしれないと反省するばかりである。
〇私の東京大学大学院の修士学位請求論文は『戦前社会事業における「教育」の位置』であるが、その公開口述試験の際、指導教員であった宮原誠一先生が私の修士学位請求論文を高く評価してくれた上で、宮原先生から、今度は「社会教育における社会事業の位置」を研究して欲しい。そうでないと全体が分からないのではないかと指摘された。宮原先生から与えられた宿題は残念ながら研究しきれていないが、穂積重遠の社会評伝を読んで、宮原誠一先生の指摘の重要性に改めて気づかされた。
〇穂積重遠が設立した社会教育協会は、家庭教育の重要性を考えて、東京家庭学園を設立し、穂積重遠がその東京家庭学園の学園長を兼任している。この東京家庭学園は今日の白梅学園大学の前身である。
〇穂積重遠の人物評伝の中から学ぶ点も多々ある本であったが、著者の大村敦志先生の執筆の仕方にも大いに学ぶことが多かった。何しろ、法学者の大村敦志先生が書かれたものだけに、論文執筆はこうあるべきだという見本のように、実に膨大な資料を駆使して、多面的に論考されている姿勢は、社会福祉学研究者、地域福祉学研究者は学ばないといけないと強く感じた。
〇本書は、法学研究の枠組みについてとか、法と社会との関係、あるいは法と道徳との関係、あるいは1930年代~1940年代における大学、学問のあり方等が論じられており、法学研究の方法が分からないものにとってはやや難しかった点もあったが、とても学問のあり方、大学教員のあり方などとても参考になった。私も大学時代学んだ家族法の川島武宜、中川善之助、我妻栄などの先生方の名前がでてくるので、それらのことを思い起こしながら読み進めることができた。
〇本書は、東京大学法学部の2011年の学生向けの講義「穂積重遠論ー20世紀前半の社会と法」とそれに関連するゼミナールでの報告、論議が基になっているというが、なんとも羨ましい大学教育のあり方であり、大学教員としての姿勢である。
〇咋今の福祉系大学が社会福祉士国家試験対応の予備校的な教育に堕していることを憂いているものにとって、改めて福祉系大学の教員に本書を読んで、考えて欲しい本である。

Ⅱ 『原子力災害からの複線型復興ーー被災者の生活再建の道』(丹波史紀著、明石書房、2023年3月刊)を読んで

〇本書は、立命館大学産業社会学部教授の丹波史紀先生が、日本福祉大学に提出した博士学位請求論文を基に刊行されたもので、2023年度SOMPO福祉財団の社会福祉文献賞を受賞した著作である。
〇丹波史紀先生がそのご高著を恵贈してくれたので、私がお礼の手紙に書いた感想をここに転記しておきたい。

『この度は、SOMPO福祉財団の社会福祉学文献賞の受賞、本当におめでとうございました。私も6年間選考委員長をしていましたので、文献賞の受賞は本当に素晴らしいものです。その受賞文献をご恵贈賜りありがとうございました。
未だ丁寧に読んではいませんが、一読させて頂いた感想は、SOMPO福祉財団の選考委員の皆さんの評価とほぼ同じです。その上で、私の感想を述べます。
第1は、「災害ケースマネジメント」のあり方に関する論述がもっと欲しかったです。ご高著自体が、被災者の横断的、大量調査を基にしての論証でしたからやむを得ないかもしれませんが、社会福祉学の文献としては実態調査のみでなく、その支援のあり方、その支援システムのあり方にもっと論究してほしかったですね。以前お送りした私どもがまとめた石巻市の被災者へのソーシャルワーク支援はそれに少しでも迫れればという思いで纏めました(『東日本大震災被災者への10年間のソーシャルワーク支援』参照)。
第2には、「複線型復興」の持つ意味です。自然災害と原子力放射能汚染災害との複合的災害が福島県の特色で、私も浪江町等の避難所に行く機会を持ちましたが、複合的災害の持つ意味があまりにも深刻で、研究に関わることを断念した思いがあります。それだけ難しい問題ではありますが、複合的被災者の支援のあり方は、もっと多角的に検討されるべきではないかと思いました。特に、同居家族だった世帯が、放射能汚染災害により、家族分解、離婚、複数世帯化による経済的困難さなどを見聞きしてきたものには、原子力放射能汚染災害の一般的課題のみならず、社会福祉学の視点からの考察がよりあってほしかったというのが私の感想です。精読しておらず、とりあえず礼状を出すに当たっての感想を述べなければという思いからの感想ですから、正鵠を得ていないかもしれませんが、お許しください。』

〇地域福祉実践の領域において、阪神淡路大震災以降、社会福祉協議会による「災害ボランティアセンター」設置による支援が定着化しているが、“災害と社会福祉”との関りにおいて、被災者支援を長期的なスパンで、世帯全体の再建を考えていくことが重要である。限界集落、過疎地、高齢化という状況の中では、生活再建は被災直後の“がれき撤去”というレベルでは済まされない深刻な生活の変容があり、その支援が求められていることを社会福祉関係者、とりわけ地域福祉関係者は実践上でも、研究上でもきちんと受け止め、対応策を考え行くべきである。

(2024年5月5日記)

(備考)
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログ(「阪野貢 市民福祉教育研究所」で検索)に第1号から収録されていますので、関心のある方は検索してください。
この「老爺心お節介情報」はご自由にご活用頂いて結構です。

老爺心お節介情報/第57号(2024年4月9日)

「老爺心お節介情報」第57号

地域福祉研究者の皆様
社会福祉協議会関係者の皆様

お変わりありませんか。
能登半島地震で被災に遭った富山県氷見市へお見舞いに漸く行けました。
その際に感じたことをまとめましたので参考にしてください。

2024年4月9日   大橋 謙策

<能登半島地震による氷見市の被災状況と支援>

〇4月4日~5日、能登半島地震の災害に遭った富山県氷見市へ、遅れ馳せながら富山県氷見市と氷見市社会福祉協議会へお見舞いに行けた。高齢の私が行っても何もできず、かえって足手まといになるだけだと訪問を控えていたが、漸くお見舞いに行けた。
〇氷見市は、能登半島の付け根に位置している。石川県の被災状況はテレビ等で報道されるが、氷見市も能登半島の一部をしめており、被災状況は厳しいもので、テレビなどの放映で感じたものとは、また違う状況だった。
〇いまだ、石川県奥能登地域には行けていないが、今回の地殻変動、激しい液状化による被害を見て、災害支援の難しさを改めて考えさせられた。
〇氷見市の林市長、森市民部長、高木氷見市社会福祉協議会会長、七分氷見市社会福祉協議会常務理事にお会いし、お見舞いを申し上げるとともに、宮城県石巻市での東日本大震災被災者へのソーシャルワーク支援をまとめた『東日本大震災被災者への10年間のソーシャルワーク支援』の本を贈呈してきた。
〇氷見市は市全体の高齢化率は40%であるが、被災状況が激しかった氷見市旧市街の北大町地区と石川県七尾市との県境にある姿地区はより高齢化が高く、生活再建が非常に厳しいものと思われ、物理的復興だけでは被災者支援はできず、生活全般の支援が必要で、そのためにはソーシャルワーク支援が必要であることをお願いしてきた。
〇被災状況は、氷見市社会福祉協議会の森脇次長、山崎次長、開上さんに案内とともに被災者支援の状況を聞かせて頂いた。お忙しい中対応して頂き、この紙上で改めてお礼申し上げたい。
〇氷見市の災害被災状況と被災者支援の状況は、氷見市社会福祉協議会が『氷見市の被災状況と災害ボランティア・支えあいセンターの現状』に詳しいので、ホームページなどを見て頂きたい。

Ⅰ 氷見市の被災状況の概況

〇氷見市は、現在の人口は約4万3000人で、世帯1万4500世帯、高齢化率約40%で、市内に21地区社会福祉協議会が組織されており、約900人の生活のしづらさを抱えている人たちを支援する地域ケアネット事業(富山県単独事業)が展開されている。
〇2024年1月1日、午後4時10分に発生した能登半島地震により、200棟の家屋が全壊、400棟の家屋が半壊し、り災証明を受けた世帯は7000世帯という被害状況であった。断水も約1万4000世帯で発生し、復旧は1月21日に全域で復旧した。
〇人命の被害はなかったものの、液状化による被害は酷いものであった。建物の外観はそれほどではなくても、屋内が液状化の影響で住むことが難しいとか、道路のマンホールが隆起して、自動車の通行を妨げているとか、庭にある灯篭(氷見市には各家庭に石灯篭が沢山ある)が崩れたたり、台座がしっかりしている大きな墓石のある墓地が液状化で波打ってしまっているとか、その被害状況は家屋だけではなく、生活全般に大きく影響する被害が出ている。
〇被害が大きかった地区は、上庄川の北側の北大町地区と県境の姿地区に集中しているようであるが、上庄川の流域もそれなりに災害が発生している。上庄川の南側の南大町地区はあまり被害を受けていない状況とか、昔、布施の湖と呼ばれた湿地帯のあった地域ではあまり被害が発生していない(液状化が起きるのではと素人的には考えていた)状況をみて、地震のメカニズムが良く理解できない。

Ⅱ 被災支援の取り組みで学ぶべき点

〇氷見市での被災者支援の状況を行政や医療機関等も含めて広く検証しているわけではないが、氷見市社会福祉協議会の活動から学ぶべき点を箇条書きにして、広く関係者の情報共有をしたい。

(1)「災害ボランティア・支えあいセンター」という名称
〇氷見市社会福祉協議会は「災害ボランティアセンター」という名称ではなく、「災害ボランティア・支えあいセンター」という名称で、1月3日に立ち上げている。その際、共同募金会からの支援金を想定して、「kintone」のアプリを導入している。
〇しかしながら、氷見市の「災害ボランティア・支えあいセンター」は、ボランティアのニーズ・シーズのマッチングを行う需要供給の調整だけを行うのではなく、住民からボランティアの派遣要請があった際に、その要請を受け止めた上で、それ以外の生活支援の必要性があるかどうかを、申請のあった世帯に社会福祉協議会の災害時支援現地班の職員を派遣し、ニーズキャッチとともにアセスメントを行い、それをケア会議に掛けて、どういうボランティアを派遣するのかを決定し、派遣している。
〇私は、従来から、土砂撤去などのボランティアの派遣調整だけではないと言ってきたが、氷見市社会福祉協議会は「災害ボランティア・支えあいセンター」という名称に見られるように、生活全般に亘ってのニーズ把握と支援を考えている。これは大変素晴らしい考え方である。
〇実際のボランティア派遣申請の相談内容と派遣は、大きく3つに類型できる。
〇第一の類型は、従来の土砂の撤去、家具の片づけ等のボランティアの派遣である。
〇第二の類型は、専門技術ボランティアで、家屋内の応急修理や灯篭の撤去である。石材業者に依頼すると小さな灯篭の撤去で5~6万円、大きなものでは8~10万円掛かるところをボランティアにより、計200基の崩壊した灯篭の片づけが行われた。大きいものでは、灯篭の笠の部分だけで700キロもあるものをボランティアが片付けてくれたという。そのボランティアの人は、長野県の音楽家で、トラック、重機をレンタルリースして、持ち込み、一か月逗留してボランティア活動をしてくれたとのこと、私には想像もできない活動で、その人の思い、気持ち、活動費の捻出等後学のためにもいろいろと聞きたいと思った。
〇第三の類型は、専門職による支援である。り災証明の手続きをするのに、多くの高齢者は写真も取れず、申請手続きに難渋していた。その際、お手伝いしてくれたボランティアは富山県の司法書士会の方々で、り災証明の手続きサポートをしてくれた。
〇氷見市社会福祉協議会の実践が素晴らしいなと改めて実感できたことは、富山県が単独で展開しているケアネット事業があるが、そのケアネットを構築されていた住民が900世帯あったという。そのケアネット事業の方々は、何らかの生活のしづらさを抱えており、日常的に見守りや声掛け、簡単な生活支援を地域の方々の力でおこなわれ、生活のしづらさを解決しているわけだが、そのケアネット事業の対象の方からは災害発生後「災害ボランティア・支えあいセンター」への相談・依頼が一件もなかったという。それはたぶん、地域の方々が日常の延長で対応してくれたのではないかと氷見市社会福祉協議会が説明していたが、これはすごいことで、普段の実践の成果と言わざるを得なく、私は感動した。
〇「災害ボランティア・支えあいセンター」への相談者の属性は、一人暮らし高齢者が23%前後、高齢者のみ世帯が18%前後、障害の方がいる世帯が4~6%前後という状況で、2週間単位で、大体300件~500件の相談申請の状況であった。
〇「災害ボランティア・支えあいセンター」は、旧体育館に開設されていたが、そのセンターに氷見市の拡大した地図が張ってあり、その地図上に、どこの地区で、どのような属性を有した人からの申請があり、どのような支援をしたかを色分けしたシールでマッピングしてあり、氷見市内の被害状況の分布とボランティアの派遣要請の状況が分るようになっており、緊急事態の状況にも関わらず、全体像を可視化している点も高く評価できる。
〇私は社会福祉協議会が運営する「災害ボランティアセンター」の使命は土砂の撤去、がれきの撤去ではないと言い続けてきたが、氷見市社会福祉協議会の「災害ボランティア・支えあいセンター」はまさに私の考え方を実践してくれた取り組みで高く評価したい。
〇氷見市社会福祉協議会の森脇俊二事務局次長が、“「災害ボランティアセンター」は支援に駆けつけるボランティアのためにあるのではなく、被災した住民を支援するためのものである。だから「災害ボランティア・支えあいセンター」なのだ”という発言は、とても印象的で、私は“我が意を得たり”と納得した。
〇氷見市の「災害ボランティア・支えあいセンター」の活動実績として注目しておく点は、ⅰ)ボランティアの派遣依頼者からのクレームがゼロであったこと、ⅱ)ボランティア活動のリピーター率が高く、約70%にのぼる、ⅲ)日常的に災害協定並びに姉妹社会福祉協議会関係にある全国の社会福祉協議会(愛知県半田市、三重県伊賀市、長野県茅野市、宮崎県都城市、香川県琴平町の各社会福祉協議会)から職員が派遣され、富山県内社会福祉協議会からの支援も含めて一日11人の社会福祉協議会の職員が応援に入ってくれた点などである。

(2)クラウドファンディングによる支援金の造成
〇東日本大震災以降、被災者支援、被災地支援は必ずしも日本赤十字社、共同募金会、NHK等の従来型の募金団体への寄付とは異なり、クラウドファンディングによる特定の地域、特定のテーマ・課題に寄付する活動が増えてきた。
〇氷見市の「災害ボランティア・支えあいセンター」の運営費のみならず、氷見市社会福祉協議会は、経営している自前の建物や行政から指定管理を受けている建物でも大きな損害を発生している。このような状況の中で、募金活動はとても重要で、受動的にではなく、積極的に募金活動を展開する必要がある。
〇氷見市社会福祉協議会は、三重県伊賀市社会福祉協議会の協力・支援をもらい、1月12日からクラウドファンディングによる支援金の受付を開始した(締め切り2月15日)。
〇クラウドファンディングによる支援金の受付以前にも社会福祉協議会は1月5日より緊急支援募金を始めており、海外からの申し込みもあり、受付方法についての英訳ページを開設したりしていたが、より募金がしやすいように、クラウドファンディングによる支援金の募集を行った。
〇募金額の総額は、氷見市社会福祉協議会へ直接募金をされた募金が総計279件、1520万円、クラウドファンディングによる募金が164人で220万5000円、この他市役所やボランティアセンターなどに設置した募金箱に40万円余の募金があり、現時点では総計約1700万円余の募金となっている。
〇この他にも、共同募金会から災害支援助成ということで300万円の助成を得ている。
〇私は、大和証券福祉財団やSOMPO福祉財団などの助成団体へも申請をしたらと提言してきた。

(3)生活全般における伴走的ソーシャルワーク支援の必要性
〇氷見市では、行政の健康課を中心に、富山県保健師会の協力を得て、被害の大きかった姿地区、北大町地区などの1406世帯の生活支援の必要性に関するローラー作戦が行われた。このような調査は、宮城県石巻市でも医療・保健関係者により行われた。住民のニーズキャッチとしてはとても重要な取り組みであるが、石巻市でもそうであったが、どうしても医療面、健康面での聞き取りが中心にならざるを得ない。
〇私は、『東日本大震災被災者への10年間のソーシャルワーク支援』の本の中で書いた「社会生活モデル」に基づくアセスメントが被災者支援には必要であることを林市長たちに話をしてきた。
〇とりあえず、り災証明の交付を受けた約7000世帯を対象に、アンケート調査を行い、そこからスクリーニングして個別訪問調査による支援を展開できないか、その調査を行政、社会福祉協議会、外部の専門職、福祉系大学等の協働で行うことが必要ではないかと提案してきた。
〇このような支援のシステムとそこで使われるアセスメントシートの様式を確立しておく必要がある。そうでないと、これからの災害支援が毎回“賽の河原の石積み”のように、蓄積されず、結果として支援の遅れをもたらすのではないかと危惧している。

(2024年4月8日記)

(備考)
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログ(「阪野貢 市民福祉教育研究所」で検索)に第1号から収録されていますので、関心のある方は検索してください。
この「老爺心お節介情報」はご自由にご活用頂いて結構です。

老爺心お節介情報/第56号(2024年4月2日)

「老爺心お節介情報」第56号

地域福祉研究者の皆様
社会福祉協議会関係者の皆様

桜も漸く咲き、いよいよ新年度も始まりました。
気持ちも新たに頑張りましょう。
「老爺心お節介情報」第56号を送ります。

2024年4月2日   大橋 謙策

<『和田敏明 地域福祉実践・研究のライフヒストリー』が刊行される>

〇私が敬愛する日本社会事業大学の一年先輩の和田敏明さんの50年余に亘る社会福祉協議会での実践、地域福祉研究のライフヒストリーが本として上梓された。
〇この『和田敏明 地域福祉実践・研究のライフヒストリー』は、香川県社会福祉協議会の日下直和局長が精力的に編集業務を担ってくれて刊行出来た。お礼を申し上げたい。
〇この本の基になる対談の場は、社会福祉協議会四国ブロックの研修会や日本地域福祉研究所の地域福祉実践研究セミナーin今治の特別分科会、あるいは香川県内社会福祉協議会常務吏・事務局長セミナーの場において行われたものを香川県社会福祉協議会がテープ起こしをしてくれ、それを基に編集したものである。
〇全社協の地域福祉部を中心に、日本の社会福祉協議会の質の向上、社会的評価を高め、かつ日本地域福祉学会の創設をはじめとして地域福祉実践の理論化、体系化をされ、かつ全社協の事務局をされた和田敏明さんなので、私は出版先はどう見ても全社協出版部ではないかと勝手に思い込んでいたが、残念ながら全社協出版部からは出版事情の悪化などもあり、叶わなかった。結果として、「自費出版」という形で香川県社会福祉協議会を発行元に刊行出来た。是非、全国の社会福祉協議会関係者、地域福祉研究者は自らのための1冊はもとより、大学の図書館、社会福祉協議会の事務局用にも購入して頂きたい。
〇本書は、和田敏明さんの社会福祉協議会入職の1960年代から、ほぼ10年スパンにおいて、そのスパンの中における社会福祉政策、社会福祉協議会実践などのトピックスを取り上げて、それらのことに和田敏明さんがどう関わってこられたのか、その当時の思いや今だから話せる秘話、エピソードを交えながら語って頂いた。和田敏明さんの語りから、その当時の時代状況や社会福祉協議会の変遷が良くわかる内容に編集されている。
〇と同時に、日下直和局長のご尽力で、和田敏明さんの話に出てくる当時の政策や関係資料を可能な限り収録して頂いた。この収録されている資料を今手元で自分が集めようとすると容易ではない。この本は、1960年代以降の社会福祉協議会、地域福祉における関係資料がまとまって収録されているということも貴重な本となっている。
〇和田敏明さんとの対談当事者として非常に貴重だと思えたことは、①市町村社会福祉協議会法制化のプロセス、②「広がれボランティアの輪」と阪神淡路大震災、③厚生省(当時)との政策立案化に向けての相互交流と研究会活動、④社会福祉法人聖労会理事長として、地元の社会福祉協議会と協働して地域貢献活動を行った点等である。
〇是非、「老爺心お節介情報」の購読者はこの本を購入し、読んで頂きたい。この本の申込先は添付ファイルで添付してありますので、それをご活用ください。

(2024年4月2日記)

(備考)
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログ(「阪野貢 市民福祉教育研究所」で検索)に第1号から収録されていますので、関心のある方は検索してください。
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老爺心お節介情報/第55号(2024年3月30日)

「老爺心お節介情報」第55号

地域福祉研究者の皆様
社会福祉協議会関係者の皆様

「老爺心お節介情報」第55号を送ります。
必要なら、周りの方に転送してくださっても構いません。

2024年3月30日  大橋 謙策

〇皆さまお変わりなくお過ごしでしょうか。
〇本号は、ある明確な論題について論究する類のものではなく、長い間私の頭の中にもやもやしていたものを整理するために随想風に書いてみることにした。
〇昨夜というより、今朝(3月30日)方午前3時30分頃、例によってノンレム睡眠からレム睡眠に切り替わったのか眠れず、いろいろ考えていたことを体系的、理論的に説明できないものの、書き残しておいた方が後学の人のためになると考え、夜中にメモしたものを基に随想風に書くことにした。
〇この内容は、必ずしも実践者の方々には関心がないかもしれないが、少なくとも大学等の教員をしている人には読んで、考えて欲しいことである。

Ⅰ 「人を教えることは自分が育つこと」――社会福祉系大学院における研究指導論、研究方法論についての随想

〇ミルトン・メイヤロフは『ケアの本質』という本の中で、ケアすると言うことは相手の成長と同時に自分も成長する関係であると述べているが、“人を教える”という営みも同じである。
〇社会福祉系大学及び大学院は、教育研究組織が「講座制」でなく「学科目制」である。そこでは、余ほど意識しないと“教育・研究の再生産は縮小していく”と何回か書いてきた(「戦後社会福祉研究と社会福祉教育の視座」『戦後社会福祉教育の五十年』所収、ミネルヴァ書房、1998年、あるいは「社会福祉学研究方法と研究組織に関する小稿」『日本社会福祉学会ニュース第86号』所収、2021年3月)。
〇私が、日本社会事業大学大学院、東北福祉大学大学院で研究指導して博士の学位を取得した人が25名、修士の学位を取得した人が110名になる。この他、東京大学大学院、同志社大学大学院、淑徳大学大学院で、非常勤ながら研究指導した方々も多数いる。
〇それらの大学院生を指導していていくつかの類型化ができると思った。
〇第1のタイプは、大学院に来て、社会福祉の学びを深めたいし、できれば大学等の教育者・研究者になりたいのに、自分の研究テーマ、研究すべき社会福祉の理論課題が明確でなく、結果的に指導教員から与えられる課題、ヒントを基に自分の研究テーマを設定していった人々のタイプである。
〇このタイプの人の中には、ケアリングコミュニティ研究をしている大石剛史さん、イギリスの1601年慈善信託法を研究した松山毅さん、イギリスのボランタリーセクター研究をした宮城孝さんなどがいる。
〇この方々への指導は、ある意味、私自身が興味関心と研究の必要性を感じていながら、時間的にも、能力的にも一人では限界があり、その自分ができない部分を指導する院生に委ね、研究を進めてもらうというやり方である。
〇第2のタイプは、社会福祉学、社会福祉実践以外の領域を基盤に、自分の実践領域、研究領域と社会福祉学との“学際研究”を志してきた人々である。理学療法との関りを深めたいと考えた吉川和徳さん、廣島美保さん、建築学との関りでの瀬戸真弓さん、看護学との関りで野川とも江さん、本田芳香さん等がいる。
〇この方々への指導は、大学院生が有している他の領域の「土俵」に私自身が乗って、その分野の問題と社会福祉学との関係を深めていかないと指導できないので、“耳学問的”な側面も出てくるが、自分自身の視点、研究関心を拡げる機会になった。建築学の西山卯三先生の空間論と居場所問題、福祉機器の利活用とICFとの関係、保健・医療・看護・福祉のIPW、IPEなどについて見識を拡げることができ、後々それが生きてくることを実感できた。
〇第3のタイプは、大学院生自身は自らの関心、深めたいという課題、領域、事象を有しているが、それをどのように分析し、社会福祉学としての理論課題に昇化させたらいいのか悩んでいる人々である。
〇この方々には、取り上げる事象、問題をどういう風に分析し、構造化したら社会福祉学の理論課題を抽出できるかを指導した。その際に、その理論課題は一言でいえばどういう表現で表せるかを意識して取り組んだ。
〇玉木千賀子さんの「ヴァルネラビリティ」研究、崔太子さんの「ソーシャルサポートネットワーク」研究、越智あゆみさんの「福祉アクセシビリティ」研究、原田和広さんの「実存的貧困」研究などがそうである。
〇第4のタイプは、指導教員と同じフィールドに通い、関りのある自治体やその社会福祉協議会の実践・研究を「バッテリー型研究」を通して、新しいシステムを作り上げていく社会実証的研究スタイルである。
〇このタイプには、長野県茅野市での「福祉21ビーナスプラン」、「どんぐりプラン」を作り上げた原田正樹さんがいる。その際に、重要なのは、結果としてのタスクゴールだけではなく、プロセスゴールやリレーションシップゴールまでに関わることができるということが指導上大きな意味を持つ。
〇このように考えると、社会福祉学研究も、論文の最後の謝辞のところで指導教員の名前を載せて感謝するだけではなく、自然科学や大量的社会調査分野と同じように、共同研究者として、執筆者をファーストオーサーとし、アドバイザ-や指導をしてヒント等を提案した人をセカンドオーサーとして明記した方がいい時代が来たのかもしれない。

Ⅱ 第8回ホームカミングデーの際の原田正樹さんとの対談で示した先行研究及び研究スタイルを学んだ先生方――大橋謙策の研究枠組みと研究方法

〇去る2023年10月28日に行われた「第8回大橋ゼミホームカミングデー」の際に、原田正樹さんと対談を行った。その時の内容を覚え書き程度であるが、記録に留めておいた方がいいと思うので書く。
〇大橋謙策の研究枠組みと研究方法は、大きく分けて5つの柱からなっている。
〇第1の柱は、自分の理論を確立する上で、乗り越えるべき先行研究者は誰かという問題である。
〇論文を書くに当たって、いろいろ先行研究を学ぶが、自分が依拠し、乗り越える理論家、研究者は誰かということは、研究を志す者にとってとても重要な課題である。
〇私は、社会福祉学分野では岡村重夫であり、教育学、とりわけ社会教育学にあっては小川利夫であった(岡村重夫理論については「岡村理論の思想的源流と理論的発展課題」『岡村理論重夫の継承と展開 社会福祉原理論』ミネルヴァ書房、2012年、小川利夫理論については「「硯滴」に学ぶー不肖の弟子の戯言と思いー」『小川利夫社会教育論集第8巻 社会教育研究四〇年ー現代社会教育研究入門』亜紀書房、1992年を参照)。
〇研究者になる道は、自分のテーマ、研究課題に即して、誰のどの理論を乗り越えるべきかを早く掴むことが最も重要な道のりである。
〇第2の柱は、どのような研究方法を身に着けるかである。
〇我々が大学院で学んでいる時代は、研究者になるなら①その分野の原理、哲学、②その分野に関わる歴史研究、③その分野に関わる国際比較研究が出来なければ駄目だとよくいわれたものである。その教えには必死に対応しようとしてきたが、どういう研究方法を身に着けるかは、残念ながら教えてくれなかった。
〇筆者なりに開拓しようと思ったのは、社会教育学も社会福祉学も臨床的実践科学を軸にした統合科学(この用語は2000年に知ることになる)であるということを考え、現場に根差し、現場のニーズに応え、現場の実践を支援する理論仮説を提供できる研究者になろうと考えたことである。
〇結果的に、各地の自治体、社会福祉協議会、公民館をフィールドにして、そこで働く職員たちとの「バッテリー型研究」というスタイルを構築できた。この方法は、恩師の宮原誠一先生が教え子を各地の自治体に社会教育主事として送り込む実践的研究から学ぶところもあったし、次の柱で述べる恩師の小川利夫先生の実践者の組織化を行っていたことに示唆を得て、私なりに独自に作り上げたものである。
〇第3の柱は、実践者・研究者の組織化である。
〇小川利夫先生のこの点での組織化は大変素晴らしいものであった。実践家と“肝胆相照らす”関係を作り出し、様々な研究会を組織されていた。名称は定かでないが、「教育と福祉を語る集い」、「児童相談所セミナー」、「養護児童問題セミナー」等1970年代に精力的に組織し、現場で起きている問題を社会構造的に整理する研究方法には大変勉強させられた。研究会の後は必ずと言っていいほど“酒会”の場があり、そこでも談論風発の論議を行っていた。そばで見聞きし、時には“酒会”の“幹事役”や研究会の事務局を担うことで、研究者としても社会人としても大いに鍛えられた。
〇第4の柱は、大学教員としての社会活動、社会貢献活動である。
〇この分野では仲村優一先生、一番ケ瀬康子先生、三浦文夫先生、小川利夫先生などに憧れ、導かれて成長できた。
〇仲村優一先生には、日本社会事業大学の教員として日本社会福祉学会の会長、日本社会福祉教育学校連盟会長、日本社会事業大学学長、日本学術会議の会員になって、社会的に社会福祉学の社会的評価を高める活動をしなければ駄目だと言われてきた。一番ケ瀬康子先生も同様であるが、一番ケ瀬康子先生は、講演料の高いところにも行くが、時には活動を助成するために寄付金を置いてくるところにも出かけて、社会福祉の向上に努めなければならないと言われたし、小川利夫先生には、講演料を自分の生活費のために使うな、それは社会的に使えと、ことあるごとに言われてきた。三浦文夫先生には、様々な福祉財団などを紹介してもらい、その財団の助成先の選考委員、財団の評議員、理事などを勤めることの意味、意義、社会的役割について教えて頂いた。
〇このような、研究方法、研究枠組みの集大成として、私の第5の柱となる日本地域福祉研究所を1994年に設立した。
〇それは、実践と理論を循環させ、研究者の養成と組織化、実践家の組織化を図り、草の根の地域福祉実践の向上を図りたいと考えたからである。日本地域福祉研究所が毎年行った「地域福祉実践研究セミナー」もその目的の一つであった。このセミナーの分身といえる「四国地域福祉実践研究セミナー」、「房総地域福祉実践セミナー」は現在でも継続して行われている。
〇このような研究枠組みや研究方法が妥当性を持っているかどうかは他者の評価を得なければならないが、少なくとも私はこの柱を軸に60年間近く地域福祉実践・研究を行ってきたことは事実であり、後学者のためにここに記しておきたいと思った。

(2024年3月30日記)

(備考)
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログ(「阪野貢 市民福祉教育研究所」で検索)に第1号から収録されていますので、関心のある方は検索してください。
この「老爺心お節介情報」はご自由にご活用頂いて結構です。

老爺心お節介情報/第54号(2024年3月8日)

「老爺心お節介情報」第54号

地域福祉研究者の皆様
社会福祉協議会関係者の皆様

皆さまお変わりなくお過ごしでしょうか。
「老爺心お節介情報」第54号を送ります。

2024年3月8日  大橋 謙策

〇皆さんお変わりなくお過ごしでしょうか。
〇能登半島地震の被害状況の報道を見るたびに胸が痛みます。災害の状況、規模によっても違いがありますが、人口減少、超高齢化地域における大きな地殻変動、液状化現象を伴う災害支援、災害復旧の難しさを改めて突き付けられている能登半島地震災害です。

Ⅰ 人口減少時代における地域福祉研究を考える

〇私は、去る2月20日に、長野市、長野市社会福祉協議会、長野県社会福祉協議会共催の「人口減少時代の地域づくり」をテーマにした「地域福祉ネットワーク会議」に招聘され、行ってきました。
〇その際の講演のレジュメの抜粋は以下の通りです。

〇筆者がこの講演を通して言いたかったことは、日本の社会福祉政策において、「地域福祉」がメインストリームになり、地域共生社会政策が展開されるときに、「地域福祉」の“地域”が“危急存亡”に陥っている。このような状況の中で、地域福祉実践、地域福祉研究はどうあるべきかを問い直すという視点で話をしたいと思った。
〇その講演で訴えたかった点は3点である。
〇第1点目は、地域の住民力、地域の力を向上させる支援を行う「触媒機能を持つ職員論」が重要であるという点である。
〇地域の住民が自然発生的に力を付け、地域の自治力を高めることは単純ではない。地域づくりに関わる公民館や社会教育の職員、あるいは社会福祉協議会の職員などが触媒機能を発揮して、働き掛ける重要性を述べた。今日のように、人口減少、高齢化が急速に進んでいる状況の中で、住民の負担感を減らし、一緒に地域づくりをしていく「職員論」が重要になる。
〇1984年に書いた論文「公民館職員の原点を問う」(『月刊社会教育』1984年6月号所収)はまさにそのことを述べたのである。地域福祉論の泰斗と言われる岡村重夫には「職員論」がない。
〇その「職員論」はどのような触媒機能を持つかである。一般的に触媒とはⅰ)触媒する物質を入れることによって、従来の物質が活性化する、ⅱ)触媒する物質を入れることによって、従来の物質が安定する、ⅲ)触媒する物質を入れることによって、新しい物質に変質すると言われている。
〇人口減少、高齢化における地域づくりには、この触媒機能を発揮できる職員の機能、能力と配置が重要であることを述べた。
〇この住民のエネルギーを向上させる触媒機能としては、公民館、社会教育による住民の主体形成と相通ずるものがある。
〇長野県は、戦後公民館活動と社会教育が非常に活発な地域であった。それは、ある意味戦前の「上田自由大学」に代表される住民の活発な自己教育活動の歴史ともつながる伝統、実践といえる(『大正デモクラシーと地域民衆の自己教育運動』(山野晴雄著、自費出版、申し込み先 東京都三鷹市牟礼5-6-10、山野晴雄、TEL0422-42-6558、定価3000円)参照)。
〇静岡県掛川市の市長であった榛村純一は1970年代に、地域づくりには住民一人一人が「選択的土着民」になれるよう生涯学習を推進することが肝要であると実践された地域づくりの思想と共通する。
〇筆者は、1980年代から地域福祉実践には「地域福祉の主体形成」が重要であり、それを促進する福祉教育が重要であると述べてきた。その福祉教育は、福祉サービスを受給している人と切り結びを通して獲得される意識、人間観であると述べてきた。
〇この考え方は、地域共生社会政策の基点になった1995年9月の報告書「誰もが支え合う地域の構築に向けた福祉サービスの実現――新たな時代に対応した福祉の提供ビジョンーー」の中で、“対象者を制度に当てはめるのではなく、本人のニーズを起点に支援を調整することである。制度ではなく、地域というフィールド上に展開する営みであり、個人のニーズに合わせて地域を変えていくという「地域づくり」に他ならない。個別の取組の積み重ねが大きな潮流になって地域を変えていくという考え方と同じである。
〇第2点目は、現在進められている重層的支援体制整備事業に見られるように、地域共生社会政策は「住民と行政の協働」が重要になるが、その住民と行政の車の両輪の車軸を誰が担うのかという問題である。
〇これは第1点目と関わる問題であるが、この車軸の機能を担う機関を筆者は市町村社会福祉協議会ではないかと考えている。
〇重層的支援体制整備事業の要は、第2層レベルの専門多機関、専門職多職種連携による困難事例への総合的支援活動と第3層レベルの小学校区における近隣住民、民生児童委員、自治会、地区社会福祉協議会の方々によるインフォーマルな支援、見守り、声掛けとが有機化することが重要で、だからこそ福祉サービスを必要としている人を地域から排除することなく、受け入れる地域づくりにつながるわけで、この第2層と第3層の機能をコーディネートできるのは、地域を基盤としている社会福祉協議会ではないかと考えている。
〇第3点目は、今までややもすると市町村や地域との関りが豊かにあったとは言えない社会福祉施設やそれを経営している社会福祉法人であったが、人口減少、超高齢社会、福祉サービス利用者の減少の時代にあっては、全国の約2万の社会福祉法人、全国に10万か所ある社会福祉施設が、地域住民の生活を守る拠点、住民の共同利用施設の機能を持てるようになるかである。
〇筆者は、1978年の日本社会福祉学会の機関誌『社会福祉学』に書いた「施設の社会化と福祉実践」で社会福祉施設は地域住民の拠り所になるための社会福祉施設の社会化と地域化を推進するべきだと述べてきたが、今や、社会福祉施設、社会福祉法人の地域貢献が2016年以降法的に位置づけられ、求められるようになってきている。
〇人口減少、超高齢社会時代において、社会福祉施設は地域住民の生活を守る、かつ地域づくりの拠点となるよう意識改革をしていかなければならない。また、それをしないと社会福祉施設、社会福祉法人自体の存続も難しくなってきている。これからは、社会福祉法人の連携化や合併問題を含めて、地域の維持・存続に社会福祉施設はどういう役割を担えるかを考える時代であると述べた。
〇社会福祉施設、社会福祉法人の地域貢献活動を考える際に、大阪府社協「しあわせネットワーク事業」、香川県社会福祉協議会「おもいやりネットワーク事業」を参考にして欲しい。

(2024年3月8日記)

(備考)
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老爺心お節介情報/第53号(2024年1月26日)

「老爺心お節介情報」第53号

地域福祉研究者各位
社会福祉協議会関係者各位

能登半島地震には本当に胸が痛みます。
亡くなられた方のご冥福と被災された方々へ心よりお見舞い申し上げます。

2024年1月26日  大橋 謙策

寒中お見舞い申し上げます!

Ⅰ 能登半島地震で亡くなられた方々のご冥福と被災された方々へお見舞い申し上げます

〇2024年が幸多かれと寿ぎをしている最中、能登半島地震の発生が知らされました。大変厳しい年明けになってしまいました。
〇能登半島地震で亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災に会われた方々へ心よりお見舞い申し上げます。
〇能登半島地震の被災状況は、日を経るにつれ、被害の甚大さが明らかになり、従来の震災とはまた別の様相を示しています。救命・救援、インフラの復旧は、行政及び専門職の方々にお任せするしか手を出せない状態です。しかしながら、被災地の高齢化や被災地のインフラの破壊状況を考えると、被災住民の方々の生活再建、地域復興に向けての「復元力」には相当厳しいものがあると推察しています。
〇この1月28日に、宮城県石巻市で「災害時ソーシャルワークフォーラム」が開催されます。このフォーラムは、日本医療ソーシャルワーカー協会が、東日本大震災被災後から12年間、石巻市で被災者支援をしてきた1047ケースの分析を基に開催されます。当日には『東日本大震災被災者への10年間のソーシャルワーク支援ー(公社)日本医療ソーシャルワーカー協会の相談支援1047ケースの実践報告』という本も中法規出版から刊行されます。この本は、12年間に亘る被災者支援の「縦断的調査研究」です。
〇このケースの分析、報告書の刊行に向けて、ここ5年間お手伝いをさせて頂いていましたが、①災害被災者支援は長期的に、災害被災後生活変容ステージごとに、かつ個々人の社会生活のアセスメントを丁寧に行いながら個別支援を行わないと、生活再建には程遠いことが明白になりました。②また、被災者一般ではなく、被災者の中には要支援者もいれば、「復元力」がおびただしく弱い人もいて、被災者といっても同じ“一枚岩”でなく、階層性を有しているので、その階層性に応じた支援が必要となります。
〇発災直後の「災害ボランティアセンター」の支援だけでは“ダメ”だということと、「復元力」の弱い高齢者や障害者への支援は継続的、長期的に、かつより伴走的個別支援のソーシャルワーク機能が重要であることが明らかになりました。この課題解決には、今まさに問われている「地域共生社会政策」における包括的、重層的支援体制を整備していくことに他なりません。
〇全社協は、2022年3月に『災害から地域の人びとを守るためにーー災害復旧支援活動の強化に向けた検討会報告書』を出しましたが、この内容レベルでは“ダメ”だと思います。これは、発災後のある時期には必要ですが、被災者支援に於いて、ややもすると“置き去りにされがちな”「復元力」が弱い、いわゆる“災害弱者”と言われる方々への支援が十分ではありません。
〇社会福祉協議会の使命は、まさに今問われている「地域共生社会政策」における「復元力」が弱い人を、誰一人“孤立”させない、“孤独”にさせない、個別支援を軸とした参加支援とそれを可能ならしめる地域づくりとを統合的に行う使命も持っているはずです。だからこそ、”地域を基盤として成り立つ社会福祉法人“として、住民から住民会費を頂いているのではないでしょうか。
〇社会福祉協議会が1987年の阪神淡路大震災を契機に「災害ボランティアセンター」を設置し、多くの被災住民から喜ばれる活動をしてきたことは高く評価しますが、その陰で被災者の中でもとりわけ要支援が必要な方々への長期的、継続的、伴走的支援をシステム的に行えていたのでしょうか。
〇能登半島地震に遭われた地域の状況、地域住民の社会生活の構造、従来にない地殻変動的被災の状況を考えると被災者支援は長期化するでしょうし、生活再建は容易ではないと思います。東日本大震災の時の教訓から、“集落ごとの避難”がかなり意識され、取り組まれていますが、地殻変動の大きな今回の震災では、集落の維持、持続自体が可能かどうか危ぶまれます。「生活再建」は相当に長期化し、厳しいものがあると推察されます。
〇社会福祉関係者は「災害被災者支援のソーシャルワーク」の在り方とそれを展開できるシステムづくりを改めて考える必要があるのではないでしょうか。

Ⅱ 1984年拙稿「公民館職員の原点を問う」は「地域共生社会政策」の先取りか?

〇昨年末から新年にかけて、私が1984年に書いた論文「公民館職員の原点を問う」(『月刊社会教育』1984年6月号所収、国土社)の内容が、今日進められている「地域共生社会政策」の“個別支援を通じて地域を変える”とかの先取りであるとか、今日の地域づくりの考え方に必要なものであるとか、今日の社会教育行政、公民館の在り方を予見していたものであるとかの評価、意見を頂きました。
〇1984年の拙稿は、私にとって今日のコミュニティソーシャルワークの在り方につながる、いわば基底になる考え方を示した論文です。私は、岡村重夫理論には地域福祉に関わる職員論がないと批判してきました(拙著『地域福祉とは何か』P18参照)が、1984年論文はその中核となる論文でもあります。それが、今日、改めて問われていることは嬉しいことです。
〇私の研究は、1984年論文で言いたかったことを常に意識してきました。したがって、拙著『地域福祉とは何か』の中でも、イギリスの1982年のバークレイ報告との関りで、1984年論文を引用、紹介しています(『地域福祉とは何か』P124。そこでは1984年論文を1984年8月号と書いてあるのは誤植です)。
〇上記のような意見を頂く契機は、明治大学の小林繁教授が『月刊社会教育』(旬報社に発行元が変更)の2023年12月号で、『「公民館職員の原点を問う」が提起するもの』と題する論文を書いてくれたからです。
〇『月刊社会教育』2023年12月号の小林論文は、1984年の拙稿を、①戦後初期の公民館構想が、1949年制定の社会教育法に組み込まれて行く過程で、公民館構想が有していた「住民が問題を発見し、問題を共有、深化させ、問題を解決する実践の中で形成される力、その教育的機能というものを事実上排除」し、結果として「いちじるしく公民館の活動を狭めた」こと、②1960年代以降の急激な産業構造の変化の中で、さまざまな社会的矛盾が地域課題や生活問題としてあらわれ、そのことがとりわけ子どもや障害をもつ人、高齢者などの社会的不利益者の問題として顕在化してくる。それらは別個の問題などではなく、複合的に連鎖している状況のなかで、公民館はどのような役割が求められているのか、(大橋)論文では、これらの問題の連鎖を分析・把握するための学習と、その問題を「解決するための力に転化させるための励ましや援助」との有機的つながりが必要であること、③公民館職員にはコミュニティワーカーとして、「住民が認識を高め、問題を解決する実践力を身に着けられるよう援助する」ことが求められること、④(大橋論文)は、この間の地域福祉の大きな転換、すなわち「地域共生社会」に向けて、「支え手」と「受け手」に分かれず互いに支え合う活動が(その当時から)追求されていると、拙稿の1984年論文を引用しながら、論文の今日的意義を整理してくれています(「」内は私の補足)。
〇小林繁論文のタイトルにはサブタイトルとして「座談会のテーマ(学びの壁を突き破るには)に関って」が付けられています。
〇私にとって、座談会の内容は、今日の社会教育行政や公民館の活動の分析と1984年当時の大橋論文との分析、内容とが必ずしもかみ合ってない感がするので、座談会そのものの論評はここでは避けたいと思います。
〇私が、この論文を書いた1984年当時、三多摩の公民館で働いていた、ある有力な職員から批判、反論を頂きました。その折、私の恩師である小川利夫先生から、“これは大事なことだから継続的論争として発展させた方がいい”とけしかけられましたが、当時の私はそれを受け入れませんでした。というのも、その当時、私は社会教育関係者も、社会福祉関係者も“出てきた政策には敏感に反応するが、政策が出されてくる背景には鈍感である”と批判していて、現象的な“評価”で論争する意欲が沸かなかったからです。
〇この「公民館職員の原点を問う」という論文は、当時、表向きにはなかなか言える立場ではありませんでしたが、岡村重夫地域福祉論における“地域論”、“職員論の欠如”への批判でもありました。また、この論文は、その後のコミュニティソーシャルワーク機能に関する論文の基底になる論文でもありました。
〇拙稿が『月刊社会教育』でとりあげられていることを202年年末に教えてくれた人は、長野市中条地区で活動されている黒岩秀美さんです。中条村が長野市に合併され、中条地区の地域の力、住民の力が弱くなり“消滅していく”のではないかという危機感の下、改め地域づくりに尽力されている方で、小池正志元長野県社会福祉協議会事務局長などと研究会を組織し、「人口減少地区における地域福祉のあり方」について研究、活動しているメンバーの一人です。そこでは、公民館と社会福祉協議会、施設経営の社会福祉法人の今後のあり方が論議されています。
〇その黒岩秀美さんが、元長野県飯田市の社会教育主事であった木下巨一さんとつながり、いろいろ情報が寄せられました。と同時に、私の教え子たちからもこの1984年論文が改めて俎上にのぼっていることも教えられました。
〇以下の文は、黒岩さん、木下さんにメールした内容です。

『月刊社会教育』2023年12月号の件、改めて40年前の拙稿を読み返してみました。40年前と現在とは状況は違いますが、指摘していることは間違ってなかったし、今でも“通用する”論文だと思いました。
2023年12月号の特集は、拙稿のもつ意味についての論考ではなく、その中の一部の「地域における個別課題に関する学習の組織化とその普遍化、住民の共有化」に関わる部分だけですので、それはそれとして“独立した”課題として、今日的状況を踏まえて論議していく必要があるでしょう。
40年前の拙稿が述べたかった点は、“公民館が住民が抱える地域課題を通して地域づくりを行うこと”をなぜ失念してしまったのかへの提起でした。
それは、“公民館の教育機関化と学習内容の高度化”(市民大学化)への警鐘でした。
私自身、「地域青年自由大学構想」に関する論文を書いていますので、公民館の学習内容の高度化を単純に否定しているわけではないのですが、あまりにも“公民館が住民が抱える地域課題を通して地域づくりを行うこと”が軽視されていることへの警鐘でした。
「限界集落、「消滅市町村」の現況の中では、改めてこの論文の意味するところを考え、「公民館復活」が重要です。
仮に、公民館の学習内容の高度化を考えるなら、もっと教育方法、教育内容についての考察が深められるべきだと当時思いました。当時、三多摩では学習内容の高度化、科学化を目ざした取り組みがおこなわれていたので、その関係者からは批判されました。
しかしながら、時代が証明したように、放送大学や各大学の地域講座、通信教育が多様化するなかで、相対的に“公民館の地位”は低下してしまいました。
私は、日本社会教育学会で、松下圭一さん、島田修一さんとシンポジュウムを行いましたが、松下さんに組したわけでもありませんし、島田さんに組したわけでもなく、“第3の立場”で発言をしました。ただ、松下さんに代表される“社会教育への批判”はもっと謙虚に受け止めるべきだと思い、その旨の発言はしています。
もし機会があれば、40年前の拙稿をどう評価するか、大いに論議したいものです。

(2024年1月6日記)

(備考)
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大橋謙策/私の「地域福祉とコミュニティソーシャルワーク」実践と研究―<実践的研究><バッテリー型研究>のこれまでとこれから―

大橋謙策の「地域福祉とコミュニティソーシャルワーク」実践と研究

―<実践的研究><バッテリー型研究>のこれまでとこれから―

 

はしがき

〇本稿は、大橋謙策先生の「地域福祉」とその<実践的研究><バッテリー型研究>の内容や方法、理論や実践、理念や哲学、そして社会システムやコミュニティソーシャルワークなどについて知るためのひとつの第一次資料として編むことを企図したものである。それは、大橋先生の個人的な地域福祉研究史にとどまらず、日本の地域福祉研究の “ これまで ” と “ いま ” を理解し、“ これから ” を展望することに繋がる。大橋先生が50年余に亘り取り組んでこられた地域福祉に関する実践や研究の「集大成の書」である『地域福祉とは何か』(中央法規出版、2022年4月)については、是非とも原典にあたっていただきたい。そこから、先生からの学生・院生や若手の研究者、現場の実践者などに対するメッセージやエールを読み取っていただきたいと念じている。
〇なお、大橋先生がいう<実践的研究>に関して、先生の初期の「実践的研究書」である『地域福祉の展開と福祉教育』(全社協、1986年9月。⇒本文)の次の一節を思い起こしておきたい。「筆者の問題関心は、教育と福祉における “ 問題としての事実 ” に学びつつ、問題、課題をどう実践的に解決するのかという点にある。(中略)社会福祉協議会職員や教師をはじめとして地域福祉、福祉教育推進に日夜尽力されている人びとに、少しでも役に立つ研究をどうすすめられるかという点に筆者の視座がある」(ⅳページ)。<バッテリー型研究>に関しては下記の、『地域福祉とは何か―哲学・理念・システムとコミュニティソーシャルワーク―』の「まえがき」の一節(ⅱページ)を参照されたい。
〇さらにいえば、原田正樹先生が「本書の内容(構想)は、大橋先生の『地域福祉の展開と福祉教育』の今日的な続編でありたいと考え」て上梓された『地域福祉の基盤づくり―推進主体の形成―』(中央法規出版、2014年10月。⇒本文)も併せて読んでいただきたい。原田先生はいう。「地域から学ぶとは、地域の一人ひとりを大切にするということであり、そこから学んだことを地域へ還元し、社会化させていくという大橋先生の姿勢を継承したい」(231ページ)。
〇この3冊は、大橋先生と原田先生の師弟が追究した(する)「地域福祉と福祉教育」の実践と研究の金字塔であり、必読の書である。
                  (市民福祉教育研究所/文責:阪野 貢)


Ⅰ 地域福祉とは何か

―大橋謙策『地域福祉とは何か』(中央法規出版、2022年4月)―












出典:大橋謙策『地域福祉とは何か―哲学・理念・システムとコミュニティソーシャルワーク―』中央法規出版、2022年4月、ⅰ~xiiiページ。
謝辞:転載許可を賜りました大橋謙策先生と中央法規出版に衷心より厚くお礼申し上げます。/市民福祉教育研究所:阪野 貢


Ⅱ 研究業績

―『大橋謙策主要論文等』―

(大橋ゼミ50周年ホームカミングデー実行委員会、2023年10月)













出典:大橋ゼミ50周年ホームカミングデー実行委員会編『大橋謙策主要論文等(2019年~2023年)』2023年10月、5~16ページ。
謝辞:転載許可を賜りました大橋謙策先生に衷心より厚くお礼申し上げます。/市民福祉教育研究所:阪野 貢

 


補遺

原田正樹の「地域福祉と福祉教育」実践と研究

―地域福祉の主体形成に関わる地域福祉実践研究のこれまでとこれから―

 

はしがき

〇原田正樹先生の専攻は「地域福祉と福祉教育」である。先生は断言する。「福祉教育は地域福祉の下位概念ではない。福祉教育を豊かにしていくことが地域を変えていく力になり、同時に地域福祉を推進することで私たち一人ひとりの福祉意識が変わっていく。地域福祉を福祉教育によって支えあうことができる社会、ケアリングコミュニティをどう構築していくことができるかを問うことが『地域福祉の基盤づくり』である」(『地域福祉の基盤づくり』「はじめに」)。先生のこの「地域福祉と福祉教育」研究の視座に、筆者(阪野)は強く同意する。筆者は浅学菲才ながら、その点を「まちづくりと市民福祉教育」として追究してきたが、それに比して先生の実践と研究は広くて深い。碩学(せきがく)である。
〇その点を原田先生の師である大橋謙策先生は、『地域福祉の基盤づくり』を次のように評している。「本書は、岡村重夫先生や私が重視してきた地域福祉実践・研究において、その重要性を指摘しながら必ずしも十分な研究を行ってこれなかった地域福祉の主体形成について正面から実証的に取り組み、その実践を質的研究の視点から明らかにしようとした労作である」。また、大橋先生は原田先生の研究者としての実践・研究姿勢について、次のように評する。「私以上に住民、計画策定委員会委員、あるいは行政担当職遺の “ 伴走者 ” として寄り添い、支えると同時に、時には “ 参与観察者 ”として客観的に計画策定のプロセスを細かく、あまねくみてきた」(『地域福祉の基盤づくり』「推薦の辞」)。筆者はかつて、大橋先生を「『福祉でまちづくり』の『スーパースター』(田中輝美の言葉)的な『関係人口』」と評させていただいたことがあるが、原田先生も正に、「地域福祉と福祉教育」の「スーパースター」的な「関係人口」である。
〇筆者は、大橋先生から薫陶を受けた一人である。原田先生とはいろいろな時や場で共働させていただいた。感謝に堪えない。
〇原田先生の研究業績について、諸般の事情から、ここに「補遺」として掲載させていただくことにした。その一切の責任は筆者が負うものである。読者の皆さんには是非、大橋先生と原田先生の「福祉教育」実践と研究から多くを学んでいただきたい。その一念のみである。
〇大橋先生と原田先生の真摯であくなき探究は、 “ これまで ” と 同様に、“ これから ” も続く。
                  (市民福祉教育研究所/文責:阪野 貢)


Ⅰ 地域福祉と福祉教育(略)

―原田正樹『地域福祉の基盤づくり』(中央法規出版、2014年10月)

Ⅱ 研究業績(略)


原田正樹/私の「地域福祉と福祉教育」実践と研究 ―地域福祉の主体形成に関わる地域福祉実践研究のこれまでとこれから―/2024年1月1日/本文

老爺心お節介情報/第52号(2024年1月1日)

「老爺心お節介情報」第52号

地域福祉研究者の皆様
社会福祉協議会関係者の皆様

新年明けましておめでとうございます。
ウクライナへのロシア侵攻、イスラエルのガザ地区への攻撃が終わり、
地球規模での平和が訪れることに「願」を掛けましょう。
母校・日本社会事業大学の建学の精神「平和共生」、「忘我友愛」、「窮理窮行」の精神が如何に重要であり、大切であるかを思い起させる真でした。
「老爺心お節介情報」第52号を送ります。
皆さまご自愛の上、ご活躍下さい。

2024年1月1日   大橋 謙策

新年明けましておめでとうございます!

〇皆様お変わりなく新しい年をお迎えのこととお慶び申し上げます。私も元気に、新しい年を迎えることができました。
〇私にとって、昨年は病院通いの日々でした。日本医科大学多摩永山病院、神奈川県立がんセンター、眼科、耳鼻咽喉科への通院が続き、医療保険のありがたさを実感した年でした。それでも、一日平均一万歩を歩く目標は達成できました。今年は、体調管理に気を付けて病院通いが減るよう努力したいと思っています。
〇昨年10月に行った「大橋ゼミホームカミングデー」の際の挨拶でも述べましたが、“教師としての責務”から教え子に“背中を見せる”ための論文を書くことは止めますが、これからは自由に談論風発の思いで、気儘に気が付いたこと、関係者に伝えたいことは書き続けたいと思っています。その意味では、この「老爺心お節介情報」は、新型コロナによる自粛生活の中で産み出された産物ではありますが、最もふさわしい情報発信の媒体になりました。
〇「老爺心お節介情報」第52号は、前号に引き続いて、日本社会事業大学同窓会北海道支部の機関誌『アガぺ』に連載したものを転載しました。高齢者分野、障害者分野、子育て分野で働く職員による“虐待”が後を絶ちませんが、虐待の現象にのみ目を奪われることなく、虐待が起こされる、その根の深さがどこにあるのかを意識して書いています。忌憚のないご意見をお待ちしています。
〇昨年12月末に読んだ全国社会福祉法人経営者協議会の機関誌『経営協』の2023年12月号に教え子の吉田雅憲さん(宮崎県宮崎市佐土原町、社会福祉法人明照福祉会理事長、日本社会事業大学学部1990年度生、大学院1994年度生)の記事が掲載されていました。日本社会事業大学大学院修了後、宮崎県社会福祉協議会に10年間勤め、その後祖父が開設した社会福祉法人に転職し、現在は理事長を勤めています。理事長として、社会福祉法人経営の理念として、ニーズ対応型の事業展開を心掛けていることや目の前の困っている人のために何ができるかを考えるとか、4部門の業務執行体制を執っての経営等とても頑張っている様子が書かれていて、我がことのように嬉しくなりました。卒業生、教え子が頑張っている様子を見聞きできるのは“教師冥利”に尽きます。
(2024年1月1日記)

日本社会事業大学同窓会北海道支部『アガペ』寄稿文
『社会福祉従事者の人間観、社会福祉観、生活観と虐待問題』その②

日本社会事業大学名誉教授
大橋 謙策

Ⅰ 憲法第13条及び「快・不快」を基底としたケア観と「社会福祉観の貧困」、「人間観の貧困」「貧困観の貧困」「生活観の貧困」

〇筆者は、日本社会事業大学の講義で、よく「社会福祉観の貧困」「人間観の貧困」「貧困観の貧困」「生活観の貧困」という用語を使用して講義をしてきた。
〇それは、社会福祉を志している学生が陥り易い社会福祉観を問い直す作業過程として、その用語を使ってきた。
〇筆者は、社会福祉を憲法第25条からだけ説き起こすのではなく、それとともに憲法第13条からも説き起こすべきだと1960年代末から言ってきたし、論文にも書いてきた。
〇憲法第25条の社会権的生存権の規定は、人類が歴史的に獲得してきた権利であり、国民のセーフティネット機能として重要であることは重々分かったうえで、それだけだと提供される社会福祉サービスがちまちました“最低限度の生活保障”の域を出ないことになるし、その反動として、社会福祉サービスを提供する側のパターナリズムが避けられないと考えてきたからである。
〇それらのことを実感する機会はいくつもあるが、その一つは1970年に女子栄養大学に助手として採用され、勤務し始めて改めて痛感したし、同じく1970年から始めた聖心女子大学の非常勤講師の勤務からも痛感させられた。
〇女子栄養大学では、昼食を大学の食堂で摂るのだけれど、その食堂はキャフェテリア方式で、自分の好み、自分の懐具合、自分が食べたい分量を自分で考えるという“主体性”が常に求められる。
〇当時の社会福祉施設の食事は盛っ切りで、自分(福祉サービス利用者)の主体的選択の余地はなく、かつ食器も割れない食器で供されていた。日常生活における食事の持つ意味、食事に伴う生活文化などを女子栄養大学でいろいろ教わった。
〇当時、島根県出雲市の長浜和光園がバイキング方式の食事を提供し始めていて、社会福祉施設における食事に関わる問題の重要性を随分と学ばせてもらった。食事を通して学ぶ食文化、食事の場における会話、食事を作る生活技術など日常生活における食事の持つ意味は大きい。女子栄養大学では、当時核家族化が進む中での“子どもの孤食”の問題が大きく取り上げられていた。
〇筆者は、当時の女子栄養大学の社会福祉の科目を受講している学生に、夏休みの宿題として、社会福祉施設を訪問し、その施設の食事の実態を分析するレポート課題を出した。そのレポートに書かれた当時の分析と今日とを比較出来たらとても良かったと思うのだけれど、そのレポートは女子栄養大学を退職した際に、廃棄処分してしまったことが残念である。
〇他方、聖心女子大学でも社会福祉の科目を教えていたのであるが、同じように夏休みの宿題として、社会福祉施設を訪問してボランティア活動を行い、学生なりの社会福祉施設の評価を求めるレポートを課した。その際、学生から質問があった。訪ねる社会福祉施設は日本の社会福祉施設でなければ駄目かという質問である。その学生は、夏休みに入ると同時に、父母がいる海外へ行くという。その海外の社会福祉施設の訪問記でもいいのかという質問であった。そのような境遇の学生が数人いた。日本と海外の社会福祉施設との比較が図らずも行うことができた。社会福祉施設を取り巻く福祉文化の違いを期せずして学生同士で論議できたことはおもしろかった。
〇1992年、筆者は日本社会事業大学の長期在外研究が認められ、イギリスに半年間滞在した。それも、筆者はロンドン大学などへの派遣ではなく、自由にさせて頂いた。
〇筆者は、ロンドンのケンジントン&チェルシー区に滞在し、区内にあるホスピスやボランティアセンターなどに出入りさせてもらった。ホスピスでは、余命いくばくもない人々が、私が訪問する度に、私に向かって“エンジョイしているか”と尋ねられる日々であった。そのホスピスでは、余命いくばくもないのに、ドリンキングパーティもあり、かつ犬のボランティアも登録されていて連れてこられたり、浴室にはカラフルな壁画が描かれていたりという福祉文化の違いを様々な形で私に問いかけてきた。
〇筆者は、憲法第13条に基づく社会福祉観を考える場合、生活上の様々な事象に対し「快・不快」を基底として、生活を楽しむ、生活を再創造するというリクリエーションが大切ではないかと考え、1980年代後半に、日本社会事業大学の故垣内芳子先生や日本レクリエーション協会の園田碩哉さん、千葉和夫さん(のちに日本社会事業大学の教員)、淑徳短期大学の木谷宜弘先生(元全社協ボランティア活動振興センター長)等と“社会福祉における文化の問題、レクリエーションの位置”について研究を行った。社会福祉施設の食事、社会福祉施設のインテリア、社会福祉施設職員のユニフォーム、行動規範などについて調査研究を行った。その結果は、1989年4月に『福祉レクリエーションの実践』(ぎょうせい)として上梓された。その『福祉レクリエーションの実践』には、筆者が日本社会事業大学研究紀要第34集に寄稿した「社会福祉思想・法理念にみるレクリエーションの位置」と題する論文が収録されている。
〇その論文では、ⅰ)社会福祉とレクリエーション、ⅱ)レクリエーションの捉え方の視角、ⅲ)西洋の社会福祉思想とレクリエーション及び娯楽、ⅳ)日本における社会福祉思想にみるレクリエーション及び娯楽、ⅴ)社会福祉六法の目的と生活観、ⅵ)施設最低基準にみる生活観、ⅶ)在宅生活自立援助ネットワークの構成要件、ⅷ)在宅福祉サービスの供給方法と施設整備の在り方について論述している。
〇この論文では、権田保之助の社会事業や娯楽の捉え方を踏まえつつ、如何に社会福祉法の目的が狭隘であるかを論述した。と同時に、入所型社会福祉施設のサービスを分解して、地域で住民の必要と求めに応じてサービスパッケージをすれば、社会福祉施設の位置と役割が変わることを指摘している(当時はケアマネジメントという用語は使われてなく、筆者は必要なサービスをパッケージして提供するという意味でサービスパッケージという用語を使用していた)。
〇1996年に総理府の社会保障審議会が社会保障の捉え方を見直し、事実上福祉サービスを必要としている人のその人らしさを支えるサービスに転換させる勧告を出す。憲法第25条に基づく“最低限度の生活保障”への偏りを反省し、事実上憲法第13条を法源とする社会保障、社会福祉への転換が求められた。
〇しかしながら、相も変わらず社会福祉分野では、“上から目線のサービスを提供してあげる”という考え方や姿勢が蔓延っているし、生活を楽しく、明るく、楽しむ自立生活支援にはなっていない。
〇社会福祉分野では、故一番ケ瀬康子先生等が「福祉文化学会」を設立し、社会福祉サービスの考え方や社会福祉における文化性について研究を推進してきたが、その研究枠組みは必ずしも私の先の論文の枠組みとは同じではない。
〇他方、1970年代から播磨靖男さんたちのわたぼうしコンサートを始めとして、社会福祉の枠にとらわれない障害者文化の向上に貢献する実践があるが、それらがどれだけ社会福祉分野に影響を与えて、社会福祉の質を変えたかは定かでない。
〇個々人の福祉サービスを必要としている人の「快・不快」を基にしたケアの提供を考えたならば、従来の入所型社会福祉施設で行ってきたケアが、いかにケアする側の論理、都合で提供されているかが分かるであろう。
〇日本人の文化と社会福祉との関りについては、「アガぺその①」でも書いたが、社会福祉関係者もケア提供者も、福祉サービスを必要としている人を「枠組み」に当てはめ、その「枠組み」の中の人間は同じだという“錯覚”にも似た“思い入れ”で対応し、「枠組み」の中の人、一人ひとりを丁寧に見て、その人の“思い”や“願い”をきちんとアセスメントしようとしない「文化」を持っている。
〇障害者といっても、障害の状態、障害の種類によっては全然違うし、障害者の中の発達障害者を見ても、その行動様式、“こだわり”は全部違うといってよい。なのに、それらの人々をひとくくりにして対応しようとするケア観がはびこっている。
〇人間を見るのに、「枠組み」からのみ見たり、レッテルを貼ってみる人間観を変え、一人ひとり異なる存在であり、その異なる存在を受容し、関係性を豊かに持てるようにしていかないとケアの現場だけで問題を解決できると思うのは誤りだとさえいえる。虐待の背景、深層心理には、日本人が陥っているその人のおかれている属性や枠組みから人間を捉える抜きがたい文化がある。
〇このような日本人が“身に着けている文化”を払しょくし、新しい人間観の基でのケア観を構築していくことが“急げば回れ”の諺ではないが重要である。そのため、小さい時からの、多分化を学び、一人一人のナラティブを尊重する福祉教育の実践の推進が求められている。
(2023年12月25日記)

老爺心お節介情報/第51号(2023年12月18日)

「老爺心お節介情報」第51号

地域福祉研究者の皆様
社会福祉協議会関係者の皆様

お変わりありませんか。
「老爺心お節介情報」を送ります。
佳いお年をお迎えください。

2023年12月18日   大橋 謙策

〇皆さんお変わりなくお過ごしでしょうか。月日の経つのは早いもので、もう年の瀬になってしまいました。
〇私にとってのこの一年は、前立腺がんの重粒子線治療に始まり、白内障の手術等80歳代に向けての体のメインテナンスをする年でした。これを乗り越えれば、後5年は生きられるかなという思いです。65の稽古かな”という格言があるそうですが、私も5年先を考えて「5年期間人生サイクル」を意識した生活を考えてきました。突発的なことがなければ、今年の体のメインテナンス効果で、あと5年は生きながらえることができるだろうと思っています。
〇今年は、10月28日に行った「大橋ゼミホームカミングデー」で、教育者としても一つの区切りが出来ました(「大橋ゼミホームカミングデーの件は、「老爺心お節介情報」第50号に記載)。後は、富山県福祉カレッジの学長、(公財)テクノエイド協会の理事長をいつの時点で後継者に委ねることができるのかが問題です。
〇今年は、長野県木曽郡や長野市中条地区という「限界集落」、「消滅市町村」と呼ばれる地域の危機的状況に直面している地域、市町村の“地域福祉”の維持可能性を考える機会が与えられました。とても難しい課題ですが、「地域共生社会政策」や「地域福祉実践」において看過できない課題です。来年も体力、知力の続く限り、このような“草の根の地域福祉実践”を励ます全国行脚をしたいと、日々体力をつけるべく1万歩をめざして歩いています。
〇今号の「老爺心お節介情報」には、今年の8月に、日本社会事業大学同窓会の北海道支部の機関紙に寄稿した文章を転載しました。続きは、この正月休みにでも書こうかなと思っています。大事なテーマなので、転載することにしました。

(2023年年12月18日記)

(註)
「アガペ」とは、日本社会事業大学のシンボルともいえる彫刻です。原宿にあった日本社会事業大学は、戦前の海軍館の建物を使用していましたが、その敷地内には清水多嘉示作成の「海の荒鷲」と題する彫刻が設置されていました。その海軍館が、戦後全社協等の事務所に生まれ変わる際に、渡辺義知作の「アゲペ像」(ウブゴエカラ灰トナテマデと刻まれた母子像)が、「海の荒鷲」の台座の上に設置されました。台座は戦前のままで、上に設置された彫刻は「海の荒鷲」から「アゲペ像」に代わりました。戦前の軍国国家から戦後の「平和国家」への転換を意味するものとして日本社会事業大学の学生に愛されてきた彫刻です(詳しくは、池田拓著「アガペの台座が見つめたもの」(日本社会事業大学社会福祉学会機関誌『社会事業研究』第62号、2023年1月刊)に収録してあるので参照願いたい)。

特別寄稿…その1

社会福祉従事者の人間観、社会福祉観、生活観と虐待問題

日社大元学長(学部第7期) 大橋 謙策 氏

はじめに

〇日本社会事業大学同窓会北海道支部より、「北海道において保育所、高齢者福祉施設、障害者福祉施設等で虐待問題が起きている。ついては、同窓会支部の機関紙である『アガペ』において、『社会福祉と人権』というテーマで特集を組み、取り組みたい」ので、私にも「社会福祉と人権―社会福祉の今後ー」と題して寄稿してほしい、との要請があった。
〇とても大事な課題であり、私なりに思うところを書かせて頂きたいと思った。しかしながら、大学教員退任後、社会福祉に関わる事象、事案、研究を網羅的に、かつ継続的にウオッチングしていないので、十分ご期待に沿えるかわからないが、本稿を書かせていただいている。そういう意味では、学術論文というより、エッセイ風な論考と捉えて頂きたい。
〇社会福祉実践現場などにおける虐待の問題は、法的には、①身体的虐待、②性的虐待、 ③経済的虐待、④ネグレクト、⑤心理的虐待に分類される。その虐待は現象的には職員一人一人の資質の問題として捉えられる。しかしながら、その背景にある社会構造としては、ケアの考え方、日本人の人権感覚、社会福祉従事者の人権感覚、社会福祉法人の経営・運営の在り方等、その背景と構造の分析は単純ではない。
〇筆者としては、それらの背景も含めて、以下のように論稿を構成したいと思っている。1回の寄稿では終わらないので、その旨ご了承頂きたい。

①  日本国民の文化と福祉文化――私が50年間闘ってきた「社会福祉通説」の問題
②  憲法第25条に基づくケア観と憲法第13条及び第25条に基づくケア観の相違③ 福祉サービスを必要としている人々の「社会生活モデル」に基づくアセスメントと医学モデルに基づくアセスメント
④  福祉サービスを必要としている人のナラティブ(物語)を基底とした「求めと必要と合意」に基づく支援方針の作成(ICFの視点と福祉機器の利活用)
⑤  入所型施設の運営・経営理念、方針と提供されるサービス
⑥  勤務先の“劣悪な労働環境”とキャリアパス等の職員資質向上の取り組み

Ⅰ 日本国民の文化と福祉文化――筆者が50年間闘ってきた「社会福祉通説」の問題

〇筆者は、高校時代に島木健作の『生活の探求』を読んで、日本社会事業大学への進学を決めた。高校の教師や親類縁者からは、なぜ日本社会事業大学のようなところを選択するのかと“奇人・変人”扱いであった。
〇そのような環境の下での日本社会事業大での学習であったが、授業内容は必ずしも筆者が望んでいたこととは違っていた。その大きな要因が、アメリカからの“直輸入”的社会福祉方法論を“金科玉条”のごとく位置づけることと、「福祉六法」に基づくサービスの提供であった。
〇その当時の社会福祉方法論は、アメリカで1930年代に確立した考え方であり、WASP(ホワイト、アングロサクソン、プロテスタント)の文化を基底として成立してきた考え方、方法論であり、精神医学、心理学にかなり影響された考え方であった。
〇そのような中、筆者は日本の文化、風土に即した社会福祉の考え方、方法論があるのではないかと考え呻吟する。
〇当時、一番ケ瀬康子先生が「福祉文化」という用語を使用していくつか論文を書いており、自分の研究の方向もその方向ではないかと考え、“文化論”について研究したが、奥が深く、かつ掴まえ所がなく、その研究を中断した。

註1:一番ケ瀬康子先生は、1990年代に入り「福祉文化学会」を創立している。
註2:筆者は、2005年に「わが国におけるソーシャルワークの理論化を求めて」(『ソーシャルワーク研究』31巻第1号)を書き、中根千枝の「タテ社会論」、阿部謹也の「世間体文化論」等を援用して、日本のソーシャルワークの理論化を論証した。

〇この日本文化は根が深く、簡単に因果関係を証明できないので、研究は中断したが、常に頭にこびりついて離れない。
〇日本では、子育てする際の文化として、“禁止と命令”によって、枠にはめようとする文化がある。常に、集団的価値観が尊重され、同調志向が強く、“逸脱”したものを排除、蔑視する傾向が強い。これは、学校教育における画一的教育方法であるベル・ランカスター方式の影響でもある。是非、『6か国転校生―ナージャの発見』(集英社)を読んでほしい。
〇そのような中、筆者は、戦前の社会事業理論における精神性と物質性に関する研究を行い、そのあり方を問うことが日本の社会福祉実践、研究を変えることになると確信していく。
〇結果として、筆者は地域福祉と社会教育の連携、学際教育に関心を寄せるようになり、その実践のフィールドを公民館や社会福祉協議会に求めていくことになる。
〇ところで、筆者は自分自身としては社会福祉の研究者であり、それを岡村重夫が提唱した “社会福祉の新しい考え方としての地域福祉“(岡村重夫説・1970年)という考え方に依拠して展開しようと考えていたが、そのような筆者の研究姿勢は、多くの社会福祉学研究者には理解されず、日本社会事業大学の教員からも、”大橋謙策は社会福祉研究のプロパーではない“という批判、評価を受けた。また、日本社会事業大学の清瀬移転に際し、大学院創設の文部省への申請書を審査した某有名大学の某教授も”あなたの論文は社会福祉の論文ではない“という評価を下した。
〇そのような中、筆者は、従来の社会福祉通説とは異なる新しい社会福祉実践、社会福祉学研究を求めて、社会福祉学界への抵抗の地域福祉研究50年を送ることになる。
〇その既存の社会福祉通説への批判と新たな社会福祉実践、社会福祉研究の論題は以下の通りであった。

(1) 大河内一男の労働経済学(「我が国における社会事業の現状と将来について」昭和13年論文)を基盤とする社会福祉研究への批判
(2) 社会権的生存権保障としての憲法第25条の「ウエルフェアー」から、憲法第13条に基づく幸福追求、自己実現支援の「ウエルビーイング」への転換(1973年論文)――障害者の学習・文化・スポーツの保障、「快・不快」を基底としたケア観
(3) 属性分野で細分化された福祉サービス、福祉行政の再編成と地域自立生活支援
(4) 社会福祉施設中心主義と施設の社会化、地域化論(「施設の社会化と福祉実践」(日本社会福祉学会紀要『社会福祉学』第19号所収、1978年論文)
(5) 社会福祉の国家責任論オンリーではなく、社会保険の国家責任論と対人福祉サービスの市町村責任論との分離
(6) 社会福祉の行政責任論ではなく、経済的給付、システムづくりにおける行政責任と地域自立生活支援における住民との協働による対人援助――べヴァリッジの第3レポートの位置、1601年「Statute Charitable Uses」研究、憲法第89条の桎梏からの脱却、2008年「地域における「新たな支えあい」を求めて」(厚労省研究会報告書、2016年地域共生社会政策の前史)
(7) 社会事業における精神性と物質性――戦後の社会福祉は物質的対応で解決できると考えてきたことの誤謬ーー「救済の精神は精神の救済」(小河滋次郎、戦前方面委員の理念)

〇筆者は、1984年に書いた論文で、社会福祉研究者、社会教育研究者は“出されてきた政策には敏感であるが、政策を出さざるを得ない背景には鈍感である“と述べ、住民のニーズに即応したサービスの提供、地域づくりの必要性を説いている。
〇それは、対人援助として社会福祉を提供する際に、かつ地域づくりを展開する際における住民参加と住民のニーズを基点に考えるということである。
〇従来の社会福祉行政には、住民参加の規定もなければ、住民の相談、ニーズを「社会福祉六法体制」の基準に該当するかどうかを判定することや、措置行政の枠組みの中でサービスを提供すれば良いという考え方に対する批判でもあった。
〇そのような中、1970年代に、なぜ市町村社会福祉行政は計画行政でないのか、また、地方自治体の社会福祉施設整備計画がないのかを問い、市町村ごとに社会福祉計画を立案する必要性を説いた。
〇1980年には「ボランティア活動の構造」という図を示し、一般的隣近所の紐帯を強める地域づくり活動、地域にいる福祉サービス利用者を支える地域づくり、それらを社会福祉計画策定により解決していくという「自立と連帯に基づく社会・地域づくりのボランティア活動の構造」という図を作成した。
〇児童福祉法には市町村に児童福祉審議会を設置することが「できる」規定があり、かつ、民生委員法第24条に規定される意見具申権という規定、考え方を基に、当時、いくつかの自治体において、住民参加を保証する「社会福祉審議会」、「地域福祉審議会」の設置を求める提案をしている。

註3:東京都狛江市は、住民参加を規定した「市民福祉委員会」を条例で1994年に設置している。同じ頃、東京都目黒区でも「地域保健福祉審議会」が設置された。筆者の地元の稲城市では1980年代初めに「社会福祉委員会」を設置するが行政による要綱設置であった。東京都豊島区でも要綱設置であった。

〇このような住民参加による、住民のニーズに対応したサービスの提供という考え方が、多くの社会福祉行政、社会福祉従事者に共有されていれば、少なくとも“虐待”が起きる社会的背景、構造は違ってくる。
〇しかしながら、現実は、そのような住民のニーズにこたえて、住民参加で社会福祉施設が作られたわけでなく、かつ、その社会福祉施設は措置行政によって、長らくサービス利用者を“収容保護する”という構造のなかで、“閉ざされた空間”に置いて福祉サービスが提供されるという構造の中で“虐待”事案として発生する。
〇社会福祉施設が、1978年に書いた論文のように、地域に開かれ、地域住民の共同利用施設として位置づけられ、運営、経営されているならば、“虐待”という事案は少しは防げるのではないだろうか。

(備考)
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログ(「阪野貢 市民福祉教育研究所」で検索)に第1号から収録されていますので、関心のある方は検索してください。
この「老爺心お節介情報」はご自由にご活用頂いて結構です。

老爺心お節介情報/第50号(2023年11月4日)

「老爺心お節介情報」第50号

地域福祉研究者の皆様
社会福祉協議会関係者の皆様

皆さまお変わりなくお過ごしでしょうか。
私の方は、相変わらず全国を飛び回っています。
「老爺心お節介情報」第50号を送ります。

2023年11月4日  大橋 謙策

<最後の「大橋ゼミホームカミングデー」が盛会裡に行われる>

〇去る10月28日、最後の「大橋ゼミホームカミングデー」が東京・市ヶ谷のアルカディアで行われました。130名の卒業生が、北は北海道、南は沖縄、海外からも韓国から3名の卒業生が集まり、盛会裡に行われました。
〇大学教員として、日本社会事業大学の学部のゼミ生、卒論指導学生約600名、大学院修士課程の修了者は日本社会事業大学大学院、東北福祉大学大学院合わせて約110名、博士課程は同約25名の修了者を指導してきました。大学教員50年間の集大成の、最後の「大橋ゼミホームカミングデー」でした。
〇私は1943年10月26日生まれで、ちょうど80歳ということもあり、教え子たちから傘寿のお祝いをして頂きました。結婚して53年、金婚式は新型コロナウイルスの騒ぎでできませんでしたが、傘寿を夫婦でお祝いして頂き、夫婦ともどもしみじみと“いい人生!”を送らせていただいたと教え子、関係者の皆さんへの感謝の気持ちが日々口をついて出ます。
〇本当に関係者の皆様に感謝とお礼を心より申し上げます。
〇下記の文は、「大橋ゼミホームカミングデー」の資料集に載せた挨拶分です。

『大橋ゼミ・50周年ホームカミングデー挨拶』

日本社会事業大学名誉教授
大橋 謙策

・1989年、日本社会事業大学に赴任してから、15年を記念して第1回のホーミカミングデーを開催しました。
このホームカミングデーは、故平田冨太郎学長の提言です。平田富太郎学長は、単科大学としての日本社会事業大学は卒業生を大切にして、リカレント教育の一環として、ホームカミングデーをゼミ毎に開催すべきと強く要望されました。
・それは、私が1974年、日本社会事業大学に赴任する際、五味百合子先生、仲村優一先生から言われたことと同じです。
日本社会事業大学の教員は、個人の研究もさることながら、学生指導、学生への教育を大切にしてほしい旨の訓示が度々されました。
私は教員の大学教員の教務分担として、新任教員は学生委員会に所属させられ、学生教育の重要性を学べと言われました。
・恩師である小川利夫先生からは、厚生省(当時)から委託を受けている日本社会事業大学の立ち位置を考えたら、“単なる大学教員”に甘んじてはいけない。日本社会事業大学を代表して、日本社会福祉学会などで評価される研究者になれと諭されました。
・これらの教えを胸に、ある意味、家族を“犠牲”にして、日本社会事業大学で教育・研究に励んできました。
子どもたちは、父親と楽しい時間をどれだけ持つことができたのでしょうか、時には、学生の調査実習の際に、家族を連れて行き、家族には別行動してもらいながら、学生の調査実習の合宿指導を行いました。
家庭では妻に全てを任せ、妻に“明日は日曜日でしょ”と言われても、原稿書きがあるとか、文献を読まなくてはいけないからと言っては、家事もせず、子どもとの団らんの機会も多くは持ちませんでした。
今となっては悔いは残りますが、私の研究、教育、実践に全面的に家族が協力してくれたお陰だと、妻と子どもに感謝の念で一杯です。心からお礼を伝えたいと思います。
・このような経緯があったからでしょうか、教員、研究者として日本社会事業大学の学長はもとより、日本社会福祉学会会長、日本学術会議会員、日本社会事業学校連盟会長をさせて頂きました。
結果として、日本社会事業大学の先生方からの教えに背くことなく、50年間の大学教員の責務を全うできました。
・研究者としての評価は後世に委ねなければなりませんが、研究業績を「著作集」として刊行するのではなく、ある意味、岡村重夫先生を見習った訳ではありませんが、大橋謙策理論の集大成ともいえる著作『地域福祉とは何かー哲学・理念・システムとコミュニティソーシャルワーク』を2022年4月に上梓できました。
・唯一ともいえる残された課題は、5年ごとに行ってきたホームカミングデーをいつ終結するかという課題です。
ホームカミングデーは単に、卒業生が集まり、懇親し、近況報告をするというものでは駄目で、ホームカミングデーはある意味リカレント教育の場でもあるので、教員が教え子に最先端の研究、理論、実践を自ら指し示す機会でなければならないと教えられました。
そのために、ホームカミングデーごとに、5年間に教員がどのような論文を書いたのか、どのような実践・研究をしたのかを卒業生に示し、卒業生の学びを促す機会でもなければならない儀式でもあります。
このことは、結構教員にとっては辛いタスクであり、儀式です。教員として、研究者として、“生きて”いなければ、“論文を書いて”いなければ、ホームカミングデーは単なる懇親の場になってしまいます。
大橋ゼミホームカミングデーの機会に、私が5年間書いた物の中から、数編を選んで資料集として冊子にし、参加者に配布すると同時に、この間お世話になった方々に配布してきたのも、研究者、教員として責務を果たしていますという“アリバイ証明”でもありました。
この作業は、結構辛いもので、論文を書ける時もあれば、書けない時もあります。コンスタントに実践し、研究し、論文にまとめるという作業はよほど意識して取り組んでいないと書けないものです。
政策や制度の解説的なものは、すぐ“時とともに色褪せて”しまうもので、5年経ても色褪せず、卒業生に読んでほしいというものを書き続けるということは、一つ一つの論文で、常に社会福祉実践、社会福祉理論における研究課題は何か、事象を分析する視点に従来にない鋭さがあるか、事象に流されずに、社会問題として構造的にとらえられているかなど、研究者、教員としての知見が常に問われることになります。まさに、教員、研究者として“生きているか”が問われることになります。
これらの作業をするためには、常に“アンテナを高く、広く張り”、情報収集に努め、何が社会福祉分野における理論課題なのかを考えていなければできない作業であります。
大学教員としての現役の時は、仕事がら必要な情報が“相手からもたらされる”という状況もありますが、国や自治体の委員、あるいは各種団体の役職・委員を退任しているものにとって、これらの役職・委員就任で得られている情報を自らの手で、体系的に収集把握することは容易ではありません。
また、大学の教員、研究者として、各種学会での発表のオブリゲーションもなくなり、75歳以上で名誉会員に推挙されると、学会の理論研究をリードしようというモチベーションも下がり、研究範囲が狭隘になり、唯我独尊的になり、研究意欲も減退することになります。
・私は今年80歳になり、上記の役割を担うことができなくなってきています。5年毎のホームカミングデーをここで終結し、教員、研究者としてなすべきことの責務から開放され、一人の“老爺”として、気軽に、自分の思うところを発信したいと思うようになってきました。2022年から始めた「老爺心お節介情報」の発信はその一端です。

#(備考)
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログ(阪野貢 市民福祉教育研究所で検索)に第1号から収録されていますので、関心のある方は検索してください。
この「老爺心お節介情報」はご自由にご活用頂いて結構です。

・ホームカミングデーは今回で8回目を迎えますが、この間のホームアカミングデーの開催にあたっては、多くの卒業生のご協力、ご支援があったから開催できました。
今回も、岡村英雄さん、田中裕美子さん、菱沼幹雄さん、平野裕司さんはじめ多くのゼミの卒業生のご協力、ご支援を頂きました。すべての人の名前を記載できませんが、この紙上を借りて、ここに厚く感謝とお礼を申し上げます。
・私は、後2年、(公財)テクノエイド協会理事長、富山県福祉カエレッジ学長を担う予定ですが、研究者、大学教員としての責務は今回のホームカミングデーをもって終了とさせていただきます。
卒業生の皆様には、自立した、かつ自律した職業人として、日本社会事業大学の建学の精神を忘れることなく、仕事に励んで頂きたいと思います。
皆様のご健勝とご多幸を心より祈念しています。今日からは、教師、研究者ではなく、“年老いた恩師”として、末永く懇親、懇談できればと願っています。

(2023年9月1日記)

老爺心お節介情報/第49号(2023年9月18日)

「老爺心お節介情報」第49号

地域福祉研究者の皆様
社会福祉協議会関係者の皆様

未だ残暑が厳しい日々ですが、皆様お変わりありませんか。
くれぐれもご自愛の上、地域福祉実践向上に向けてご活躍下さい。

2023年9月18日   大橋 謙策

Ⅰ 『障がい者と地域社会の真の共生をめざして』(石橋須見江著、幻冬舎、2023年8月)を読んで

〇著者は、日本社会事業大学を卒業後、栃木県の特別支援学校の校長を務め、定年とともに社会福祉法人パステルを設立した。
〇本書は、著者が理事長を務めている社会福祉法人パステルが、障害分野のサービスを提供するだけでなく、如何に障がい者が地域社会の真ん中に位置づけられ、真の地域共生社会を作るれるかを25年間追い求めてきた実践の書である。
〇障がい者が従来の福祉の枠の中で生活できるようにするだけでなく、障がい者が地域づくりの担い手であり、障がい者も旅行を楽しみ、音楽を楽しみ、人との出会いを楽しめる権利を実現できるように追い求めてきた実践が書かれている。
〇社会福祉法人パステルがある栃木県南部の小山市は、絹村、桑村という地方自治体が存在していたように、かつて桑、絹、結城紬の産地であった。その廃れた桑に関わる産業を、障がい者を中軸に据えて、小山市行政、小山市商工会、JA等の関係機関を巻き込んだ実践を展開してきた。これらの事業は農林水産省をはじめとして、各種の表彰を受ける等高く評価されている。
〇と同時に、小山市間々田に「CSW(コミュニティソーシャルワーク)おとめ」を開設し、地域住民にも愛されるイタリアンレストランを開き、そこで月1回の音楽コンサートを開催している。さらには、桑の葉の摘み取り作業などを小学生や住民と協働することにより、地域共生社会を生み出す福祉教育の実践も行っている。
〇本書は、これからの社会福祉の在り方を考えるうえで、社会福祉関係者の必読の本である。是非読んで頂きたい。

Ⅱ 『参加・貢献の社会保障法――法理念と制度設計』(西村淳著、信山社、2023年2月)を読んで

〇2023年7月16日に、親交のある元日本福祉大学の学長をされた二木立先生から、以下のようなメールを頂いた。

(二木立先生からのメールの一部・2023年7月16日受信)
西村淳さんは、厚生労働省キャリアを経て、公募で神奈川県立保健福祉大学教授になり、社会福祉士資格も取得して、同大学では社会福祉やソーシャルワークを教えています。
早稲田大学の菊池馨実さんの指導を受けて博士号(法学)を取得し、本書では菊池さんの「自由規定的社会保障論」をさらに徹底・純化して、個人は参加・貢献の「見返り」として「社会保障の権利を得る」と主張しています。
私は、西村さんが厚生労働官僚だった時からの友人で、社会保障強化派&社会福祉に理解のある「良識派」と大いに期待していたのですが、このスタンス・立論には強い違和感を感じました。
この本のもう1つの特徴は、「総論」(原論)で終わるのではなく、「保健医療福祉」の法的構造についても論じていることで、「ソーシャルワークの法的構造」や「地域福祉の法的構造」についても論じています。
この本は、「医療・福祉研究塾(二木ゼミ)」の8月(19日)研究会で、以下のように紹介・推薦する予定です。後半では私の疑問も率直に書きました。ただし、私は「はしがき」を読んだ後、本文は拾い読みしただけです。
大橋先生のこの本の評価をご教示いただければ幸いです。

(筆者からの当面のメールを頂いたことへの返信・2023年7月17日発信)
先生のメールを読んで、「地域福祉の法的構造」というのがよく分かりません。
権利論、法制論、現行の法体系の面からのみ地域福祉を見るのでしょうか。
廣澤孝之さんの『フランス「福祉国家」体制の形成』(法律文化社)や金澤周作さんの『チャリティとイギリス近代』(京都大学学術出版会)・『チャリティの帝国』(岩波新書)などを読んでも、社会哲学、社会システム論としての地域福祉を考えることが大切なのではないかと思います。それを日本の法構造からのみ”見る”のは、法学分野からの博士論文だからなのでしょうか。

(筆者が本を読んで二木立先生に送ったメール・2023年8月21日発信)
以前、感想を聞かせて欲しいと言われていた、西村淳著『参加・貢献支援の社会保障法』を読ませて頂きました。
①従来の社会保障法体系とは異なる視点として、「参加・貢献支援」という考え方から社会保障法体系を立論しようとする視点、意欲は大いに評価します。
②しかしながら、住民の“社会参加と社会貢献”は、社会保障法上の「参加・貢献」に留まらないわけで、その整理がもう一つかなという感がしました。
それは、以前のメールで伝えましたように、社会哲学、社会思想、社会システムとの関りを意識したうえで、整理をしないとダメだと思っています。
1601年のエリザべス救貧法を取り上げていますが、同じ年に作られた「Statute of Charitable Uses」という国民の社会参加におけるボランティア活動の保障には触れられていない等やや論証の枠組みが荒い感がします
フランスの「社会保障体系」等も考えると、日本の社会保障法体系の枠組みの中で、「参加・貢献支援」を考えるということは、よほど限定的に考えないといけないのかなと思います。
私なりに言えば、“日本の社会保障法体系における”参加・貢献支援“の位置と意義”に関する研究ということなら納得できます。
③第6章の「地域福祉の法的構造」は、正直、“期待はずれ”でした。ただし、P.162の検討の3つの課題や、P.166の3つの指摘は、法体系とは別に大いに議論すべき課題だと思いました。
④第5章のソーシャルワークの法的構造は、イギリスとの比較において、参考になりました。
ただ、1998年のイギリスにおけるソーシャルケア(ソーシャルワークとケアワークとの一体的研修等)との関りも論究してほしかったですね。在宅福祉サービスの時代には、ソーシャルワークとケアワークとの一体的提供が重要であり、その点での「社会福祉士及び介護福祉士法」の問題点も論究してほしかったです。

Ⅲ 健診とがん告知・その⑥

1)運転免許更新と認知症機能検査
〇白内障の右目の手術が終わったので、運転免許更新に必要な認知症検査8月14日に行った。
〇そもそも白内障の手術をする契機も、運転免許の更新で視力の検査があり、前回それがギリギリのラインで合格したこともあって、眼科医を受診することになった。
〇8月14日は、お盆の休みで空いているのではないかと予約したものの、府中自動車試験場は案に相違して、人でごった返していた。
〇認知症検査は、数字が羅列されている表の中の該当する数字に斜線を時間内に引く検査、4種類の絵図が4枚示され、それを10分後ぐらいに書き出す検査、試験当日の年月日及び曜日と検査が行われているおおよその時間を書く検査の3種類であった。
〇前回は、すべてパーフェクトであったが、今回は数字に斜線を引くもので、最初の検査は2種類の数字でこれは時間内に引けたが、2度目の検査は3種類の数字に斜線をひくものであったが、残念ながら最後の行(多分数字が書いてある行は10行で、1行20字ぐらいだと思う)まで引けなかった。
〇絵図の記憶の検査では、計16種類のうち、最初の試験(何もヒントがなく思い出して書く)は7種類しか思いだせなかった。第2回目は、絵図に関し、楽器とか乗り物とかというヒントがあり、15種類書けたが、どうしても思い出せない絵図が一つ(鳥)あり、今回はパーフェクトとはいかなかった(後日談・思い出せなかった鳥はペンギンで、試験の翌々日の8月16日にふっと思い出せた)。
〇試験の教官は、絵図をスライドで示しながら、それを記憶させようと、その絵がなんであるかを高齢者に声を出して答えるよう促していた。その際、“言葉に出して答えると記憶が良くなるから”と説明し、「外化」機能の重要性を説いていたのがおもしろかった。普通、試験といえば落とすものというイメージがあるが、ここでは高齢者に優しく、記憶しろ、記憶しろと説いている。これでは認知機能検査にならないのではと思いながら、「外化」の重要性がいわれているので、皆さんに声を出させている。残念ながら、私はそれでも一つ思い出せなかった。「鳥」の絵図があったことも思い出せていない
〇3年前の免許更新時より、やはり認知機能が落ちているのだろうか。検査の結果は、合格で、8月17日に、運転の実地検査を受けることになった。認知検査料は1050円であった。
〇運転免許の実地検査も8月17日に行い、無事合格し、後は10月3日に、運転免許の交付を受けるだけになった。

2)左眼の白内障の手術も無事終了
〇右眼の白内障手術は8月3日に終わり、予後も順調で問題がなく、視野が明るくなるということは気分の上でも随分と違うものだと実感した。
〇9月7日に左眼の手術を行った。右眼は手術で視力が1・5まで回復したが、左眼は手術の翌日の検査では0・9までしか回復しなかった。しかしながら、1週間後には左眼も視力が1・5まで戻り、新聞をメガネなしで読めるようになり驚いている。
〇白内障の手術は予後が大切だと言われていたが、術後1週間もすぎ、洗面も頭も洗うことができるようになり、術後の経過の順調さに安堵している。
〇点眼薬4種類は術後1か月は点眼するようにとのことで、少々煩わしいが、視力の回復を考えたら我慢するしかない。

3)前立腺がんの予後診察
〇重粒子線治療を受けた神奈川県立がんセンターに8月29日に行き、予後診察を受ける。医師は順調に治療が進んでいるので、次回診察は2024年2月28日の6か月後にすると言われる。
〇9月14日には、日本医科大学多摩永山病院での診察を受ける。PSAの数値が、前回よりも減少し、0・008 になっている。多摩永山病院の医師も経過は順調で、次回の診察は12月14日にするという。
〇外見的には治療効果は見えないが、PSAの数値を見る限り、前立腺がんの治療は順調だと安心した。後は、2024年7月までのホルモン療法を続けることである。夜間頻尿もだいぶ時間間隔が空いてきて、少し安堵している。
〇これで、私の80歳前の体のメインテナンスは一応終了した。内臓とADLには今のところ問題ないので、これからは食事に気を付けながら、毎日1万歩のウォーキングを志し、そして毎日楽しい晩酌を続けたいと思っている。
〇この「健診とがん告知」は閑話休題とさせていただきたい。

(2023年9月18日記)

(備考)
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログ(「阪野貢 市民福祉教育研究所」で検索)に第1号から収録されていますので、関心のある方は検索してください。
この「老爺心お節介情報」はご自由にご活用頂いて結構です。

大橋謙策/地域福祉とCSW、その実践と研究のあり方を問う

地域福祉とCSW、その実践と研究のあり方を問う
―大橋謙策「老爺心お節介情報」より―

大橋謙策

 

目 次

 

00 「老爺心お節介情報」第1号

社会福祉協議会の関係者の皆様/地域福祉学会の関係者の皆様
〇皆さんお変わりなくお過ごしでしょうか。新型コロナウイルスの件では、未だ予断を許しませんが、呉々も留意の上頑張っていきましょう。
〇私は、この3月で東北福祉大学大学院を退職しました。少し、閑になるので、時々皆さんに一方的に、私が見て、読んで関心を持ち、皆さんと情報を共有しておいた方がいいと思われる情報を一方的に送ります。取捨選択して使って下さい。
〇ただし、大学教員を辞めるということは、教育・研究上迫られて情報を集めるとか、その立場にいるから自然と情報がはいってくるとかということが無くなり、皆さんが職務上知りえていること以上には情報を把握していないかも知れません。まさに、私が知りえたレベルでの情報を独善的に取捨選択して、「お節介爺さん」として送り届けるものです。そんな“お節介”は要らないという人は遠慮なく申し出て下さい。

第1号/2020年5月28日

 

01 他人の土俵に乗って相手の領域の問題で相撲を取る

〇救貧的な社会福祉制度に基づく支援を行っている際には、左程他の分野の動向に関心を寄せることなく、社会福祉制度に関わる政策をウオッチングしていれば、実践も研究も事足りた。この歴史が長かったので、今でも社会福祉学研究者、実践者の中には、社会福祉政策との関係だけで物事を考えている人が多い。
〇1980年代半ば、私は社会福祉研究者、実践家、社会教育研究者、実践家は“出されてきた政策には敏感であるが、政策が出されてくる背景には鈍感である”という指摘をしてきた。私は“出されてきた政策に敏感になるのは当然であるが、それ以上に出されてきた政策の背景に敏感でなければならない”と考えてきた。
〇しかし、いまや社会福祉は地域での自立生活支援を目的とするソーシャルワーク機能を展開する時代である。かつ、社会福祉政策も「地域共生社会」を創造するという社会哲学、社会システム、地域創生に関わる政策になってきている。
〇このような状況の中では、社会福祉学研究者、実践家はよほど関心と交流のウイングを広げないと時代に対応していくことができない。
〇私の恩師の小川利夫先生は、私に対し、視野狭窄、タコ壺論者と良く叱り、“他人の土俵に乗って相撲を取れるようにならなければ一人前とは言えない”といい、自分の土俵に相手を連れてくるのではなく、他人の土俵に乗って話ができるように、意識して広い他分野へ関心を持つ事を奨励した。私は、当時、自分の分野さえもカバーできないのに、他分野まではとてもと思いつつ、他人の話題に付いていこうと背伸びをしていた時期があった。
〇今の「地域共生社会」政策時代にあっては、地方自治論、地域経済論、都市計画論、社会システム論等の知見や研究動向も踏まえなければならない時代になってきている。
〇そのような中、“地域福祉”関係者は、必ずしも社会福祉施設関係者と連携、協働ができていたとは言えなかった。ここにきて、社会福祉法人の地域貢献の急速な展開の中で、社会福祉施設関係者と連携、協働が求められているが、“地域福祉”関係者はどれだけ社会福祉施設、施設を経営する社会福祉法人の状況を理解しているのであろうか。
〇社会福祉法人の地域貢献を声高に言うのではなく、施設法人が現在どのような課題に直面し、苦労しているのかを真摯に、謙虚に学びながら施設法人と社会福祉協議会、民生委員とが協働することが「地域共生社会」政策の具現化に繋がることになる。

第4号/2020年7月14日

 

02 地域共生社会政策時代における地域福祉、地域包括ケア推進の10の
        ポイント

〇2020年度は、市町村の地域福祉計画の見直し、策定が、介護保険事業計画の見直しと共に展開される年度として取り組み始められている。地域福祉及び地域包括ケアを推進するのには何が必要なのかを、ある自治体の計画策定委員会に説明するために作成したものである。コンパクトに何が必要かをお互いに整理し、共有化させたいものである。

地域共生社会政策時代における地域福祉、地域包括ケア推進の10のポイント

 2015年より厚生労働省で政策化が進められている地域共生社会政策は、我々日本地域福祉研究所が従来唱え、各地の市町村と協働して、開発、実践してきた「地域福祉」「地域包括ケア」の考え方及びシステムの具現化である。

(1)「地域福祉」とは、住民の自立生活(6つの自立要件――労働的・経済的自立、精神的・文化的自立、生活技術的・家政管理的自立、身体的・健康的自立、社会関係的・人間関係的自立、政治的・契約的自立――とその前提としての住宅保障)を基礎自治体である市町村を基盤に保障していく社会福祉の新しい考え方である。
(2)「自立生活」の保障の目的、内容は憲法第25条に基づく、“最低生活”の保障という“救貧”的考え方ではなく、憲法第13条に基づく、全ての国民が幸福追求、自己実現を図れるように支援するものである。それは1995年、国の社会保障審議会の勧告でも提唱された考え方である。
(3)「地域福祉」を推進するためには、住民と行政との「協働」が欠かせない。したがって、住民参加による市町村の地域福祉計画づくりが不可欠である。地域福祉計画は、従来の高齢者分野、子育て分野、障害者分野を統合的に地域福祉の視点を踏まえて策定すると同時に、健康増進計画や自殺予防、再犯防止、成年後見推進、農福連携等の従来の社会福祉行政の枠を超えて地域住民の健康と暮らしを守り、生きがいのある、差別・偏見のない、住んでいて良かったと思える市町村をつくる計画である。できれば、策定された地域福祉計画の進行管理も含めて、日常的に市町村の社会福祉行政について討議できる、条例設置による「地域保健福祉審議会」(仮称)の設置が求められる。
(4)住民の自立生活を保障していくためには、戦後の社会福祉行政が行ってきた属性分野毎の縦割り福祉行政(高齢者福祉課、障害福祉課、子育て支援課等)を再編成して、住民の出来るだけ身近なところ、アクセスしやすいところで相談をたらい回しさせることなく、かつ子ども、障害者、高齢者、生活困窮者等区別なく、福祉サービスを必要としているすべての人及びその家族、「世帯全体」への支援を一か所(ワンストップ)で行える総合相談体制システムの構築及びその拠点整備が必要である。
(5)住民の自立生活を保障していくためには「地域トータルケアシステム」(地域包括ケア)という医療、介護、福祉の連携が欠かせず、医療機能の構造化と地域化(中核病院と開業医(かかりつけ医)との病診連携、開業医(かかりつけ医)と介護支援専門員、訪問看護、保健師、障害相談支援員等との連携)を日常生活圏域の地域包括支援センター単位で展開できるシステムの構築が必要である。
(6)住民の自立生活を保障していくためには、制度化されているサービスと近隣住民などによるインフォーマルサービスとが有機化される必要がある。わけてもサービスを必要としている人を地域から排除せず、孤立させず、その人を支えるソーシャルサポートネットワーク(情緒的支援、手段的支援、情報的支援、人として認め、その人なりができる役割を遂行できるように支援)づくりが重要な機能となる。これらの機能、活動を展開するシステムとして、先に述べた総合相談体制とリンクする形で、コミュニティソーシャルワークを展開できるシステムの構築が必要である。
(7)コミュニティソーシャルワークを展開できるシステムには、別紙に書いてあるコミュニティソーシャルワーク研修の要件を体得した職員の配置が必要である。それは、地域という面を基盤にして従来業務を展開してきた社会福祉協議会の職員がこれらの研修要件を身に付けて配属されることが望ましい。そのためには、地域のニーズキャッチ(課題把握)機能、潜在化しがちな福祉サービスを必要としている人を発見し、つながる機能、自立生活支援に関わる生活福祉資金、成年後見制度、日常自立生活支援等の業務を担当地域ごとに総合的に対応できるようにするための社会福祉協議会の事務組織の改編が望まれる。
(8)「地域福祉」の推進には、相談の窓口、災害時の福祉避難所等において 社会福祉施設が大きな役割を果たせる。施設を経営している社会福祉法人は社会福祉法により、地域貢献をすることが義務付けられているので、地域包括ケアセンター圏域ごとに施設連絡協議会を設置し、民生委員、児童委員や地区社会福祉協議会と協働して問題解決を図るシステムの構築が必要である。
(9)「地域福祉」は、街づくりにも貢献できる。空家を活用しての居場所づくり、障害者が農業分野で働く「農福連携」、社会福祉施設が日々使用するお米や野菜を地元農家と契約して使用する地産地消の活動等「福祉でまちづくり」という考え方が重要である。そのために、商工会、JA等との連携が求められる。
(10)単身高齢者、単身障害者が増大し、家族、親族に頼ることができなくなってきている状況を踏まえ、「最期まで、地域で暮らし、地域に見守られ、地域で看取られる地域生活総合支援サービス」の構築が必要である。

第6号/2020年8月2日

 

03 生活福祉資金の「特例貸付」業務と市町村社会福祉協議会の本来業務

〇全国の市町村社会福祉協議会並びに県社会福祉協議会は、生活福祉資金の「特例貸付」業務に翻弄され、大変苦労されていることと思います。
〇しかしながら、それを単なる金銭貸し付けの業務に終わらせることなく、私は生活福祉資金の相談者はいわば社会福祉協議会の業務にとって“宝の山”なので、大変でもこれをチャンスととらえて、以下のようなことを意識化して取り組み、かつ少し落ち着いたらその分析をしてほしいと社会福祉協議会職員にお願いしてきました。

(1)貸し付けの相談に来られた方々は、従来社会福祉協議会関係者が関わっていた住民の方々なのか、それとも違う属性を有している方々なのか分析をしてほしい。
(2)新型コロナウイルスの件に伴う「緊急事態宣言」による休業を余儀なくされたことに伴う生活困窮の方々だとしても、その生活の安定性がなぜなかったのかを分析して欲しい。
(3)今まで、社会福祉サービスにつながっていなかった方々が今回申請されてきたが、それは今まで申請の必要性がなかったのか、あるけれど相談の仕方が分からなかったからなのか分析して欲しい。
(4)とりわけ、在住外国人の方々へのアウトリーチや外国人の方々のアクセシビリティがどうだったのかを分析して欲しい。
(5)「特例貸付」と言っても、“貸付”なので、時期をみて、“償還”業務として訪問できるので、相談者がどのような生活をしているのか、どのようなニーズを有しているのかを改めて調査把握して欲しい。
(6)相談に来られた「一人親家庭」の生活様式及び子どもの学習面、栄養面(食事面)の状況把握とその分析をしてほしい。
(7)相談に来られた方々の交際範囲、ソーシャルサポートネットワークの有無など、身近に相談できる人やちょっとした支援をしてくれる人の有無について分析して欲しい。

第8号/2020年8月8日

 

04 3度の “ 断捨離 ” に残った本――山本七平著『日本人とは何か』

〇私は、今まで自分の蔵書、資料の“断捨離”を3回行った。
〇第1回目は、日本社会事業大学を退職する2014年3月で、日本社会事業大学の研究室の蔵書、資料を4月からの赴任先である東北福祉大学に送った。通称「大橋文庫」という形で、東北福祉大学大学院のキャンパスであるウエルコム21の1部屋に収蔵頂いた。
〇第2回目は、2014年~16年に掛けて、私の旧宅の2階の書庫(鉄筋コンクリートで耐震性を担保した、図書館にあるような移動書架が4連ある)の“断捨離”である。この書庫には、大学院時代古書店を訪ねて購入した図書、教育学関係の図書等自分の研究履歴が分かる図書と同時に、実践に関わる資料が大量にあった。戦前、戦後初期の図書は、大学院生当時で金がない中購入したにも拘わらず、当時の紙質が悪く、残念ながら古紙として処分することにした。また、資料も見れば自分の実践、研究の礎になった貴重なものだと思いつつ、それを整理する余裕がないだろうと判断し、これも古紙で処分することにした。引っ越し用のダンボールで約50箱になった。処分した本、資料以外の残りの蔵書、資料は、これも東北福祉大学大学院の「大橋文庫」に収蔵して頂いた。
〇第3回目は、今年の新型コロナウイルスに伴う“自粛生活”のなかで、新宅に作った書庫及び書斎の整理をした際である。自分が執筆した論文、エッセイ等を1960年代以降、年代別に整理し、ファイルボックスに収納した。この機会にも、副本として残していたものや抜き刷りの類のものは最低限日本地域福祉研究所の関係者に配れればと思い、研究所に送ったが、多くは古紙として処分した。
〇この3回に亘る“断捨離”は自分の身が切られるような思いと自分がもう研究者としては“用済み”になるんだという思いが錯綜し、何とも複雑な気持ちとその本の価値、資料の価値を考えるとまだ持っていた方がいいのではないか、誰かこれを必要としている人がいるのではないかという思いの中での断腸の思いでの“断捨離”であった。
〇私の蔵書購入は、目の前の研究、原稿書きに必要で購入したもの、自分の研究の幅を拡げ、知見を深めるために購入したもの、人間としての人格形成、教養を高めるために購入したもの等様々な要因で購入したものの、全てを読破はできておらず、“積む読”の類のものも多々ある。
〇そのような中で、3度に亘る“断捨離”でも捨てきれずに、後で詠もうとして手元に残した本が3種ある。その一つが表記の山本七平著『日本人とは何か――神話の世界から近代までその行動原理を探る』(上下、PHP研究所、1989年)である。
〇他は、草野心平著『わが賢治』(二玄社、1970年)、『わが光太郎』(同、1969年)と久米邦彦編集『現代語訳 特命全権大使米欧回覧実記』全5巻(慶應義塾大学出版会、2005年)である。
〇草野心平氏の本は、当時、草野心平氏が新宿大木戸で、バー「学校」を経営しており、そこに連れていかれては、“おまえは教養がない。文学が分かってない。せめて、草野心平氏の本でも読め”と言われて購入していたものの精神的、かつ時間的余裕がなくて、“積む読”になっていた本である。『特命全権大使米欧回覧実記』の方は、幕末から明治に掛けて重要な役割を担った人々が、当時の日本と当時の米欧をどう比較してみていたのかを知りたいという思いから購入したが、これも“積む読”であった。
〇山本七平氏の本を読まなければと思った背景、動機は、大学院時代(1960年代末から70年半ば)に、戦前の「日本の社会事業の本旨、社会事業の鑑」と位置付けられた井上友一の「風化行政」の研究の中で、“風気善導”に二宮尊徳の報徳思想が使われ、一方でイギリス等での救貧制度の歴史における“惰民養成”、“スティグマ”論等を学ぶ中で、社会福祉の目的、社会福祉の哲学、社会福祉の原理とはなにかを考えざるを得なかった。そこには、日本的文化、歴史が関わっているはずで、それを抜きにしたイギリス救貧制度史、アメリカ社会福祉方法論(ケースワーク等3類型)では説明できないのではないかという問題意識があった。
〇同じように、日本人はマックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を良く活用するが、日本の資本主義の発展と社会福祉との関係をどう考えたらいいのだろうか。山本七平氏は『日本資本主義の精神――なぜ、一生懸命働くのか』(光文社、1979年)も刊行しており、日本人の勤労観、生活観と社会福祉との関係も研究しなければならないと考えていたからである。
〇そのような日本の社会福祉の思想、社会福祉の哲学、社会福祉の文化をどう考え、位置付けるかに悩んでいた当時、一番ケ瀬康子先生が「福祉文化」という用語を使用され(『現代社会福祉論』時潮社、1971年)、「社会事業諸技術の文化的基盤」という論文で、“生活の主体性を考えると、その主体性を生み出す文化的基盤”の問題があると指摘されているのを読み、日本の文化と社会福祉、日本人の行動原理と社会福祉などに関心を持った。その分野の研究をする必要を感じ、“頭を突っ込んだ”が、それは文化人類学、社会人類学等の膨大な文献を読まなければならないと分かり、挫折した(一番ケ瀬先生もその研究を深め切れていない。一番ケ瀬先生が再度、福祉文化に関心をよせ、「日本福祉文化学会」を1989年に創立されているが、その“福祉文化”の考え方は1971年当時の“文化”の位置づけとは異なる)。
〇他方、地域福祉と社会教育との学際研究における地域づくりを考える上で、社会教育行政は重要であり、その社会教育活動を規定する社会教育法は第3条で“国及び地方公共団体は、‥‥‥全ての国民が‥‥‥自ら実際生活に即する文化的教養を高め得るような環境を醸成するように努めなければならない”と規定しているが、この“実際生活に即する文化的教養”とはなにかと、これも考えさせられた。当時、戸坂潤の教養論とかに関心を持ち、読んではみたものの今一つ分からない。上記の草野心平氏の『わが賢治』等読まないと分からないのかと思いつつも、目の前の研究に追われ、読めないままに、書庫に眠っていた本である。
〇更に、地域福祉を推進するということは、地域社会の構造、地域住民の行動様式、生活文化、社会意識が分からなければ地域福祉推進の方法論など提起できるわけがない。“論語読みの論語知らず”の諺ではないが、地域福祉研究者としては、それらのことを深めなければならないと思ってきた。残念ながら、未だにこれだという結論に達していない。
〇この問題に関しては、日本地域福祉学会が財団法人安田火災記念財団から研究助成を頂きまとめた『地域福祉史序説』の継続研究として、学会として各県の地域福祉史をまとめようということで取り組んだ報告書で、研究ノートとして浄土真宗第8代門主の蓮如の普及方法と地域福祉の推進方法に関しての小論文を書いた記憶があるのだけれど、その小論文が手元にはない(持っている方がいたら是非コピーしてください)。
〇今回、3度の断捨離で残った山本七平著『日本人とは何か――神話の世界から近代まで、その行動原理を探る』(上下)を読んで、今更ながら30年前に詠んでおけばよかったと後悔している。ただ、救いは、山本七平氏は、蓮如の普及方法と農村の惣村成立とのことを指摘されており、それは私も上記した小論文の中で指摘していたので、大変意を強くした。地域福祉推進においては、地域社会の構造、地域住民の行動様式、生活文化、社会意識が分からなければ進められないと常々言ってきたものとしては、同じことを山本七平氏も指摘し、多様な角度から“日本人の行動様式、行動原理”を明らかにしようとしていることが大変参考になった。
〇私は、1990年以降、阿部欣也氏の世間体文化論、中根千枝氏のタテ社会論等を援用してソーシャルワークの考え方を整理してきたが、山本七平氏のようにもっと多角的に、深めないといけないと改めて反省をした。私を含めて“論語読みの論語知らず”の地域福祉研究者が多すぎるのではないだろうか。
〇いま、地域共生社会の構築が必要とされ、かつ新型コロナウイルスに伴っての新しい生活スタイル、行動様式が叫ばれているが、住民一人一人がどのような行動原理、行動様式を作り上げるのか、ボランティア論としても、福祉教育論としても深めないといけない課題である。地域福祉研究者はこの課題にどう取り組むのか、社会福祉協議会関係者はどう取り組むのか、“蔵書を断捨離し、研究者魂を失おうとしている”老爺の繰り言を聞いてもらいたいと思った。

第9号/2020年8月19日

 

05 障害者の幸福追求権、“ 社会参加 ”とスポーツ

〇2020年8月17日、日本経済新聞の夕刊の「こころの玉手箱」に昔懐かしい人の名前を見つけた。大阪市長居障害者スポーツセンターの館長をされ、元パラリンピック日本選手団長をされた藤原進一郎さんの名前である。藤原さんは、「心の玉手箱」に8月17日から21日まで、全5回に亘って連載された。
〇私と藤原進一郎さんとの出会いは、雑誌『月刊社会教育』(国土社)の1981年4月号で、私が編集担当者として“国際障害者年と社会教育”の特集を組むにあたって、大阪市身体障害者スポーツセンターを訪問すると共に寄稿して頂いたことが契機である。
〇その当時、障害者自立支援を“救貧的対応”ではなく、憲法第13条に基づきその人の幸福追求、自己実現を基軸に展開すべきではないかと考え、当時、社会福祉行政では殆ど取り組んでいなかった障害者の学習・文化、スポーツ・レクリエーションの推進こそがその突破口になるのではないかと論陣を張り、その推進に関わっていた。当時、東京オリンピックの際に行われたパラリンピックを契機にチャンピオンシップ的なスポートは始められていたが、私が求めていたのは市町村レベルでの市井の人である障害者の自己実現と生活圏、生活文化の拡大の取り組みであった。
〇それは、ある意味、福祉教育にもつながる活動として位置付けた。障害を有している人が多様な学習、文化、スポーツ活動を行うことで、障害者への差別、偏見、蔑視が取り除かれる契機になるのではと考えたからである。
○当時の大阪市身体障害者スポーツセンターを訪問し、視覚障害者向けのボーリングが考案されていたことに驚くと共に、自分の障害者観の“視野狭窄”について思い知らされた。

第10号/2020年8月30日

 

06 社会福祉政策研究におけるオーラルヒストリー研究法

〇政治学の研究法として確立してきたオーラルヒストリー研究法を社会保障・社会福祉学分野に援用して、オーラルヒストリー研究を行っている立教大学の菅沼隆先生グループが、多くの厚生労働官僚へのインタビューを通して社会保障・社会福祉政策がどのような政治力学で企画・立案・実施されたのかの研究をしている。
〇私は、その一環として行われた元厚生労働省老健局長、社会・援護局長を歴任し、内閣官房社会保障改革担当室長をされた中村秀一氏のオーラルヒストリーを読ませて頂いた。それは後に、中村秀一著『平成の社会保障』(社会保険出版社、2019年)として上梓されている。この本を読んで、厚生労働省の組織的行動力学や社会保障・社会政策がどう立案されるのか、そのプロセスが良く分かり、大学研究者としての“研究の浅さ”を反省したものであった。
〇今回、日本社会事業大学の卒業生で、立命館大学で博士の学位を取得した、現在北海道の名寄市立大学の教員をしている高阪悌雄氏の『障害者基礎年金と当事者運動――新たな障害者所得保障の確立と政治力学』(明石書店、2020年)を一読した。
〇高阪悌雄氏のこの本も、障害者基礎年金の成立過程に関わる関係者へのオーラルヒストリー的手法を活用して、文献研究、資料研究だけでは見えてこなかった点を躍動的に明らかにした労作である。
〇この本に出てくる板山賢治氏は、障害基礎年金制度創設の立役者である。板山賢治氏は、1982年の国際障害者年前後における国の障害者政策を牽引した人の一人で、厚生省社会局更生課長を歴任された。
〇その板山賢治氏は、常々、物事が成るのには“天の時、地の利、人の和”が必要であると言っていた。
〇私が、“天の時、地の利、人の和”について、この本に即して高阪悌雄氏に宛てた感想の一端を転載させて頂く。

(1)“天の時”について、本書では、あまり「国際障害者年」の持つ意味に触れられていませんが、それが大きかったのではないでしょうか。
P.122等で、“国際障害者年が日本、日本の厚生行政、日本の障害者運動に与えた影響”等の記述がもっとあると良かったですね。「国際障害者年」の影響は大きく、板山氏はこの担当課長であったということも大きいですよね。板山氏が更生課長であったということが“地の利”になるのでしょうか。
P.232に、“障害者への予算配分に関しては、浅野氏が述べたことと併せて、国際障害者年による国を挙げての啓発活動も功を奏したと考えられる”という記述をもっと豊かに展開して欲しかったですね。この頃、大蔵省の主計官として厚生省を担当していた小村武氏(のちの財務事務次官)と板山氏との関係もあります。
(2)“人の和”ということでは、CP研究会のメンバーには仲村優一先生の教え子の大沢隆氏、三和治氏が入っており、いずれも日本社会事業大学で板山氏とは公的扶助の関係で友好関係があった方々ですね。
また、「東京青い芝の会」で、新しく副会長になった若林克彦氏は日本社会事業大学の卒業生で、仲村優一先生は大学時代、若林氏の学習保障、就職保障に大変尽力されていて、脳性マヒの方々の生活に心を砕いていました。それに輪を掛けての“人の和”が厚生省における山口新一郎氏等の人脈です。

〇実践科学である社会福祉学、とりわけ地域福祉は、どのような“天の時、地の利、人の和”によって動いているかを明らかにしないといけない。どこの自治体で、どういう実践が行われているということを紹介するだけでは研究とは言えない。
〇私は、常々地域福祉研究における「バッテリー型研究」と言ってきたのは、まさに“天の時、地の利、人の和”がなければ、いくら研究者がいい提言をしてもそれは具現化しないからである。
〇また、私が地域福祉計画において、タスクゴールとプロセスゴールに加えてリレーションシップゴールを掲げているのも、その計画の実現・進行管理において“天の時、地の利、人の和”の持つ意味を考えたからである。
〇社会福祉学、とりわけ地域福祉研究において、もっと関係者のオーラルヒストリー研究が深められないといけないのではないか。

第11号/2020年9月5日

 

07 『日本社会福祉士会NEWS No.197』を読んで、疑問に思うこと

〇今回のニューズレターは地域共生社会政策を踏まえて国の2021年度予算等への要望と提案を特集している。このニューズレターに出てくる用語に疑問と違和感を感じたので話題提供したい。

(1)国への要望事項で使われている用語の中に、「生活保護ケースワーカー」「、スーパーバイザー」、「ソーシャルアクション」が使用されているが、その用語の意味を省庁の関係者は理解できるであろうか。また、社会福祉学界で“慣用句”的に、何気なく使っている用語ではあるが、それを“吟味”しないで、使っていていいものだろうか。
(2)同じく、ニューズレターの「倫理綱領」の欄に出てくる「クライエント」という語句の使用もこのままでいいのであろうか。

〇私は「ソーシャルワーク機能」という用語を1990年前後から意識して使ってきた。1990年以前に“ソーシャルワーク機能”という用語を使用していた研究者を私は寡聞にして知らない。
〇なぜ、私が「ソーシャルワーク機能」という用語を意識して使用するようになったかは、そのころまで、社会福祉研究者、とりわけ社会福祉方法論を研究している方々が、ソーシャルワーカー=社会福祉士ととらえて論文を書いたり、話をしているのに違和感を感じたからである。社会福祉士は“相談援助”という位置づけであり、必ずしもソーシャルワーク機能を具現化出来る立ち位置にない上に、かつ、その当時、中央集権的機関委任事務体制であった時代(1990年に変るが)でもあり、社会福祉実践現場は福祉サービスを必要としている人が既存の社会福祉制度に該当するかどうかを判断する業務が中心で、とてもソーシャルワークとはいえず、私は日本には1990年までソーシャルワークはなかったと考えていたし、そういろいろな会合で述べてきた。
〇日本の社会福祉界にソーシャルワークを定着させるためには、かつ社会福祉士をソーシャルワークに関する専門職として社会的承認を得るためには、そもそもソーシャルワーク機能とはなにかを明らかにし、その機能は教師も弁護士も、保健師もソーシャルワーク機能の一部を有しているが、その機能全般を統合的に具現化出来るようにしないと社会福祉士の地位は確立しないという立場から、ソーシャルワーク機能という用語を使ってきた。そのソーシャルワーク機能といういい方が、今日ではほぼ定着したことは嬉しい限りである。
〇「生活保護ケースワーカー」は「生活保護担当現業員」ではなぜいけないのか。“ソーシャルワーク機能”が定着してきている時に、“ケースワーク”という用語を使うのであろうか。更には、「生活保護担当現業員」は“ケースワーク”だけで業務が遂行できるのであろうか。
〇しかしながら、それ以外では、相変わらずWASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)文化の中で確立してきた、かつアメリカの社会構造の中で確立してきたソーシャルワークに関わる用語を無自覚的に、当たり前のように使用することに正直驚いていると同時に、それが本当の日本の専門職なのかと疑義を感じざるを得ない。
〇私は、玉木千賀子さんの著書『ヴァルネラビリティへの支援――ソーシャルワークを問い直すー』(相川書房、2019年)の推薦の辞で、そのこと書いた(是非読んで欲しい)。「クライエント」、「インテーク」、「ワーカビリティ」をごく当たり前に使って、痛痒を感じないソーシャルワークに関する専門職というのは、果たして専門職なのであろうか。言葉だけが“飛んでいる”のではないだろうかと思わざるを得ない。“福祉サービスを必要としながら、社会福祉の制度、サービス、相談窓口につながっていない人”をも、「クライエント」と呼ぶのであろうか。社会福祉学界では、ニーズ論、ディマンド論が大きな問題であって、今や厚生労働省も「地域共生社会政策」の流れの中で、“待ちの姿勢ではなく、アウオトリーチして問題を発見して欲しい”と言っている時代でも「クライエント」なのであろうか。
〇同じことは、「ソーシャルアクション」という用語もそうである。一般的にソーシャルアクションを起こすという言い方(その用語は使い易いので、私も一般的な使い方として使っていることがある)とソーシャルワーク機能を展開する上で使う「ソーシャルアクション」は同じなのか、違うのかである。
〇かつて、東京学芸大学の高良麻子先生が書かれた『日本におけるソーシャルアクションの実践モデル――「制度から排除」への対処』(中央法規、2017年)について、高良先生に同じような感想を述べさせて頂いた。一般的に使われている用語を、社会福祉分野である意味を持たせて使う場合には自ずと説明をしないといけないのではないかと思っている。専門職だけに通用する意味で使うとすれば、それはある意味、専門職の“思い上がり”であり、“上から目線”になりかねない。意識して、専門職はそれらのことについて自戒すべきなのではないだろうか。
〇「ソーシャルアクション」は住民の立場から言えば、陳情なのか、告発なのか、制度改善運動なのかということであろう。専門職が使う「ソーシャルアクション」にはそれらが含まれているというなら、住民が一般的に使用している用語を使えばいいのではないか。それらと違ったソーシャルワーク分野における独特の“ソーシャルアクション”という“専門職の機能を発揮する独自領域”があるというのなら、それをきちんと説明した上で使って欲しい。
〇更には、「スーパーバイザー」という用語の使い方も同じである。“スーパーバイザー”とは、“施設、機関、病院などにおいて、スーパービジョンを行う熟練したソーシャルワークの指導担当者を指す”(『現代社会福祉事典』全社協、1982年、秋山智久執筆)と説明され、かつ、その“スーパービジョン”とは、“かつて指導監督と訳したこともあるが、現在では正確な意味を伝えるため原語をそのまま使用する。つまり、具体的なケースに関し、ソーシャルワーカーが、援助内容(面接等)を報告し、スーパーバイザーは、それを受けてクライエントや家族、状況の理解を深めさせ、面接など援助方法について示唆を与えたり、考えさせたりする教育・訓練の方法である”(前掲同書、黒川昭登執筆)と解説している。
〇この説明で言えば、その役割を担うのは、上司の場合もあれば、チームアプローチをしている場合には他の専門職かも知れないし、あるいは所属している学会や専門職団体の同僚かも知れない分けで、「スーパーバイザー」と言って、それがどのような職種で、どこに所属してその業務を行うのか、指導を受けるソーシャルワーカーとの関係やその指導の妥当性を担保する機能があるのかどうかもわからないのに、「スーパーバイザー」を配置しろという使い方には違和感を感じざるを得ない。
〇組織のなかで、援助方針に関し、問題を発見し、論議し、改善のための企画提案をするという営みは組織的にとても重要なことであり、かつそれでも十分でないとすれば顧問弁護士制度や顧問会計士制度と同じように外部監査制度、外部評価制度をシステムとしてどう位置付けるかを考えて欲しい。私自身はいくつかの自治体で顧問やアドバイザーとして職務を担ったことがあるが、“スーパーバイザー”という意識はなかった。

第12号/2020年10月11日

 

08 公的扶助と杉村宏著『生きるということ』

〇先日、日本の公的扶助研究の杉村宏先生から、ご高著『生きるということ : 私家版――生きる意味を公的扶助ケースワーク論に問う』(萌文社、2020年)をご恵贈賜りました。
〇この本は、杉村宏先生の60年近くに及ぶ公的扶助実践と研究、まさにこの分野の“生き字引”である先生の論稿で、とても勉強になりました。杉村宏先生は、北海道大学名誉教授であり、法政大学名誉教授でもあります。また、日本社会福祉学会の名誉会員でもあります。
〇本書は、杉村先生が公的扶助研究会の機関誌「公的扶助研究」に連載されたものに加筆修正されてまとめられたものです。
〇生活困窮者支援に関わる人や生活福祉資金に関わる人にはぜひ読んでもらいたい本です。
〇杉村先生は、日本社会事業大学での先輩であり、私の学部学生時代からいろいろな点で教えを頂いた先生ですが、ご恵贈賜ったものの礼儀として、読んで感想を述べることが必要かと思い、いくつか書かせていただきました。
〇その感想を皆さんと共有して、いろいろ考えていただければと思い、「老爺心お節介情報」として送信します。

①今日の生活困窮者支援や生活福祉資金の「特例給付」をみていて、改めて「貧困」とは何かを考えていますし、江口英一先生が指摘した“不安定就業層”の問題の重要性を認識しています。その際、P.89のラウントリーの「生理的生存」と「生理的な能率」の問題やP.91~95の消費自体を住民が“選択”できなくなっている「生活の社会化」の持つ意味を改めて考えなければ今日の貧困問題は分析できないと思っていましたので、意を強くすると同時に、その解決の難しさに思いが至ります。
②P.117の人間観の転換と生存権保障のところでは、資本主義的、あるいは労働経済学的な視点での社会政策だけでなく、近代市民社会成立時に、フランスがなぜ「博愛」を取り入れたのか、社会思想史的研究の側面が必要かと思いました。
私自身、労働経済学的社会政策からだけでは分析が無理と考えて、1960年代にフランスの社会思想に“解”を求めたのですが、研究が深まっていません。廣澤孝之さんの『フランス「福祉国家」体制の形成』(法律文化社、2005年)等が参考になるのかなと考えてきました。
③P.142の4つの「貧困観」、「権利観」、「人間観」、「自立観」は全く同感で、これをどう醸成するかで私は日本福祉教育・ボランティア学習学会を創設し、その普及に取り組んできましたが、相模原事件といい、新型コロナウイルスの感染者への蔑視、排除を目の当たりにして“無力感”さえ覚えるこの頃でした。
④ソシャルケアサービス従事者研究協議会を2000年に立ち上げ、“ソーシャルワークの楽しさ・怖さ・醍醐味”を訴えてきましたが、P.143の“生活保護制度によって生活困窮者を支援しようとする公的扶助CWと当事者の間には対立する関係など存在しないが、生活困窮者が直面する貧困と生活保護制度の間には乖離や対立が存在する。それは本来対立関係にないはずのケースワーカーと当事者の間に、往々にして対立を持ち込むことになることがある”という指摘は、ソーシャルワーク機能を考える上で重要ですね。
⑤公的扶助ケースワーカーなので、“クライエント”という用語を使用するのは、あるいは妥当なのかも知れませんが、私は潜在化している福祉サービスを必要としている人(クライエントになりきれていない人)へのアウトリーチ的アプローチをするのがソーシャルワークだと考えていますので、“クライエント”、“ワーカビリティ”、“インテーク”という用語については疑義を呈しています。

第16号/2020年12月9日

 

09 地域共生社会をめざす社会福祉――ケアリングコミュニティの形成

〇日本医事新報社が電子コンテンツで、日本社会事業大学専門職大学院の鶴岡浩樹教授の編集により、2018年度から「福祉発。拝啓、お医者さま。」を連載してきました。私も執筆を求められ、最終回に「地域共生社会をめざす社会福祉――ケアリングコミュニティの形成」と題する拙稿をアップしました。その原稿です。
〇この連載には、日本社会事業大学の菱沼幹夫先生や日本社会事業大学専門職大学院の木戸宣子先生も執筆しています。
〇日本医事新報社が電子コンテンツは、下記のURLから会員登録をしますと、無料で閲覧できます。連載されたものも見ることができます。
https://www.jmedj.co.jp/premium/welfdoc/
〇是非、社会福祉関係者が医療関係者に何を発信したのか読んで下さい。

地域共生社会をめざす社会福祉――ケアリングコミュニティの形成

登録日:2020-12-11最終更新日:2020-12-11
(公財)テクノエイド協会理事長
NPO法人日本地域福祉研究所 理事長
日本社会事業大学名誉教授
大橋謙策

厚生労働省は、2015年9月に「誰もが支え合う地域の構築に向けた福祉サービスの実現――新たな時代に対応した福祉の提供ビジョン―」を公表し、2016年7月に厚生労働大臣を本部長とする「地域共生社会実現本部」を立ち上げ、「地域共生社会政策」を推進している。厚生労働省によれば、この「地域共生社会政策」は1961年の「国民皆年金皆保険」、2000年の「介護保険制度」に匹敵する「戦後第3の節目」と位置付けられている。
その「地域共生社会政策」は、子ども、障害、高齢という従来の属性分野ごとの縦割り社会福祉行政を是正し、全世代交流・支援型のサービス提供システムによる地域での自立生活支援の促進である。ややもすると潜在化しがちな福祉サービスを必要としている人々をアウトリーチし、ニーズキャッチを行い、必要なら新たなサービスの開発や個別支援のソーシャルサポートネットワークをつくり、それらの人々の地域自立生活を支援する「重層的支援体制」を構築することをめざしている。と同時に、地域から孤立しがちな、時には蔑視、差別されがちな福祉サービスを必要としている人、家族の社会参加を促進し、地域で包摂できるように、コミュニティソーシャルワークの展開によるケアリングコミュニティの形成を目的としている。
戦後の社会福祉行政は、社会的生存権と位置付けられる憲法第25条に基づく「健康で文化的な最低限度の生活の保障」を標榜してきた。その規定の歴史的意味、位置付けは大変重要であるが、それは1995年の社会保障制度審議会勧告でも述べているように、戦後の社会福祉行政をややもすると救貧的な“最低生活の保障”にしがちであった。
筆者は、1960年代末から、社会福祉は国民のセーフィティネットとしての機能を明確化した憲法第25条とともに、憲法第13条に基づき、福祉サービスを必要としている人も含めた“生きとし生ける者”の自己実現を図る幸福追求権をも法源として位置付け、社会福祉のあり方を考えるべきであると指摘してきた。1995年の社会保障制度審議会の勧告「社会保障の再構築」は、まさにその点を謳ったものであった。
また、1970年頃から従来の労働経済学を軸とした古典的、経済的貧困への金銭的給付による支援のみでは解決できない「新しい貧困」問題が登場してくる。「新しい貧困」と呼ばれる生活問題を抱えている人、つまり何らかの事由により地域での自立生活が脅かされ、地域で孤立し、多様な生活のしづらさを抱えている人々を支援する方法は、国の生活保護制度等に代表されるような所得保障だけでは生活問題を解決できず、地方自治体レベルでの対人援助としての社会福祉(ソーシャルワーク機能)を展開できる地域福祉の具現化が必要であると考えられるようになってきた。1970年頃に、“地域福祉は社会福祉の新しい考え方”といわれたが、今、まさにその新しい考え方が「地域共生社会政策」として政策化され、具現化されようとしている。
イギリスが1970年に「地方自治体社会サービス法」を制定し、パーソナルサービス(対人援助)を地方自治体において全世代対応的に、属性分野を超えて総合的に展開したように、日本でも1960年代末から「新しい貧困」に対応する地方自治体レベルでの在宅福祉サービスの整備や地域福祉の展開が求められるようになった。
生活のしづらさを抱えている人々の地域での自立生活支援をしていく場合、それらの人々は単身者ばかりでなく,複合的な多問題を抱えている世帯も多い。とすれば、その支援のあり方は、病院や入所型施設での単身者への、いわば「医学モデル」と言われるアセスメントとは異なり、地域における社会生活を支援するという「社会生活モデル」に基づくアセスメントが必要になる。
しかも、従来の社会福祉は、これら生活のしづらさ等を抱えている人を“社会病理的”にとらえ、「医学モデル」により“治療”しようとする考え方が強くあった。そこには社会福祉の分野において労働経済学に影響を受けた“経済的自立と働くための身体的自立論”が底流にあった。それらに加えて、1981年に提唱されたICIDH(International Classification of Impairments, Disabilities and Handicaps;国際障害分類)に大きな影響を受けて心身機能の障害を診断し、それを起点に支援を考えるというとらえ方が強く、本人の自己実現、幸福追求を図る地域での自立生活支援という「社会生活モデル」に基づく支援の視点、方法は十分でなかった。
憲法第13条に基づく支援のあり方を考えれば、地域生活支援には生活技術的・家政管理的自立支援や精神的・文化的自立支援としての学習、文化、レクリエーションの重要性などに当然気が付かなければならない。また、社会関係的・人間関係的自立がうまくできていない生活のしづらさ、障害のある人を地域がどれだけ“許容”し、排除することなく、それらの人々を日常的に地域で支えてくれる家族や親類以外のソーシャルサポートネットワークがなければ地域で生きていくことが困難である。
ようやく、世界保健機関(World Health Organization;WHO)により2001年にICF(International Classification of Functioning, Disability and Health;国際生活機能分類)の考え方が提唱されたことにより、環境因子の重要性は指摘された。しかしながら、いまだ社会福祉実践においては福祉サービスを必要としている人本人の意思を尊重し、意思を確認しつつ、時にはそれらの人びとの意思形成支援も含めてその人の生活環境を改善し、福祉機器の利活用を進め、社会参加、自己実現を図るという実践は必ずしも十分展開されているとは言い難い。
ところで、様々な生活のしづらさを抱えている人、家族を地域で支えていくためには、①従来の縦割り社会福祉行政では対応しにくい。子ども・障害・高齢者問題という全世代に対応できるワンストップの総合相談窓口が、身近なところに設置されているというシステムの問題(「福祉アクセシビリティ」)、②あるいは福祉サービスを必要としている人、家族の“求め”と、専門職の視点から、専門職が地域自立生活に“必要である”と判断し、活用できる制度的サービスを組み合わせてつくられたケアプラン、その両者を突き合わせて福祉サービスを必要としている人と専門職との合意に基づき、総合的,統合的にサービスを提供するケアマネジメント機能(専門多職種連携によるチームアプローチ)、③さらには、福祉サービスを必要としている人の生きる意欲、生きる希望、生きる力を支え、励まし、その人の生活者としての主体性を確立するための“伴走的”支援の展開、④それらの人々を地域から排除することなく、かつ孤立させず、それらの人々を支えるソーシャルサポートネットワークを、福祉サービスを必要としている人ごとに構築することが求められている。⑤地域自立生活支援においては、“点と点”をつなげるサービス提供だけでは、社会的孤立を産み出しかねず、孤立させないためには、地域住民によるインフォーマルなソーシャルサポートネットワークづくりとフォーマルな制度的サービスと有機的に結び付けて、統合的に提供できるコミュニティソーシャルワークを展開できるシステムを日常生活圏域ごとにつくることが重要になる。
ところで、日本は、現在人口減少社会に入ってきており、かつ全国に約1750ある市町村は“限界集落”、“消滅市町村”の危機に陥っている。
このような中、地域の医療、介護、福祉は従来の重厚長大的産業構造の時代には考えられないほどその位置の比重が増している。産業別従事者数においても、厚生年金や障害者基礎年金等の受給額、あるいは医療保険による給付額においても、医療、介護、福祉の分野は市町村において、大きな比重を占めている。
全国にある約10万カ所の社会福祉施設(介護保険施設も含む)で使用する食材を、学校給食における“地産地消”率と同じように考え、地元の農業、漁業、林業関係者を組織し、契約栽培し、その食材を活用すれば、地域経済は活性化する。
また、高齢化した農業従事者と就労の機会を得たい障害者との“ニーズ・シーズのマッチング”をすれば、新たな労働力の確保になり、「農福連携」が街づくりにつながる。
筆者は1990年から「福祉のまちづくり」ではなく、これらの比重を増した医療、介護、福祉を活かした「福祉でまちづくり」を標榜してきたが、まさに今それが求められている。医療、介護、福祉を基軸としたソーシャルイノベーション、ソーシャルビジネスこそが持続可能な社会目標(Sustainable Development Goals;SDGs)を達成できる。
このような地域自立生活支援のシステムづくりや「福祉でまちづくり」に取り組むことによって、従来「福祉国家」体制以降つくられてきた地域住民の社会福祉観を変え、社会福祉関係者や住民の行政依存的社会福祉体質を改め、住民と行政の協働による地域共生社会づくりが実現する。それこそが、市町村を基盤とした住民参加による、自律と博愛と連帯による社会システムとしての「ケアリングコミュニティ」の実現である。
そのためには、福祉サービスの適切な利用ができる主体形成、地域福祉を支えるボランティア活動を行う主体形成、市町村の地域福祉計画策定と進行管理に参画できる主体形成、そして対人援助としての社会福祉を介護保険や医療保険等の社会保険制度の面から支える社会保険契約主体の形成といった4つの地域福祉の主体形成を図ることが重要になる。そのためにも、自分の住む地域を愛し、地域を良くするために能動的に活動できる“選択的土着民”を増やすことが今喫緊の課題である。

第17号/2020年12月19日

 

10 CSW研修のプログラム・方法の構造化と体系化

〇日本でのCSW(コミュニティソーシャルワーク)機能の必要性と重要性は、1990年の「生活支援地域福祉事業(仮称)の基本的考え方について(中間報告)」(座長大橋謙策)において指摘された。
〇それは、従来のCW(コミュニティワーク)、CO(コミュニティオーガニゼーシン)をより地域福祉の理念、考え方に引き付けて発展させたものであった。これ以降、CSWは用語としても、考え方としても、かつ社会実験的にも実証され、定着してきた。
〇日本社会事業大学の教員による共同研究を基にまとめた『コミュニティソーシャルワークと自己実現サービス』(大橋謙策・ほか編、万葉舎)が2000年に上梓されたが、その本でほぼコミュニティソーシャルワークの考え方、機能は整理されたといえる。
〇しかも、コミュニティソーシャルワークを展開できるシステムとしては、東京都目黒区、東京都の子ども家庭支援センター等の先駆的試みを経て、2000年4月から開始された長野県茅野市の保健福祉サービスセンターのシステム(『福祉21ビーナスプランの挑戦』中央法規、2003年参照)において、その必要性と可能性も確認された。
〇これらの機能、考え方、システムの在り方は、現在厚生労働省により「地域共生社会政策」として推進されている。
〇しかしながら、これらコミュニティソーシャルワークのシステムや機能を具現化させる職員の養成、研修の在り方は必ずしも体系化、構造化されていなかった。
〇私は、ここ数年、大学業務に束縛されることが無くなり、時間的余裕もできたので、コミュニティソーシャルワークの研修を依頼された機会を活用して、コミュニティソーシャルワーク研修のプログラム・方法の構造化と体系化に心がけてきた。それは、まさに、現場の研修を担当している職員との「バッテリー型研修」であり、「コンサルタント的研修」を行うなかで、ほぼ“完成”に近い、納得できるCSW研修のプログラム・方法の構造化と体系化ができたと思っている。
〇この“社会的実装”に参加してくれた社会福祉協議会は、富山県社協、香川県社協、佐賀県社協、大阪府社協、千葉県社協、岩手県社協、東京都世田谷区社協(人口92万人)等である。この紙面を借りて、改めて関係者にお礼と敬意を表したい。
〇このコミュニティソーシャルワーク研修を全国に広め、定着させると同時に、社会福祉系大学の教育、演習の在り方を変えてもらうためにも、全国の関係者と共有し、次年度からの研修に活かしてほしいとの思いで「老爺心お節介情報」第18号を送信する。関係者は相互に連絡を取り合って、情報交換をし、各自が関わるところで研修を見直して頂きたい。
〇なお、研修プログラムの作成に当たっては、以下の点を考慮、配慮してほしい。

(1)研修には、予算、期間の制約があり、この通りにはならないが、研修に盛り込むべき内容は同じである。
今回添付ファイルしたもの(本稿では省略)は、富山県社協の地域福祉部(部長古野智也さん)と富山県福祉カレッジ(学長大橋謙策)とが共催で取り組んだ取組で、プログラムや参加者に課した課題の整理、あるいは演習で使用するシートを作成してくれたのは富山県社協の魚住浩二さんである。富山県社協の研修時間は残念ながら、現時点では約3時間足らない。期間としてはAM、9時30分~PM5時までの全日4日間はほしい。
なお、従来、「多問題家族のアセスメントシート」を使ってきたが、より「社会生活」をきちんとアセスメントするのがソーシャルワークであると考え、タイトルを「社会生活モデルに基づくアセスメントの視点と枠組シート」にタイトルを変えた。このシートのレイアウト作成には、世田谷区社協の山本学さんに協力を頂いた。
(2)研修参加者の主体性を高めるために、アクティブラーニングの考え方を取り入れ、小グループ編成によるワークショップだけでなく、演習の課題に即し、参加者各個人にレポートを課し、県社会福祉協議会職員と研修講師である私がコメントし、さらに加筆修正をしてもらって提出するというサイクルを試みた。
最も、典型的に取り組んでくれた県社協は佐賀県社協の小松美佳さんである。その1例が多久市の北島暁さんの「問題解決プログラム企画立案書」である。これは、1月に行われる佐賀県市町村社協役職員研修で発表されるものなので、1月末までは取り扱いに注意してほしい。
(3)岩手県のCSW研修では、アウトリーチ型のロールプレイをビデオに収録し、その後それを再現して、検証した。これからは、ビデオ活用も考える必要がある。
(4)富山県では、小グループごとにパソコンとプロジェクターを用意し、グループ討議の内容をあらかじめ入力してあったシートに打ち込み、映し出して論議するという方法を取った。これからは、ICTを活用した研修を考える必要がある。
(5)今までの研修では、県内や市町村の社会福祉に関わるデータを無視して、一般的に論議し、研修をしていたが、研修を通じて県内、市町村ごとのデータを踏まえた論議と問題解決のプログラムを創る必要があるとの認識から、富山県、千葉県では県内の社会福祉に関するデータ、政策に関わる資料を収集し、ファイル化して使えるようにした。今では、上記に挙げた県社協はすべて『資料集』を作っている。
ただし、この『資料集』を十分に使った研修ができていない。時間の制約がどうしてもある。市町村社協職員は、行政に説明する場合なども考えて、この『資料集』を活用して“数字にも強い職員”にならないといけない。
(6)各県のCSW研修は、初学者、初任者でなく、国家資格や一定の経験を有している人を対象にしているので、座学の時間はあまりいらないと思っていたが、それなりに時間が必要である。
各県の研修では『コミュニティソーシャルワークの理論と方法』(日本地域福祉研究所監修、2015年)、『コミュニティソーシャルワークの新たな展開』(日本地域福祉研究所監修、中央法規、2019年)を使っていただいているが、CSW研修用に、この2冊から必要な部分を選択し、アレンジして新たな教材を作る必要がある。それを座学で行うか、e―ラーニングで行うかは今後考える必要がある。
(7)事例検討の仕方は、最初に事例全体の報告をしてから行うのではなく、最初は事例の概要を報告してもらい、その報告された概要に基づき、どのようなアセスメント、聞き取りをしないと援助方針が立てられないかということを認識させる必要性から、報告された概要に基づき、確かめるべきアセスメント項目、聞き出すべきアセスメント項目を、まず参加者個人がポストイットに書いて書き出す。それを基にグループごとに類型化する。この作業を通じて、個々人のアセスメントの視点と枠組が偏っていることを認識させる。その際に、「社会生活モデルに基づくアセスメントの視点と枠組みシート」を使う。
その後、事例は具体的にどう展開したのかを報告してもらい、それでよかったのか、望ましい支援方針はどういうことが考えられるのか“夢のある支援方針”を立案してもらう。岩手県では、この部分に時間を割いたが、あまりにも参加者が制度の枠組みや固定観念に囚われて支援方針を考えていたので、“夢”を語ってほしいと述べた。
事例は、参加者が抱えている困難事例か、県内にある実際の困難事例を使う。できれば、事例報告者には事例に基づく演習が終わるまで参加してもらう。
具体的事例を扱うので、改めてプライバシー保護を徹底化させる。必要なら、事例は回収する。
(8)ソーシャルサポートネットワークづくりに関する演習の成果物で、これはというものは今のところ把握できていない。大阪府の社会福祉法人の地域貢献とコミュニティソーシャルワークの研修の中から、素晴らしいものがでてくる予感がしている。
今後深めないといけない分野で、住民の差別、偏見をなくす福祉教育なども視野に入れて取り組みたい。この部分こそが、「地域共生社会政策」の具現化の“象徴”である。
(9)本来、ここに情報提供しているプログラムや演習シートなどは、商標登録や著作権の対象となるものであるが、我々社会福祉関係者はお互いの資質、能力、力量が向上し、福祉サービスを必要としている人々の生活が改善されることを願って仕事をしているのであるから、そのような制約はかけない。その分、多くの関係者が努力していることに“思い”を馳せてほしい。
(10)演習の進め方については、演習の課題に即して、まず個人作業をすることが大切。個人作業を通じて、その課題に関する自らの認識、力量を自己覚知することが重要で、最初からグループ討議をしてしまうとその自己覚知の部分が確認できない。
その後、小グループごとに討議をするが、その過程で自分の作業と他の人の作業とを比較する中で、自分を見つめ直す機会とする。
小グループで演習課題に関する課題を完成させ、全体会で発表し、研修講師が座学で学んだことを事例、達成課題に引き付けてコメントする。

第18号/2020年12月24日

 

11 「コアプア」のとらえ方とソーシャルワーク

〇1982年、私は三浦文夫先生とスウエーデン、ドイツ、フランス、イギリス等のヨーロッパ諸国における“行政とボランティア活動に関する調査研究”に出掛けた。この調査研究は、財団法人(当時)行政管理研究センターに委託を受けて行われた研究活動の一環であった。この調査研究は、1983年3月に『行政とボランティア活動に関する調査研究結果報告書』として刊行されている。
〇まるこの調査研究で尋ねたフランスの「カトル・モンド」(Quatre Monde)という団体は、フランスの日本大使館から紹介されて尋ねた団体であったが、都市の下層社会に滞留する“コアプア”と呼ばれる人々への生活支援をしている団体であった。「カトル・モンド」とは、日本語に訳せば“第4世界”という意味である。当時、“第4世界”という用語は初めて聞く用語で、三浦先生と戸惑ったことを覚えている。その際、団体の担当者から言われたことは、“あなたたちは、社会保障・社会福祉が整備されれば、貧困問題等は解決できると思っているだろう。我々が支援している人々は、制度では解決できない問題を抱えている人達で、今ヨーロッパ諸国はこれらの人々が都市に滞留し、大きな問題になっており、それを解決・支援するためにボランティア活動を行っている。そのボランティア活動は、生活技術を教えるとか、社会生活のマナーを教えるとか、子育ての仕方を教えるとか、社会関係の持ち方を教えるとかの活動をしている。したがって、ボランティアの中には教師や弁護士等も多くいる”ということであった。この話を聞いたとき、私は1970年頃の日本での「新しい貧困」の問題を思い浮かべた。
〇日本に帰国後、日本社会事業大学の吉田久一先生等にこれらの話をした際に、吉田久一先生から歴史的には“コアプア”と呼ばれる問題が昔からあったよと言われて、改めて社会福祉制度だけでは解決できない問題の重要性を認識させられた。
○話は変わるが、私は添付ファイルのように「社会福祉学の性格と構造」を考え、それを2000年当時図式化した。


〇この図で、社会福祉学の研究や社会福祉実践を“社会福祉の制度”から始めるのではなく、かつ“制度に依拠するだけでなく”、そもそも社会福祉学や社会福祉実践は何を目的にするのか、どこに価値を置くのか、社会福祉の哲学は何なのかをきちんと踏まえたうえで考えないといけないと常々考えてきて、この図になった。それは、自分自身、社会福祉の目的、理念を体系だって教えられてなく、いつも社会福祉制度から始める、考える研究や実践方法になじめなかったからである。
〇全国各地の研修の度に、社会福祉関係者の「人間観の貧困」、「貧困観の貧困」、「生活観の貧困」、「社会福祉観の貧困」の希薄さに接してきただけに、社会福祉関係者に常に自らの「人間観の貧困」、「貧困観の貧困」、「生活館の貧困」、「社会福祉観の貧困」の問い直しを促してきた。今月行われた岩手県のCSW研修でも、“事実は小説よりも奇なり”という複雑な、困難事例に対し、あるべき支援方針を立案する際に、参加者の「人間観の貧困」、「貧困観の貧困」、「生活館の貧困」、「社会福祉観の貧困」に驚き、ワークショップ中に、もっと“夢を語ろうよ”と言葉を投げかける場面があった。介護支援専門員や障害者相談支援員、社会福祉協議会職員の社会福祉実践の目的、哲学、価値はどういうように形成されてきているのであろうか。
〇そんな折、國友公司著『ルポ西成――78日間ドヤ街生活』(彩図社、2018年)を読んだ。この本を読んで、私の社会福祉学や社会福祉実践の目的、価値、哲学は性善説に裏打ちされた“甘っちょろい”ものなのかと突き付けられた。学部学生時代、釜ヶ崎、山谷、寿町を訪ね、それなりに分かっていたつもりであったのはなんだったのだろうかと考えざるを得なかった。
〇それと対比する意味で、『獄窓紀』(ポプラ社、2003年)を書いた山本譲司著『累犯障害者』(新潮文庫、2009年)を読み直してみた。
〇地域生活定着支援センター等の制度を法務省や厚生労働省に働きかけて創設してきた山本譲司さんの人間観、障害者観と国友公司さんとの取り上げ方は違うにしても、その底流にあるのは、“人間が人間になる可能性をもって産まれてきた以降の幼少期にどのような生育過程を経ている”かが問題であり、それを十分理解し、その問題に対応するソーシャルワーク実践を考えないと“本来の救済にはならない”ということであろうか。
〇かつて、山口利勝著『中途失聴者と難聴者の世界』(一橋出版、2003年)を読んで、心身機能の障害から障害者のことを理解することの誤りに気付かされたが、今回の2冊の本でも同じことが言える。山本譲司さんが『累犯障害者』の中(P.228)で“ほとんどのろうあ者は、手話で考え、手話で夢を見るそうだ”と書いているが、このことの意味は大きい。
〇『ヴァルネラビリティへの支援――ソーシャルワークを問い直す』を書いた沖縄大学の玉木千賀子さんの博士論文指導の中で、“ヴァルネラヴルな人々の生育過程における言語環境の重要性”に着目するようにと言い、ピアジェやヴィゴツキーの“言語と思考”の関係の本を読んで、深めるようにと指導したが、國友公司さんも山本譲司さんもまさにその重要性を指摘している。
〇私も含めて、社会福祉関係者は「ナラティブ」の重要性をここ30年ほど強調してきたが、自分自身どれだけ「ナラティブ」の問題を深め切れていたのかと、この2冊の本を読んで自戒させられた。
〇ここに挙げた本を機会を見て読んで、自らの「人間観の貧困」、「貧困観の貧困」、「生活観の貧困」、「社会福祉観の貧困」を問い直してほしい。

第19号/2020年12月27日

 

12 社会福祉実践における「実践仮説」と実践者の “ ゆらぎ ”

〇私はここ数年、千葉県、富山県、香川県、佐賀県、大阪府、岩手県の社会福祉協議会において、CSW研修を体系化させようと取り組んできました。その際、感じることは、社会福祉関係者の活動には「実践仮説」をもって意識的に取り組むという姿勢が弱いと感じている。
〇私が、東京都三鷹市の勤労青年学級の講師として取り組み始めたのは1966年度からですが、その際、小川正美社会教育主事から強く求められたのは、①勤労青年という教育実践の対象になる「学習者理解」を深めること、②これらの青年に対し、どのような教育目標を設定し、どのような教材や教育方法を駆使して実践するのか、1年間の、あるいは中期の「実践仮説」をもって取り組むこと、③年度が終わったら、「実践仮説」に基づいた実践がどうであったかを総括、評価し、文章化することであった。当時、日本社会事業大学の学部4年生であった私にとっては、それはとても厳しい“注文”であったが、それを意識化して取り組んだことが私を育ててくれたと今では感謝している。
〇三鷹市の勤労青年学級だけではなく、教育学分野では、教師が「実践仮説」をもって、実践に取り組むということが必要だと教えられてきたが、1970年代、社会福祉分野において「実践仮説」という言葉を使うと、関係者はその用語は初めて聞いたとか、「実践仮説」とはどういうことですかとか、用語の使用が共有化できないことに驚いた記憶がある。ある意味、社会福祉分野は“制度の枠”の中で、“制度に基づくサービスを提供”していたので、「実践仮説」という考え方を持たなくても通用してきたのかなと思ったことがある。
〇しかしながら、これからは制度が十分でなければ、ニーズに対応する新しいサービスを開発する必要があるし、生活のしづらさを抱えている人への伴走的支援によるソーシャルワーク実践が求められてきている。そこでは、実践者の「実践仮説」が大いに問われるはずである。
〇添付したのは、私が、自閉症者への支援を全国でいち早く取り組み、先駆的実践を展開してきた社会福祉法人嬉泉の理事長であった石井哲夫先生に頼まれて、法人の機関紙『嬉泉の新聞』(No.58、2005年7月)に寄稿したものである。
〇社会福祉関係者は、意識しないと、ついついパターナリズムになりがちである。そのことを踏まえて「実践仮説」をもつことと、実践の過程での“揺らぎ”(自省的省察)の必要性について書いたものである。
〇なお、ドナルド・ショーン著、佐藤学・秋田喜代美訳『専門家の知恵――反省的実践家は行為しながら考える』(ゆみる出版、2001年)もぜひ読んでほしい。教育学の分野では、重要な文献の一つである。

添付資料


第21号/2021年1月18日

 

13 社会福祉学研究方法と研究組織に関する小稿

〇日本社会福祉学会の「学会ニューズレター」に寄稿した拙稿を添付します。名誉会員として若手研究者向けに、社会福祉学の研究方法について書いてほしいとの要請で書きました。

添付資料



第22号/2021年3月2日

 

14 講演・研修の「講師」の立ち位置と「バッテリー型研究」

〇私は、1960年代、東京都三鷹市で中卒青年等を対象とした青年学級の講師を約10年間担当した。その際に、青年たちから投げかけられた言葉はいまでも忘れられないし、忘れてはいけないと“自虐”的と思えるほど意識して研究者生活をしてきた。
〇その言葉は“あなたたちが大学院に進み、研究できているのは我々の税金があるからではないのか。我々は、勉強したくても家が貧困で高校へも行けなかったし、大学へも行けなかった。だから、この青年学級で学んでいる。あなた方の奨学金も我々の税金で賄われているのではないのか。そいうことを考えてあなたは生活し、研究しているのかという”問い掛けであった。
〇当時は、東大紛争もあったりして、このような言葉がだされたのだと思うが、この言葉は自分にとって大変身に堪えた。そうでなくても、日本社会事業大学を進路として選択する際に、そのような考えを自分でしていたものの、直接、面と向かって、このような言葉を投げ掛けられると身に堪えた。それ以来、ディレッタンティズム(もの好き)で研究するのではなく、社会に貢献できる研究者になろうと誓った研究生活であった。
〇そんなこともあり、私は講演や研修を依頼されると、常に参加者にどのような“お土産”を持って帰ってもらうのか、参加してよかったと思える“成果”をどう提供できるのかを考えてきた。
〇また、講演や研修等の頂いた機会にその地域、その組織、その自治体から何を自分が学ぶかということを常に考えてきた。それは自分自身の学びであると同時に、参加者への“お土産”の素材を掴むことにもつながっていた。
〇その際の私の姿勢として、自分が学んだことや自分が知っている情報を“分かち与える”という、ややもすると“上から目線”になりがちな“教える”ということではなく、参加者がこれから考える糸口、課題を整理し、学びへの関心、興味を引き出せるような契機になればということを常に意識してきた。それは、言葉で優しく言うとか、言葉で励ますとかいうことではなく、参加者が主体的に考え、行動に移したいと思えるような問題の整理と課題の提起を志すことであった。
〇一方、私は1985年1月に『高齢化社会と教育』を室俊二先生と共編著で上梓した。それに収録された論文の中で、生涯教育、リカレント教育、有給教育制度等に触れながら、これからは高学歴社会と高度情報化社会が到来し、従来のような知識“分与”的、情報伝達的教育や研修は変わらざるをえないことを指摘した。
〇今、文部科学省はアクティブラーニングの必要性をしきりに強調しているが、それはかつて社会教育が青年団を中心に提唱してきた「問題発見・問題解決型協働学習」で言われてきたことと同じである。
〇このような状況のなかで、地域福祉研究者は、気軽に“地域づくり”、“地域共生社会”づくりというが、どのような立ち位置で研究し、どのような立ち位置で講演や研修に臨んでいるのであろうか。
〇他方、私は地域福祉実践をしている現場の方々と“バッテリーを組んで”、その地域、その自治体、その社会福祉協議会をフィールドにして研究を行ってきた。そして、その研究は一時的なものではなく、長期に亘り、継続的に関わることによって行われるべきものだと考えてきた。
〇地域に住んでいる住民は、移転、移住しようにも、先祖伝来の土地、「家」のしがらみの中で生きており、気軽に移動できない状況を十分理解しないままに、外部から入り、外部の目線で“気軽に”地域づくりを言い、短期で関わりを切ってしまう研究方法は、あたかも住民の方々を弄ぶかのように思えていたからである。
〇私は、1970年に現在の東京都稲城市に移住し、地域活動を始めたが、それ以降、よほどのことが無い限り、この稲城市を離れることをしまいと決意を固めた。“地域づくり”を言うということは、それだけの重みのある取組であるべきだし、そうでないと住民の方々は納得してくれないと思ったからである。現に、そのような指摘は各地で幾度も聞いたし、聞かされてきた。
〇そんなこともあり、“バッテリーを組めた地域”には、長い地域では40年間のお付き合いをさせて頂いている地域もある。
〇ところで、このような文章を書いたのは、まさに「老爺心お節介」の最たるものかもしれないが、最近目にする論文等を読んでいて、研究者自身の立ち位置を明確にしないままに、取り組まれている実践を評価、紹介しているものが多く、地域福祉研究者として“一種の研究倫理”に抵触しているのではないかと思う論文を散見するからである。全国のいい実践は、大いに紹介し、情報共有化がおこなわれてほしいが、その場合でも紹介なのか、評論なのか、自分の学説の論証に使うのか等その位置づけは明確にしてほしいものである。しかも、その実践のアイディアは誰が出したのか、参与観察をするならばどういう立ち位置で行うのかを明確にする必要がある。最近、政治学の分野で「オーラルヒストリー研究法」が活用されているが、ある政策、ある実践がどういう形で企画され、政策化されていくのかを、その過程の力学も踏まえて研究が進められている。地域福祉研究においても、同じような研究の枠組みを作る必要があるのではないかと考え、この拙稿を書いてみた。

第23号/2021年3月25日

 

15 これからの社会福祉士――地域共生社会政策と社会福祉士の役割 

〇日本社会福祉士会のニュースの200号記念に寄稿した拙稿「これからの社会福祉士―地域共生社会政策と社会福祉士の役割」を添付しました。お暇な折にご笑覧下さい。関心のある関係者にもご回覧下さい。

第26号/2021年6月17日

 

16 奥田知志・原田正樹編『伴走型支援』の感想

〇奥田知志・原田正樹編『伴走型支援――新しい支援と社会のカタチ』(有斐閣、2021年)は、生活困窮者支援法や地域共生社会政策作りに関わった研究者、実践家の“思い”が凝集された本である。社会福祉協議会関係者、地域福祉研究者は是非学んで欲しい。その感想の一端を記しておきたい。

(1)生活困窮者、生活のしづらさを抱えている人を発見し、その人々との「つながり」を作り、信頼関係を構築して支援していく姿勢、哲学、関わり方の際の言葉遣いなどに込められた気持ちには学ぶことが多々ある。
(2)そのうえで、強いて述べるとすれば、ソーシャルワーク実践としての支援において、かつ地域福祉研究として深めなければならない点が幾つかある。

①生活のしづらさを生み出す社会的要因と個々の生活のしづらさを抱える人の問題とが、やや安易につなげて論じれている。同じ、社会的要因の中でも、その影響を“受けている”人は、どのような関り、個別要因が働いてそのような状況になったのかを丁寧に分析する必要がある。マス、マクロとしての社会的要因が、ある人には影響がさほどでなく、ある人には厳しく働いてしまう点へのアプローチ、分析を丁寧にする必要がある。そのことは、生活困窮者や生活のしづらさの“事象”を問題にするだけでなく、それらの問題を抱えている人の個人的要因とその人の置かれている社会的環境、要因との接点に関わるというソーシャルワーク実践の根幹の問題である。
②ソーシャルワーク実践には、生活のしづらさを抱えている人の生きる希望、生きる意欲、生きる見通しを引き出し支援する機能があり、戦前においてはそれを“積極的社会事業”として位置づけていた。このようなソーシャルワーク実践の歴史に触れることなく、“新しい支援”というのは、ソーシャルワーク研究をしてきたものにとっては悲しい。社会福祉の歴史も含めてソーシャルワークをきちんと学んで分析することが研究者としての務めである。
③「新しい支援」はどういうシステムで行われるべきなのか、その点での論述がない。「社会のカタチ」という言葉を使っているが、それはどのようなシステムを通して具現化されていくのか、地域福祉研究としては考えていかねばならない課題である。とりわけ、生活のしづらさを解決するために、厚生労働省も言っている参加支援、地域づくりをも考えた重層的支援では、地域におけるソーシャルサポートネットワークの構築に関わることが重要であると私は考えているが、それが「社会のカタチ」につながると思うのだが、論述がない。このことは、①の論点ともつながる。
④生活のしづらさの“事象”は、「ホームレス」(ハウスレスとは違う)やごみ屋敷といった“事象”に現れ、それを解決するために支援を展開することになるが、それらの“事象”を抱えている人の「生きづらさ」の実態、事象と「生きづらさの理解」(向谷地生良)はどれだけ深められ、かつ関係者の共有化が図られているのであろうか。その「生きづらさ」は、その人の生育過程にかなり関わる場合もあるし、その人の生活技術能力・家政管理能力との関りもある。また、それは、その人の人間関係、社会関係の持ち方にも関係があるのか、それとも自己表現能力との関りや自分の気持ちの言語化に問題があるのかといった要因が十分に分析(アセスメント)されず、“事象”の解決だけに目がむいてしまうことは、①の論点とも関わるが、ソーシャルワーク実践としては如何なものであろうか。
生活のしづらさを抱えている人々の特色的概況を社会福祉関係者が情報共有したうえで、個々の事案に“レッテル貼りで臨む”のではなく、その人の個人をよくアセスメントして対応することが肝要なのではないか。

(3)コミュニティソーシャルワークの特色は、生活のしづらさを抱えている人(経済的困窮者への経済的給付だけでは解決できない人、在宅福祉サービスなどの非貨幣的ニーズへのサービス提供(三浦文夫)だけでは解決できない“問題”を抱えている人)の“問題解決”(課題解決とは違う)において、制度化されたフォーマルケアサービスを最大限に活用しつつ、それと住民が有しているインフォーマルケアとを“有機的に結びつけて”支援を展開するところに特色がある。
したがって、コミュニティソーシャルワークは“個別支援と地域づくり”ではなく“個別支援を通して、その問題と切り結ぶことによる地域づくり、地域住民の意識変容を図る営み”である。そこがコミュニティワークとも違うところであるし、“地域を基盤としたソーシャルワーク”とも違うところである。
生活のしづらさを抱えた人への重層的支援の重要なポイントの一つは、この個別支援を通じて、その人の地域生活支援と社会活動支援を展開する上での地域のかかわり方、社会のかかわり方を変えていく営みである。

第30号/2021年9月6日

 

17 井上英晴先生の「岡村重夫理論」の考察を読んで

〇井上英晴先生の存在を認識したのは。先生が福岡県嘉穂郡穂波町社会福祉協議会の福祉活動指導員として、産炭地における生活課題に取り組んだ実践レポートを読んだことが最初であると記憶している。
〇その後、井上先生が大学院での論文を基に刊行された『福祉コミュニティ論』(小林出版、2004年)を読み、それを日本社会事業大学の大学院で教材文献として紹介し、その批判検討をした記憶がある。その本では、井上先生は、大橋謙策の福祉コミュニティ論の考え方は間違っていて、岡村重夫の福祉コミュニティ論が正しいと、大橋謙策論文を批判していながら、最後は大橋謙策の考えを何か肯定しているかのような論説の仕方をされていたことを思い出している。
〇この度、井上英晴先生が鳥取大学を退職して、高松大学発達科学部に移られてから書かれた、以下の論文を読み、久しぶりに“知的好奇心と興奮”を覚えたので、その一端を紹介したい。

①『岡村重夫の生活者原理(社会福祉の援助原理)には個別性の原理が含まれるのか』(高松大学研究紀要第51巻、P.1~21、2008年投稿)
②『岡村重夫はのりこえられたか――「地域社会関係(原理)」について』
(高松大学研究紀要第52・53合併号、P.1~24、2009年投稿)
③『岡村重夫による和辻哲郎の需要と批判』
(高松大学研究紀要第56・57合併号、P.39~80、2011年投稿)
④『死あるいは死ぬということと、岡村重夫の死の援助』
(高松大学研究紀要第58・59合併号、P.1~59、2012年投稿)

〇井上英晴先生は、岡村重夫先生の(岡村重夫講演「現代の社会福祉の特徴」『大阪市社会福祉研究』特別号、大阪市社会福祉協議会・大阪市社会福祉研修センター、2002年) “日本の研究者を見ていると、社会福祉の問題は一体何なんだということが研究されていない。社会福祉の本がたくさんあるが、どれを見ても全くつまらない。中身は大学の先生なんかが来ているんですけども、みんな紙屑みたいなものだと思いますね。‥‥‥見たら全くつまらない。お金と時間のムダなんですね。それは何故かというと、社会福祉の「固有性」、社会福祉は何なのかということ、他のものとは違う、ここに特色があるんだということが研究されていない‥‥‥福祉がなければ社会がつぶれてしまうという、そういう必然性があるんだということを証明していかなければならない”という言説を引用しつつ、岡村重夫先生の理論を多角的に、多面的に検討した論稿を書かれている。
〇上記した大学紀要の論稿はいずれも長文で、引用文献も哲学分野も含めて、多面的に引用されて、諸々の論説を丁寧に批判検討されている。先に述べた岡村重夫先生の言説の持つ意味を多くの社会福祉研究者並びに地域福祉研究者に考えて欲しいと思った。

①の論稿では、私は個別性が問われるのは“支援する側”の視点であり、“主体性”はサービスを必要とする人の側の論理であり、その両者の“合意”が重要であると考えた。訓詁学的に論議をするのではなく、“求めと必要と合意に基づく支援”の展開を心がける必要性を改めて感じた。
②の論稿では、岡本栄一先生の論説を巡っての検討であるが、そもそも岡本栄一先生の論説の立論に問題があると私は考えており、1970年代の岡村重夫先生のコミュニティケアの考え方や私の「施設の社会化論と福祉実践」(1978年)で書いた域を超えてはいないと感じた。
③の論稿は、岡村重夫理論が和辻哲郎の考え方を援用したものだということがよく分かった。ただ、主体性についての岡村重夫理論の考察はやや浅く、岡村重夫先生はどうしたら主体性が確立できるのかについて論説しきれていないことをもっと深めるべきではなかったかと感じた。この点は、戦前の海野幸徳等の積極的社会事業論との関係なども深めるべきではなかったかと感じた。
④の論稿は、岡村重夫先生の「死の援助」についての言説(岡村重夫先生は「死の援助」――死の相談を受けられないソーシャルワーカーは落第と述べている)であるが、学生の「死の援助」に関わるレポートも引用しながら展開しており、福祉教育の教材、方法論の上でも考えることが多々ある論文である。ここでも、岡村重夫先生の社会福祉の「固有性」について論じている。

〇井上英晴先生のこれら一連の論稿は、今日の地域共生社会政策を考える上で、とても考えさせられる論点が多く含まれている。
〇「老爺心お節介情報」第30号で書いた、特例貸付の方々や生活のしづらさを抱えた人日を支援する際に、その事象のみに囚われず、それらの事象を引き起こす社会構造が、ある人には強く働き、ある人は乗り越えるという“違い”を意識しつつ、それらの人々への支援のあり方を考えることこそが、対人援助としての社会福祉の「固有性」であると改めて考えた。「老爺心お節介情報」第30号共々読んで頂きたい。
〇また、私は、岡村重夫理論については、その原著は読んできたし、松本英孝著『主体性の社会福祉論――岡村社会福祉学入門』(法政出版、1999年)や『岡村理論の継承と展開』全4巻、ミネルヴァ書房、2012年)も読んで、それなりに理解してきたつもりではあるが、こういう見方、考え方もあるのかと改めて岡村理論を見直す機会になった。

第31号/2021年9月20日

 

18 ICFの視点に基づくケアマネジメント方法を活用したソーシャルケア

〇私は、2001年のWHOのICF(国際生活機能分類)の日本語版翻訳に際し、その「社会活動」領域の作業班長を仰せつかりました。私自身、1960年代から障害者の学習・文化・スポーツ・レクリエーションの振興に取り組んでいましたし、社会福祉は憲法第25条の規定による社会権的生存権の保障のみならず、憲法第13条に基づく幸福追求権、自己実現を図ることも社会福祉推進の法源、根拠とすべきと考え、実践も研究もしてきましたので、2001年のWHOのICFの考え方である生活環境を改善することの重要性についてはさほど驚きませんでしたし、“今更”という感慨を持ったことは事実です。
〇しかしながら、厚生労働省がWHOのICFを翻訳し、その考え方を普及させるとなると話はかわってきます。私は、当時、厚生労働省の担当者に、“このICFの考え方を取り入れると障害者分野の施策の大幅な見直しが必要ですよ。状況によっては、障害基礎年金や障害者手帳のもつ意味が変わってきますし、障害認定に伴う制度自体の改編が必要になると思いますが、それでも行いますか”と質問したことを覚えている。
〇その当時は、生活環境の変化がサービスを必要としている人の生活意欲、生活方法、行動様式、生活圏域の拡大を劇的に変えるというイメージはさほどなかったことは事実です。
〇しかし、その後の介護ロボットの開発・普及、ICTを活用しての福祉機器の開発・普及の進展は目を見張るものがあり、これからのケアワーク、ソーシャルワークというソーシャルケアはICFの視点に基づく福祉機器の利活用を前提としたものでなければ“使い物”にならなくなってきています。
〇しかしながら、社会福祉士、介護福祉士、介護支援専門員、障害者相談支援専門員などの養成・研修において、福祉機器に関する領域は殆ど“皆無”といっても過言ではありません。福祉機器を利活用しての生活環境を改善させることは、これからのソーシャルケアの実践においては不可欠となっています。
〇先日読んだ森島勝美著『奇跡の介護リフト――介護業界に風穴を開けた小さなメーカーの苦闘の記録』(幻冬舎、2022年)は、是非多くの社会福祉関係者に読んで欲しい文献です。
〇本書には、自宅において介護リフトを利活用することによって、“寝たきりの高齢者”の生活変容、生活意欲などが紹介されています。
〇社会福祉(社会事業)は、戦前から福祉サービスを必要としている人の生きる意欲、生きる希望、生きる見通しを引き出し、支えることが重要であり、それが“積極的社会事業”であると言われてきましたが、まさに福祉機器はそのような機能を有しています。
〇その際に重要なことは、福祉機器には補聴器もその範疇に入っているということを忘れてはいけません。2021年3月に出されたWHOの「聞こえ」の保障にかかわる報告書で、“難聴がうつ病を誘発し、それが認知症へとつながっている”ことを指摘しています。
〇社会福祉関係者は補聴器も含めた福祉機器の利活用に関心を寄せることが肝要です。このことは、拙著『地域福祉とは何か――哲学・理念・システムとコミュニティソーシャルワーク』(中央法規、2022年)の中で、地域自立生活支援における福祉機器の利活用の重要性についても述べています。

第34号/2022年3月24日

 

19 「ひきこもり」の人たちへの関わり方、支援のあり方を考える本

林恭子著『ひきこもりの真実――就労より自立より大切なこと』ちくま新書、2021年。
石川良子著『「ひきこもり」から考える――<聴く>から始める支援論』ちくま新書、2021年。

〇林恭子さんは“ひきこもり当事者”の方で、ご自分の体験を基に、“ひきこもり”支援のあり方について述べられています。
〇“支援を受ける側”の立場から、“ひきこもり”支援は“就労がゴールではない、自己肯定感の回復が先であり、大切である”。
〇支援者に伝えたいことは、“向き合うのではなく、支援する側―支援される側という関係ではなく、横に並ぶ”こと、 “アウトリーチは当事者にとって恐怖以外のなにものでもない”。
〇“分かるということよりも分かろうとしている姿勢が当事者に伝わることが大切”、“当事者に見えている世界を知って欲しい”等など、とても考えさせられる内容が書かれています。是非読んで下さい。
〇石川良子さんの本は、ひきこもりの方々と20年間近く関わってこられた体験を基に社会学研究者として書かれたものです。
〇林恭子さんの本を読んで、私は、改めてソーシャルワーク支援を必要としている人の一般的属性概況を知識として知っている必要があるが、その属性概況に“レッテル”を貼って、その属性概況の一般的「枠組み」で支援を考える支援をしてはならないこと、一般的属性概況を踏まえた上で、なおかつその一人一人にきちんと向き合い、その人のナラティブに基づき支援をすることの重要性を再確認させられた。
〇皆さんにも支援者の姿勢として、是非考えて欲しい点である。

第35号/2022年5月5日

 

20 「医療的ケア」を必要としている人へのソーシャルワークと生命倫理

〇私は、2000年前後に、日本社会事業大学大学院、同志社大学大学院、東北福祉大学大学院、淑徳大学大学院等での授業において、社会福祉学研究者の基礎的素養として、社会福祉学の基本になる哲学を学ぶ授業を行っていたことがある。その際のテキストとして、生命倫理やケアの考え方、公共福祉などに関わる文献を取り上げて行っていた。
〇今日のように、「医療的ケア児」への支援、終末期を迎えているがん患者、高齢者等への支援、難病の方への「社会生活モデル」に基づくソーシャルワーク支援を考える際に、あらためて支援に当たる立場としてソーシャルワークにおける生命倫理、ケア観を問い直しておく必要があるだろう。
〇私が学んでいた1960年代当時の日本社会事業大学の学生には、脳性まひの学生がおり、その学生の支援に仲村優一先生が多大の努力をされていた。その学生の一人は、「青い芝の会」のメンバーとしていろいろ活動していた。1975年に横塚晃一さんが『母よ殺すな』(すずさわ書店)を上梓した時代で、障害を有している子どもをもった親の苦労、苦悩と障害を有している子ども自身の生存権、幸福追求権との関りをいろいろ考えさせられた時代であった。
○前にも紹介したが、SOMPO福祉財団文献賞を受賞した高阪悌雄著『障害基礎年金と当事者運動――新たな障害者所得保障の確立と政治力学』(明石書店、2020年)を是非読んで欲しい。
○今日の「医療的ケア」を必要としている人へのソーシャルワークと生命倫理との関係も、内容的にとても重い問題であるが、地域福祉実践・研究を志すものとして避けて通れない課題である。
〇医療従事者における“呼吸すること”を保障する「医学モデル」に基づく実践としての生命倫理とは異なり、社会福祉従事者においては“生きること”を保障する「社会生活モデル」に基づく実践であり、医学分野の生命倫理を踏まえながらも、「社会生活モデル」に基づく実践における生命倫理、ソーシャルワークのあり方を論究する必要がある。
〇この間、以下の本を読んで「生きること」、生命倫理についていろいろ考えることがあった。

松本俊彦編著『「助けて」が言えない――SОSを出さない人に支援者は何ができるか』日本評論社、2019年。
児玉真美著『殺す親、殺させられる親――重い障害のある人の親の立場で考える尊厳死は・意思決定・地域移行』生活書院、2019年。

〇松本俊彦編著『「助けて」が言えない』の中で、精神障害者への支援において、“コンプライアンスから、アドヒアランスへと発展し、いまや患者と医療者のパートナーシップをより重視したコンコーダンス”の時代だという記述に大いに期待したいと思うものの、実情はそうなっているのだろうかと考えてしまった。精神障害者の地域自立生活支援における“コンコーダンス”の時代を我々は市町村で構築できるであろうか。
〇児玉真美著『殺す親、殺させられる親』は、第2部で「死ぬ・死なせる」をめぐる意思決定について書かれている。一人暮らし高齢者や一人暮らし障害者の終末期支援をしていく際に、我々が考えておかなければならない課題が提起されている。

第35号/2022年5月5日

 

21 「生きづらさを抱えた人」の支援と地域生活定着支援センター

〇地域共生社会政策の一環として,地域福祉計画、地域福祉支援計画を策定する際に、自殺予防、再犯防止、孤立・孤独対策等も包含して計画策定することが求められている。
〇『新ノーマライゼーション』2022年4月号(日本障害者リハビリテーション協会)は、矯正施設出所者への支援のあり方について特集している。全国に48ある地域生活定着支援センターの取組や千葉県中核地域生活支援センター等の取組が紹介されている。「生きにくさを抱えた障害者等の支援者ネットワーク」の赤平守さんが「支援の本質を問い続けて――生きにくさネットの活動」を書いています。赤平さんは、“生きにくさを抱えている人の心はいつも揺れ動いています。「地域で生きる人を、地域で支える」のであれば、その人を知る努力と確かな根拠を基にした想像力が必要となります”と述べていますが、ソーシャルワークにおける「2つのそうぞう性(想像力と創造力)」の重要性と、“レッテル”を貼って分かった気にならないで、福祉サービスを必要としているその一人一人のナラティブに基づく支援のあり方が問われています。
〇また、犯罪という事柄に我々は目が行きがちであるが、その背後には貧困、障害、いじめ、虐待などの問題があり、その人のソーシャルサポートネットワークが崩壊したときに“犯罪”がおきていることを考え、支えていく意味が問いかけられている。

第35号/2022年5月5日

 

22 文化人類学とソーシャルワーク

〇かつて、私は加地伸行著『儒教とは何か』(中公新書、1990年)等の儒教関係の本を読んで、儒教とは何かを考えようとした。それは、自分を含めて、日本人のものの考え方、感じ方に色濃く儒教の“教え”が入り込んでおり、影響を受けている。地域福祉の主体形成を考えていくとき、これらの問題は看過できないと考え、チャレンジしたが事実上その作業はとん挫している。
〇以前紹介した山本七郎著『日本資本主義の精神~なぜ一生懸命働くのか~』(PHP文庫、1995年)も同じ文脈である。
〇それは、マックス・ヴェーバーが書いた『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』をひも解くとすれば、それと同じように日本人に影響与えた考え方、思想を探ろうという文化人類学的発想からでたものであった。
〇私は、1970年代に“日本の福祉文化の底流にあるものに興味、関心を寄せ”、文化とは何かを理解したいと思ったし、その日本人の文化と社会福祉との関りを考究したいと考えたが、“奥が深く、幅が広く、とても自分には手が負えない”と考えて、その研究アプローチも断念せざるを得なかった。
〇しかしながら、住民の生き方、地域のありよう等を考えないで地域福祉研究をしていていいのだろうかとういう“脅迫観念”ともいえる思いは今になっても消えないでいる。
〇かつて、中根千枝の「タテ社会の構造」理論を援用して、2005年に「わが国におけるソーシャルワークの理論化を求めて」(『ソーシャルワーク研究』第31巻第1号)を書いたのもその“流れ”から来ている。
〇この連休中に、宮城谷昌光著『孔丘』(文芸春秋、2020年)を読んだ。この本は、孔子の生涯と考え方を小説にしたものであるが、この本を読みながら如何に自分の中に儒教の考え方が入り込んでいるか改めて再認識させられた。
〇「法」と「礼」、「徳」、「天」といった人間の行動を律する語句や考え方が如何に当たり前のように自分の中にあることに驚かされた。
〇文化人類学や社会思想史は、形になりづらいものであり、研究の難しさはあるが、社会福祉学が自立支援を目的に考えるとすれば避けて通れない課題ともいえる。日本の社会福祉学研究を文化人類学の視点を踏まえて行う人が出てこないであろうか。

第35号/2022年5月5日

 

23 社会問題の分析視角と鈴木孝夫著『ことばと文化』

〇私は、恩師の小川利夫先生から研究指導を受ける際、“おまえの分析視角は何か、そのナイフは先行研究を踏まえた理論課題を明らかにできる研ぎ澄まされているナイフなのか、それともなまくらなのかどうか?”、“事象に流されて、紹介するだけのものは論文とは言わない”等と常に戒められてきた。
〇そんなこともあり、私は論文を書くときに、あるいは講演をする際にとても十分とはいえないにしても、常に以下のようなことを考えて研究生活を送ってきた。

① 何故、その社会問題、事象を取り上げるのか、それを取り上げる意義は何か?
② 取り上げた社会問題、事象をどう分析するのか、その分析の視角は何か?
③ 分析した個々の要因間の関係の構造を考え、何が幹で、何が枝で、何が葉なのか、枝葉末節を考えて、構造的に分析を行い、考えているか?
④ 分析をした社会問題、事象を通して、社会福祉学界に対してどのような理論課題を提起し、論述しようとしているのか、その理論課題に即した先行研究も十分踏まえて論述しているのか?

〇上記のことを私が意識して分析視角、問題構造という用語を使って書いた最初の論文が「現代児童の問題構造と分析視角」(『ジュリスト』572号、有斐閣、1974年10月)である。
〇自分のことを棚に上げておこがましいことを言うようであるが、最近の実践や研究において、上記のことがほとんど触れられずに、“犬が歩けば棒に当たる”類の研究姿勢が多いことはなぜなのだろうか? それは私達の世代の“大学院”での研究指導が不十分であったからであろうか。
〇鈴木孝夫著『ことばと文化』(岩波新書、1973年)を2022年6月に読んだ。残念ながら、この本は1973年に初版が出ている。
〇私が、1970年頃に日本の文化を基底とした社会福祉のあり方と、WASP(ホワイト、アングロサクソン、プロテスタント)の文化を基底としたアメリカの社会福祉の考え方、とりわけ社会福祉方法論との関係で悩んでいたころに出た本である。
〇生活のしづらさを抱えている人を支援する際に、その人の文化的基底は何か、生活文化は何か、その違いを抜きにして“アメリカ直輸入”的に社会福祉方法論を論じ、支援の際に援用することにどうしても馴染めず、文化、言葉、心理というものを学ぼうとしたが、あまりにも奥が深くとん挫した研究経験を私は有している。
〇ところが、この『ことばと文化』を読んで、初版本が出た時に、この本を読んでいれば、あるいは私の研究上の“分析視角”や“問題構造の描き方”は変わっていたかも知れないと直感的に思った。というのも、生活問題を取り上げる社会福祉研究は、生活問題の事象をどのように表現し、どのような文脈の中で分析し、関係づけて考えるか、そのヒントが『ことばと文化』の中にあるからである。
〇鈴木孝夫氏は、慶應大学名誉教授であり、言語社会学者である。1926年に生まれ、2021年の2月に逝去している。逝去に際し、多くのマスコミが鈴木孝夫氏の論功を取り上げ紹介した。浅学菲才の私は不覚にも、その時はじめて鈴木孝夫氏の論功を知った。(鈴木孝夫氏が逝去された報道の後、すぐにこの本を購入したが、1年間本棚に“積読”の状態で、漸くここに来て読むことができた)。
〇『ことばと文化』の初版本が出された1970年代初頭の頃、社会福祉と社会教育の学際研究をしていた私は、その二つの領域の文献とその領域の政策動向、実践情報を把握するのに精一杯で、精神的にも、時間的にも余裕がなく、広く“文化”や“ことば”に関する文献を検索できていなかった。“文化”については、いくつかの文献を渉猟したが、あまりにも奥が深く、幅が広く、“社会福祉と文化”の関係を分析できる視角を確立できる自信が持てず、諦めてしまった経験を有している。
〇鈴木孝夫氏は、『ことばと文化』の中で次のように述べている。

① “文化の単位をなしている個々の項目(事物や行動)というものは、一つ一つが、他の項目から独立した、それ自体で完結した存在ではなく、他のさまざまな項目との間で、一種の引張り合い、押し合いしながら、相対的に価値が決まっていくものなのである”(P.4)
② あらわれた文化とかくされた文化――“ある国の人々の生活や考え方を隅々まで支配している、その国の文化というものは、そこに生まれた人々にとっては、空気の存在と同じく、元来自覚されにくいものである。‥‥‥普通の人が気付く、いわゆる文化の相違は、比較的目につきやすい、具体的な現象に限られることが多いのである。あらわな文化という(over culture)と呼ぶ文化の側面がこれである。
この顕在的な文化に対して、目に見えにくい、それだけに、中々気が付かない文化の側面のことをかくれた文化(cover culture)と呼ぶ。‥‥‥このように文化の項目としては全く同一のスプーンを使いながら、日本人と西洋人との間には、ちょっと人が気が付かない構造的な違いが見られる。‥‥‥かくれた部分に気付くことこそ、異文化理解のカギであり、また外国語を学習することの重要な意義の一つはここにあるといえよう。(P.15~17)
③ “ことばが、私たちの世界認識の手がかりであり、唯一の窓口であるならば、ことばの構造やしくみが違えば、認識される対象も当然ある程度変化せざるを得ない。”(P.31)
④ “ことばというものは、混沌とした、連続的で切れ目のない素材の世界に、人間    の見地から、人間にとって有意義と思われる仕方で、虚構の文節を与え、そして分類する働きを担っている。言葉とは絶えず生成し、常に流動している世界を、あたかも整然と区分された、ものやことの集合であるかのような姿の下に、人間に提示して見せる虚構性を本質的に持っているのである”(P.30~31)
⑤ “ものにことばを与えるということは、人間が自分を取り巻く世界の一側面を、他の側面や断片から切り離して扱う価値があると認めたということにすぎない。
化学式でH₂Oと一括できる同一のものが、日本語で「氷」、「湯」、「ゆげ」に始まり、「露」「霜」から「春雨」や「夕立」に至る、何十という別々のことばで呼ばれていることは、しかし、確実なものとしての存在は、H₂Oだけであって、それ以外の名称は、名前だけの実体のない存在、つまり対象の側に必然的な裏付けのない虚構であるということにはならないのである。
何故かといえば、このH₂Oですら、人間が世界のある特定の角度から整理した結果、把握されたものであって、決して最終的な、確実なものではないからだ”“(P.39~40)

〇我々が、社会問題、生活問題を取り上げて研究する際、どの視点からその問題を取り上げるのか、そしてその問題の整理にあったて、どのような“言葉”で分析するのか、その結果どのような理論課題を提起するのか、とても重要なことである。
〇アメリカ人の“ものの見方、考え方”における文化と、日本人の“ものの見方、考え方”の違いと、それを表現する仕方が違うということをよく踏まえて海外研究、国際研究をする必要がある。
〇“ことわざ”はその国の文化、生活慣習にすぐれて影響を受けている“ことば”である。私の拙文を韓国語に訳すときに、“ことわざ”の翻訳ができないとよく言われたものである。
〇このようなことを考えると、生活問題、社会問題自体が、ある局面を語っているわけであるから、その分析はどの側面から切っているのか、それは何を提起しているのかを常に考える必要がある。
〇“研究者”として、論文を書くということが如何に難しいかを再認識させられた。

第36号/2022年6月13日

 

24 「都道府県社協の創設時・初代事務局長に関わる調査研究」の必要性

〇11月、12月と岩手県に行き、日本社会事業大学を卒業し、岩手県に入職後、岩手県立大学の教授をされた細田重憲さんや、日本社会事業大学を卒業後、岩手県社会福祉協議会に入職し、岩手県社会福祉協議会の事務局長を務められた右京昌久さん達と懇親する機会があり、「都道府県社会福祉協議会の創設時・初代事務局長に関わる調査研究」の必要性を痛感したので、その情報提供とお願いである。
〇私は、日本地域福祉学会の事務局長当時、財団法人安田火災記念財団からの助成を頂き、北海道、東京、近畿ブロックの地域福祉実践の地方史をまとめる研究プロジェクトのプロモーターを務めた。その成果物は、1992年に中央法規出版から『地域福祉史研究序説』として刊行されている。
〇この研究プロジェクトは、その後各都道府県単位の学会支部で取り組んで欲しい旨をお願いしたが、私が知る限りめぼしい成果は出ていない。富山県地域福祉研究会が、富山国際大学短期大学の学長をされている宮田伸朗先生を中心に、富山県地域福祉実践の地方史の研究をまとめられているが、それ以外では寡聞にして知らない。
〇上記したように、今回岩手県の訪問に際し、岩手県立大学が「岩手の社会福祉史研究会」を組織し、岩手県社会福祉協議会の初代事務局である見坊和雄さんに聞き取りしている資料をご恵贈賜り、読むことができた。聞き取りの要約は、細田重憲さんが『岩手の保健』第226号~228号(令和3年3月・8月・令和4年3月)、岩手県国民健康保険団体連合会発行に連載している。
〇これらの資料を読み、改めて地域福祉実践における地方史研究の必要性、とりわけ都道府県社会福祉協議会の創設時の初代事務局の人物像も含めた研究が必要ではないかと思った。その際に、私がすぐに思いついたのが、秋田県社会福祉協議会の三浦三郎事務局長と山形県社会福祉協議会の松田仁兵衛事務局長である(松田仁兵衛さんの本は全社協選書から『社会福祉とともに』が刊行されている)。
〇秋田県社会福祉協議会の三浦三郎事務局長には、私が日本社会事業大学学部3年生の時、恩師の小川利夫先生に名刺に添え書きをして頂いて、山形、秋田を訪問した際に大変お世話になった。三浦三郎事務局長は、戦前の社会事業主事講習を受けており、戦前のセツルメントハウス・興望館にも勤めていたこともある。三浦三郎事務局には、秋田の祭り・竿灯を見せて頂いた上に、下浜の自宅に留めて頂いた。
〇見坊和雄さんは、三浦三郎さんと松田仁兵衛さんと一緒になって、いろいろな取り組みをされたことを話しておられる。改めて、東北3県の社会福祉協議会の事務局に焦点を当てて、地域福祉実践の地方史を研究する必要があるのではないか。
〇と同時に、全国の各県社会福祉協議会の創設の時の状況や初代の事務局長の動向についての歴史研究に各県社会福祉協議会の職員や日本地域福祉学会の各県支部の会員は是非取り組んで欲しいものである。

第37号/2022年12月26日

 

25 社会福祉協議会とNPO法人との関わり

〇“地域を基盤としている社会福祉法人”としての社会福祉協議会のプラットホーム機能とテーマ型支援をしているNPO法人との関り――社会福祉協議会は“自己満足”、“唯我独尊”、“視野狭窄”で生き残れるのであろうか?
〇新年に頂いた年賀状の中に、東京都の福祉局の職員として勤め、定年後に地区社会福祉協議会に関わり、草の根の地域福祉実践をしている方から、“社会福祉協議会は旧態依然で、改革する意欲がない”という嘆きの言葉が書かれた年賀状を頂きました。
〇私は厚生労働省が進めている地域共生社会政策の具現化には、社会福祉協議会が改革され、住民のニーズに対応する活動を展開できなければ、その具現化は難しいと思っていますし、かつ社会福祉協議会は生き残れないと思っています。
〇地域共生社会政策における重層的支援体制整備事業は、包括的相談と福祉サービスを必要としている人の社会参加支援とそれを可能ならしめる地域づくりの3つの事業を三位一体として展開して欲しいとしています。
〇これを行うためには、市町村における第2層の専門多機関、専門多職種の連携と第3層の小学校区レベルでの住民参加、住民のボランティア活動の活性化が不可欠ですし、とりわけ第2層の機能と第3層の機能をつなげ、コーディネートする力が必要です。この第2層と第3層との有機化ができないと、また“新たな縦割り”を産みかねません。
〇これらの事業・活動を展開する組織として、最もふさわしい組織は市町村社会福祉協議会ではないかと私は思っています。
〇私の地域福祉実践、研究、教育は全国の社会福祉協議会とバッテリーを組むことにより展開され、体系化できました。言わば、私は社会福祉協議会によって“地域福祉研究者”に育てられたと思っていますので、身びいきすぎるかも知れませんが、上記の機能を考えたたら社会福祉協議会しかないと思っています。
〇1980年代から社会福祉協議会は小学校区レベルで地区社会福祉協議会づくりを推進してきました。その過程で、自治会組織や民生委員・児童委員とも深い関係を築いてきました。
〇1990年代には、住民に信頼される組織になるためには、住民のニーズに応える具体的サービスを展開し、そのサービス提供過程において、新たな住民のニーズを把握しようという「事業型社協」の考え方を打ち出しました。
〇また、1991年からは潜在化しているニーズを発見し、専門多機関でのチームアプローチによる支援を行う「ふれあいのまちづくり事業」を展開してきました。
〇このような経緯を考えれば、地域共生社会政策の具現化、重層的支援体制整備事業は社会福祉協議会がその中軸になって活動して“当たり前”だと私は思うのです。
〇しかしながら、冒頭に述べたように、社会福祉協議会は未だ1980年代までの“旧態依然”の活動、組織になっています。これで、社会福祉協議会はいつまでも行政からの補助金を貰えるのでしょうか。
〇全国各地の地方自治体では、9月の決算議会で社会福祉協議会への補助金の費用対効果が問われ、補助金の見直しが各地の自治体で論議されています。あるいは、行政の監査委員会から社会福祉協議会への補助金の見直しの勧告もされています。行政の保健福祉部局が社会福祉協議会への理解を示してくれても、財政部局が理解せず、補助金カットの厳しい査定が続いています。社会福祉協議会が有している「基金」を全て遣い切ってから、改めて補助金の支出の論議を余儀なくされているところもあります。地方自治体の「指定管理制度」に伴う入札において、従来使用していた事務所がある社会福祉センターの管理運営に関わる指定管理で、社会福祉協議会が落札できず、他の業者に事務所代の賃料を払って入居している社会福祉協議会もあります。その場合の事務所賃貸料の補助金は行政から出ません。
〇このような状況下で、社会福祉協議会の経営のあり方は現在とても厳しい状況にあり、早く“眼を覚ます”必要があると思っています。
〇私自身、昨年だけでも岩手県、秋田県、福島県、香川県等の社会福祉協議会の経営問題に関する会議・研修に招聘され、上記のような状況と課題を提起し、コンサルテーションを行ってきました。
〇社会福祉協議会を取り巻くこのような状況を改革するためには、地域共生社会政策における重層的支援体制整備事業を受託し、第2層の地域包括支援センターの運営を軸にした専門多機関協働と第3層の小学校区の地区社協における住民参加、ボランティア活動とを有機化させる活動に取り組むしか“生き残る道はない”と考えています。
〇そのためには、従来の社会福祉協議会の事務局体制を改編し、地区社会福祉協議会ごとの「地区担当制」を導入し、その地区において福祉サービスを必要としている人の“発見”と個別支援に関する包括的総合相談を行い、かつその福祉サービスを必要としている人の社会参加に関する問題解決プログラムを開発・提供すること、更にはそれらの活動を住民が支え、ボランティア活動として協力するとともに、福祉サービスを必要とする人々を地域から排除することなく、蔑視をすることなく、共に生きていける地域づくり、福祉教育の推進を統合的に展開できる事務局体制に再編するしか“生き残れる道はない”と思っています。
〇そのためには、社会福祉協議会職員、総務部門の職員も、生活福祉資金や権利擁護部門の職員も、施設・団体支援部門の職員も含めてコミュニティソーシャルワーク機能の研修を受講し、その資質向上を図るしかありません。
〇厚生労働省の2015年の「新たな福祉提供ビジョン」(この報告書が地域共生社会政策の起点になる)の中で述べているように、“個別支援を通じて地域を変えていく”過程が重要なのです。
〇その点、テーマ型NPO法人は、福祉サービスを必要としている人の個別課題分野ごとに特化した活動を展開していますので、“個別問題”に強い“印象”を創り出していますし、事実、個別課題分野ごとに大きな成果を挙げて評価されています。
〇また、それらのNPO法人は今日のインターネット社会の機能をよく活用し、全国的に組織化を図り、個別課題分野における“発言力”(政治的にも、行政の信頼度においても、行政からの補助金獲得においても、クラウドファンディングにおいても)を高めています。
〇正直なところ、この間の内閣府等の政府の福祉サービスを必要としている人の個別課題分野ごとに取り組むNPO法人への評価は高く、政府の審議会での発言力や報告書における位置づけも高いものがあります。
〇それに比して、社会福祉協議会への評価、位置づけは“相対的に地盤沈下”していると思います。福祉サービスを必要としている人の個別分野の取り組みが全体的に増加しているので、その個別課題に取り組む団体・組織が増えることはいいことであり、その結果、社会福祉協議会が“相対的に地盤沈下”するのも当然でやむを得ないと考えるべきなのでしょうか。
〇私は、社会福祉協議会の位置は“相対的に地盤沈下”しているのではなく、“絶対的に地盤沈下”していると考えています。つまり、住民のニーズに対応しないで、相変わらず“旧態依然”の活動に終始し、“自己満足”、“唯我独尊”、“視野狭窄”に陥っているのではないでしょうか。
〇これらの課題は一朝一夕には解決できないと思いますが、せめてNPO法人と社会福祉協議会との“彼我の位置関係”を確認するためにも、各都道府県、各市町村で取り組み始めて貰っている『社会福祉関係資料集』の中に、これら「福祉サービスを必要としている人の個別支援をしているNPO法人」と「福祉サービスを必要としている当事者組織・団体」の把握を行い、収録することが必要ではないかと思っています。
〇私は、富山県社会福祉協議会のコミュニティソーシャルワーク研修において、『社会福祉関係資料集』の作成の必要性を説き、富山県福祉カレッジと協働して立派な『富山県社会福祉関係資料集』を作成してもらいました。この実践の取り組みは、現在では千葉県、岩手県、香川県、佐賀県の社会福祉協議会に普及しています。
〇地域共生社会政策では、社会福祉法の改正で地域福祉計画等を作成する際に、「地域生活課題」を明確に把握することを求めています。私は、この改正が行われる前から、住民のニーズに関わる「地域福祉・地域包括ケアに関わる基本情報」を市町村ごとに、かつ地域包括支援センター圏域毎に作ることの必要性と重要性を指摘してきました。
〇上記の『社会福祉関係資料集』は、これらの国の動向を踏まえても必要な取り組みです。富山県では、コミュニティソーシャルワークの研修の時のみならず、いろいろな研修の機会に『社会福祉関係資料集』を活用しています。
〇せめて、これらの『社会福祉関係資料集』の中で、全国の、各都道府県の、各市町村で活動している「福祉サービスを必要としている人への個別支援をしているNPO法人」と「福祉サービスを必要としている人々の当事者団体・組織」の一覧を収録することにより、“彼我の位置関係”を認識し、社会福祉協議会が陥っている“自己満足”、“唯我独尊”、“視野狭窄”に気付き、改革する契機になればと思っています。
〇そして、社会福祉協議会がそれらの組織、団体の参加の基にプラットホームを創り、その“中核的組織”として社会福祉協議会が活動を行い、社会的評価を高められればと祈念しています。
〇これが12月夜の睡眠時に考えたことです。2023年も、これらの課題を解決すべく、全国各地を飛び回り、美味しい肴と美味しいお酒を飲みながら、社会福祉協議会職員と談論風発の論議をしたいものだと夢見ています。

第38号/2023年1月2日

 

26 地域共生社会政策とキム・ジヘ著『差別はたいてい悪意のない人がする』

キム・ジヘ著、尹怡景訳『差別はたいてい悪意のない人がする――見えない排除に気づくための10章』大月書店、2021年。

〇本書は、韓国で2019年に『善良な差別主義者』というタイトルで出版され、1年もしないで10万部を超えるベストセラーになった本の日本語訳版である。
〇日本でも、2021年に翻訳刊行されてから今まで7刷りされている。
〇私はこの本を読んで、自分の従来の差別論や人権感覚を多面的に問い直す必要性を感じた。本書で述べられている論理を全て首肯できてはいないが、少なくとも何気なく使ってきた差別、特権、平等、多文化、共生という用語、言葉を、改めて自らが置かれている“立ち位置”を意識して使わなければならないということを意識させられた。
〇“発せられた言葉”は同じものでも、それを発した人の“立ち位置”によって“意味”が大きく異なり、時にはその“言葉”が差別にもなることも意識させられた。
〇本書で解題をしている大東文化大学の金美珍准教授が、「本書が注目されたのは、差別に関する既存の考え方に新たな問を投げかけたからと考えられる。一般に、差別に対する認識は、差別する加害者とそれをうける被害者という構造の中で議論される。本書でも指摘されているように、だれもが差別は悪いことだと思う一方、自分が持つ特権には気づかないので、みずからが加害者となる可能性は考えない傾向が強い。本書は『善良な』という表現を用いて、『私も差別に加担している』、『私も加害者になりうる』という可能性に気づかせる。つまり、平凡な私たちは知らず知らず差別意識に染まっていて、いつでも意図せずに差別行為を犯しうるという、挑発的なメッセージを著者は投げかけている。」と述べているが、私が気づかされた点もまさにその通りである。
〇本書を読みながら、多くのページに蛍光ペンでマークをし、かつ付箋も付けた。その一つ一つに関わる私のコメントを書きたい思いがあるが、それはある意味一冊の本を書くようなものである。皆さんは、是非この本を読んで欲しい。とりわけ、地域共生社会政策に関わる人、福祉教育に携わる人、差別、人権に興味関心を寄せ、差別を無くし、平等の社会を創ろうと思っている人には是非読んで欲しい本である。
〇本書は、アメリカの事例、判例、韓国の社会状況をふんだんに取り上げながら論述されていると同時に、政治学、民主主義に関わる歴史的論者の考えも引用しており、その文献の渉猟の広さ、凄さ、博学さにも圧倒される本である。

第39号/2023年1月9日

 

27 市町村に「ソーシャルケア連絡協議会」を創ろう

〇国は今、地域共生社会政策を推進しています。その中で、市町村の第2層レベルでの専門多機関、専門多職種の連携を求めています。
〇私は、2000年5月に、日本学術会議の幹事を仰せつかっている時に、当時の日本学術会議会員であった仲村優一先生と、私と同じ幹事であった田端光美先生に相談し「ソーシャルケアサービス従事者研究協議会」を設立しました。
〇それは、ソーシャルワークとケアワークとを統合的に考え、両者の社会的評価、社会的発言力を高める試みとして設立しました。その協議会には、社会福祉士会、精神保健福祉士会などのソーシャルワーク専門職団体、介護福祉士会のケアワーク専門職団体、それらの養成を担う大学、養成校の団体並びにそれらの研究を行う日本社会福祉学会などの17団体に参加してもらい結成されました。
〇このソーシャルワークとケアワークとを連動させる考え方は、1987年の「社会福祉士及び介護福祉士法」制定の際にも、その必要性を説きましたが却下され、社会福祉士及び介護福祉士は別々の国家資格として法制化され、各々が専門職団体を設立し、成長してきました。
〇しかしながら、1980年代の入所型社会福祉施設中心の時代ならいざ知らず、1990年代に入り、在宅福祉サービスが法定化され、住民の在宅福祉サービス利用が増えてきている状況では、1980年代までの施設福祉サービス提供とは大きく異なり、ソーシャルワークとケアワークとを統合的に捉えるケアマネジメントが必要とされてきます。
〇この状況はイギリスでも同じで、イギリスは1998年にソーシャルワークとケアワークとを連動させた教育研修体系に切り替えるために、「ソーシャルケア統合協議会」を設立しました。
〇この点については、拙著『地域福祉とは何か――哲学・理念・システムとコミュニティソーシャルワーク』第2部第1章(P.73)に書いていますので参照してください。
〇私は全国的な「ソーシャルケアサービス従事者研究協議会」を創ると同時に、各都道府県レベルでも「ソーシャルケアサービス従事者研究協議会」を創り、社会福祉士、精神保健福祉士、介護福祉士の地位向上、社会的発信を強めるべきであると考え、関係者にお願いしてきました。そのためにも、毎年7月の「海の日」をソーシャルワーカーデーに定め、各都道府県レベルでの活動の強化をお願いしてきました。私の知る限り、最も典型的な組織を創ってくれたのは栃木県です。大友崇義先生を中心の「栃木県ソーシャルケアサービス研究協議会」が設立され、2022年に20周年大会が行われました。
〇と同時に、私は「ソーシャルケアサービス従事者研究協議会」の市町村版を創るべきだと考え、いろいろ働き掛けをしてきました。その一環として、市町村で設置される審議会や地域福祉計画策定委員会に社会福祉士や介護福祉士等の専門職団体の支部長を参加させるべく行政に働き掛けてきました。
〇一例をあげると山形県鶴岡市の地域福祉計画策定委員会に、社会福祉士会の支部長に入ってもらいました。また、東京都豊島区の地域保健福祉審議会の委員に豊島区社会福祉士会支部長に入ってもらいました。
〇行政は、当初、そのような支部があるかどうかも分からない等という理由で拒否反応を示しましたが、支部はあるはずであると説得して委員に入れてもらうことにしました。
〇鶴岡市の社会福祉士は地域福祉計画策定委員会の副委員長として、現場の状況を踏まえた適切な情報提供、発言をしてくれました。豊島区の場合は、支部長は社会福祉士養成の専門学校の先生でしたが、全く“現場感覚”がなく、発言もできず、私は社会福祉士の代表を入れて欲しいと行政に頼み込んだ経緯もあり、行政の関係者に幾度か謝りました。
〇市町村レベルでは、社会福祉士、精神保健福祉士、介護福祉士の国家資格を有している人がいると言っても数は多くないでしょうし、その力量、資質も“千差万別”であり、その時点(2000年代)ではやむを得ないと思っています。医師のレベルは100年以上かけて、そのレベルが確立してきていますが、社会福祉士等の資格は国家資格になってから高々20年にも満たない状況での取り組みだったので、その旨行政に話し、育てて欲しいと行政にお願いしました。
〇しかしながら、現在推進されている地域共生社会政策における包括的・重層的支援体制における第2層の専門多機関、専門多職種連携が求められている状況の中では、“待ったなし”の状況で、社会福祉士、精神保健福祉士、介護福祉士の力量が問われます。
〇この機会に、市町村レベルにおいて「ソーシャルケア連絡協議会」を創り、切磋琢磨してお互いの力量を高めると同時に、社会福祉士等のソーシャルワーク、ケアワークの国家資格の認知度を高め、社会的評価と信頼を高める活動を展開する必要があるのではないでしょうか。
〇市町村レベルの状況を考えると、この「ソーシャルケア連絡協議会」には、介護支援専門員、障害者相談支援員、あるいは保育士の方々にも参加して欲しいものです。
〇是非、市町村社会福祉協議会の方はこの取り組みを進めて欲しいですし、県レベルの方々にはその支援をお願いしたいと思います。

第39号/2023年1月9日

 

28 多文化理解とキリーロバ・ナージャ著『6ヶ国転校生・ナージャの発見』

〇私が、国によって文化や言語が違い、その結果として「ものの見方、考え方」が違うことに関心を持つようになったのは、何歳の頃か定かでない。ただし、笠信太郎の『ものの見方について』(角川文庫、1966年)を読んで、非常に興味をそそられたことは覚えている。
〇そんなこともあり、以前の「老爺心お節介情報」にも書いたが、私は1960年代に社会福祉方法論としてのケースワークを習ったが、その内容が基底になる文化、言語の違いがあるにも関わらず、アメリカの“直輸入”的で、どうにも馴染めず、学習が進まなかった。
〇当時、“社会福祉と文化”との関係を極める必要があると考え、社会人類学や民俗学、文化論等の書物を読んだが、奥が深く、幅が広くとても自分には研究できないと考え、“文化・民俗学・社会人類学の視点からの社会福祉研究”を断念した思い出がある。しかしながら、その命題は、いつも私の心に、私の思考に引っかかる命題であった。
〇1990年代半ばに「村山談話」がだされ、日本が侵略した韓国、中国への私の贖罪感、こだわりも少し解消され、韓国への調査研究に出掛けられるようになった。その折に、韓国と日本の食文化、食事作法の違いに、改めて驚かされた。1970年代から、アメリカ、ヨーロッパに出掛けていたにも関わらず、その当時は食事マナーに気がとられていたのか、あまり注目していなかったが、韓国への旅行では食文化、食事作法をはじめとして様々な文化の違い、生活習慣の違いがあるにも関わらず、日本は“侵略”し、日本語を強制し、創氏改名まで強制した蛮行になんとも心が痛んだ。この“蛮行”をすべての日本人に理解してもらわないと、真の交流にはならないと思っている。
〇朝日新聞の1月9日の「天声人語」で紹介されていたキリーロバ・ナージャ著『6ヵ国転校生・ナージャの発見』(集英社インターナショナル、2022年)を読んだ。学校の給食、テスト、体操での整列の仕方等、国々によってこんなにも違うのかと改めて驚いた。それは、現象、制度が違うだけでなく、そのことを通して何を獲得するのか、なにを学ぶのかまで左右する大きな違いがあることに驚かされた。国の違う学校の試験でも、「正答」を求めない試験もあるという。つまり、社会生活の中で、常に「正答」は一つではないことを考えさせる取組でもある。一つの価値基準が全てという画一的な思考法とは異なる取り組みである。
〇この本を読んで、多文化理解とは、その国の、その民族の生活様式、文化を理解するだけでなく、それらがもたらす思考方法の違いにも目を向けなければ、その理解は皮相的なものになることを教えられた。まさに“ものの見方、考え方”の違いを理解することが多文化理解なのではないかと教えられた。そこでは自分にとって“「ふつう」こそ個性だ”という記述はとても考えさせられる記述であった。
〇以前悩んだ文化、社会人類学あるいは民俗学をきちんと学ばないと“生活に関わるソーシャルワーク”の理解は深まらないのではないかと改めて考えている。研究者生活を50年間もやってきて、いまさらながら、何をしてきたのだろうかという“自虐的自戒”に囚われる。
〇私は2005年に書いた「わが国におけるソーシャルワークの理論化を求めて」(相川書房『ソーシャルワーク研究』Vol31No1、2005年所収)において、中根千枝の社会構造研究において、日本をタテ社会と論じた枠組みを援用して、日本の社会福祉、ソーシャルワークの問題について論究した。そこでは、日本には実質的にソーシャルワーク実践、研究が1990年までなかったと主張している。
〇我々は、多文化理解、多様性等について、“分かっている気になっている”が、本当に分かっているのであろうか。『6ヵ国転校生・ナージャの発見』を読んで、改めて福祉教育の奥の深さ、難しさを思い知らされた。
〇この『6ヵ国転校生・ナージャの発見』は、福祉教育関係者、地域福祉関係者の必読文献と言っていい本である。

第40号/2023年2月3日

 

29 都道府県社会福祉協議会主催の「社協職員実践研究発表大会」の必要性

〇本年1月から2月に掛けて、香川県、富山県、佐賀県で社会福祉協議会職員の実践研究発表大会が開催され、コンサルテーションを行ってきた。
〇私が、佐賀県社会福祉協議会と継続的に関わり、コンサルテーション的アドバイスをするようになったのは2012年度からである。
〇佐賀県では、2015年11月に「市町社協理事・監事・評議員・職員―地域福祉推進・小地域福祉活動実践セミナー」を「社会福祉協議会は生き残れるか」をテーマで行った。また、2017年度からは市町社協職員パワーアップゼミを行ってきた。それらを踏まえて、2018年度から社協役員研修と県内社協職員のパワーアップ研修の成果を基にした社協職員実践研究発表との連動性を意識化した合同研修会を「市町社協役職員合同研修会」として社協職員実践研究発表大会を行うようになり、2022年度が第5回目の実践研究発表会であった。
〇去る2月15日に行われた社協実践研究発表大会では、発表者6名中、パワーアップゼミの修了者が3人であったが、そのいずれの人もパワーアップゼミで取り組んできた「問題解決プログラム」に基づく実践を発表され、とても高い評価を得た。
〇与えられた業務分掌に基づき、漫然と決められた事業を遂行し、その報告をするのが従来は多かったが、今回は地域生活課題をアンケート調査等で明らかにしたり、民生児童委員の協力を得て、アウトリーチ型の問題発見を行い、そこで明らかになった生活課題を解決するために、新しいサービス開発を行って提供するという、いわば自らの「問題解決プログラム」を作成し、その実践仮説をもって、意識的に取り組んだ実践報告は非常に素晴らしいものであった。しかも、その財源についてもファンドレイジングを活用して確保するという、一連のコミュニティソーシャルワーク機能が意識された素晴らしい実践であった。
〇香川県では、2014(平成26)年に香川県内社会福祉協議会連絡協議会と香川県社会福祉協議会とが、「ニーズ対応型社協活動方針」を決定し、住民と行政の信託に応える活動を展開することになった。香川県内市町社会福祉協議会は、住民の多様な相談のたらいましをしない全世代対応型の相談活動ができるように、社会福祉協議会に「地区担当制」を導入する活動が活発になっていく。と同時に、市町社協を担う中堅職員への「次世代育成研修」を展開してきた。このような背景をもって、香川県社会福祉協議会も県内社協の実践研究発表会を2014年度(2015年1月)に開催するようになった。
〇富山県でも、佐賀県や香川県の取り組みに触発されて、2017年度(2018年1月)から社会福祉協議会職員の実践発表会が開催されている。
〇これらの県に共通しているのは、当初、市町村の社会福祉協議会の活動報告の域を出なかったものが、コミュニティソーシャルワーク研修を受ける過程において、自らの問題意識、問題把握に基づいて、それらの問題の解決を図る企画を立て(仮説の設定)、それに基づき、実践をし、その成果を発表するというスタイルに変わってきていることである。
〇私は、1987年に和田敏明先生(当時全社協地域福祉部長、現ルーテル学院大学名誉教授)と語らい、岡村重夫先生、永田幹夫先生、三浦文夫先生等の賛同を得て日本地域福祉学会を設立した。その目的は、まさに上記のように、地域問題を把握し、その解決策を立案し、実践したものを日本地域福祉学会で発表することにより、全国の市町村社会福祉協議会職員の資質向上を図り、市町村社会福祉協議会が展開する地域福祉の推進を図りたいと考えての学会設立であった。
〇しかしながら、それから約35年経たが、日本地域福祉学会における社会福祉協議会職員の占める比率は下がり、かつ実践研究報告も増加していない。
〇他方、平成の合併により、全国3750程度あった市町村が今や1700程になっている。それに伴い、各都道府県社会福祉協議会が展開していた市町村社会福祉協議会職員向けの研修も減少しているのではないだろうか。我々の認識の中に、未だ“重厚長大”をよしとする発想があるせいだろうか、県内市町村社会福祉協議会の数が減ってきたことで、研修をしても参加者が集まらない、人数が少ないと元気が出ないという状況に陥っていないであろうか。私の“感覚”では、市町村社会福祉協議会の職員が一堂に会して、談論風発の討議、研修がなくなってきているように思われてならない。それは、行政の職員の研修スタイルが変わり、社会福祉協議会もその影響を受けているということなのかも知れない。
〇しかしながら、行政のように、法律、制度、予算に囚われている職種ならいざ知らず、社会福祉協議会職員の実践は、住民のニーズを発見し、その問題解決を図るという優れて自らの実践仮説に基づく実践を行うことが求められている状況では、かつての“知識供与型の承り研修”では駄目で、“住民のニーズ対応・問題解決型の研修”を繰り返し行うしかない。それは決して、研修参加人員が多い方がいいということではない。また、かつての社会福祉協議会は調査・研究を大事にし、住民のニーズを明らかにし、それをソーシャルアクションとして実現してきた歴史を有しているが、最近ではほとんどそのような実践を聞かない。
〇改めて、各都道府県社会福祉協議会は研修のあり方を見直し、コミュニティソーシャルワーク機能に関わる研修を軸に、“住民のニーズ対応・問題解決型の研修”を行い、その実践成果を社会福祉協議会職員実践研究発表会として開催する必要があるのではないか。
〇香川県丸亀市や東京都世田谷区等では、区市町村レベルで、社会福祉協議会が行ってきた実践を住民に報告する会を行うようになってきている。これからは、都道府県レベルだけでなく、市町村レベルでの社会福祉協議会職員の実践研究発表会が求められる時代になってきていると認識しなければ、社会福祉協議会は生き残ることができなくなるであろう。

第41号/2023年3月19日

 

30 地域福祉研究における「研究方法」に関する研究の必要性

〇かつて、私は東北福祉大学の学会において、赤坂憲雄が提唱している「東北学」を援用し、東北地方の地域福祉実践、地域福祉研究の独自性に関する研究の必要性を提起したことがあります。
〇また、1990年ごろの日本地域福祉学会の研究の一環として「蓮如上人の布教と地域福祉方法論」についてエッセイ風に小論を書いたことがあります。
〇「老爺心お節介情報」で、今まで何回か、地域福祉史研究の重要性を指摘してきたが、ぜひ若手の地域福祉研究者は時間をとって、この研究をしてほしい(歴史研究には時間が掛かり、かつ研究成果を出し辛い)。
〇かつて、私は日本社会福祉学会の求めで「若手研究者に期待すること」というエッセイを書きました。その中で、研究者の素養には①社会福祉に関する歴史研究、②社会福祉の哲学に関する研究、③社会福祉に関する国際比較研究が不可欠であることを述べたことがあります。
〇地域福祉研究者も、国の政策に“一喜一憂”するのではなく、かつ“政策の解説をする”のではなく、本質的な研究方法を身に着けて、地に足を付けた研究をしてほしい。自分が市町村との間で、しっかりした「関係人口」にも位置づいていないのにもかかわらず、その市町村の地域福祉実践を解説風に論評する研究“方法”は、ある意味地域福祉研究の倫理に悖ると考えなければなりません。
〇日本地域福祉学会は、地域福祉研究における研究方法について、もっと論議を深める必要性があります。
〇かくいう私自身も、東大大学院時代に、当時の助手から“お前は「道聴塗説」をしている。もっと、しっかり研究をするように”と叱られた記憶がある。
〇ぜひ、その面からも地域福祉史研究をしっかりやってほしい。

第42号/2023年4月12日

 

31 氷見市社会福祉協議会編『福来の挑戦』を上梓

〇富山県氷見市の「関係人口」の一翼を担い、氷見市社会福祉協議会の実践のアドバイザー的役割を担ってきた原田正樹先生と私の二人が監修した『福来の挑戦――氷見市地域福祉実践の40年のあゆみ』(中央法規出版)が2023年4月に刊行されました。
〇私は、かつて生物学の授業で“個体発生は系統発生を繰り返す”ということを習ったことがありますが、地域福祉を推進する社会福祉協議会の発展の要件というものが、この本には凝集されていると自負しています。
〇全国各地の社会福祉協議会関係者が自ら関わる社会福祉協議会の地域福祉実践力を高めようとしたら、氷見市社会福祉協議会の各ステージごとの要件をキチンと学び、それを遂行していくことに尽きるのではないかと思っています。
〇上記の本で、十分触れられなかった点を補足しておきますと、①1990年代当初から「保健・医療・福祉の集い」を行っていたこと、②介護保険前夜に、国光登志子先生が、社会福祉協議会職員のみならず、市内の関係者向けに、「関係人口」の一人として精力的にケアマネジメントに関する研修をおこなったこと、③「寄付の文化」を醸成することを意識してきたことがあります。
〇多くの人に上記の本を読んで、学んで欲しいという思いから、全国の社会福祉協議会関係者に献本した際の添え状、メッセージを下記に転載しておきます。

参 考
社会福祉協議会関係者の皆様/地域福祉研究者の皆様
〇皆様にはお変わりなく、地域福祉の推進・向上にご尽力されていることとお慶び申し上げます。
〇本年は、市町村社会福祉協議会が1983年に社会福祉事業法(当時)に法定化されてから40周年の節目の年です。かつ、厚生労働省が2016年以降推進している地域共生社会政策において、文字通り地域福祉が社会福祉のメインストリーム(主流)になりました。
〇しかしながら、地域福祉推進において、市町村社会福祉協議会は“中核”的役割を担えているのでしょうか。
〇地域共生社会政策において、改めて市町村社会福祉協議会はどうあるべきなのか、どう経営されるべきなのか、住民と行政に信頼される市町村社会福祉協議会の在り方が問われています。
〇富山県氷見市社会福祉協議会は1966年に社会福祉法人化されました。しかしながら、その活動は長らく氷見市福祉事務所の片隅に机二つおいて各種社会福祉関係団体のお世話を行うにとどまっていましたが、1981年に第1次社協基盤強化計画を策定することにより、実質的に地域福祉推進組織としての歩みを始めます。本書は、それからの約40年間の実践を取りまとめたものです。
〇氷見市の名物である寒ブリ(鰤)は成長魚で、成長に伴い名称を変えていき、最終的に体重約10キロになると鰤と呼ばれるようになります。本書のタイトルの「福来」(ふくらぎ)は、鰤の幼魚の名称です。
〇氷見市社会福祉協議会の活動も「福来」(ふくらぎ)だったものが、今や全国的に評価される「鰤」になりました。
〇本書は、「福来」が如何に「鰤」になったかの挑戦の記録を綴ったものです。住民の社会福祉への理解を促進させて作られた地区社会福祉協議会活動、地域福祉推進における行政との協働の歴史、住民のニーズに対応した新たな福祉サービスの開発等、今求められている重層的支援体制整備事業に関わる課題が歴史的に整理されており、社会福祉協議会関係者必読の文献になったのではないかと自負しています。
〇本書は、氷見市行政、氷見市社会福祉協議会のアドバイザー的役割を担いつつ、氷見市の地域福祉推進・向上を約40年間見守ってきた大橋謙策と原田正樹が監修させて頂きました。
〇全国の社会福祉協議会関係者並びに地域福祉研究者に本書を是非読んで頂き、本書を参考にして各々の市町村社会福祉協議会の実践力の向上と経営の安定を図り、現在求められている地域福祉推進・向上の“中核的組織”として社会的に評価される組織に飛躍されることを祈念して、本書を謹呈致します。
2023年3月/大橋謙策、原田正樹

第42号/2023年4月12日

 

32 憲法第13条と「社会福祉観」「人間観」「貧困観」「生活観」の貧困

〇5月3日は憲法記念日。私は、日本社会事業大学の講義で、よく「社会福祉観の貧困」「人間観の貧困」「貧困観の貧困」「生活観の貧困」という用語を使用して講義をしてきた。
〇それは、社会福祉を志している学生が陥り易い社会福祉観を問い直す作業過程として、その用語を使ってきた。
〇私は、社会福祉を憲法第25条からだけ説き起こすのではなく、それとともに憲法第13条からも説き起こすべきだと1960年代末から言ってきたし、論文にも書いてきた。
〇憲法第25条の社会権的生存権の規定は、人類が歴史的に獲得してきた権利であり、国民のセーフティネット機能として重要であることは重々分かったうえで、それだけだと提供される社会福祉サービスがちまちました“最低限度の生活保障”の域を出ないことになるし、その反動として、社会福祉サービスを提供する側のパターナリズムが避けられないと考えてきたからである。
〇それらのことを実感する機会は、1970年に女子栄養大学に助手として採用され、勤務し始めて改めて痛感したし、同じく1970年から始めた聖心女子大学の非常勤講師の勤務からも痛感させられた。
〇女子栄養大学では、昼食を大学の食堂で摂るのだけれど、その食堂はキャフェテリア方式で、自分の好み、自分の懐具合、自分が食べたい分量を自分で考えるという“主体性”が常に求められる。
〇当時の社会福祉施設の食事は盛っ切りで、自分(福祉サービス利用者)の主体的選択の余地はなく、かつ食器も割れない食器で供されていた。日常生活における食事の持つ意味、食事に伴う生活文化などを女子栄養大学でいろいろ教わった。
〇当時、島根県出雲市の長浜和光園がバイキング方式の食事を提供し始めていて、社会福祉施設における食事に関わる問題の重要性を随分と学ばせてもらった。食事を通して学ぶ食文化、食事の場における会話、食事を作る生活技術など日常生活における食事の持つ意味は大きい。女子栄養大学では、当時核家族化が進む中での“子どもの孤食”の問題が大きく取り上げられていた。
〇私は、当時の女子栄養大学の社会福祉の科目を受講している学生に、夏休みの宿題として、社会福祉施設を訪問し、その施設の食事の実態を分析するレポート課題を出した。そのレポートに書かれた当時の分析と今日とを比較出来たらとても良かったと思うのだけれど、そのレポートは女子栄養大学を退職した際に、廃棄処分してしまったことが残念である。
〇他方、聖心女子大学でも社会福祉の科目を教えていたのであるが、同じように夏休みの宿題として、社会福祉施設を訪問してボランティア活動を行い、学生なりの社会福祉施設の評価を求めるレポートを課した。その際、学生から質問があった。訪ねる社会福祉施設は日本の社会福祉施設でなければ駄目かという質問である。その学生は、夏休みに入ると同時に、父母がいる海外へ行くという。その海外の社会福祉施設の訪問記でもいいのかという質問であった。そのような境遇の学生が数人いた。日本と海外の社会福祉施設との比較が図らずも行うことができた。社会福祉施設を取り巻く福祉文化の違いを期せずして学生同士で論議できたことはおもしろかった。
〇1992年、私は日本社会事業大学の長期在外研究が認められ、イギリスに半年間滞在した。それも、私はロンドン大学などへの派遣ではなく、自由にさせて頂いた。
〇私は、ロンドンのケンジントン&チェルシー区に滞在し、区内にあるホスピスやボランティアセンターなどに出入りさせてもらった。ホスピスでは、余命いくばくもない人々が、私が訪問する度に、私に向かって“エンジョイしているか”と尋ねられる日々であった。そのホスピスでは、余命いくばくもないのに、ドリンキングパーティもあり、かつ犬のボランティアも登録されていて連れてこられたり、浴室にはカラフルな壁画が描かれていたりという福祉文化の違いを様々な形で私に問いかけてきた。
〇私は、憲法第13条に基づく社会福祉観を考える場合、生活上の様々な事象に対し「快・不快」を基底として、生活を楽しむ、生活を再創造するというリクリエーションが大切ではないかと考え、1980年代後半に、日本社会事業大学の故垣内芳子先生や日本レクリエーション協会の園田碩哉さん、千葉和夫さん(のちに日本社会事業大学の教員)、淑徳短期大学の木谷宜弘先生(元全社協ボランティア活動振興センター所長)等と“社会福祉における文化の問題、レクリエーションの位置”について研究を行った。社会福祉施設の食事、社会福祉施設のインテリア、社会福祉施設職員のユニフォーム、行動規範などについて調査研究をした。その結果は、1989年4月に『福祉レクリエーションの実践』(ぎょうせい)として上梓された。その『福祉レクリエーションの実践』には、私が日本社会事業大学研究紀要第34集に寄稿した「社会福祉思想・法理念にみるレクリエーションの位置」と題する論文が収録されている。
〇その論文では、(1)社会福祉とレクリエーション、(2)レクリエーションの捉え方の視角、(3)西洋の社会福祉思想とレクリエーション及び娯楽、(4)日本における社会福祉思想にみるレクリエーション及び娯楽、(5)社会福祉六法の目的と生活観、(6)施設最低基準にみる生活観、(7)在宅生活自立援助ネットワークの構成要件、(8)在宅福祉サービスの供給方法と施設整備の在り方について論述している。権田保之助の社会事業や娯楽の捉え方や如何に社会福祉法の目的が狭隘であるかを論述すると同時に、入所型社会福祉施設のサービスを分解して、地域で住民の必要と求めに応じてサービスパッケージをすれば、社会福祉施設の位置と役割が変わることを指摘している(当時はケアマネジメントという用語は使われてなく、私は必要なサービスをパッケージして提供するという意味でサービスパッケージという用語を使用していた)。
〇1996年に総理府の社会保障審議会が社会保障の捉え方を見直し、事実上福祉サービスを必要としている人のその人らしさを支えるサービスに転換させる勧告を出す。憲法第25条に基づく“最低限度の生活保障”への偏りを反省し、事実上憲法第13条を法源とする社会保障、社会福祉への転換が求められた。
〇しかしながら、相も変わらず社会福祉分野では、“上から目線のサービスを提供してあげる”という考え方や姿勢が蔓延っているし、生活を楽しく、明るく、楽しむ自立生活支援にはなっていない。
〇社会福祉分野では、故一番ケ瀬康子先生等が「福祉文化学会」を設立し、社会福祉サービスの考え方や社会福祉における文化性について研究を推進してきたが、その研究枠組みは必ずしも私の先の論文の枠組みとは同じではない。
〇他方、1970年代から播磨靖男さんたちのわたぼうしコンサートを始めとして、社会福祉の枠にとらわれない障害者文化の向上に貢献する実践があるが、それらがどれだけ社会福祉分野に影響を与えて、社会福祉の質を変えたかは定かでない。
〇憲法記念日の今日、改めて社会福祉の在り方、考え方と憲法第13条との関り、社会福祉従事者の“内なる社会福祉観、人間観、生活観、貧困観”を見直す契機になればと、この小稿を書いた。

第43号/2023年5月5日

 

33 「バッテリー型研究」と「関係人口」――関係性を豊かに持った自治体

1)はじめに
〇私の「老爺心お節介情報」の誤字脱字を修正したうえで、多くの方に読んでもらえるよう、阪野貢先生が自ら主宰している「市民福祉教育研究所」のブログにおいて、「大橋謙策の福祉教育論」というコーナーを設置してくれ、その中に「アーカイブ(3)老爺心お節介情報」が第1号から収録されている。
〇その阪野貢先生からの要望で、私の地域福祉実践、地域福祉研究に於いて、「関係人口」をどう考え、位置付けているのかを書いて欲しいという要望があった。

阪野貢先生のメール
“先生がこれまで、全国で「関係人口」として主導されてこられた数多くの地域づくりに関し「関係人口」のあり様等についての玉稿を(福祉教育の視点から)お願いしたいと念じております。いかがでしょうか。恐縮至極ですが、「老爺心お節介情報」の一読者からの願い(リクエスト)です。”

〇その要望に応えるべく、本稿を書いているが、本稿はもとより「関係人口」に関わる学術論文ではないし、阪野先生なり、阪野先生のブログの読者が何を聞きたいのかを精査しているわけではないので、ある意味、私なりにこの50年間の地域福祉実践、地域福祉研究において、どのような関係性をもって行ってきたのかを書くことで責をはたしたいと思う。
〇ただし、阪野先生のメールの括弧書きしてある“福祉教育からの視点”は今回は触れずに書かせて頂いた。

2)「バッテリー型研究」と「関係人口」――その関係性
〇「関係人口」という定義は、緩やかにその地域とその地域づくりに関わる外部の人間として定義しても、その関係性をどういう尺度で図るのか定かでない。関りを持つ地域への訪問の頻度、回数の問題なのか、地域に関わりを持とうとしている外部人間をその地域関係者がアドバイザーや各種計画策定委員として任命しているのか、それとも関りを持とうとしている人間が自称「関係人口」と標ぼうしているのか、さらにはその地域との関りが一過性でなく、継続的に、長期的に関わる期間、スパンのことを問うているのか、必ずしも定かでない。
〇私が「バッテリー型研究」というのは、これら「関係人口」の考え方も含めていると同時に、その地域における地域福祉実践に関わる研究方法をも考えている。
〇社会福祉学会における研究方法、研究倫理は、リサーチ系研究における研究方法、研究倫理、あるいは個別支援に関わるソーシャルワーク実践における質的研究、研究倫理はそれなりに確立し、研究者も順守する環境が整備されつつある。
〇しかしながら、地域福祉実践、地域福祉研究における研究方法、研究倫理は必ずしも論議が進んでいないし、確立もしていない。
〇私は、講演や研修で招聘だけの地域の関りなのか、それともその地域の地域福祉実践に関わるコンサルテーションまでも依頼されるのか、その地域との関りを持つ際に常にそれらのことを意識してきた。
〇そして、単なる講演や研修のための招聘に留まらず、その地域の地域福祉実践の向上に自分がどう関われるのか、時には差し出がましい提案を敢えてするようにしてきた。コンサルテーションを行うにしても、“差し出がましい提案”をするにしても、その地域の住民の地域社会生活課題はなんであり、それをどう改善する地域福祉実践を展開するのかを常に考え、把握しようと意識してきた。
〇それと同時に、その地域を訪問する際には、事前に各種統計資料や既存の策定された計画を送って頂き、分析していくとか、現地に入り、地域を短時間でも案内して頂くとか、行政や社会福祉協議会の職員に何が生活課題なのかを聞く等して把握するように努めてきた。
〇コンサルテーションや“差し出がましい提案”をする場合には、自分なりに、その地域の地域福祉実践を向上させるための“実践仮説”を提示することに努めてきた。その地域の実践の“評論”ではなく、今後の発展を考えての“実践仮説”の提示である。“評論”と“実践仮説”との違いは、その地域で頑張っている人々を励まし、やる気にさせ、改革してみようと思わせるかどうかが重要な違いのポイントだと考えてきたし、“実践仮説”を提示するということはその内容、発言に責任をもつということでもある。
〇また、そのことは、どのような「関係人口」に位置づくかは知れないけれど、担当の職員が継続的関りを持ちたい(年賀状のやり取り、手紙やメールでの相談等職員が尋ねてくれば対応するという“来るものは拒まず、去る者は追わず”の精神)と思うならば、それなりに支援することを考えてきた。
〇というのも、地域の力学は複雑であり、担当の職員がいくらがんばろうとしても、“地域は動かない”場合があり、地域を対象に考える場合、“天の時、地の利、人の和”という諺通り、時期が来ないと地域を変える改革のエネルギーが充満しない場合がある。これらの時期を見誤ると、“実践仮説”ももって頑張ろうとしている職員の努力が徒労に終わるか、あるいは“組織から、地域から排除の対象”になりかねない。このことで苦労された職員を数多く見てきている。地域福祉研究者はそれらのことにも目配り、気配りができなければならず、“実践仮説”という名のもとに、担当職員を“煽り、扇動し”、結果的に職員のみならず、研究者自身がその地域への“出入り禁止”を事実上申し渡される事案は数多くある。
〇私が関わった地方自治体において、行政との関わりは主に地域福祉計画等の行政計画のお手伝いを通し、その計画策定後、その計画の進行管理、アフターフォローを兼ねて、地域保健福祉審議会等を条例設置し、その委員長として以後関りを継続する場合が多い。
〇他方、市町村社会福祉協議会を通じての関りは、担当の職員は全社協主催の「地域福祉活動指導員養成課程」の研修やコミュニティソーシャルワーク研修の際に出会い、意気投合して、その職員の社会福祉協議会を軸にした市町村の地域福祉実践の向上を目指して関りを持ってきたことも多い。
〇前者の場合では、岩手県遠野市、東京都目黒区、豊島区、長野県茅野市等であり、後者の場合では、東京都狛江市、富山県氷見市などがある。この両者は関りの入り口、契機は別々であるが、私は常に市町村行政とそこの社会福祉協議会とが共働するように仕向け、新たなシステム、サービス開発を行ってきた。それは、地域福祉は市町村という政治行政機構の最も基礎となる自治体が基盤だということを常に意識していたからである。

3)関係性も持った自治体、社会福祉協議会の計画、実践の記録化
〇私が「バッテリー型実践、研究」として関係性を持った自治体は、山口県宇部市や富山県氷見市のように30年を超えるところもあるし、担当職員の熱意に絆され関係を持ち始めたが、その担当職員の人事異動や組織の上司が変わり理解を得られなくなるなどの理由から3~4年で関係性がなくなる場合もある。さらには、いったん関係が閉ざされたように思えたものが数年後に再開される場合などもあり一様ではない。
〇私が関わりを持ち続けたいと思い、かつ地域の関係者も持ち続けてほしいという場合でも、私の時間には限りがあるし、私が関係性も持ち、その地域の地域福祉実践を向上させるために継続的に関わっていくためには、私個人ではどうみても対応できない。
〇そこで、1994年12月に日本地域福祉研究所を設立し、日本社会事業大学大学院で教えた教え子たちを私のいわば“分身”として関係性のある自治体に派遣し、組織的に関係性を継続できるようにしようと考えた。それは、大学院で“頭でっかちな地域福祉論を学ぶ”ことよりも、身につく体験学習の場ではないかとも考えて、教え子たちに私が関係性を持っていた自治体を任せ、継続的にコンサルテーションができればと考えたからである。
〇しかしながら、私の思惑を理解し、思惑通りに成長してくれた人もいれば、期待にそぐわず、関係性を壊してしまったり、期待する実践家、研究者にならなかった人もいる。
〇と同時に、私は、その地域との関係性を“俗人的なもの”にせず、社会的に汎用性あるものとするために、関係性により作り上げられた、その自治体の地域福祉実践や地域福祉計画を記録化し、世に問うために出版するということを心掛けてきた。
〇その場合、計画レベルのものを本にしても実践的裏付け、検証がなく、単なるきれいごとの“絵にかいた餅”になりかねないので、一定の実践を踏まえた後に、計画の理念と実際という形でその自治体の実践を本として刊行するということを心掛けてきた。
〇それら実践の記録化したものを、手元にある資料だけで紹介すると以下の通りである。

①『地域福祉計画策定の視点と実践――狛江市・あいとぴあへの挑戦』第一法規、1996年
②『社会福祉基礎構造改革と地域福祉の実践』(山形県鶴岡市の地域福祉の計画化と実践)東洋堂企画出版、1998年
③『いきがい発見のまち――宇部市生涯学習推進構想』東洋堂企画出版、1999年
④『福祉の鐘を鳴らすまち――うんだなーヘルパー奮戦記』東洋堂企画出版、1999年
⑤『安らぎの田舎への道標――島根県瑞穂町 未来家族ネットワークの創造』万葉舎、2000年
⑥『21世紀型トータルケアシステムの創造――遠野ハートフルプランの展開』万葉舎、2002年
⑦『福祉21ビーナスプランの挑戦――パートナーシップのまちづくりと茅野市地域福祉計画』中央法規、2003年
⑧『福来(ふくらぎ)の挑戦――氷見市地域福祉実践40年のあゆみ』中央法規、2023年

〇以上のような本としての記録は残っていないが、私が私なりに関係性をもって取り組んできた自治体として思い起すことができる自治体を列挙すれば以下の通りである。
北海道鷹栖町、遠別町、美深町、岩手県沢内村、秋田県藤里町、宮城県石巻市、千葉県鴨川市、富里市、東京都稲城市、東京都目黒区、東京都豊島区、香川県琴平町、愛媛県今治市、四国中央市、徳島県美馬市、島根県松江市、沖縄県浦添市、等である。
〇上記以外に、“関係性”の中味の捉え方に関わってくるが、日本地域福祉研究所が開催してきた27回の地域福祉実践研究セミナーの開催自治体、あるいは25回の四国地域福祉実践研究セミナーの開催地、さらには18回を数える房総地域福祉実践研究セミナーなども関係性を大切して、その地域の地域福祉実践を向上させようと取り組んできた自治体ということができる。

第44号/2023年5月9日

 

34 地域福祉研究者の「研究者文化」と日本地域福祉研究所の設立目的

〇日本地域福祉研究所は1994年12月23日に設立されました。日本社会事業大学大学院修士課程を修了した人を中心に設立しました。元東京都社会福祉協議会職員で、静岡英和大学、静岡福祉大学で教員をされた青山登志夫さん等が尽力してくれて、日本地域福祉研究所の設立ができました。
〇日本地域福祉研究所設立に際し、私は4つの設立目的を考えました。
〇第1は、新しい社会福祉の考え方である「地域福祉」の哲学、理念、実践の在り方などに関する「地域福祉」の普及・啓発でした。
〇私は、地域福祉実践・研究を市町村社会福祉協議会を基盤に確立しようと考えて、取り組んで来ましたが、日本の社会福祉学界では、“私のような研究領域、研究方法は社会福祉プロパーでない”と厳しい批判を受けてきました。それらの意見との戦いも含めて、「地域福祉」の考え方の普及と啓発が必要だと考えました。そのことが、従来のコミュニティオーガニゼーション、コミュニティワークに代えてコミュニティソーシャルワークという提唱になります。また、同じように福祉教育を軸とした地域福祉の主体形成理論の提唱も行ってきました。
〇第2には、地域福祉実践の向上に向けた各種研修と実践者の組織化です。
〇私は、全社協主催の「地域福祉活動指導員養成課程」の講師を長らく務め、社会福祉協議会職員の研修の重要性を痛感していました。
〇その全社協主催の「地域福祉活動指導員養成課程」が修了したこともあり、その代替機能を担えればと思いました。一時は、通信制の研修システムの構築も考えました(当時は、今ほどICTの発展・普及がない中での紙媒体による通信制を考えていました。いまなら、ICTを使ってできるかもしれません)。
〇その代わりというわけではありませんが、年1回「地域福祉実践研究セミナー」を日本地域福祉研究所が「関係人口」として深く関わり、その地域の実践にある意味影響力を持っている地域で、その地域の実践をフィールドに学習するセミナーを開催しようと考えました。名称も、“地域福祉実践セミナー”でもないし、”地域福祉研究セミナー“でもなく、「地域福祉実践研究セミナー」としたのも、実践と研究の循環を考えたからです。
〇1995年5月に島根県邑南郡瑞穂町で行われた「山野草を食べる会」に呼ばれた際に、当時の瑞穂町社会福祉協議会の日高政恵事務局長にお願いし、1995年8月に第1回を開催したのが始まりです。
〇私自身の瑞穂町との関りは、1981年に当時の島根県社会福祉協議会の山本直治常務理事、松徳女学院高校の山本寿子教諭の紹介で訪問したのが最初で、その後瑞穂町の福祉教育、地域づくりの支援に関わってきました(『安らぎの田舎の道標』大橋謙策監修、澤田隆之・日高政恵共著、万葉舎、2000年参照)。
〇第3は、地域福祉実践の記録化と出版化です。
〇私は、日本社会事業大学大学院で博士課程を修了し、博士の学位を取得した人にはその博士論文を単著として、刊行し、世の評価を受けるべきだと考えてきました。
〇当時、中央法規出版にお願いしました。できれば中央法規出版が全国の大学の社会福祉系の博士論文を刊行するシリーズを作ってくれればありがたいという思いも含めてお願いしました。日本社会事業大学で博士の学位を授与された野川とも江さん、田中英樹さん、宮城孝さんの博士論文は刊行されました。その後は、出版事情の悪化などもあり頓挫してしまいました。
〇これは、当時の日本社会事業大学の伝統に倣ったものです。当時の日本社会事業大学では、40歳で単著を刊行するのが、教授に昇格する基準でした。私も必死だったことが思いだされます。
〇また、当時は、出版される本の背表紙に著者であれ、監修であれ、名前が明記されるのは、ある意味研究者のステイタスシンボルでもありました。私の恩師は、そのような機会を若手に作り、論文をかくことを奨励してくれました。
〇そのような“伝統”を引き継ぎたいと考えて、博士論文の出版化を推奨してきました。
〇と同時に、日本地域福祉研究所が関わることで、全国各地の実践が向上するならば、その実践を記録化し、できれば刊行したいと考えました。研究所の設立に何かとご支援、ご協力してくれた東洋堂企画出版社(のちに、万葉舎と改名)の尾関とよ子社長(尾関社長との間を取り持ってくれたのは、1970年からのお付き合いがある手嶋喜美子元板橋区区議会議長さんである)が、この考え方に賛同してくれて、出版事情が悪くなってきている中でも、日本地域福祉研究所が関わった実践を出版化してくれました(この件は、「老爺心お節介情報」の第44号の「関係人口」の中で紹介しているので参照してください)。
〇第4は、地域福祉実践・研究者の育成の機会の提供です。
〇私は、地域福祉研究者は、自分のフィールドを持ち、その地域と深く関わりながら、その実践を体系化、理論化することが肝要で、“空理空論”を振りましても地域福祉実践・研究にならないと考えてきました。だからこそ、市町村自治体の地域福祉計画を作る場合でも、タスクゴールだけ華やかに、かっこよく作っても、それが具現化されなければ駄目だと考え、住民の意識変容と参加を促すプロセスゴールと地域関係者の社会福祉に関わる力学を変えるリレーションシップゴールの重要性と必要性を考え、実践してきました。
〇そのようなフィールドを持てる研究者に育てるためには、私自身が関わるフィールドに同道して学んでもらうとか、フィールドを提供して実習なり、その地域へのコンサルテーションを行う能力を身に着けてもらうことが必要だと考えてきました。
〇私自身、恩師の“カバン持ち”で、随分と全国の実践現場に連れて行ってもらいましたし、恩師の名刺に“大橋を頼む”という一筆を書いてもらって、恩師が紹介するフィールドに出かけたものです。
〇そんなこともあり、大学院生や若手の研究者にフィールドをもってもらいたくて、いろいろチャンスを提供してきました。成功した場合の方が多いのですが、失敗したことも多々あります。若い頃は、ついつい“自分ひとりで偉くなったつもり、自分は豊かな能力があると過信しがち”で、私の教えが頭に入らず、生意気な言動をとって、実質的に“退室”せざるを得ない人もありました。
〇第5は、日本地域福祉研究所で長らく地域福祉実践に貢献された方々の“たまり場”、拠り所としての「福祉サロン」の機能を持つことでした。
〇全社協の事務局長をされた永田幹夫先生や三浦文夫先生をはじめとして、社会福祉協議会の第一線で頑張ってこられた方々や地域福祉研究者の「福祉サロン」ができれば、ノンフォーマルな学習の場が機能できると考えました。日本地域福祉研究所の事務室とは別の階のフロアーを借り、冷蔵庫等を整備して、「土曜福祉サロン」などの開催も試みました。現役の方は忙しいけれど、たまには集い、定年退職された方はサロンに来るのを楽しみ、若手に自分の実践を話してくれれば、それが地域福祉実践研究の向上につながると“夢”見ました。
〇このような目的を考えて設立した日本地域福祉研究所ですが、どれだけその目的が達成されたかは、関係者の皆様の評価に委ねることにします。
〇ところで、このような日本地域福祉研究所設立の目的を考えたのは、私を育んでくれた「研究者文化」があったからです。
〇日本の大学の教育研究システムは、大きく分けて講座制と学科目制があります。講座制は主任教授、助教授、講師、助教等複数の教育研究スタッフがいて、いわばチームで教育研究を行うシステムです。それに比し、学科目制は、開講されている授業科目を担当する教員が個別学科目毎に配属されているシステムで、研究というより、授業を行う教育に比重があるシステムです。
〇現在の社会福祉系大学は学科目制で教育研究が行われています。したがって、教員がチームで仕事をするとか、大学ごと、講座制の教室毎の「研究者文化」というものを構築することが難しいシステムで、教員個々人が独立した状況で教育研究を行います。大学院を出て、助教、講師という若手も一人前の教員、研究者であり、長年教育・研究に携わってきたベテランの教員とも対等であり、結果として若手の時から“自立している”とみなされるので、ベテランの先生方から「研究者文化」を伝授されるという機会がほとんどない状況です。
〇私の場合には、幸か不幸か、旧制大学で学んだ先生方から教えをうけたので、この「研究者文化」というものを色濃く受けています。妻に言わせれば、それほどまでにしなくてもいいのではないかと揶揄されるほど、“先生の言動、論理展開、先生の社会活動”に“憧れ”、学び、時には“盗み”、身に着けてきました。日本地域福祉研究所の設立の目的は、そのような経緯の中で育てられた私が“行うべき責務、任務”だと学び、受け継ぎ、実践してきたものです。
〇日本地域福祉研究所を維持することは、所員になってくれた方々の会費だけでは賄いきれません。日本地域福祉研究所の理事になってくれた方々には寄付をお願いしました。また、日本地域福祉研究所自身、全国の自治体、社会福祉協議会の研修や計画策定業務の委託を受けて経営努力もしてきました。しかしながら、それでもとても経営は厳しく、私自身も毎年100万円以上の寄付を続けてきました。したがって、私の寄付金の累計は30年間で3000万円を超しています。そのような行動をとれたのは、恩師が“講演や研修で頂いた謝金は自分の懐に入れるな、自分の生活費に使うな”と強調していたからです。それらのお金は、実践で働いている方々や社会に還元しろと口を酸っぱくするほど言い募っていました。そんな「研究者文化」を長年叩き込まれてきましたのでできたことです。
〇このような「研究者文化」がいいかどうかは分かりません。しかしながら、現在の社会福祉系大学の教員、地域福祉研究者の言動をみていると、このような「研究者文化」ともいえる文化を身に着け、行動している人がほとんど見られないことはなんとも淋しい限りです。このような状況の下では、実践と研究のよき循環が衰退し、実践力もぜい弱化し、研究者の質も下がるという“悪循環”に陥らないか危惧しています。

第45号/2023年5月21日

 

35 地域づくりと信濃毎日新聞社編集局編『民が立つ』

信濃毎日新聞社編集局編『民が立つ――地域の未来をひらくために』信濃毎日新聞社、2007年。

〇本書は、日本地域福祉学会終了後訪問し、その後その地域の地域福祉の在り方を考えることが必要だとして“結成”された中条プロジェクト(旧中条村の地域福祉の在り方を考える会)のメンバーである旧中条村社会福祉協議会職員の黒岩秀美さんから寄贈されたものです。
〇本書を知った経緯は、私が1965年に実習させて頂いた長野県下伊那郡阿智村の岡庭一雄元村長が新聞の使命などに関わるあり方を信濃毎日新聞に最近寄稿された記事を小池正志さん(元長野県社会福祉協議会事務局長、中条プロジェクトのメンバー)が送ってくれたので、読みたいとメールを送ったところ、黒岩秀美さんが寄贈してくれました。
〇本書は、長野県内の自治体で起きている事案を取り上げ、その事案の解決に向けて住民の合意がどのように形成されるのかを中心命題にして、住民同士の論戦、住民と行政との関係、住民と市町村議会議員との関係などについて取材したものをまとめたものです。
〇主に、田中康夫県知事時代の状況をめぐっての論題ですが、住民自治、地方自治、住民の意識と学習等“地域づくり”に関わる根幹を問いかけています。
〇また、長野県は小さい村が沢山あり、村自体の存立が可能なのか、財政難であえぐ村の“自立”の問題、それを“ある意味、国が強権的に合併させようとした平成の合併”問題で揺れる村の状況を丁寧に記事にしたものです。
〇取り上げられた事案は、市町村合併、高校再編、保育所の廃止・民営化問題、ダムの建設の是非、スキー場の経営と委託化、山村留学、公民館の在り方と地域づくり協議会(地域自治協議会)等の問題が取り上げられ、地域づくりに住民がどう関わるのか、民主主義とは何かを問いかける力作です。長野県茅野市の「CHUKOUらんどチノチノ」の実践も紹介されていました。
〇他方、住民同士の横のつながりの希薄化、人任せ、行政任せの依存体質、地域自治会の役員のなり手がない状況に輪をかけて、地域の高齢化、人口減少などの“地域存続の危機”についても論究しており、地域づくりに関心のある人には是非読んでほしいものです。
〇私は、1980年に「自立と連帯の社会・地域づくりに向けたボランティア活動の構造」を示し、かつ4つの「地域福祉の主体形成」(地域福祉実践の主体形成、地域福祉サービス利用の主体形成、地域福祉計画策定の主体形成、社会保険契約の主体形成)を提唱してきました。そこには、榛村純一(元静岡県掛川市市長)が提唱した「選択的土着民」と相通ずる考え方があります。住民一人一人が地域を愛し、人任せでなく、行政任せでなく、自らが主体的に地域を豊かにすることに関わる活動、文化が醸成されない限り、地域は良くならないという哲学が底流にあります。
〇そのような考え方は、私が東京大学大学院で社会教育を専攻し、長野県各地で実習をさせて頂いてきたからつくられたものであろうし、私が日本社会事業大学へ進学しようとする契機になった島木健作著『生活の探求』と相通ずるものです。
〇しかしながら、本書を読むと住民の合意形成の難しさ、民主主義的議論・手続きの進め方の難しさ、資料の作り方の難しさがよくわかります。
〇私も、大学3年生の実習で、長野県下伊那郡喬木村で実習させて頂いた折、「喬木村公民館報」に、当時、小渋川開発に関わる土地収用法の解説を書けと言われて、住民向けに、どのような資料を提供したらいいのか悩んだ記憶があります。それは、たぶん、「喬木村公民館報」に掲載されていると思います。
〇本書を読んで、改めて1960年代に志した自分の“思い”を見直すことになりました。地域福祉研究者、実践者は、どれだけ“地域づくりの難しさ”を実感して、取り組んでいるのでしょうか。
〇本書には、島根県邑南町口羽村の実践(『過疎を逆手に取る』)も紹介されていましたが、改めて1978年に書いた社会福祉施設の地域化と社会化の論文(「施設の社会化と福祉実践」『社会福祉学』第19号、1978年)を思い出し、社会福祉施設を経営している社会福祉法人の“地域貢献”ではなく、地域住民の拠り所、共同利用施設としての社会福祉法人という視点からの社会福祉法人の”地域貢献“を考える必要があるし、社会福祉法人が”限界集落“、”消滅市町村“の危機にある地域において、どのように地域づくりに貢献できるのか、その位置と役割は大きいと思いました。
〇「持続可能な地域づくり」と「地域福祉」と「社会福祉協議会」と「施設社会福祉法人」との関係を考える上で、是非、指田志恵子著『里山人間主義の出番です――福祉施設がポンプ役のまちづくり』(あけび書房、2015年)と雄谷良成監修、竹本鉄雄編著『ソーシャルイノベーション――社会福祉法人佛子園が「ごちゃまぜ」で挑む地方創生』(ダイヤモンド社、2018年)を読んでほしいと思いました。
〇これからの地域福祉は、持続可能なまちづくり、地との関係を抜きにしては考えられません。その際の社会福祉施設の役割は、高知県の「ふれあいあったかセンター」の実践ではありませんが、社会福祉施設の役割は大きいと思います。

第47号/2023年8月12日

 

36 連載①: 戦後第3の節目としての地域共生社会政策とその求められる背景

〇介護支援専門員や介護保険サービス事業者が主な購読者であり、3万5千部ほどの発行部数である「シルバー産業新聞」に2021年の1月号から1年間連載を依頼されました。その原稿(「地域共生社会に向けた実践――自立生活支援とケアマネジメントの考え方」)です。

厚生労働省は、戦後「第3の節目」とも位置付ける「地域共生社会政策」を現在推進している。周知のように、2020年6月5日に成立した法律名には「地域共生社会の実現のための社会福祉法等の一部を改正する法律」というタイトルが付けられている。
この「地域共生社会政策」は、1961年の国民皆年金皆保険制度、、2000年の介護保険度に続く戦後「第3の節目」と位置づけられるほど、厚生労働省の政策において重視され、その“思い”が一括上程された法律名に表れている。
法律改正の趣旨は“地域共生社会の実現を図るため、地域住民の複雑化、複合化した支援ニーズに対応する包括的な福祉サービス提供体制を整備する視点から、市町村の包括的な支援体制の構築の支援、地域の特性に応じた認知症施策や介護サービス提供体制の整備等の推進、医療・介護のデータ基盤の整備の推進、介護人材確保及び業務効率化の取組の強化、社会福祉連携推進法人制度の創設等の所要の措置を講ずる”ことであるとされている。
この政策がなぜ「第3の節目」と言われるのかは、ⅰ)戦後の社会福祉行政が”社会福祉六法体制”と言われてきたように、属性分野ごとの縦割り行政であったことにより、ややもすると相談が行政窓口間で”たらい回し”にされがちであったこと、ⅱ)サービスの提供方法が、属性分野ごとの単身者に対応する入所型施設福祉サービス中心から、在宅福祉サービスの整備とともに地域での自立生活を支援する考え方に変ってくると、地域生活をしている住民は単身者ばかりではなく、複合的・複雑な多問題を抱える家族もおり、世帯全体への対応が求められるようになってきたこと、ⅲ)地域での自立生活支援を進めていくためには、行政の力だけでは対応ができないので、地域住民の福祉サービスを必要としている人への差別、蔑視を取り除き、かつそれらの人々を支えるインフォーマルケアを充実させていく必要があり、行政と住民の協働が求められるようになってきたこと、ⅳ)生活保護制度に代表されるように、住民が福祉サービスを利用するにあたって、それを行政に権利として申請できるという「申請主義」が戦後確立したために、住民が生活のしづらさを抱えているのなら申請してくるはずであるから、積極的に行政の側から生活支援のニーズを発見することなく”待っていればいい”という姿勢になりがちであったこと、ⅴ)戦後の社会保障・社会福祉は”救貧的な最低限度の生活保障”的になりがちであったが、1995年の社会保障制度審議会の勧告「社会保障の再構築」で示されたように、住民の幸福追求、自己実現を図っていくサービスの在り方に変えることが求められてきたこと、ⅵ)今日の生活のしづらさや生活困窮問題は、単なる”経済的貧困”だけでなく、生活技術能力や家政管理能力、社会関係能力等の脆弱化に伴う複合化した問題であるだけに、社会福祉士や精神保健福祉士等のソーシャルワーカーや介護福祉士等ケアワーカーの継続的”伴走的支援”が必要になってきていること等がこの政策が求められる背景の要因として挙げられ、戦後の社会福祉行政全般の再編成を伴う困難な改革であると位置づけられたからであろう。
これらの問題は、歴史的には1970年前後、1990年頃、2000年頃にも関係者間で指摘され、その解決が取り組まれてきた問題であった。直近では、2008年の厚生労働省社会・援護局の報告書である「地域における『新たな支えあい』を求めてーー住民と行政の協働による新しい福祉―」があり、その延長上に2015年に公表された厚生労働省の「誰もが支え合う地域の構築に向けた福祉サービスの実現―新たな時代に対応した福祉の提供ビジョンー」がある。この2015年の報告書が、現在推進されている「地域共生社会政策」の起点である。
今回の社会福祉法の改正は、これらのことを踏まえ、、①属性や世代を問わない相談の受け止め、多職種連携による対応ができるコーディネート、行政等の窓口で来談者を待つのではなく、積極的にアウトリーチして潜在的なニーズに接近し、対応するという包括的、かつ重層的な支援体制を整備すること、②社会的に排除され、孤立しがちな人や複合的かつ複雑なニーズであるが故に、既存の制度だけでは対応できない制度の狭間のニーズに対応して、福祉サービスを必要としている人の社会参加の機会の提供やその人らしさを発揮できる機会の提供等の活動の強化、③世代や属性を超えて住民同士が交流できる場や居場所の確保を行い、共に生きる地域づくりを一体的に行い、福祉サービスを必要としている人を地域から排除することなく、継続的な“伴奏的支援”を行える包括的・包摂的支援の構築を目指している。

第20号/2021年1月2日

 

37 連載②:救貧的福祉サービスからその人らしさの生活を支えるサービスへ

「戦後第3の節目」といわれる「地域共生社会政策」を具現化させていくためには、戦後培われてきた社会福祉の考え方や囚われてきた社会福祉観を改革しなければならない。それは3点ある。
第1は、1950年に制定された社会権的生存権を保障したといわれる現行生活保護法にみられる国民の「申請権」の“負の側面”の改善である。
国民の生活の困窮を救済するための法制は、戦前、国の公的扶助義務は認めるものの、国民が政府に対し救済を申し立てる権利という申請権は認めてこなかった。漸く、1950年に制定された現行生活保護法において、生活困窮者が国に対し生活保護を申請できるという国民の権利としての申請権を認め、ここに社会的生存権が認められたといわれている。昨年来の新型コロナウイルスの件で、厚生労働省は生活保護を申請するのは国民の権利であるから、生活困窮に陥った際には申請してほしいと異例の呼びかけまでしている。
ところが、この申請権の“負の側面”ともいえるもので、社会福祉行政に“待ちの姿勢”を創りあげてしまった。国民が有している権利なのだから、“申請してこないということは、必要性がないからなのだ”という考え方に基づき、積極的に生活のしづらさや困窮を抱えている人々に社会福祉行政がアプローチして、潜在化しているニーズを掘り起こすという姿勢に欠ける面があった。連載の第1回目で取り上げた「地域共生社会政策」に関わる文書において、厚生労働省は“行政は「待ちの姿勢」ではなく、対象者を早期に、積極的に、「アウトリーチ」という考え方に立って問題の把握に努める”ことの必要性を指摘したが、社会福祉行政は窓口に相談、申請に来た人にだけ対応するという“待ちの姿勢”が強かった。
第2には、その生活保護に代表されるように、福祉サービスの考え方、水準を“国民の最低限度の生活保障”に留めてしまった。福祉サービスを利用する人は“自助”ができず、国の“公助”に頼ることになるので、“公助”の負担をできる限り軽減するために、かつ“怠民養成”ではないという“一種のみせしめ”的に福祉サービスの水準を低く抑えるという“最低限度の生活保障”という福祉サービス観、救貧観を創り上げた。
第3には、生活困窮者を救済するのは、憲法第89条の規定(公の支配に属さない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し公金を支出してはならない)により、福祉サービスは行政がやるもの(もしくは行政から委託を受けた団体、組織)という認識を国民に定着させ、国民の行政依存体質を作り出してしまった。地域で自立生活を営もうとすれば、住民と行政との協働は不可欠であるが、その考え方が全面に出されるのは厚生労働省の文書では2008年の「地域における「新たな支えあい」を求めてーー住民と行政による新しい福祉―」という文書が出てからである。
このような状況の中、社会福祉サービス提供組織は、国により制度化されたサービスを、行政から委託を受けて、行政が認定したサービス利用者に対して制度の枠組みの中で提供すればいいという“受け身的な姿勢”になり、住民が抱えるニーズを積極的に把握し、かつそれを解決するための新しいサービスの開発や新しいシステムを創出するという姿勢が欠けることになった。
ところで、筆者は1960年代末から、社会権的生存権を巡って争われた朝日訴訟や障害者の学習・文化・レクリエーションの機会提供にかかわる実践を通じて、社会福祉は憲法第25条に基づく最低限度の生活保障だけではなく、憲法第13条の幸福追求権に基づく社会福祉の考え方、福祉サービスの提供を考えるべきではないかと考え、主張してきた。憲法第25条は、国民の生活を守る最後のセーフティネットとしての役割があり、評価するが、それ以上に必要なのは、“この世に生きとし生きるものの幸福追求であり、自己実現である”のではないかと考えた。戦後の社会福祉が囚われてきた「貧困観の貧困」、「人間観の貧困」、「生活観の貧困」を克服し、高齢者も障害者も自分らしく、自己実現できることを支援するのが社会福祉の目的、哲学にならなければいけないと考えたからである。
フランスの1789年の市民革命は身分制度を廃止し、この世に生まれてきたものは皆平等であり、自由であり、幸福を追求する権利があることを明らかにした。そのためには、“公の救済は社会の神聖な責務の一つである”として、「自由」、「平等」とともに「博愛」の重要性を理念として掲げた。
1995年の総理府社会保障制度審議会の勧告「社会保障の再構築」では、“1950年当時は、戦後の社会的・経済的混乱の中にあったので、当面、最低限の応急的対策に焦点を絞らざるを得なかった”が、“今日の社会保障体制は、すべての人々の生活に多面的にかかわり、その給付はもはや生活の最低限度ではなく、その時々の文化的、社会的水準を基準と考えるものとなっている”として、“広く国民に健やかに安心できる生活を保障することである”と考え方を変更した。それは、まさに憲法第25条の最低限度の生活保障ではなく、憲法第13条の幸福追求権に基づく、その人らしさの自己実現を支える福祉サービス、社会福祉への転換を求めたものである。
「地域共生社会政策」の実現には、社会福祉関係者の中に潜在化している戦後の社会福祉観を見直し、新たな視点、新たな姿勢に基づく実践が求められている。

第22号/2021年3月2日

 

38 連載③ :ナラティブ(人生の物語)を大切にする自立支援

筆者は、1970年頃から、社会福祉学研究、社会福祉実践において労働経済学を理論的支柱にした経済的貧困に対する金銭給付と憲法第25条に基づく最低限度の生活保障の考え方では国民が抱える生活問題の解決ができず、新たな社会福祉の考え方が必要であると考え、提唱してきた。
筆者が考える社会福祉とは、その人が願うその人らしさの自立生活が何らかの事由によって阻害、停滞、不足、欠損している状況に対して関わり、その阻害、停滞、不足、欠損の要因を除去し、その人の幸福追求、自己実現を図れるように対人援助することだと考えた。
その場合の“自立生活”とは、古来から“人間とは何か?”と問われてきた課題を基に6つの要件(ⅰ)労働的・経済的自立、ⅱ)精神的・文化的自立、ⅲ)身体的・健康的自立、ⅳ)生活技術的・家政管理的自立、ⅴ)社会関係的・人間関係的自立、ⅵ)政治的・契約的自立)があると考えた。と同時に、それらの6つの「自立生活」の要件の根底ともいえる、その人の生きる意欲、生きる希望を尊重し、その人に寄り添いながら、その人が望むナラティブ(人生の物語)を一緒に紡ぐ支援だと考えてきた。
戦前の生活困窮者を支援する用語に「社会事業」という用語がある。この「社会事業」には、積極的側面と消極的側面とがあるといわれてき、その両者を統合的に提供することの重要性が指摘されていた。積極的側面とは、その人の生きる意欲、希望を引き出し支えることで、消極的側面は生活の困窮を軽減するための物質的援助のことを指していた。消極的側面は、気を付けないと“人間をスポイルする”危険性があることも懸念していた。
現在の民生委員制度の原型を1918年に大阪で創設した小河滋次郎は、“その人を救済する精神は、その人の精神を救済することである“として、「社会事業」における積極的側面を重視した。しかしながら、戦後の生活困窮者を支援する「社会福祉」は積極的側面を実質的に“忘却”してしまい、物質的援助をすれば問題解決ができると考えてきた。
憲法第25条の最低限度の生活保障では消極的側面の対応でよかったのかもしれないが、憲法第13条に基づく幸福追求の支援ということでは、高齢者のケアであれ、障害者のケアであれ、生活困窮者の支援であれ、その人が送りたい“人生”、その人が願う希望をいかに聞き出し、その人の生きる意欲、生きる希望を支え、伴走的に支援していくことが求められる。
従来の社会福祉学研究や社会福祉実践では、「療育」、「家族療法」、「機能回復訓練」などの用語が使われており、その人らしさの生活を尊重し、支援するということよりも、ややもすると専門職的立場からのパターナリズム的に“問題解決”を図るという目線に陥りがちであった。
また 従来の社会福祉学や社会福祉実践では、よくアブラハム・マズローの「欲求階梯説」が使われが、この考え方も気を付けないといけない。アブラハム・マズローがいう生理的欲求、安全の欲求、愛情と所属の欲求、自尊と承認の欲求、自己実現の欲求の6つの欲求の項目の意味は重要であるが、それらの項目において、下位の欲求が満たされたら上位の欲求が生じるという“欲求階梯説”はどうみてもおかしい。人間には、自ら身体的自立がままならず、他人のケアを必要としている人であっても、当然その人が願うナラティブ(人生の物語)があり、それを自己実現をしたいはずである。
その際、福祉サービスを必要としている人自らが自分の希望、欲求を表出できるとは限らない。福祉サービスを必要としている人の中には、さまざまなヴァルネラビリティ(社会生活上のさまざまな脆弱性)を抱えている人がおり、自らの願いや希望を表出できない人がいる。更には、障害を持って生まれてきたことで、多様な社会体験の機会に恵まれず、一種の“食わず嫌い”の状況で、何を望んだらいいのかも分からない人という生活上の“第2次障害”ともいえる状況に陥っている人もいる。このような人々の場合には、その人の“意思を形成する”ことに関わる支援も必要になってくる。
まして、福祉用具のような、新しい領域では、どの福祉用具を使用したら、自分の生活がどのように変容するのかのイマジネーション(想像性)をもてない人がいる。そのような人々に対し、イマジネーションがもてるようにし、新たな人生を作り出すクリエーション(創造性)機能も重要な支援となる。
従来の社会福祉実践は、福祉サービスを必要としている人の「できないことに着目し、それを補完する目的で、してあげるケア観」に陥りがちであった。幸福追求、自己実現を図るケア観に立つと、福祉サービスを必要とする人の「できることを発見し、それを励ますケア観」が重要になる。
社会福祉実践は、その人の生育歴におけるナラティブ(narrative:身の上話、経験などに関する物語)に着目し、その人が望む人生を創り上げるナラティブ(出来事などに関する物語、語ること)に寄り添い支援することが求められている。

第23号/2021年3月25日

 

39 連載④:求めと必要と合意に基づく支援

福祉サービスを必要としている人々への支援において、よほど気を付けないと無意識のうちに“上から目線”の世話をしてあげるというパターナリズムになりがちになる。
福祉サービスを必要としている人はさまざまな心身機能の障害や生活上の機能障害において要介護、要支援の状態に陥っているので、ついつい福祉サービス従事者はその機能障害を改善、補完するために“いいことをしてあげる”という意識になりがちである。それは、一見“善意”に満ちた行為として考えられがちであるが、福祉サービスを必要としている人の意思や主体性を尊重しての“誠意”ある行為といえるのであろうか。
また、福祉サービスを必要としている人で、家族と同居している人の場合には、福祉サービスを必要としている人本人の意思よりも、同居している家族が自分の“思い”、“願い”を福祉サービス従事者に話され、その家族の希望が優先され、ややもすると本人の意向や意思は無視されがちになる。ましてや、福祉サービスを必要としている人は、日常的に同居している家族に普段から迷惑をかけているからという“負い目”もあり、家族に遠慮して、自分の意向、意思を表明しない場合が多々ある。
イギリスのブラッドショウは1970年代に、住民の抱える生活上のニーズを4つに類型化(①本人から表明されたニーズ、②住民は生活上の不安や不満、生活のしづらさを抱えているが表明されていないニーズ、③住民は気が付いていないか、表明もしていないが専門職が気づき、必要だと考えられるニーズ、④社会的にすでにニーズとして把握され、対応策が考えられているニーズ)した。この類型化されたニーズにおいて、日本の社会福祉分野において気を付けなければならないニーズ把握は、②の住民の生活上様々なニーズがあるにも関わらず気が付いていないか、自覚しておらず、表明されていないニーズである。
日本の“世間体の文化”、“忖度の文化”、”もの言わぬ文化”に馴染んで生活してきた国民は、自らの意思を表明することや自らの希望や願いを表明することに多くの人が躊躇してしまう。したがって、本人が自分の意見や気持ちを表明しないのだからニーズがないのだろうと解釈するととんでもない間違いを起こすことにもなりかねない。それらのニーズは潜在化しがちで、対応が遅れることになる。
一方、専門職が気づき、必要と判断するニーズにおいても、社会生活モデルに基づくアセスメントやナラティブに基づく支援方針の立案が的確に行われていればいいが、上記したようなパターナリズムでのアプローチをしている場合には専門職の判断が必ずしも妥当であると言えない場合が生じてくる。
イギリスでは、1990年の法律により、福祉サービスを提供する際には、その援助方針やケアプラン及び日常生活のスケジュール等を事前に本人に提示し、本人の理解を踏まえて提供することが求められるようになったが、2005年の「意思決定能力法」ではよりその考え方を重視するように法定化された。
日本の民法の成年後見制度や社会福祉法の日常生活自立支援事業は福祉サービスを必要としている人が自ら意思決定できないことを前提にして制度設計されているのと違い、イギリスの「意思決定能力法」は日本と逆の立場を取っている。
「意思決定能力法」は①知的障害者、精神障害者、認知症を有する高齢者、高次脳機能障害を負った人々を問わず、すべての人には判断能力があるとする「判断能力存在の推定」原則を出発としており、②この法律は他者の意思決定に関与する人々の権限について定める法律ではなく、意思決定に困難を有する人々の支援のされ方について定める法律であるとしている。その上で、➂「意思決定」とは、(イ)自分の置かれた状況を客観的に認識して意思決定を行う必要性を理解し、(ロ)そうした状況に関連する情報を理解、保持、比較、活用して (ハ)何をどうしたいか、どうすべきかについて、自分の意思を決めることを意味する。したがって、結果としての「決定」ではなく、「決定するという行為」そのものが着目される。意思決定を他者の支援を借りながら「支援された意思決定」の概念であるとしている。(註)
日本だと、“安易に”、あの人は判断能力がないから、脆弱だから“その意思を代行してあげる”ということになりかねない。言語表現能力や他の意思表明方法を十分に駆使できない障害児・者の方でも、自分の気持ちの良い状態には〟“快”の表情を示すし、気持ち悪ければ“不快”の表現ができる。福祉サービス従事者は安易に“意思決定の代行”をするのではなく、常に福祉サービスを必要としている人本人の意思、求めていることを把握することに努める必要がある。
その上で、本人が自覚できていない人、食わず嫌いでサービス利用の意向を持てていない人に対し、専門職としてはニーズを科学的に分析・診断・評価し、必要と判断したサービスを説明し、その上で、両者の考え方、プランのあり方を出し合って、両者の合意に基づいて援助方針、ケアプランを作成することが求められている。

(註)菅冨美枝「自己決定を支援する法制度・支援者を支援する法制度――イギリス2005年意思決定能力法からの示唆」法政大学大原社会問題研究所雑誌、No.822、2010年8月所収。

第25号/2021年6月3日

 

40 連載⑤:家族・地域の介護力、養育力の脆弱化とソーシャルサポートネット
   ワークの必要性

戦後日本の社会福祉問題は、1970年頃を境に大きく変質する。1960年代末から1970年代にかけて、「新しい貧困」という考え方が登場する。
従来の貧困は、経済的貧困であり、労働経済学的視点に基づく対応策が考えられ、ほぼ金銭瀬的給付をすれば問題は解決できると考えられていた。そのような中で、江口英一は「不安定就業層」という新しい考え方を提示し、労働者世帯の生活の不安定さは労働経済的対応策だけでは不安定な生活の問題解決につながらず、地方自治体における様々な対人援助サービスの整備が必要であることを指摘した。1970年頃“ポストの数ほど保育所を”というスローガンの下に、保育所増設運動が全国各地で台頭したのはその一つの現れである。
また、金銭的給付では解決できない「新しい貧困」への対処も求められるようになってくる。農業中心の時代には、家族も多世代同居家族であり、地域においても農業を通じての地縁・血縁関係が豊かにあり、様々な生活問題があってもそれらへの対処は家族や近隣での助け合いの中で問題解決が行われ、行政による社会的対応策が求められなくても済んだ。
しかしながら、急激な工業化、都市化、核家族化の進展により、家族構成員の抱える生活問題への対処力が脆弱化していく。
第1には、家族の構成員が抱える様々なショックをやわらげ、慰め、励ます機能が家族形態の変容と核家族化することにより脆弱化していく。人間は弱い動物であり、日常的に受けるショックを和らげてくれる機能や慰め、励ましてくれる機能が身近になければ一人で対処することは大変なことである。筆者は、家族構成員が受けるショックを和らげ、慰め、励ましてくれる機能を自動車の乗り心地の良さを左右するショックアブソーバー(衝撃緩衝装置)にたとえ、家族が持っていたショックアブソーバー機能が脆弱化することにより、家族とその構成員の精神的不安定さと生活問題対処力の脆弱化が増大していることを指摘した。離婚が増え、一人親家庭が増大していくと、家族のショックアボソーバー機能は家族内にはほとんどなくなり、かつ社会的にも“支援”がなく、孤立していく。また、それとともに精神疾患の増大も深刻化していく。
第2には、急激に核家族化されたことにより、親の世代から引き継ぐべき生活文化、生活様式、生活習慣といったものの“世代間継承”ができず、生活力の弱い核家族が増えることになる。塩月弥栄子の『冠婚葬祭入門』が1971年に刊行され、ベストセラーになったのも、松田道雄等の『育児書』が刊行され、重宝されたのも、この生活文化、子育ての文化の“世代間継承”が断絶したことの一つの証左であろう。高度経済成長に必要な労働力として、“金の卵”として全国から集められた中卒集団就職者にとっては、自らの生活力を豊かに育む生活環境を持てず、厳しい生活にさらされる。
福祉事務所で生活保護業務を担当する現業員らによる調査で、生活保護世帯への救済策として金銭的給付では解決できない「新しい貧困」、“生活力“の脆弱さが指摘された。
第3には、急激な都市化、工業化の中で、住居の移動も激しく、近隣関係を構築できない、地域コミュニティを形成できない中で、多くの住民が日常的に触れ合える、支え合える近隣関係、人間関係を持てずに暮らすことになる。
2015年に施行された「生活困窮者自立支援法」は、まさにこれらの「新しい貧困」問題への対応策であり、かつ2016年から推進されている地域共生社会政策はよりその対応策を強化しようとするものである。
それは、福祉サービスを必要としている人が地域において、孤立することなく、排除されることなく“社会参加”できるようにしようとするもので、日本でもイギリスと同じように、“孤立・孤独問題担当大臣”を任命せざるを得ないほど地域においてソーシャルサポートネットワークを持てずに孤立・孤独に陥っている人々の問題は深刻化している。
地域生活している単身高齢者や単身障害者の数はますます増大しており、それらの人々への支援には、介護保険サービスや障害者サービスを“点と点を結ぶ”方式で提供しても解決できない問題が数多くあることが指摘されている。
民法の成年後見制度や社会福祉法に基づく日常生活自立支援事業もあるが、それだけでは解決できない様々な生活上の支援が必要とされている。入退院時の保証人制度や庭木の手入れ等の住宅管理保全、ゴミの分別と廃棄、看取り、死後対応事務(火葬許可書の名義、葬儀の扱い、遺骨の取り扱い)等、既存のサービスにない日常生活支援サービスが必要になっているが、それとともに重要なのが孤立・孤独問題である。
従来の家族、地域が有していた生活支援に“幻想を抱かず”、それとは別に、新たなソーシャルサポートネットワークを構築することが求められている。悲しい時に慰めてくれる人、嬉しい時に一緒に喜んでくれる人など情緒的にサポートしてくれる人の存在、生活上のちょっとした困りごとを手伝ってくれる人の存在、日々変わる日常生活上の制度などについて情報を教えてくれる人の存在、一人の人間としての尊厳を守り接してくれる人、人間として評価してくれる人の存在という4つのソーシャルサポートネットワークの機能が地域自立生活にはとても重要で、その機能の構築が地域共生社会政策として不可欠である。

(註)J・S・Houseの4つの機能、浦光博著『支えあう人と人』サイエンス社、1992年参照。

第25号/2021年6月3日

 

41 連載⑥:国際生活機能分類(ICF)と自立生活支

社会福祉分野は人力によるサービス提供が、人にやさしいサービスであるという呪縛に長らく囚われてきている。その結果、サービス従事者の腰痛等を引き起こし、介護現場はきつい労働現場というイメージを作り、“3K職場”と言われるようになってしまった。
他方、社会福祉分野は、身体機能の診断とその対応策について1980年に世界保健機関(WHO)が制定した国際障害分類(ICIDH)による失われた機能を補完するという医学モデルに囚われ、その人々の生活環境を改善して、生活の質(QOL)を高め、その人の自己実現を豊かに図るという社会生活モデルからの発想、視点は弱かったと言わざるを得ない。
1990年の社会福祉関係八法改正や戦後の社会福祉行政の基礎構造を改革したといわれている2000年の社会福祉法への改称・改正により、今日の社会福祉における「自立」の考え方は、今までの連載でも指摘してきたように、憲法13条に基づく国民の幸福追求権を前提に福祉サービスを必要とする人の人間性の尊重及び個人の尊厳を踏まえた地域での自立生活支援へと転換された。
従来の社会福祉における「自立」観に大きな影響を与えていたのは、1980年に世界保健機関(WHO)が定めた国際障害分類(ICIDH)であった。それは、身体的機能障害に着目し、それを固定的にとらえ、身体的機能障害があるとそれがその人の能力不全につながり、ひいては社会生活上の不利を産み出すという考え方であり、かつその3つの機能の相関性が強いと考えられた。そこでは、身体的機能障害を医学的に診断することが前提になる。しかも、それらの診断は本来あるべき身体機能が欠損しているというどちらかといえばマイナス的側面に着目した診断と言えた。
ICIDHが2001年にICF(国際生活機能分類)に改訂された。ICFは、その人の身体的機能障害の診断もさることながら、その人の能力不全や社会生活上の不利になる要因として、その人の生活環境にも大きな要因があると考え、生活環境を改善することによりそれらの能力不全や社会生活上の不利を改善できると環境因子の重要性を指摘した。それは言葉を替えて言えば、身体的障害に着目することよりも、生活機能上の障害に着目する考え方であった。ICFという新しい考え方は、ICIDHが医学モデルと呼ばれたのに比して、社会生活モデルと呼ばれている。
その考え方は、何も身体的機能障害を有する人にのみ求められる対策ではなく、一人暮らし高齢者も生活のしづらさという生活上の機能障害を抱えるという意味合いで、支援・対策が必要となる。このように考えると今後は“障害”概念それ自体の見直しが必要になってくる。
総務省は、2021年10月に実施する「社会生活基本調査」の項目に、“心身の状態により日常生活に支障があるかどうか”を質問する項目を加えた。この“生活のしづらさ”を事実上加えたことは、従来のICIDHでなく、ICFの視点に基づいた“生活機能の障害”を問うもので重要な変更である。
病院での疾病治療や身体機能回復訓練としての狭義的な意味合いでの“リハビリテーション”、あるいは入所型社会福祉施設での生活を支援するという場合には、ある意味ICIDHの考え方で対応できたかもしれないが、今日のように地域での自立生活支援が主流になってきている時代においては、より生活環境を重要な要因として考えるICFが重要となる。今、進められているITや福祉機器の活用により、ケアの考え方も一変し、一種の“介護革命”ともいえる時代状況になってきている。
ところで、生活環境を整備しても、要は生活者である住民自身が自らの生活を改善、向上させようという意欲や意志がなければ生活は改善されないし、向上もしない。残念ながら、ICFは、“統計上の分類のための指標”という面があるので、当然のことながら個人因子である個人の意欲、意志、希望などは対象になっていないし、それらに影響を与えている個人の生活歴、生活体験なども指標に組み込まれていない。
また、生活者である住民の置かれている立場、社会環境ということについても考えられていない。つまり、その人が生活上「出来ること」と立場上「せざるを得ないこと」との違い、また、そのことに対して「する意欲があるかどうか」については整理しきれていない。地域での自立生活支援においては、立場上あるいは生活環境上「せざるを得ない」立場の人が生活上それができていないことが問題になるわけで、地域自立生活支援では、単純に身体的にできるかどうかというレベルだけでは対応できない課題を考えてサービス提供の在り方や生活環境を改善する必要がある。
地域での自立生活支援を促進するために、ICFの視点を踏まえた生活環境を変えるICTや福祉機器の役割は大きい。かつての肉体労働とは異なる、ICTを活用した労働の機会が増大している。また、ICTを活用しての意思表明やコミュニケーションが可能となり、自ら感じたことを自己表出させることも可能になる。さらには、座位保持装置や立位保持装置の活用、服薬管理を支援するロボット、脊椎損傷の方の食事介護ロボット等も自立生活支援に大きな役割を担える。
このように考えてくると、これからの福祉サービスにおけるアセスメントではどうICTや福祉機器を活用するかが問われることになり、介護支援専門員や障害者相談支援員の業務におけるICFの視点を踏まえたICTや福祉機器の活用が重要な、かつ大きな課題である。

第27号/2021年7月3日

 

42 連載⑦:地域包括ケアの歴史的展開と地域社会生活支援

厚生労働省は2016年7月に「地域共生社会実現本部」を立ち上げ、それ以降「地域共生社会政策」を推進している。その政策に先駆けて、厚生労働省は2015年に「医療介護総合確保法」を成立させ、いわゆる2025年問題(団塊の世代が後期高齢期になる2025年の介護問題)を見越して、日常生活圏域でのケアの一体的提供をするために、医療、介護、福祉の連携を強化させることを目的にした政策を推進すると同時に、“地域包括ケア”という用語をしきりに使用することになる。この“地域包括ケア”と“地域共生社会政策”という用語との関係が国会審議の過程において問われ、厚生労働省は、“地域共生社会政策は、地域包括ケアを包含したものである”と答弁している。
戦後70年間、社会福祉行政は「福祉六法体制」と呼ばれたように、属性分野ごとに細分化された“社会福祉行政の縦割り化”が進んでいたが、地域での自立生活が可能になるように支援していくためには、複合的課題を抱えた個人や家族全体に対し、総合的に相談支援していくことが求められ、現在「地域共生社会政策」の下で、様々な取り組みが展開されている。
2017年の社会福祉法改正では、地域生活課題の解決に資する支援が包括的に提供される包括的支援体制整備を努力義務として規定した。2020年の社会福祉法改正では、包括的支援体制を強化するための機能が法定事業になり、市町村が認める場合には市町村の責任において地域住民に対して包括的支援ができることが明記された。と同時に、その包括的支援をするために、介護、障害、子ども、生活困窮の分野からの財源拠出等の財政支援を定め、それらの制度の一体的運用・実施もできるようにした。
また、地域共生社会政策を推進するために、包括的支援を行うとともに、福祉サービスを必要としている人々を地域で早期に発見し、それらの人々が地域社会から蔑視されず、排除されず、それらの人々の個人の尊厳と人間性が尊重され、社会、地域において社会的役割を担い、地域社会を構成する一員として認められ、包含されるように、個別支援とそれを支える地域づくりを一体的に展開する重層的支援体制整備事業も位置づけられるようになった。
これらの考え方、政策はある日突然出てきたわけではない。これらの課題への取組は歴史的に常に問われ、実践もされてきた問題であった。
地域包括ケアシステムに関わる歴史的ベクトルは大きく2つある。第1のベクトルは、医療系を中核としたベクトルで、古くは1950年代の長野県の佐久病院の若月俊一医師による医療、保健、福祉、社会教育の連携システムに基づくベクトルや1970年代広島県御調町の山口昇医師による病院を拠点としたシステムのベクトルが有名である。この医療系を中核としたベクトルにはもう一つの流れがあり、1970年代秋田県象潟町、高知県西土佐村での宮原伸二医師による実践や兵庫県五色町で展開された松浦尊麿医師の実践で、地域保健を中核とした実践であった。
第2のベクトルは地域福祉系のベクトルで、1994年設置の岩手県遠野市「健康福祉の里」(国保診療所併設)におけるワンストップの相談システムや2000年実施の長野県茅野市における保健・医療・福祉の複合型拠点(内科クリニックを併設した保健福祉サービスセンター)を中学校区という4つの日常生活圏域毎に設置し、かつ社会福祉協議会が実践するコミュニティソーシャルワーク機能と有機化させるシステムを創った実践である。
ところで、“地域包括ケア”とか、“地域共生社会政策”とかが掲げる福祉サービスを必要としている人々への縦割りの属性分野を越えて福祉サービスを総合的に、かつ医療、介護と一体的に提供するという考え方は崇高であるが、その実現はそう簡単ではない。
地域包括ケアシステムを構築する際の保健・医療・介護・福祉の連携を阻む要因が幾つかある。その主なものを挙げると、①医療・保健・福祉・介護に関わる財源が一元的でない調達問題(税金による一般会計財源、医療保険財源、介護保険財源の違い)、②保健・医療・福祉・介護に関わる利用圏域(広域圏域、一部事務組合、市町村圏域、日常生活圏域)の違い、③介護保険事業計画、医療計画、健康増進計画、地域福祉計画・障害者福祉計画・子ども子育て支援計画等の各種保健・医療・福祉に関わる計画の整合性の問題等が挙げられる。
地域での自立生活支援においては医療的ケア児の問題、一人暮らし高齢者や一人暮らし障害者の入退院支援や看取り支援、あるいは認知症高齢者の支援、難病患者や若年性がん患者の療養と生活支援等、今日では益々医療・介護・福祉・保健を一体的に考えて提供するシステムや考え方を推進しなければならないところに来ている。
今や、急性期医療だけでなく、慢性期医療が社会的に大きな課題になってきている時に、病院での治療を中心に考えた「医学モデル」での対応だけでは問題が解決しない。治療ということも包含して、その人の生活全体を考え、アスメントし、支援方針を考えるという「社会生活モデル」に基づく支援が必要とされており、そのための専門多職種連携、チームアプローチが求められている時代である。
そのためにも、市町村ごとに、医療・介護・福祉・保健の一体的提供のシステムを考えた「地域福祉計画」の策定が重要になる。

第28号/2021年7月22日

 

43 連載⑧:地域福祉に必要なシステムづくりと地域包括支援センターの原型

筆者は、1960年代末から、社会福祉学の中でも地域福祉に関する実践的研究を行ってきた。従来の社会福祉実践が「福祉六法体制」と呼ばれるように“縦割り“的に社会福祉法制の枠内でのみ行われ、かつサービスを必要としている人が法制度が定めたサービス利用要件に該当するかどうかを判定するシステムであったのに対し、地域福祉は当時、”社会福祉の新しい考え方“と考えられ、なおかつ地域福祉に関する法体系もないことから、地域福祉実践は社会福祉制度の枠内での実践だけではなく、住民のニーズに対応して新しいサービスも開発する、最もソーシャルワーク実践を行なえる領域だと考えたからである。
その新しいシステムは、地域福祉の理念である地域での自立生活を支援するシステムである以上、地方自治体レベルで、地域の実情に即して創造していくことが求められると考え、筆者は全国の地方自治体で地域福祉に関するシステムづくりを実践的に研究してきた。
と同時に、地域での自立生活を支援するということは、属性分野ごとの単身者に対応する「福祉六法体制」ではなく、問題を抱える単身者は固より、同居している家族全体を考えた対応が求められるし、中には、家族の構成員が複数で、複合的問題を抱えている世帯もある。したがって、地域福祉における新しいサービスやシステムの開発は世帯全体にも対応できる、分野横断的システムでなければならない。
現在進められている「地域共生社会政策」の具現化は、地方自治体の地域状況に即して新しい包括的、重層的支援ができるシステムをどう創るかが課題である。筆者は、その政策の具現化の要は、現在全国に約4800か所設置されている「地域包括支援センター」が分野横断的なワンストップサービスの拠点機関として、かつ包括的、重層的支援の要の役割を担えるかが大きな課題だと考えている。
地域包括支援センターは、2006年に介護保険制度が改正され、位置づけられた。市町村を複数の日常生活圏域に分け、その圏域毎に地域包括支援センターを設置し、保健師、社会福祉士、主任介護支援専門員を配置するシステムは画期的な取り組みであり、地域包括ケアの新たな一歩を踏み出したと位置づけても過言ではないと考えている。
筆者は、この地域包括支援センターのシステム的モデルは、長野県茅野市が2000年4月から発足させた茅野市保健福祉サービスセンターシステムであると考えている。
目黒区では、1990年に法定化された老人保健福祉計画を2017年に社会福祉法改正により“上位計画”とされた地域福祉計画と同じ考え方で、障害児者も子育て問題も視野に入れて、住民の地域での自立生活を分野横断的に支援する地域福祉計画として位置づけ、住民参加で策定した。当時目黒区は人口26万5000人で、保健所が2つ、福祉事務所が1か所あった。それを再編・改組するために、区内を5地区に分けて、各圏域に保健福祉サービス事務所を設置し、住民の身近なところ(福祉アクセシビリティ)で、保健と社会福祉が統合的に相談、支援できるシステムとした。
また、1994年には、東京都児童福祉審議会において、筆者は専門部会長として東京都内の区市町村における“子育て支援のシステム”創りを提言した。子育て分野は家庭の私事性が強く意識され、高齢者分野、障碍者分野に比して地域での自立生活を支援する在宅福祉サービスという考え方が弱かった。実態は、問題を抱える児童、家庭への“点と点”でつながる支援システムで、療育、法的措置、保護を中心としたサービスシステムで、その代表が児童相談所という位置づけであった。
しかしながら、家庭や地域での子育て能力が脆弱化している状況を踏まえると区市町村レベルで、保育所だけでない、多様な子育て支援のサービス開発と相談・支援体制を構築することが重要であると考えていた。そこで、子育て支援が必要な家庭の近くである東京都の全区市町村に子ども・子育て問題の総合的相談、支援システムとして「こども家庭支援センター」を構想した。その「子ども家庭支援センター」には、社会福祉士、保健師、保育士を配置し、チームで相談・支援の対応をすることを求めた。この「こども家庭支援センター」は急速に整備され、都内全区市町村に58か所設置された。
「地域包括支援センター」の原型は、これらの自治体における新しいシステムづくりの実践を踏まえ、長野県茅野市の地域福祉計画づくりの中で、提案し実現できた。
茅野市の地域福祉計画は、当時の諏訪中央病院の鎌田實院長や医師会の土橋善蔵会長を中心に、100名を超える委員が手弁当で、足掛け3年間に延べ400回を超える委員会を開催し取りまとめられた『福祉21ビーナスプラン』に盛り込まれ実現する。
茅野市は当時人口5万7000人の人口で、中学校が9校ある広大な市域であるが、その市内を4つの在宅福祉サービス地区(現在の日常生活圏域)に分け、その圏域ごとに保健福祉サービスセンターを設置し、社会福祉行政職員、市保健師、市社会福祉協議会職員を配置し、チームで仕事をする、世代横断的なワンストップの総合相談体制と地域へ出張っての問題発見機能を統合的に展開するシステムにした。筆者は、茅野市福祉行政アドバイバーとして関り、目黒区や東京都の実践を踏まえて、このシステムづくりをした。
これからの社会福祉は、出されてきた国の政策に敏感に対応するだけでなく、地方自治体の属性に即して、地方自治体が新しい地域自立生活支援のサービスやシステムを開発していく時代である。

#1、筆者が、各自治体でどのような取り組みをしたかは、『コミュニティソーシャルワーク』(中央法規で販売)第26号、27号で論述しているので参照願いたい。
#2、茅野市のシステムづくりは『福祉21ビーナスプランの挑戦』(中央法規、2003年)を参照願いたい。

第29号/2021年8月15日

 

44     連載⑨:地域共生社会づくりに必要な新しい地域包括ケアシステムと
                  コミュニティソーシャルワーク

「地域共生社会政策」の理念である全世代対応型重層的・包括的支援を展開していくためには、新たな地域包括ケアシステムとコミュニティソーシャルワーク機能が必要になる。
新しい地域包括ケアシステムの構築には、現在の介護保険法に位置づけられ、全国に約4500ある地域包括支援センターが改組・発展整備されることが最も可能性のある取組であると筆者は考えている。
既存の地域包括支援センターは、市町村を基盤としつつ、日常生活圏域毎に既に設置されており、重層的支援の一つのシステムとして構築されている。その名称が“高齢者包括支援センター”でなく、“地域包括支援センター”と命名されたのは、厚生労働省の担当者がいずれは高齢者のみならず、子ども・家庭支援、障害者支援をもできるように考えて命名したと仄聞している。
市町村圏域では、障害者分野の支援における障害者相談支援専門員制度があるし、母子保健分野では子育て世代包括支援センターの制度等があるが、これらは日常生活圏域毎の展開にはなっていない。福祉サービスを必要としている人や家族の困りごとが、縦割りの社会福祉行政でたらい回しにされず、かつ家族全体の抱える問題に対し日常生活圏域においてワンストップで対応するシステムとして既存の地域包括支援センターを改組することが最も近道であり、それにより住民の距離的、心理的福祉アケセシビリティは格段に飛躍する。
新たな「地域包括支援センター」システムの運営においては、現在属性分野ごとに、かつ制度ごとに、その担い手である職員の養成・研修を行っている仕組み自体を変え、新たな「地域包括支援センター」を担える職員(ソーシャルワーカー)を育てなければならない。
筆者は予てより、日本には社会福祉行政を含めて社会福祉実践を担う分野横断的な一元的職員論がないことが問題であると指摘してきた。その職員は、地域自立生活を支援するために、地域のあらゆる社会福祉問題に最低対応できるジェネリックソーシャルワークによる職員養成が必要であると指摘してきた。と同時に、そのソーシャルワークを展開できるシステムを市町村に構築する必要性も指摘してきた(註)。
市町村の日常生活圏域ごとに構築される新たな「地域包括支援センター」には、従来にない新たな機能であるソーシャルワーク機能、とりわけコミュニティソーシャルワーク機能を遂行するできるシステムを構築することが求められている。
それは、①相談を持っているだけではなく、アウトリーチによる問題発見ができるシステム、②サービス提供だけでなく、伴走的、継続的支援ができるシステム、③複合的問題に対応する専門多職種のコーディネート機能ができるシステム、④住民のインフォーマルケアの力を醸成し、福祉サービスを必要としている人の個別問題解決につなげるコーディネート機能などである。
ところで、地域共生社会の理念である福祉サービスを必要としている人を孤立させず、それらの人々が地域から蔑視、排除することなく、地域、社会においてそれなりの役割を担い、社会的に評価される重層的、包括的支援を展開することが今喫緊の課題として求められている。
それを実現していくメルクマールは、福祉サービスを必要としている人や家族のソーシャルサポートネットワーク(情緒的支援、手段的支援、情報的支援、評価的支援の4つの機能)を地域で個別課題毎にどれだけ構築できるかである。
しかも、地域で暮らす単身の高齢者や障害者が増大していく中で、従来家族に依存していたゴミの分別、各種契約書類や行政からの書類の管理・申請手続き、預貯金の管理、時には入退院等に際しての保証人の有無、更には看取りや葬儀、遺骨の取り扱い等の終末期ケアが日常生活圏域で社会的システムとして必要になってきており、新しい「地域包括支援センター」では、それらの課題にも対応することが求められている。
新しい「地域包括支援センター」に求められる機能を端的に述べるならば、「福祉サービスを必要としている人のナラティブを尊重した社会生活モデルに基づき、ICFの視点でケアマネジメントの手法を活用したコミュニティソーシャルワーク機能」であり、そこでは制度化されたフォーマルなサービスと近隣住民のインフォーマルケアとを有機化させる機能がシステムとして不可欠である。
筆者は、このような機能が求められる新しい「地域包括支援センター」ではコミュニティソーシャルワーク機能が必要であると考え、その養成・研修を全国各地で展開してきた。
これらのコミュニティソーシャルワーク機能の実践を展開していくためには、地域を基盤として成り立つ社会福祉法人としての市町村社会福祉協議会が大変重要なポジションにある。
全国の市町村社会福祉協議会が、これらの課題に堪えられるように、現状の“行政以上に官僚的な組織で、硬直した姿勢”と揶揄される状況からどう脱皮し、社会福祉協議会の組織としても、職員個々人の資質としてもコミュニティソーシャルワーク機能を具現化できる力量をどう高めて、新たな「地域包括支援センター」の一翼を担えるかが大きな課題である。
全国的には、「まるごと相談員」やコミュニティソーシャルワーカーを日常生活圏域に配置して、その取組を展開している市町村社会福祉協議会がみられるが、全体的には未だ十分とは言えない。福祉サービスを必要としている人を地域から排除せず、地域で包摂できるようにするためにも、ソーシャルサポートネットワークを身近な地域で構築できる可能性を秘めている市町村社会福祉協議会への期待は大きい。

(註)筆者は日本学術会議の第1部会員をしている2003年に、「ソーシャルワークを展開できる社会システムづくりへの提案」を日本学術会議の対外報告として取りまとめ、全国の市町村に配布をした。

第30号/2021年9月6日

 

謝 辞
本稿は、本ブログの読者の要望に応えるために、大橋謙策「老爺心お節介情報」の記事から、その一部を選択し集成したものです。集成に際しては、タイトル等の一部を修正させていただいております。転載許可を賜りました大橋謙策先生に衷心より厚くお礼申し上げます。/市民福祉教育研究所

老爺心お節介情報/第48号(2023年8月31日)

「老爺心お節介情報」第48号

地域福祉研究者の皆様
社会福祉協議会関係者の皆様

お変わりなくお過ごしでしょうか。
日本地域福祉研究所最後の「第28回地域福祉実践研究セミナーinさが」の報告を送ります。
とても素晴らしいセミナーでした。
参加者からは、「みちのくセミナー」を立ち上げたいとか、地域に入って住民と一緒に論議する分科会は魅力的で、やめるのはもったいないとか、第29回目は自分たちで行うセミナーにしていいか等の意見を頂きました。
今後の対応は少し立ち止まって考えます。

2023年8月31日  大橋 謙策

Ⅰ 「第28回地域福祉実践研究セミナーinさが」が盛会裏に開催される

〇「第28回地域福祉実践研究セミナーinさが」が、8月24日~26日に佐賀県で開催されました。佐賀県外から約100名、県内から約400名という多数の参加者を得て、山口祥義佐賀県知事、陣内芳博佐賀県社会福祉協議会会長(佐賀銀行会長)のご列席のもと開会式が行われました。「地域福祉実践研究セミナー」に知事が来賓として祝辞を頂けたのは初めてではないかと思います。
〇日本地域福祉研究所は、全国の草の根の地域福祉実践を豊かにしたいとの思いから、1994年12月に創設されました。そして、翌年の1995年に第1回の「地域福祉実践研究セミナー」を島根県瑞穂町で行いました。日本地域福祉研究所としては、「地域福祉実践研究セミナー」を県庁所在地で開催するのではなく、できるだけ過疎地などでのセミナー開催を心がけてきました。今回のセミナーも佐賀市だけではなく、佐賀県下6市町村で、7つの分科会を開催しましたのも、できるだけ実践現場の土地勘、雰囲気を味わいながら論議をしようとの趣旨から設定されたものです。この試みも始めてでしたし、佐賀県社会福祉協議会が中心になって、NPO法人や施設経営の社会福祉法人、民生委員児童委員協議会等を組織した実行委員会で主催していただいたのも初めての試みです。
〇今回、佐賀県でセミナーを開催して頂いた理由は、私が「関係人口」の一人として佐賀県社会福祉協議会に関わらせていただいてから丸6年にもなり、一つの到達点として評価を受けたいと思ったからです。
〇私は、1981年に、佐賀県社会福祉大会の講師として招聘されましたし、1995年には市町村社会福祉協議会役職員研修の講師としても招聘されています。しかしながら、それは一過性のものです。
〇2015年に、社協役職員研修が「社協は生き残れるか」というテーマで行われた際にも招聘され、それを契機に2017年からは、佐賀県の地域福祉を推進する中核的組織としての社会福祉協議会の資質向上を目的にした「社協職員パワーアップゼミ」を開催してもらい、継続的に関わることになり、文字通り私自身「関係人口」としての自覚と役割が出てきました。
〇佐賀県「社協職員パワーアップゼミ」は、他の県のコミュニティソーシャルワーク研修とほぼ同じ内容で、4日間(のちに5日間)のコースで、①「社会生活モデル」に基づくアセスメント能力の向上、②アウトリーチ型ロールプレイ、③職員が直面している住民の生活課題に即応した問題解決プログラムの企画立案書作成、④孤立しがちな、生活のしづらさを抱えている住民へのアプロ―チシステムとその個人のソーシャルサポートネットワークづくりの企画立案書作成が中心です。前期課程と後期課程の間には、問題解決プログラムの企画立案書を完成させる宿題があります。この問題解決プログラムの企画立案書には、ⅰ)同じような問題が地域にどれだけあるかを推察する関連資料作り、ⅱ)そのプログラムを自分の所属する社会福祉協議会の局内で、共通理解し、推進できる提案の方法、ⅲ)そのプログラムに掛かる事業経費の積算根拠の明確化、ⅳ)その事業経費をどう獲得、確保するか、その方法を具体的に書くことが求められています。
〇この“宿題”は厳しいもので、提出すればいいというものではありません。履修者から提出された問題解決プログラムを、佐賀県社会福祉協議会のまちづくり課の副課長である小松美佳さんが中心になってコメントします。必要なら、履修者とコメンテーターである小松美佳さんとの間で、何回かやり取りがおこなわれ、そのうえで、それが講師である私のところに送られてきて、最終的に私が個別コンサルテーションを丁寧に行います。
〇今回のセミナーでは、その佐賀県内社会福祉協議会職員の資質向上に向けた研修の成果を多くの関係者に披瀝し、評価を受けたいと思ったことが開催をお願いした最大の目的です。その成果は、各分科会で大いに発揮されました。
〇「第28回地域福祉実践研究セミナーinさが」の成果、特色を私なりに箇条書きで整理しますと以下の通りです。とても丁寧に全体を総括することはできませんが、以下のような実践とその評価ができると思っています。

①佐賀県は数年前からCSO(Civil Society Organization)という、NPO法人だけでなく、自治会、町内会、老人クラブ、PTAなどの市民活動している任意団体も含めて総称し、その活動を推奨してきました。
その一環として、県外にあったNGOや国内の子ども・障害分野のNPOを誘致して、雇用の創出、ノウハウの共有等を進め、行政ではできない細やかなサービスの提供を推進しています。佐賀県内の代表的なCSOの一つが「県民基金」としてされた公益財団法人佐賀未来創造基金ですが、ここでは、多様な活動をクラウドファンディング等を行い、支援しています。
この財団の代表理事をしている山田健一郎さんも本セミナーの実行委員の一人ですが、実にフットワークよく、県民のニーズを自ら把握し、それを解決するための支援を金銭面だけでなく“ニーズ・シーズのマッチング”を展開されています。山田健一郎さんとその財団の活動に触れただけでも大きな成果でした。1998年の特定非営利活動促進法の成立以降、日本の社会に、新しい公共づくりの実践が定着していることを実感できました。

②佐賀県のCSOの活動の代表的な実践をしている谷口仁史さんに会えたのもとても嬉しい限りです。谷口仁史さんは、認定非営利活動法人スチューデント・サポート・フェイスの代表理事で、厚生労働省や内閣府等の委員を歴任しており、いまや「ひきこもり」、「孤立・孤独」問題への実践において、谷口仁史さんたちの実践を抜きにしては語れないと思うほど素晴らしい実践を展開されています。
私なりに、その実践を一言で言うならば、「ひきこもりの若者への家庭教師派遣という方法で、本人・家族への信頼を醸成し、その一人一人の興味・関心、生きづらさに寄り添い、事前に作られているプログラムのその人を誘うのではなく、その一人一人に応じたプログラムをその都度作成して対応する。その一人一人のプログラムを作成するために、認定非営利活動法人スチューデント・サポート・フェイスに多様な分野の専門職を採用して対応するだけでなく、地域にある人材・資源をより個別的に組織化して活用する。そのうえで、それらの活動を定着化、普遍化するためにそれら地域の人材・資源の大きなネットワークづくりを行う」というようにまとめることができます。
谷口仁史さんの基調講演のテーマは「アウトリーチ(訪問支援)と重層的な支援のネットワークを活用した多面的アプローチ――社会的孤立・排除を生まない総合的な支援体制の確立に向けて――」でした。
「第28回地域福祉実践研究セミナーinIさが」の全体テーマは、「地域でともに生きていくために、未来に向かって、もう一度つながる――社会福祉協議会を中核とした地域づくりを目指して――」でありましたが、谷口仁史さんや山田健一郎さんたちの実践と組織を目の当たりに見聞きすると、社会福祉協議会は今のままでは存在価値が見いだせず、生き残れないと実感しました。「「社協職員パワーアップゼミ」がますます重要になります。

③厚生労働省は、現在「地域共生社会政策」を推進しています。その一つが、「限界集落」や「消滅市町村」といわれる地域にあっては、従来の縦割り的施設の整備は難しく、かつそこで働く人材の確保も難しいことから、地域によっては、その実情に応じ、高齢、障害、児童、生活困窮等の福祉サービスを総合的に提供できる仕組みを構築できるようにするとともに、これを地域づくりの拠点としても機能させることが重要であるとして、対象者を問わず、誰もが通い、福祉サービスを受け、あるいは居場所ともなる取組を進めています。そのモデルの一つが高知県で展開されている「ふれあいあったかセンター」です。その「小さな拠点(多世代交流・多機能型の福祉拠点)」を拠点として、誰もが何らかの役割を担い、人と人とが支え合うまちづくりの取り組みが広がることを期待しています。
この高知県の「ふれあいあったかセンター」は、26回も続けている「四国地域福祉実践研究セミナー」の中で、産み出され、広がりをもった実践と私は理解しています。
その厚生労働省が推奨している高知県の「ふれあいあったかセンタ-」の政策、実践よりも佐賀県の「地域共生ステーション」という政策、実践の方が時期的には早いのではないかということが分りました。佐賀県の「地域共生ステーション」は、2000年代の初めには展開されており、現在(令和5年4月段階)で、県内161小学校区のうち102小学校区に設置されています。かつ、「地域共生ステーション」は、全世代対応型の活動をしており、この実践はもっと全国に発信されていいであろうし、この実践を拡大し、今後の地域福祉、地域づくりの拠点にしていかなければならないと感じました。
「限界集落」や「消滅市町村」といわれる地域にあっては、このような実践無くして、持続可能な地域は維持できないし、この実践は戦後初期の文部省の寺中作雄などが推奨した「地域づくりの拠点としての公民館」(公民館が教育委員会の所管になったために、今や貸館になっている。本セミナーの第7分科会に登壇者した都城市では、住民の自治型公民館がいまだ健在で、都城市社会福祉協議会はこの公民館を拠点に校区社会福祉協議会活動を展開している)の理念の再来の可能性と必要性を感じました。

④社会福祉法人の地域貢献は2016年の社会福祉法改正で位置づけられました。私は、1978年に執筆した「福祉実践と施設の社会化」と題する論文と1988年の「社会福祉思想・法理念に見るレクリエーションの位置」と題する論文において、社会福祉施設を経営する社会福祉法人は、経済界の企業論理とは違い、半ば「官」がサービスの水準や価格に関与している準市場の原理で成り立っているサービス事業です。したがって、社会福祉法人が経営する社会福祉施設は地域住民の“共同利用施設”と考え、地域住民の生活を守る拠点になるべきだと論じてきました。「限界集落」や「消滅市町村」といわれる地域にあっては、まさにその位置づけが重要になります。
「第28回地域福祉実践研究セミナーinさが」で、社会福祉法人佐賀整肢学園が経営する「かんざき日の隈」(神埼市)が生活困窮者支援の実践をしていたり、多久市では人口1万8千人の市で、社会福祉法人15法人とNPO法人3法人、株式会社1社の計19法人で「多久市地域貢献推進協議会」を構成し、「みんなでみまもり隊事業」、「しごと・くらしの応援団」、「総合相談窓口事業」等の実践を展開しています。また、「限界集落」や「消滅市町村」といわれる太良町にある、障害者サービスを提供している社会福祉法人佐賀西部コロニー多良岳福祉園が地域住民との農福連携や高齢化した住民の生活支援活動をしています。
全国に2万ある社会福祉法人や、全国に10万といわれる社会福祉施設がこのような地域貢献を地域住民とともに展開できれば、“持続可能な地域”を維持できるのではないかと改めて思いました。
香川県のおもいやりネットワーク事業や大阪府のしあわせネットワーク事業は、府県レベルでの施設経営の社会福祉法人と市町村社会福祉協議会、民生委員児童委員協議会とが協議体を作り、生活困窮者支援などをはじめとした社会福祉法人の地域貢献活動を展開している。香川県、大阪府では全府県レベルの協議体とは別に、市町村ごとにも同じような協議体を作り、2重構造で社会福祉法人の地域貢献活動を展開している。
佐賀県の場合には、全県的な社会福祉法人の地域貢献の協議体はなく、市町村別に協議体を作って活動しているが、多久市の実践のように素晴らしい活動を展開していることに感動しました。

⑤「地域福祉実践研究セミナー」は一貫して、住民の福祉教育を重要視してきました。地域を豊かにするのには、行政依存では駄目で、住民自身が「選択的土着民」となり、地域福祉の主体形成をしなければなりません。そのためには、1979年に書いた「ボランティア活動の構造図」を意識した福祉教育の実践が不可欠だと考えてきました。
今回のセミナーでは、神埼清明高校や唐津西高校の生徒がセミナーで実践を発表してくれました。東井義男は、1957年に『村を育てる学力』を刊行していますが、今の時代はまさにそのような学力が求められています。唐津市では、高校を卒業するとほとんどの人が唐津市から出ていく状況を変えるべく、唐津市内にある8つの高校生を高校の枠を超えて、地域の大人、関係者が見守り、支援する活動が紹介されました。これは、「唐津くんち」という伝統文化があるからできるのかもしれませんが、高校の枠を超えて、地域の大人が高校生を見守り、支えていく実践こそ「村を育てる学力」につながる実践です。

⑥佐賀県では、ここ数年、水害及び山崩れが発生しており、被災者支援が大きな課題になっています。佐賀県には、日本レスキュー協会やピースポート災害支援センターなどのNGOが移転してきています。それらの団体の災害支援は、社会福祉協議会の「災害ボランティアセンター」の機能よりも、よりシステマティックな取り組みをしています。大町町に災害支援のバックヤードを開設したのもその一環です。それらのNGO、NPOと協働して、今年(2023年8月災害)の災害でも社会福祉協議会は唐津市と佐賀市で「災害ボランティアセンター」を開設して支援にあたりました。
武雄市等では、豪雨災害による被災が2~3年の短い間に2度災害が起きており、その被災者の支援には“泥水に使った床下や床上の災害の支援”に留まらず、長期的なスパンでの災害支援ソーシャルワーク機能の重要性が指摘されました。

⑦佐賀県でも一人暮らし高齢者が増大しており、その方々の終末期支援や死後対応事務は、従来の家族、血縁、地縁では対応できず、新たな社会システムが求められています。有田町社会福祉協議会が行っている「ハッピーエンディング事業」のような取り組みが佐賀県でも展開されていることが確認でき、これこそ社会福祉協議会の出番ではないかと心強い思いがしました。

⑧「地域福祉実践研究セミナー」としては、昨年に続いて特別分科会として、社会福祉協議会の経営分析、ミッションの在り方についての分科会が持たれました。市町社会福祉協議会、県社会福祉協議会、全社協の立場から登壇・発言をしてもらいました。
佐賀県有田町社会福祉協議会は2町合併した際に、事業の見直しが出来ず、結果として事務局体制と事業規模とのかかわりで職員の負担がふえたこと、住民座談会での住民の意見等を踏まえて、合併当初94事業あった社会福祉協議会の事業見直しを、評価指標を作成して行っています。担当職員レベル、管理職レベル、監事レベル、理事会レベルと多面的、多層的に評価を行い、結果として新しい事業の開始をいれても74事業に絞りこんだ実践は、これからの社会福祉協議会経営の在り方として注目に値します。

〇このように、「第28回地域福祉実践研究セミナーinさが」では大きな学びが沢山ありましたし、佐賀の実践を全国に発信する必要性も明らかになりました。
〇「第28回地域福祉実践研究セミナinさが」の開催は、昨年(2022年)の8月に急遽お願いしたにも関わらず、かような盛大なセミナーを開催できましたこと、また、この間、豪雨災害により多くの社会福祉協議会が災害ボランティアセンターへ職員を派遣する等災害被災者支援に忙殺されながら、このセミナーの準備にまい進して頂きました。
〇更には、開催に当たって、CSO関係者や行政関係者、社会福祉施設を経営する社会福祉法人関係者、民生委員児童委員が一堂に会して“オール佐賀の福祉”のセミナーを行うことを意図してくださり、その願いはまさに実現しました。このセミナーを契機に、佐賀県の社会福祉が新たな発展のステージに協働して上ったのではないかと実感できるセミナーでした。
〇改めて、「第28回地域福祉実践研究セミナーinさが」が盛会裏に行われましたことに心から厚く感謝とお礼を申し上げます。これは,ひとえに佐賀県社会福祉協議会の役職員の皆様はもとより、佐賀県内市町村社会福祉協議会、佐賀県民生児童委員協議会、西九州大学関係者、佐賀県が推奨しているCSOの関係者の皆様のご支援、ご尽力による賜物です。とりわけ、佐賀県社会福祉協議会のまちづくり課副課長の小松美佳さんのご尽力に心より敬意と感謝を申し上げます。
〇日本地域福祉研究所としての全国レベルでの「地域福祉実践研究セミナー」の開催は、今回の第28回が最後です。私が、日本地域福祉研究所の理事長をこの5月に退任したことと、日本地域福祉研究所が開催するだけの体力、財力が確保できないからです。少し残念な気もしますが、日本地域福祉研究所が新たな企画で、全国の草の根の地域福祉実践を豊かにする取り組みを推進することに期待したいと思います。

(2023年8月30日記)

(備考)
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログ(「阪野貢 市民福祉教育研究所」で検索)に第1号から収録されていますので、関心のある方は検索してください。
この「老爺心お節介情報」はご自由にご活用頂いて結構です

老爺心お節介情報/第47号(2023年8月12日)

「老爺心お節介情報」第47号

皆さまお変わりなくお過ごしでしょうか。
立秋とはいえ、猛暑厳しく、体がおかしくなりそうです。
「老爺心お節介情報」を送ります。ご笑覧下さい。
どうぞご自由にお使いください。

2023年8月12日   大橋 謙策

〇毎日、暑い日が続いていますが、皆様お変わりなくお過ごしでしょうか。
〇6月2日に「老爺心お節介情報」46号を出して以降、秋田県、岩手県、香川県、石巻市、富里市等のCSW研修の前期日程が入り、あまりにも忙しくて「老爺心お節介情報」を書けませんでした。
〇と同時に、この間、これはといった本も読めずにいましたので、「老爺心お節介情報」を書くことができませんでした。申し訳ありませんでした。

Ⅰ 『民は立つ』(信濃毎日新聞社、2007年10月)

〇本書は、日本地域福祉学会終了後訪問し、その後その地域の地域福祉の在り方を考えることが必要だとして“結成”された中条プロジェクト(旧中条村の地域福祉の在り方を考える会)のメンバーである旧中条村社会福祉協議会職員の黒岩秀美さんから寄贈されたものです。
〇本書を知った経緯は、私が1965年に実習させて頂いた長野県下伊那郡阿智村の岡庭一雄元村長が新聞の使命などに関わるあり方を信濃毎日新聞に最近寄稿された記事を小池正志さん(元長野県社会福祉協議会事務局長、中条プロジェクトのメンバー)が送ってくれたので、読みたいとメールを送ったところ、黒岩秀美さんが寄贈してくれました。
〇本書は、長野県内の自治体で起きている事案を取り上げ、その事案の解決に向けて住民の合意がどのように形成されるのかを中心命題にして、住民同士の論戦、住民と行政との関係、住民と市町村議会議員との関係などについて取材したものをまとめたものです。
〇主に、田中康夫県知事時代の状況をめぐっての論題ですが、住民自治、地方自治、住民の意識と学習等“地域づくり”に関わる根幹を問いかけています。
〇また、長野県は小さい村が沢山あり、村自体の存立が可能なのか、財政難であえぐ村の“自立”の問題、それを“ある意味、国が強権的に合併させようとした平成の合併”問題で揺れる村の状況を丁寧に記事にしたものです。
〇取り上げられた事案は、市町村合併、高校再編、保育所の廃止・民営化問題、ダムの建設の是非、スキー場の経営と委託化、山村留学、公民館の在り方と地域づくり協議会(地域自治協議会)等の問題が取り上げられ、地域づくりに住民がどう関わるのか、民主主義とは何かを問いかける力作です。長野県茅野市の「CHUKOUらんどチノチノ」の実践も紹介されていました。
〇他方、住民同士の横のつながりの希薄化、人任せ、行政任せの依存体質、地域自治会の役員のなり手がない状況に輪をかけて、地域の高齢化、人口減少などの“地域存続の危機”についても論究しており、地域づくりに関心のある人には是非読んでほしいものです。
〇筆者は、1980年に「自立と連帯の社会・地域づくりに向けたボランティア活動の構造」を示し、かつ4つの「地域福祉の主体形成」(地域福祉実践の主体形成、地域福祉サービス利用の主体形成、地域福祉計画策定の主体形成、社会保険契約の主体形成)を提唱してきました。そこには、榛村純一(元静岡県掛川市市長)が提唱した「選択的土着民」と相通ずる考え方があります。住民一人一人が地域を愛し、人任せでなく、行政任せでなく、自らが主体的に地域を豊かにすることに関わる活動、文化が醸成されない限り、地域は良くならないという哲学が底流にあります。
〇そのような考え方は、筆者が東京大学大学院で社会教育を専攻し、長野県各地で実習をさせて頂いてきたからつくられたものであろうし、筆者が日本社会事業大学へ進学しようとする契機になった島木健作著『生活の探求』と相通ずるものです。
〇しかしながら、本書を読むと住民の合意形成の難しさ、民主主義的議論・手続きの進め方の難しさ、資料の作り方の難しさがよくわかります。
〇私も、大学3年生の実習で、長野県下伊那郡喬木村で実習させて頂いた折、「喬木村公民館報」に、当時、小渋川開発に関わる土地収用法の解説を書けと言われて、住民向けに、どのような資料を提供したらいいのか悩んだ記憶があります。それは、たぶん、「喬木村公民館報」に掲載されていると思います。
〇本書を読んで、改めて1960年代に志した自分の“思い”を見直すことになりました。地域福祉研究者、実践者は、どれだけ“地域づくりの難しさ”を実感して、取り組んでいるのでしょうか。
〇本書には、島根県邑南町口羽村の実践(『過疎を逆手に取る』)も紹介されていましたが、改めて1978年に書いた社会福祉施設の地域化と社会化の論文(「施設の社会化と福祉実践」『社会福祉学』第19号、1978年)を思い出し、社会福祉施設を経営している社会福祉法人の“地域貢献”ではなく、地域住民の拠り所、共同利用施設としての社会福祉法人という視点からの社会福祉法人の”地域貢献“を考える必要があるし、社会福祉法人が”限界集落“、”消滅市町村“の危機にある地域において、どのように地域づくりに貢献できるのか、その位置と役割は大きいと思いました。
〇「持続可能な地域づくり」と「地域福祉」と「社会福祉協議会」と「施設社会福祉法人」との関係を考える上で、是非、『里山人間主義の出番ですーー福祉施設がポンプ役のまちづくり』(指田志恵子著、あけび書房、2015年3月)と『ソーシャルイノベーションーー社会福祉法人佛子園が「ごちゃまぜ」で挑む地方創生』(監修雄谷良成、編著竹本鉄雄、ダイヤモンド社、2018年9月)を読んでほしいと思いました。
〇これからの地域福祉は、持続可能なまちづくり、地域づくりとの関係を抜きにしては考えられません。その際の社会福祉施設の役割は、高知県の「ふれあいあったかセンター」の実践ではありませんが、社会福祉施設の役割は大きいと思います。

Ⅱ 健診とがん告知・その ⑤

①前立腺がんの定期検診が、日本医科大学多摩永山病院で、6月15日に行われた。その際、前回の3月28日の健診の検査結果が示されたが、PSA数値が0・010となっており、医師からは順調な診療経過であると告げられる。
医師に、このPSAはゼロにならなくていいのかと問うと、前立腺を摘出していないので、それがある限りはゼロにならないという。もう一つ質問をした。この数値で見て、前立腺がんは消滅したと考えていいのかと問うと、そうですとの答え。
ホルモン注射も、今までは3か月に1回であったが、今回は6か月分をうつので、次回のホルモン注射は12月になるという。
ホルモン錠剤の投与は、90日分しかだせないので、次回の診察は9月に行うとのことであった。後は、経過観察を定期的に行っていくことになる。

②6月2日~6月15日まで、2種類の補聴器のお試し装用をしてきたが、「聞こえ」の面で特段の効用があったとは思えない。
6月16日の診察日に、お試し装用期間の記録(別紙)を提出し、とりあえずは補聴器の装用を辞退したい旨医師に告げると、補聴器機能を調整して、もう少しお試しをしようとの返事。そのあと、補聴器の調整をしてもらって装用したが、どうも効果が出ない。STと認定補聴器技能者は調整しても効果がでないので、今しばらく様子を見ましょうと言ってくれた。医師はおかしいなと首をかしげながら、STなどの意見を受け入れ、補聴器装用は現時点ではしないことに決定した。
使用させてくれた2種類の補聴器は、両耳で120万円クラスの機器と聞いて驚いた。

(備考)

③8月3日、右目の白内障手術を受けた。7月31日から、2種類の点眼薬を点眼し、手術日の8月4日は朝から瞳孔を開く点眼薬を指して、手術に臨む。右目の部分麻酔なので、声は聞こえるし、手術中の動きもわかる。眼球をいじられるので、少々痛くはあったが、手術は10分、前後の準備も入れて20分もかからずに終了。
手術の翌日の8月4日に、眼帯を外す。明るく、ものがはっきりと見える。帰宅時にはサングラスをかけ、ゴーグルをして帰る。自宅に帰って、鏡を見ると、自分の顔にこんなにもシミがあったのかと、その老醜に驚く。眼がぼんやりしていた方がいい場合もあるのだなと妙に感心。
右目の視力は1・0で、老眼を懸けずに字が読める。これは嬉しいことである。パソコンも眼鏡なしで打てている。新聞も鮮明になり、老眼を抱えずに読めている。こんなにも違うのかと感心しきりである。妻が、“私の顔もきれいに見えますか”というので、もちろんきれいですと答えた。
ただ、手術後、4種類の点眼薬を朝、昼、晩、種類によっては寝る前と注すので、結構煩わしい。しかも、点眼は5分の間隔を空けて注せというので、時間もかかるのが大変。でも、こんなによく見えるようになったのだから文句は言えない。
8月12日、定期検査で異常がないので、洗顔、洗髪もOKとのこと。ただし点眼は約1か月続ける必要があるという。視力も1・2になっていた。
左目の手術は、9月7日の予定。

(2023年8月12日記)

(備考)
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログ(「阪野貢 市民福祉教育研究所」で検索)に第1号から収録されていますので、関心のある方は検索してください。
この「老爺心お節介情報」はご自由にご活用頂いて結構です。

老爺心お節介情報/第46号(2023年6月2日)

「老爺心お節介情報」第46号

「老爺心お節介情報」を送ります。
ご自愛の上、ご活躍下さい。

2023年6月2日   大橋 謙策

< 90日間の禁酒、5月29日に解禁 >

〇皆さんお変わりありませんか。
〇私の方は、2月28日から重粒子線治療のために禁酒生活でしたが、5月29日の診察で、前立腺がん腫瘍マーカーも0・065になり、無事解禁の許可が出ました。その晩のビール、日本酒での晩酌のうまいこと、やはりお酒はいいですね。

Ⅰ 市町村単位での、子育ち、子育ての健全育成システムの構築が重要――久徳重和著『人間形成障害』と岡田尊司著『発達障害「グレーゾーン」その正しい理解と克服法』及び成田奈緒子著『「発達障害」と間違われる子どもたち』を読んで

〇1947年に制定された児童福祉法は、すべての子どもの健全育成対策と何らかの支援を必要としている要保護児童対策が法律に盛り込まれている。
〇児童福祉法が制定された当時は、戦前の富国強兵に向けた“産めよ増やせよ”の時代の名残りもあり、世帯当たりの子どもの数も多く(ベビーブームの時期)、かつ近隣の社会関係も豊かにあり、子ども自身もインフォーマルな遊びの中で豊かに育っていた時代であったにも関わらず、児童福祉法で児童健全育成の必要性を打ち出していた。
〇そこでは、子ども会活動、青少年委員による多様な学校外の社会活動があり、都市化が騒がれる1970年代には各地で児童館、学童保育の設置がすすめられてきた。
〇それは、どちらかといえば、児童福祉行政もさることながら、社会教育行政によって推進されてきたという面があったこと否めない。
〇私自身、1970年代に書いた論文で、それら地域での児童の子育ち・子育てに関わる健全育成政策に関し、学校外教育の組織化として考え、論文を書いてきた。
〇しかし、一方で、1970年ころには子ども・青年の発達の歪みが明らかになり、私自身、社会関係を持てない“さあ別に族”や“まあね族”の登場を指摘し、要保護児童ではない子ども・青年の発達保障の必要性を指摘してきた。
〇それは、オオカミ少女アマラ・カマラやオオカミ少年ヴィクトールほどの極端な例ではないにしても、家庭での子育て機能がぜい弱化し、その機能を社会化しなければ大きな問題になることを指摘してきた。それは、ジョン・デューイの教育論、宮原誠一の教育論の改めての見直しの必要性をのべたものであった。
〇それは、1978年に上梓された久徳重盛著『人間形成障害病』のご子息である久徳重和著『人間形成障害』祥伝社)や岡田尊司著『発達障害「グレーゾーン」その正しい理解と克服法』(SB新書)、成田奈緒子著『「発達障害」と間違われる子どもたち』(青春新書)でも指摘していることと同じである。
〇発達障害の“グレーゾーン”の子ども・青年を要保護児童として位置づけ、療育の対象と考えるよりも、それらの現象、事象が生活様式や生活リズムを変えることにより改善されていること、うらを返せばそれらの現象、事象は“日常生活における無意識な中での人間形成に由来している“ということをきちんと押さえておく必要があるのではないか。
〇人間の成育を“社会実験”するわけにはいかないが、それらの現象、事象は生活様式、生活のリズムの崩壊がもたらしたものと考えることが重要ではないか。
〇そうだとすると、現象、事象の喧嘩に対し、要保護児童対策として対症療法的に政策を考えても、個別問題を解決できても、また同じような個別問題が創出されるということになり、全体としての問題解決にはならない。
〇市町村を基盤に、子育ち、子育ての新しい文化を児童健全育成として構築し、そのシステム化を市町村に展開することが喫緊の課題ではないのだろうか。
〇現在取り組まれている子ども政策は、どこかこの健全育成のシステム化、学校外教育の組織化の問題は失念されているように思われてならない。

Ⅱ 健診とがん告知・その ④

〇新型コロナウイルス感染症の影響のマイナス面は大きいものがあるが、私にとってはある意味、従来の行動パターンを見直す機会にもなったし、事実上研修などが控えられたことで自分の時間が持てるようになった。
〇その所為もあって、前立腺がん治療も滞りなく進捗したし、ついでというのもおかしいが、以前より気になっていた耳鼻咽喉科の検査、眼科の検査も受診しようと考えることができた。
〇結果は、耳鼻咽喉科では補聴器を6月2日より試用的に装用することになり、眼科では10年ぶりの診察で、白内障が進んでいることが明らかになり、8月3日と9月7日に白内障の手術を受けることになった。
〇79歳の年に、眼科、耳鼻咽喉科、泌尿器科の診察でクリニック通いが目白押しであり、以前から通っている歯科を加えると、まるで毎日がクリニック通いになってしまった。
〇しかし、これらの“人間改造”も、80歳台を楽しく生きる準備だと前向きにとらえ、一つ一つの経験が興味深く、楽しみながらクリニック通いをしている。
〇昔の人は、実に人間観察が鋭かったのだと最近つくづく思っている。私も、頬の筋肉がたるんできたのか、“瘤取り爺さん”の様相を呈し始めてきており、毎朝洗顔時に顔の筋肉のトレーニングをしているが、残念ながら“瘤取り爺さん”の様相は変えられない。
〇歯肉が痩せ、上顎の犬歯が飛び出す“鬼の形相”にもなってきたのも昔の人の観察と同じである。
〇そのような加齢に伴う顔の形状変化に加えての白内障手術、補聴器装用、前立腺がんと全く自然には逆らえないことを実感する日々である。せめて、足の筋力が落ちないようにと、ひたすら歩いて、体力維持を試みるしかない。

〇前立腺前立腺がんの重粒子線治療後の経過診察が、神奈川県立がんセンターで術後3か月の2023年5月29日に行われた。
〇前立腺腫瘍マーカであるPSA数値は、0・065なので、これはゼロにならなくていいのかと医師に聞くと、なってもならなくても変わらないというので、それは前立腺がんが消滅したことを意味するのかと問うとそうだと理解していいという。
〇お酒は飲んでいいのかと問うとこれもいいという答え。温泉はどうかと質問するとそれも問題ないという。
〇前立腺がんに伴う重粒子線治療で、禁忌になったのは、洪文部を圧迫するために自転車に乗ることを禁止されただけになる。
〇医師の診察を受け、自分としては“準快気祝い”だと考えて、5月29日、お酒を飲む。缶ビールと日本酒を飲んだが、やはり美味しい。
〇10年前の第2回目の四国歩きお遍路の時は、40日間禁酒をした。結願した後の徳島市で、仲間とお酒を飲んだが、その時はビールがまずく、酒席を早々に引き上げた。今回は90日間の禁酒期間であったが、ビールもお酒も美味しかった。
〇この違いは何かと考えてみたがよくわからない。四国お遍路の時は、体重が74キロから68キロまで落ち、体脂肪率も18であったのに比し、今回は禁酒前が72キロ、解禁日が71キロ、体脂肪率が20ということの違いかなと思ったりする。
〇今後は、神奈川県立がんセンターには3か月ごとに通いか、郵送で重粒子線治療を進めた日本医科大学多摩永山病院の3か月ごとの血液検査結果を報告するだけになる。基本は日本医科大学多摩永山病院で3か月ごとの診察とホルモン注射を受けることになる。服薬しているホルモン療法の錠剤は毎日1錠、2024年6月末まで続けることになる。

(2023年6月2日記)

(備考)
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログ(「阪野貢 市民福祉教育研究所」で検索)中の「大橋謙策の福祉教育論」に第1号から収録されていますので、関心のある方は検索してください。この「老爺心お節介情報」はご自由にご活用頂いて結構です。
そこにはまた、3回の「四国歩きお遍路紀行」と「熊野古道(中辺路・伊勢路)紀行」も収録されています。

老爺心お節介情報/第45号(2023年5月21日)

「老爺心お節介情報」第45号

お変わりありませんか。
「老爺心お節介情報」第45号をお届けします。
どうぞご自由にお使いください。

2023年5月21日   大橋 謙策

< 日本地域福祉研究所の理事長退任 >

〇2023年5月20日に大正大学で行われた日本地域福祉研究所の理事会、総会で、日本地域福祉研究所の理事長を退任することが認められました。
〇1994年12月23日に、日本地域福祉研究所を設立し、2000年1月にNPO法人格を取得し、理事長を担ってきましたが、30年目の節目の年に後進に道を委ねます。
〇今回の改選で、理事等が大幅に若返りました。70歳以上の理事は基本的に退任(『コミュニティソーシャルワーク』の編集担当の田中英樹理事は重任)し、若いフレッシュな人が理事に選任されました。同時に、特任理事、客員研究員、主任研究員等の選任も行われました。この特任理事、客員研究員、主任研究員についても、若返りを図る必要がありますが、それは次期理事会で検討することになりました。
〇新体制の理事会は、6月1日に行われ、互選で理事長などを選びますが、現時点では法政大学現代福祉学部教授、当研究所の副理事長の宮城孝先生が選任される見込みです。
〇地域福祉研究者の皆様、社会福祉協議会関係者の皆様には、長年に亘り、日本地域福祉研究所及び理事長である私を支えてくださり、衷心より厚く感謝とお礼を申し上げます。理事長は替わりますが、今後とも日本地域福祉研究所へのご支援、ご鞭撻を心よりお願い申し上げます。(2023年5月21日記)

Ⅰ 地域福祉研究者の「研究者文化」と日本地域福祉研究所の設立目的

〇日本地域福祉研究所は1994年12月23日に設立されました。日本社会事業大学大学院修士課程を修了した人を中心に設立しました。元東京都社会福祉協議会職員で、静岡英和大学、静岡福祉大学で教員をされた青山登志夫さん等が尽力してくれて、日本地域福祉研究所の設立ができました。
〇日本地域福祉研究所設立に際し、私は4つの設立目的を考えました。
〇第1は、新しい社会福祉の考え方である「地域福祉」の哲学、理念、実践の在り方などに関する「地域福祉」の普及・啓発でした。
〇筆者は、地域福祉実践・研究を市町村社会福祉協議会を基盤に確立しようと考えて、取り組んで来ましたが、日本の社会福祉学界では、“私のような研究領域、研究方法は社会福祉プロパーでない”と厳しい批判を受けてきました。それらの意見との戦いも含めて、「地域福祉」の考え方の普及と啓発が必要だと考えました。そのことが、従来のコミュニティオーガニゼーション、コミュニティワークに代えてコミュニティソーシャルワークという提唱になります。また、同じように福祉教育を軸とした地域福祉の主体形成理論の提唱も行ってきました。
〇第2には、地域福祉実践の向上に向けた各種研修と実践者の組織化です。
〇筆者は、全社協主催の「地域福祉活動指導員養成課程」の講師を長らく務め、社会福祉協議会職員の研修の重要性を痛感していました。
〇その全社協主催の「地域福祉活動指導員養成課程」が修了したこともあり、その代替機能を担えればと思いました。一時は、通信制の研修システムの構築も考えました(当時は、今ほどICTの発展・普及がない中での紙媒体による通信制を考えていました。いまなら、ICTを使ってできるかもしれません)。
〇その代わりというわけではありませんが、年1回「地域福祉実践研究セミナー」を日本地域福祉研究所が「関係人口」として深く関わり、その地域の実践にある意味影響力を持っている地域で、その地域の実践をフィールドに学習するセミナーを開催しようと考えました。名称も、“地域福祉実践セミナー”でもないし、”地域福祉研究セミナー“でもなく、「地域福祉実践研究セミナー」としたのも、実践と研究の循環を考えたからです。
〇1995年5月に島根県邑南郡瑞穂町で行われた「山野草を食べる会」に呼ばれた際に、当時の瑞穂町社会福祉協議会の日高政恵事務局長にお願いし、1995年8月に第1回を開催したのが始まりです。
〇筆者自身の瑞穂町との関りは、1981年に当時の島根県社会福祉協議会の山本直治常務理事、松徳女学院高校の山本壽子教諭の紹介で訪問したのが最初で、その後瑞穂町の福祉教育、地域づくりの支援に関わってきました(『安らぎの田舎の道標』大橋謙策監修、澤田隆之・日高政恵共著、万葉舎、2000年8月参照)。
〇第3は、地域福祉実践の記録化と出版化です。
〇筆者は、日本社会事業大学大学院で博士課程を修了し、博士の学位を取得した人にはその博士論文を単著として、刊行し、世の評価を受けるべきだと考えてきました。
〇当時、中央法規出版にお願いしました。できれば中央法規出版が全国の大学の社会福祉系の博士論文を刊行するシリーズを作ってくれればありがたいという思いも含めてお願いしました。日本社会事業大学で博士の学位を授与された野川とも江さん、田中英樹さん、宮城孝さんの博士論文は刊行されました。その後は、出版事情の悪化などもあり頓挫してしまいました。
〇これは、当時の日本社会事業大学の伝統に倣ったものです。当時の日本社会事業大学では、40歳で単著を刊行するのが、教授に昇格する基準でした。私も必死だったことが思いだされます。
〇また、当時は、出版される本の背表紙に著者であれ、監修であれ、名前が明記されるのは、ある意味研究者のステイタスシンボルでもありました。私の恩師は、そのような機会を若手に作り、論文をかくことを奨励してくれました。
〇そのような“伝統”を引き継ぎたいと考えて、博士論文の出版化を推奨してきました。
〇と同時に、日本地域福祉研究所が関わることで、全国各地の実践が向上するならば、その実践を記録化し、できれば刊行したいと考えました。研究所の設立に何かとご支援、ご協力してくれた東洋堂企画出版社(のちに、万葉舎と改名)の尾関とよ子社長(尾関社長との間を取り持ってくれたのは、1970年からのお付き合いがある手嶋喜美子元板橋区区議会議長さんである)が、この考え方に賛同してくれて、出版事情が悪くなってきている中でも、日本地域福祉研究所が関わった実践を出版化してくれました(この件は、「老爺心お節介情報」の第44号の「関係人口」の中で紹介しているので参照してください)。
〇第4は、地域福祉実践・研究者の育成の機会の提供です。
〇筆者は、地域福祉研究者は、自分のフィールドを持ち、その地域と深く関わりながら、その実践を体系化、理論化することが肝要で、“空理空論”を振りましても地域福祉実践・研究にならないと考えてきました。だからこそ、市町村自治体の地域福祉計画を作る場合でも、タスクゴールだけ華やかに、かっこよく作っても、それが具現化されなければ駄目だと考え、住民の意識変容と参加を促すプロセスゴールと地域関係者の社会福祉に関わる力学を変えるリレーションシップゴールの重要性と必要性を考え、実践してきました。
〇そのようなフィールドを持てる研究者に育てるためには、私自身が関わるフィールドに同道して学んでもらうとか、フィールドを提供して実習なり、その地域へのコンサルテーションを行う能力を身に着けてもらうことが必要だと考えてきました。
〇私自身、恩師の“カバン持ち”で、随分と全国の実践現場に連れて行ってもらいましたし、恩師の名刺に“大橋を頼む”という一筆を書いてもらって、恩師が紹介するフィールドに出かけたものです。
〇そんなこともあり、大学院生や若手の研究者にフィールドをもってもらいたくて、いろいろチャンスを提供してきました。成功した場合の方が多いのですが、失敗したことも多々あります。若い頃は、ついつい“自分ひとりで偉くなったつもり、自分は豊かな能力があると過信しがち“で、私の教えが頭に入らず、生意気な言動をとって、実質的に”退室“せざるを得ない人もありました。
〇第5は、日本地域福祉研究所で長らく地域福祉実践に貢献された方々の“たまり場”、拠り所としての「福祉サロン」の機能を持つことでした。
〇全社協の事務局長された永田幹夫先生や三浦文夫先生をはじめとして、社会福祉協議会の第一線で頑張ってこられた方々や地域福祉研究者の「福祉サロン」ができれば、ノンフォーマルな学習の場が機能できると考えました。日本地域福祉研究所の事務室とは別の階のフロアーを借り、冷蔵庫等を整備して、「土曜福祉サロン」などの開催も試みました。現役の方は忙しいけれど、たまには集い、定年退職された方はサロンに来るのを楽しみ、若手に自分の実践を話してくれれば、それが地域福祉実践研究の向上につながると“夢”見ました。
〇このような目的を考えて設立した日本地域福祉研究所ですが、どれだけその目的が達成されたかは、関係者の皆様の評価に委ねることにします。
〇ところで、このような日本地域福祉研究所設立の目的を考えたのは、筆者を育んでくれた「研究者文化」があったからです。
〇日本の大学の教育研究システムは、大きく分けて講座制と学科目制があります。講座制は主任教授、助教授、講師、助教等複数の教育研究スタッフがいて、いわばチームで教育研究を行うシステムです。それに比し、学科目制は、開講されている授業科目を担当する教員が個別学科目毎に配属されているシステムで、研究というより、授業を行う教育に比重があるシステムです。
〇現在の社会福祉系大学は学科目制で教育研究が行われています。したがって、教員がチームで仕事をするとか、大学ごと、講座制の教室毎の「研究者文化」というものを構築することが難しいシステムで、教員個々人が独立した状況で教育研究を行います。大学院を出て、助教、講師という若手も一人前の教員、研究者であり、長年教育・研究に携わってきたベテランの教員とも対等であり、結果として若手の時から“自立している”とみなされるので、ベテランの先生方から「研究者文化」を伝授されるという機会がほとんどない状況です。
〇私の場合には、幸か不幸か、旧制大学で学んだ先生方から教えをうけたので、この「研究者文化」というものを色濃く受けています。妻に言わせれば、それほどまでにしなくてもいいのではないかと揶揄されるほど、“先生の言動、論理展開、先生の社会活動”に“憧れ”、学び、時には“盗み”、身に着けてきました。日本地域福祉研究所の設立の目的は、そのような経緯の中で育てられた私が“行うべき責務、任務”だと学び、受け継ぎ、実践してきたものです。
〇日本地域福祉研究所を維持することは、所員になってくれた方々の会費だけでは賄いきれません。日本地域福祉研究所の理事になってくれた方々には寄付をお願いしました。また、日本地域福祉研究所自身、全国の自治体、社会福祉協議会の研修や計画策定業務の委託を受けて経営努力もしてきました。しかしながら、それでもとても経営は厳しく、私自身も毎年100万円以上の寄付を続けてきました。したがって、私の寄付金の累計は30年間で3000万円を超しています。そのような行動をとれたのは、恩師が“講演や研修で頂いた謝金は自分の懐に入れるな、自分の生活費に使うな”と強調していたからです。それらのお金は、実践で働いている方々や社会に還元しろと口を酸っぱくするほど言い募っていました。そんな「研究者文化」を長年叩き込まれてきましたのでできたことです。
〇このような「研究者文化」がいいかどうかは分かりません。しかしながら、現在の社会福祉系大学の教員、地域福祉研究者の言動をみていると、このような「研究者文化」ともいえる文化を身に着け、行動している人がほとんど見られないことはなんとも淋しい限りです。このような状況の下では、実践と研究のよき循環が衰退し、実践力もぜい弱化し、研究者の質も下がるという“悪循環”に陥らないか危惧しています。

(2023年5月21日記)

 

老爺心お節介情報/第44号(2023年5月9日)

「老爺心お節介情報」第44号

「老爺心お節介情報」第44号を送ります。
ご自由にお使いください。

2023年5月9日   大橋 謙策

〇皆さんお変わりありませんか。ゴールデンウイークは十分満喫されましたでしょうか。私はカレンダー通りの生活リズムで、自宅(標高60メートル)から歩いて30分かかる多摩の横山(万葉集の防人の歌として万葉集に登場する多摩丘陵の尾根で、標高100メートル~140メートル)を散策し、山野草のきれいな金襴を探して喜んでいました。
〇4月30日に、パソコンで作業をしていたら、突然画面が「トロイの木馬」になり、“このパソコンはウイルスに感染しました。この画面を修復するには会の電話番号に電話ください”というテロップが流れました。いくら操作しても画面はかわらないので、テロップに流れた電話番号に電話をするとかからず、電話を切ったら、先ほど電話したところから電話があり、“自分の指示の通りにすればパソコンの画面は我慢修復できます”というので、その指示に従って操作を続けた。電話の主は外国人らしく、日本語がたどたどしい状況で、不思議に思いながら指示された通りに操作していると、“このウイルスに感染した状況はお判りになったでしょう。これを修復するのには通常40万円かかりますが、私なら5万円で修復してあげます”というので、私は“これは詐欺ですね”といって、電話を切った。その後も電話がかかってきたが、対応せずにいたところに、娘の夫(娘婿)が丁度来たので画面を見てもらい、操作をしていたら、画面は戻った。娘の夫曰く、いつも来てもらっているシステムエンジニアに来てもらって、ウイルスに感染しているか確認してもらった方がいいということになった。システムエンジニアは自宅に来れるのが5月2日の夕方なので、それまでパソコンの電源を切って使わないでほしいということであった。
〇5月2日の夕方、システムエンジニアが来て、確認してくれた結果、パソコンはウイルスには感染していないようで、「トロイの木馬」を使って、画面を占有し、修理代を巻き上げようという詐欺ではないかということに落着した。
〇丸々2日間、パソコンが使えず、不安の日々を過ごした。システムエンジニア曰く、パソコンを使い始めて25年になるのに、今までよくこのような事案にかかりませんでしたねと妙に感心されてしまった。
〇皆さんはパソコンのトラブルにはどのように対応されているのでしょうか。とても怖くなりました。(2023年5月9日記)

Ⅰ 「バッテリー型研究」と「関係人口」――関係性を豊かに持った自治体

1)はじめに
〇筆者の「老爺心お節介情報」の誤字脱字を修正したうえで、多くの方に読んでもらえるよう、阪野貢先生が自ら主宰している「市民福祉教育研究所」のブログにおいて、「大橋謙策の福祉教育論」というコーナーを設置してくれ、その中に「アーカイブ(3)老爺心お節介情報」が第1号から収録されている。
〇その阪野貢先生からの要望で、筆者の地域福祉実践、地域福祉研究に於いて、「関係人口」をどう考え、位置付けているのかを書いて欲しいという要望があった。

阪野貢先生のメール
“先生がこれまで、全国で「関係人口」として主導されてこられた数多くの地域づくりに関し「関係人口」のあり様等についての玉稿を(福祉教育の視点から)お願いしたいと念じております。いかがでしょうか。恐縮至極ですが、「老爺心お節介情報」の一読者からの願い(リクエスト)です。

〇その要望に応えるべく、本稿を書いているが、本稿はもとより「関係人口」に関わる学術論文ではないし、阪野先生なり、阪野先生のブログの読者が何を聞きたいのかを精査しているわけではないので、ある意味、私なりにこの50年間の地域福祉実践、地域福祉研究において、どのような関係性をもって行ってきたのかを書くことで責をはたしたいと思う。
〇ただし、阪野先生のメールの括弧書きしてある“福祉教育からの視点”は今回は触れずに書かせて頂いた。

2)「バッテリー型研究」と「関係人口」――その関係性
〇「関係人口」という定義は、緩やかにその地域とその地域づくりに関わる外部の人間として定義しても、その関係性をどういう尺度で図るのか定かでない。関りを持つ地域への訪問の頻度、回数の問題なのか、地域に関わりを持とうとしている外部人間をその地域関係者がアドバイザーや各種計画策定委員として任命しているのか、それとも関りを持とうとしている人間が自称「関係人口」と標ぼうしているのか、さらにはその地域との関りが一過性でなく、継続的に、長期的に関わる期間、スパンのことを問うているのか、必ずしも定かでない。
〇筆者が「バッテリー型研究」というのは、これら「関係人口」の考え方も含めていると同時に、その地域における地域福祉実践に関わる研究方法をも考えている。
〇社会福祉学会における研究方法、研究倫理は、リサーチ系研究における研究方法、研究倫理、あるいは個別支援に関わるソーシャルワーク実践における質的研究、研究倫理はそれなりに確立し、研究者も順守する環境が整備されつつある。
〇しかしながら、地域福祉実践、地域福祉研究における研究方法、研究倫理は必ずしも論議が進んでいないし、確立もしていない。
〇筆者は、講演や研修で招聘だけの地域の関りなのか、それともその地域の地域福祉実践に関わるコンサルテーションまでも依頼されるのか、その地域との関りを持つ際に常にそれらのことを意識してきた。
〇そして、単なる講演や研修のための招聘に留まらず、その地域の地域福祉実践の向上に自分がどう関われるのか、時には差し出がましい提案を敢えてするようにしてきた。コンサルテーションを行うにしても、“差し出がましい提案”をするにしても、その地域の住民の地域社会生活課題はなんであり、それをどう改善する地域福祉実践を展開するのかを常に考え、把握しようと意識してきた。
〇それと同時に、その地域を訪問する際には、事前に各種統計資料や既存の策定された計画を送って頂き、分析していくとか、現地に入り、地域を短時間でも案内して頂くとか、行政や社会福祉協議会の職員に何が生活課題なのかを聞く等して把握するように努めてきた。
〇コンサルテーションや“差し出がましい提案”をする場合には、自分なりに、その地域の地域福祉実践を向上させるための“実践仮説”を提示することに努めてきた。その地域の実践の“評論”ではなく、今後の発展を考えての“実践仮説”の提示である。“評論”と“実践仮説”との違いは、その地域で頑張っている人々を励まし、やる気にさせ、改革してみようと思わせるかどうかが重要な違いのポイントだと考えてきたし、“実践仮説”を提示するということはその内容、発言に責任をもつということでもある。
〇また、そのことは、どのような「関係人口」に位置づくかは知れないけれど、担当の職員が継続的関りを持ちたい(年賀状のやり取り、手紙やメールでの相談等職員が尋ねてくれば対応するという“来るものは拒まず、去る者は追わず”の精神)と思うならば、それなりに支援することを考えてきた。
〇というのも、地域の力学は複雑であり、担当の職員がいくらがんばろうとしても、“地域は動かない”場合があり、地域を対象に考える場合、“天の時、地の利、人の和”という諺通り、時期が来ないと地域を変える改革のエネルギーが充満しない場合がある。これらの時期を見誤ると、“実践仮説”ももって頑張ろうとしている職員の努力が徒労に終わるか、あるいは“組織から、地域から排除の対象”になりかねない。このことで苦労された職員を数多見てきている。地域福祉研究者はそれらのことにも目配り、気配りができなければならず、“実践仮説”という名のもとに、担当職員を“煽り、扇動し”、結果的に職員のみならず、研究者自身がその地域への“出入り禁止”を事実上申し渡される事案は数多ある。
〇筆者が関わった地方自治体において、行政との関わりは主に地域福祉計画等の行政計画のお手伝いを通し、その計画策定後、その計画の進行管理、アフターフォローを兼ねて、地域保健福祉審議会等を条例設置し、その委員長として以後関りを継続する場合が多い。
〇他方、市町村社会福祉協議会を通じての関りは、担当の職員は全社協主催の「地域福祉活動指導員養成課程」の研修やコミュニティソーシャルワーク研修の際に出会い、意気投合して、その職員の社会福祉協議会を軸にした市町村の地域福祉実践の向上を目指して関りを持ってきたことも多い。
〇前者の場合では、岩手県遠野市、東京都目黒区、豊島区、長野県茅野市等であり、後者の場合では、東京都狛江市、富山県氷見市などがある。この両者は関りの入り口、契機は別々であるが、筆者は常に市町村行政とそこの社会福祉協議会とが共働するように仕向け、新たなシステム、サービス開発を行ってきた。それは、地域福祉は市町村という政治行政機構の最も基礎となる自治体が基盤だということを常に意識していたからである。

3)関係性も持った自治体、社会福祉協議会の計画、実践の記録化
〇筆者が「バッテリー型実践、研究」として関係性を持った自治体は、山口県宇部市や富山県氷見市のように30年を超えるところもあるし、担当職員の熱意に絆され関係を持ち始めたが、その担当職員の人事異動や組織の上司が変わり理解を得られなくなるなどの理由から3~4年で関係性がなくなる場合もある。さらには、いったん関係が閉ざされたように思えたものが数年後に再開される場合などもあり一様ではない。
〇筆者が関わりを持ち続けたいと思い、かつ地域の関係者も持ち続けてほしいという場合でも、筆者の時間には限りがあるし、筆者が関係性も持ち、その地域の地域福祉実践を向上させるために継続的に関わっていくためには、筆者個人ではどうみても対応できない。
〇そこで、1994年12月に日本地域福祉研究所を設立し、日本社会事業大学大学院で教えた教え子たちを私のいわば“分身”として関係性のある自治体に派遣し、組織的に関係性を継続できるようにしようと考えた。それは、大学院で“頭でっかちな地域福祉論を学ぶ”ことよりも、身につく体験学習の場ではないかとも考えて、教え子たちに筆者が関係性を持っていた自治体を任せ、継続的にコンサルテーションができればと考えたからである。
〇しかしながら、筆者の思惑を理解し、思惑通りに成長してくれた人もいれば、期待にそぐわず、関係性を壊してしまったり、期待する実践家、研究者にならなかった人もいる。
〇と同時に、筆者は、その地域との関係性を“俗人的なもの”にせず、社会的に汎用性あるものとするために、関係性により作り上げられた、その自治体の地域福祉実践や地域福祉計画を記録化し、世に問うために出版するということを心掛けてきた。
〇その場合、計画レベルのものを本にしても実践的裏付け、検証がなく、単なるきれいごとの“絵にかいた餅”になりかねないので、一定の実践を踏まえた後に、計画の理念と実際という形でその自治体の実践を本として刊行するということを心掛けてきた。
〇それら実践の記録化したものを、手元にある資料だけで紹介すると以下の通りである。

〇以上のような本としての記録は残っていないが、筆者が筆者なりに関係性をもって取り組んできた自治体として思い起すことができる自治体を列挙すれば以下の通りである。
北海道鷹栖町、遠別町、美深町、岩手県沢内村、秋田県藤里町、宮城県石巻市、千葉県鴨川市、富里市、東京都稲城市、東京都目黒区、東京都豊島区、香川県琴平町、愛媛県今治市、四国中央市、徳島県美馬市、島根県松江市、沖縄県浦添市
等である。
〇上記以外に、“関係性”の中味の捉え方に関わってくるが、日本地域福祉研究所が開催してきた27回の地域福祉実践研究セミナーの開催自治体、あるいは25回の四国地域福祉実践研究セミナーの開催地、さらには18回を数える房総地域福祉実践研究セミナーなども関係性を大切して、その地域の地域福祉実践を向上させようと取り組んできた自治体ということができる。

Ⅱ 市町村における子育て・子育ちシステムの構築化を求めて

〇2023年4月に、「子ども家庭庁設置法」が施行され、子育て、子育ち政策が新たな局面を迎えている。
〇従来の児童福祉行政は、“要保護児童を点と点でつなぐ、療育型、治療型、保護型施策に偏りすぎていて、地域で子育て、子育ちを支援するシステムになっていない“と筆者は批判してきたし、新たな視点に基づく市町村版の児童福祉行政の必要性を説いてきた。
〇しかしながら、考えられている子ども支援の政策は、必ずしも筆者が考えていることにはなっていない。
〇今、必要なのは、子育ての力が家庭でも、地域でも恐ろしくぜい弱になっており、この子育て、子育ちの土台となる地域で、社会的に子ども育てる機能を復元しない限り、要保護児童への対症療法的施策を展開しても問題解決にはつながらないと考えている。
〇戦後初期に制定された児童福祉法は要保護児童への対策、サービスの提供と他方、地域での児童健全育成という機能を促進させる2重の性格を有していた。戦後初期の子どもの数が多く、かつ地域での近隣の自然発生的助け合いが色濃く残っている時代であってが、児童福祉法は児童健全育成の必要性を説いていた。
〇今日の状況を考えると、要保護児童問題を発生させている基盤である市町村の、地域のすべての子どもを対象とした児童健全育成システムを構築することが必要ではないか。
〇それは、従来の児童福祉行政のみなら、学校教育行政、学校外教育の組織化、社会教育の再編成、新たな地域づくりまで含めて論議されなければならない課題である。
〇この2023年3月に、日本社会事業大学同窓会沖縄県支部の沖縄原宿会が主催でセミナーがオンラインで開催された。企画・立案してくれたのは沖縄大学の玉木千賀子教授で、筆者に『沖縄子ども白書』を始め、多くの資料、調査報告書を送り届けてきて、それを読み込んで講演してほしいという要望であった。
〇その講演の原稿起こしがなされるのかどうかわからないが、とても重要な今日的課題でもあるので、「老爺心お節介情報」の読者に是非考えてほしいと思い、とりあえずその講演のレジュメをここに転載することにした。皆さんに子ども問題への対応を考えてほしい。

Ⅲ 健診とがん告知・その ③ ――重粒子線治療のその後の経過

〇1月30日の医師による診察日から、2月28日に始まる重粒子線治療に向けての準備として胃腸の整腸剤の服薬が始まった。それから、2週間たち、左足の脱力感が強く、時々力が入らず、膝ががくっとしてしまうことが度々出てきた。その後の医師の診断の際にそのことを伝えると、それは整腸剤の影響ではなく、投与してきたホルモン療法によるものではないかといわれた。しかしながら、ホルモン療法は昨年2022年の6月から投与しているわけで自分では納得できなかった。投与された整腸剤の副作用として、筋力の低下がいわれていたので、自分には納得できなかった。
〇重粒子腺治療がおわり、整腸剤の投与もなくなって1か月、左足の脱力感はなくなり、普通に歩けるようになった。私としては、どう見ても整腸剤の副作用としか思えないが、釈然としないままである。要は、普通に歩けるようになったのだからいいとしなければならない。
〇同じように、ホルモン療法の副作用かどうかわからないが、自分の乳首の周りが何となく膨らんできているのが気になる。2~3年前から、3キロのダンベルを両手に持って、胸筋や背筋などの筋トレを行ってきた成果なのか、ホルモン療法の影響なのか分からないが、気になる状況である。
〇また、お酒を飲んでいるときには、ほとんど見向きもしなかった“甘いもの”が非常に欲しくなり、時々草餅や柏餅を買ってたべているのもホルモン療法の副作用なのだろうか。こんなに嗜好が変わるものだと自分自身驚いている。
〇夜間の頻尿は、重粒子線治療前後は1時間に1回という頻尿であったし、排尿する際にお尻がキューと絞られ、ふぐりから脳天まで通り抜けるような痛さが走り、我慢できず、薬を服薬してもらってきたが、その薬も4月17日できれた。5月に入ると夜間の排尿時の痛さもほぼなくなり、かつ頻尿も1時間30分に1回程度になり、状況によっては3時間ももつようになり、夜が少し楽になってきた。
〇禁酒解禁まであと3週間、この間6回ほど酒席懇親の場があったが、よく我慢できた。後、指折り数えて禁酒解禁を待つばかり。
〇前立腺がんとは関係ないが、妻がテレビを見ている時のボリュウムが高いような気がしていて、妻に4月になったら一緒に耳鼻咽喉科を受診しようといっていた。
〇(公財)テクノエイド協会の調べで、近くの聖蹟桜ヶ丘駅近くに日本耳鼻咽喉科学会認定の補聴器相談医がいることが分り、4月7日に受診した。結果は妻は25dBで問題なく、言い出した私が右耳30dB、左耳35dBで、私が軽度難聴者で、補聴器を付ける丁度いい時期だという診断になった。試みに6月2日より補聴器を体験することにした。
〇前立腺がんが落ち着きそうになったら、耳の問題、さらには、眼科にもいかないと運転免許の更新が難しいかもしれない。
〇老いるということはまさに医療機関のオンパレードだということを実感させられている。

(2023年5月9日記)

老爺心お節介情報/第43号(2023年5月5日)

「老爺心お節介情報」第43号

お変わりありませんか。
「老爺心お節介情報」第43号を送ります。
ご自愛の上、ご活躍下さい。

2023年5月5日   大橋 謙策

〇皆さんお変わりありませんでしょうか。季節の変わり目の日々の気候変動が激しく、体調管理が容易ではありません。お互いにくれぐれも気を付けましょう。
〇新型コロナウイルス感染症が感染症分類で2類から5類に変更になることで、規制緩和が進み、本当に人出が急速に増えました。
〇嬉しい便りがあります。私の教え子の朝倉香織さんが鳥取県社会福祉協議会の事務局長に4月1日付けで就任しました。体に気を付けて職務を遂行してほしいと願うばかりです。
〇「老爺心お節介情報」第42号でご案内した『福来の挑戦――氷見市地域福祉実践40年の歩み』の出版記念を兼ねた氷見市地域福祉実践セミナーが4月15日~16日に行われ、全国各地(宮城、群馬、長野、岐阜、愛知、静岡、香川、佐賀、宮崎等)から200名を超える参加者で盛会裏に行われました。原田正樹日本福祉大学学長や、全社協地域福祉部の高橋良太部長、香川県社会福祉協議会の日下直和事務局長等も参加して頂き、久しぶりの対面でのセミナーを満喫しました。
〇私は35年ぶりに氷見市内の2つの地区の住民座談会に参加しました。35年前に、地区社会福祉協議会作りのために入り、住民座談会をした地区です。その後地区社会福祉協議会がつくられ活動を展開してきたものの、それもマンネリ化し、形骸化していたのを、氷見市社会福祉協議会職員のエリア担当制の導入とともに、担当職員が地区社会福祉協議会の活動を住民の生活課題を明らかにするアンケート調査などを行い、地域生活課題を明らかにして、再活性化してきている実践を垣間見ることができました。
〇求められたコメントで、私は2つのことを言いました。その一つは、なぜ地区社会福祉協議会を1980年代に作ろうとしたのかという点です。それは、岡村重夫の一般コミュニティ論と福祉コミュニティ論との関係であったが、今や一般コミュニティ全体が社会福祉の普遍化の中で生活のしづらさを考えなければならない時代(地域の住民の自治能力が減退し、かつ高齢化することで地区に住むすべての住民が生活のしづらさを抱え、地域自体の存続が危ぶまれる時代)になってきているので、単に地区社会福祉協議会の再活性化に取り組むだけでは十分でないこと、二つ目に、地域自体の力がなくなり、自治会活動もままならない状況のなかで、内閣府、国土交通省、農林水産省、総務省などが「地域づくり協議会」づくりを市町村に推奨している時代に、それらの活動と無関係に地区社会福祉協議会 活動を位置づけていたのでは社会福祉協議会の存在が意味がなくなることを指摘しました。
〇社会福祉協議会が進める地域福祉は、“地域の基盤があったらばこそ”の活動でもあり、その地域のぜい弱化と無関係に社会福祉協議会及び地域福祉関係者は地域福祉を語るべきでないことを戒めました。
〇それにしても対面でのセミナーはいいですね。残念だったのは、懇親会で私はお酒を飲めず、ノンアルコールとウーロン茶、ジンジャエールなどを飲んでいたことです(2023年4月26日記)。

Ⅰ 憲法第13条と「社会福祉観の貧困」「人間観の貧困」「貧困観の貧困」「生活観の貧困」

〇5月3日は憲法記念日。筆者は、日本社会事業大学の講義で、よく「社会福祉観の貧困」「人間観の貧困」「貧困観の貧困」「生活観の貧困」という用語を使用して講義をしてきた。
〇それは、社会福祉を志している学生が陥り易い社会福祉観を問い直す作業過程として、その用語を使ってきた。
〇筆者は、社会福祉を憲法第25条からだけ説き起こすのではなく、それとともに憲法第13条からも説き起こすべきだと1960年代末から言ってきたし、論文にも書いてきた。
〇憲法第25条の社会権的生存権の規定は、人類が歴史的に獲得してきた権利であり、国民のセーフティネット機能として重要であることは重々分かったうえで、それだけだと提供される社会福祉サービスがちまちました“最低限度の生活保障”の域を出ないことになるし、その反動として、社会福祉サービスを提供する側のパターナリズムが避けられないと考えてきたからである。
〇それらのことを実感する機会は、1970年に女子栄養大学に助手として採用され、勤務し始めて改めて痛感したし、同じく1970年から始めた聖心女子大学の非常勤講師の勤務からも痛感させられた。
〇女子栄養大学では、昼食を大学の食堂で摂るのだけれど、その食堂はキャフェテリア方式で、自分の好み、自分の懐具合、自分が食べたい分量を自分で考えるという“主体性”が常に求められる。
〇当時の社会福祉施設の食事は盛っ切りで、自分(福祉サービス利用者)の主体的選択の余地はなく、かつ食器も割れない食器で供されていた。日常生活における食事の持つ意味、食事に伴う生活文化などを女子栄養大学でいろいろ教わった。
〇当時、島根県出雲市の長浜和光園がバイキング方式の食事を提供し始めていて、社会福祉施設における食事に関わる問題の重要性を随分と学ばせてもらった。食事を通して学ぶ食文化、食事の場における会話、食事を作る生活技術など日常生活における食事の持つ意味は大きい。女子栄養大学では、当時核家族化が進む中での“子どもの孤食”の問題が大きく取り上げられていた。
〇筆者は、当時の女子栄養大学の社会福祉の科目を受講している学生に、夏休みの宿題として、社会福祉施設を訪問し、その施設の食事の実態を分析するレポート課題を出した。そのレポートに書かれた当時の分析と今日とを比較出来たらとても良かったと思うのだけれど、そのレポートは女子栄養大学を退職した際に、廃棄処分してしまったことが残念である。
〇他方、聖心女子大学でも社会福祉の科目を教えていたのであるが、同じように夏休みの宿題として、社会福祉施設を訪問してボランティア活動を行い、学生なりの社会福祉施設の評価を求めるレポートを課した。その際、学生から質問があった。訪ねる社会福祉施設は日本の社会福祉施設でなければ駄目かという質問である。その学生は、夏休みに入ると同時に、父母がいる海外へ行くという。その海外の社会福祉施設の訪問記でもいいのかという質問であった。そのような境遇の学生が数人いた。日本と海外の社会福祉施設との比較が図らずも行うことができた。社会福祉施設を取り巻く福祉文化の違いを期せずして学生同士で論議できたことはおもしろかった。
〇1992年、筆者は日本社会事業大学の長期在外研究が認められ、イギリスに半年間滞在した。それも、筆者はロンドン大学などへの派遣ではなく、自由にさせて頂いた。
〇筆者は、ロンドンのケンジントン&チェルシー区に滞在し、区内にあるホスピスやボランティアセンターなどに出入りさせてもらった。ホスピスでは、余命いくばくもない人々が、私が訪問する度に、私に向かって“エンジョイしているか”と尋ねられる日々であった。そのホスピスでは、余命いくばくもないのに、ドリンキングパーティもあり、かつ犬のボランティアも登録されていて連れてこられたり、浴室にはカラフルな壁画が描かれていたりという福祉文化の違いを様々な形で私に問いかけてきた。
〇筆者は、憲法第13条に基づく社会福祉観を考える場合、生活上の様々な事象に対し「快・不快」を基底として、生活を楽しむ、生活を再創造するというリクリエーションが大切ではないかと考え、1980年代後半に、日本社会事業大学の故垣内芳子先生や日本レクリエーション協会の園田碩哉さん、千葉和夫さん(のちに日本社会事業大学の教員)、淑徳短期大学の木谷宜弘先生(元全社協ボランティア活動振興センター長)等と“社会福祉における文化の問題、レクリエーションの位置”について研究を行った。社会福祉施設の食事、社会福祉施設のインテリア、社会福祉施設職員のユニフォーム、行動規範などについて調査研究をした。その結果は、1989年4月に『福祉レクリエーションの実践』(ぎょうせい)として上梓された。その『福祉レクリエーションの実践』には、筆者が日本社会事業大学研究紀要第34集に寄稿した「社会福祉思想・法理念にみるレクリエーションの位置」と題する論文が収録されている。
〇その論文では、(1)社会福祉とレクリエーション、(2)レクリエーションの捉え方の視角、(3)西洋の社会福祉思想とレクリエーション及び娯楽、(4)日本における社会福祉思想にみるレクリエーション及び娯楽、(5)社会福祉六法の目的と生活観、(6)施設最低基準にみる生活観、(7)在宅生活自立援助ネットワークの構成要件、(8)在宅福祉サービスの供給方法と施設整備の在り方について論述している。権田保之助の社会事業や娯楽の捉え方や如何に社会福祉法の目的が狭隘であるかを論述すると同時に、入所型社会福祉施設のサービスを分解して、地域で住民の必要と求めに応じてサービスパッケージをすれば、社会福祉施設の位置と役割が変わることを指摘している(当時はケアマネジメントという用語は使われてなく、筆者は必要なサービスをパッケージして提供するという意味でサービスパッケージという用語を使用していた)。
〇1996年に総理府の社会保障審議会が社会保障の捉え方を見直し、事実上福祉サービスを必要としている人のその人らしさを支えるサービスに転換させる勧告を出す。憲法第25条に基づく“最低限度の生活保障”への偏りを反省し、事実上憲法第13条を法源とする社会保障、社会福祉への転換が求められた。
〇しかしながら、相も変わらず社会福祉分野では、“上から目線のサービスを提供してあげる”という考え方や姿勢が蔓延っているし、生活を楽しく、明るく、楽しむ自立生活支援にはなっていない。
〇社会福祉分野では、故一番ケ瀬康子先生等が「福祉文化学会」を設立し、社会福祉サービスの考え方や社会福祉における文化性について研究を推進してきたが、その研究枠組みは必ずしも私の先の論文の枠組みとは同じではない。
〇他方、1970年代から播磨靖男さんたちのわたぼうしコンサートを始めとして、社会福祉の枠にとらわれない障害者文化の向上に貢献する実践があるが、それらがどれだけ社会福祉分野に影響を与えて、社会福祉の質を変えたかは定かでない。
〇憲法記念日の今日、改めて社会福祉の在り方、考え方と憲法第13条との関り、社会福祉従事者の“内なる社会福祉観、人間観、生活観、貧困観”を見直す契機になればとこの小稿を書いた(2023年5月3日記)。

(注記)
この「老爺心お節介情報」は、私のメールアドレスに登録されている人を中心に送付していますが、時々メールの送信ミスがあるようです。
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログに、阪野貢先生が誤字脱字を修正してくれた上で、閲覧できるように転載されています。「阪野貢 市民福祉教育研究所」で検索して、入手してください。

老爺心お節介情報/第42号(2023年4月12日)

「老爺心お節介情報」第42号

皆さんお変わりなくお過ごしでしょうか。
新年度になり、気持ちも新たに地域福祉研究に、実践に取り組み始められたことと思います。
筆者が、約40年間に関わり、「バッテリー型研究・実践」を展開してきた富山県氷見市社会福祉協議会の地域福祉実践が『福来の挑戦――氷見市地域福祉実践40年のあゆみ』として、中央法規出版から2023年4月に刊行されました。
氷見市の地域福祉実践をけん引してきてくれた元氷見市社会福祉協議会事務局長の中尾晶美さんが昨年来闘病生活を送られていましたが、薬石効なく、この3月に逝去されました。本の出版を待たずに逝去されたことはとても残念ですが、本の校正ゲラには目を通して頂いていたことがせめてもの慰めです。中尾晶美さんのご冥福を心より祈念しています。
他方、教え子である原田正樹先生が、この4月より日本福祉大学の学長に就任されました。筆者の教え子で、大学教員になった人は約45名いますが、その中で学長になった人は初めてでうれしい限りです。“人との出会いの素晴らしさ”を改めて感じています。

2023年4月12日   大橋 謙策

Ⅰ 新型コロナウイルス感染症の新たなステージにおける新しい社会システム

〇2020年1月に新型コロナウイルス感染症が国内で確認され、4月には緊急事態宣言が出されて丸3年が経ちました。
〇新型コロナウイルス感染症が社会福祉分野に与えた影響は測りしれないのですが、私なりに2022年11月1日に整理したら以下のような問題、課題が明らかになりました。

(1)不安定就業層の露見化と経済的困難さーー生活福祉資金特例給付問題から見える新らたなニーズ
① 安定していると思われた自営業者、フリーランサー、飲食店と委託契約・直販している栽培農業者、鯛等の特定魚類の要職をしている漁業者等の生活困窮
② 不安定就業層(契約社員、派遣社員、アルバイト等)の方々の生活困窮
③ 技能実習生の外国人の方々の生活困窮
④ アルバイトで生計と学業を両立させていた大学生、高校生の生活困窮
(2)核家族の絆、家族機能の脆弱化の顕在化とその社会化支援の必要性
① 自粛生活の長期化で「孤立・孤独」に陥っている方々の生活不安、生活のしづらさ問題
➁ 通院が制限されることによるストレスと家族での対応の困難さ
③ 狭隘な住宅環境においてリモートワークを求められた家族のストレス、DVの増加
④ 一人親家庭、核家族等での新型コロナウイルス感染による入院・療養の際の養育の代替、介護の代替等家事機能に関わる生活の困難さ
⑤ 自宅待機の学童・児童のリモート学習対応、学習支援に困難さを抱えた家族
(3)社会関係の希薄化と孤立化の一層の促進
① 福祉サービス(通所、訪問)の制限による障害者及び高齢者のストレス、要介護度の悪化と家族対応の困難さ
➁ 民生・児童委員の訪問活動の制限
③ 子ども食堂の閉鎖、認知症高齢者のオレンジカフェ等ボランティア活動の制限
(4)人間としての成長の「節」に必要な社会体験機会の喪失――親密圏から公共圏への人格の再構築におけるイニシエーション機会の喪失
① 修学旅行等の学校外での社会体験の未体験、
➁ 大学のキャンパスにおける交流の禁止とサークル活動等の興隆機会の喪失
(5)社会福祉施設のリスクマネジメントとBCP(業務継続計画)の必要性
① 家族等との面会の制限による認知機能の低下
➁ エッセンシャルワーカーとしての介護・保育の現場のクラスターと代替機能の確保
③ 感染症対策に関わる物品の確保と経費の捻出の困難さ
④ 利用者の感染に伴う隔離、療養と空間的制約
⑤ 感染症対策上の利用者の減少に伴う経営問題
⑥ 社会福祉法人としてのリスクマネジメントとBCP問題

〇このような問題がマイナス面としてあるものの、一方ではプラスの面もあったと感じています。
〇それは、会社に毎日通勤し、同じ職場で、対面でしか仕事ができないと“思い込んでいた”ことが、インターネットの急速な普及で自宅でリモートで仕事が可能だということが分りました。このことは、日本的組織の中で、我々の行動、見方、考え方を“呪縛”していた価値規範が大きく崩れ、価値観の多様性を認める“一歩”になったともいえます。
〇この「老爺心お節介情報」(ろうやしんおせっかいじょうほう)も、実は新型コロナウイルス感染症による外出自粛、自宅待機が求められる中、“やることもない”ので、暇にあかせて書き始めたもので、新型コロナウイルス感染症がなく、従来のように動き回っていたら発想も出てこなかったでしょうし、書いている時間もなかったことでしょう。
〇新型コロナウイルス感染症は、従来の価値規範や組織の在り方、行動規範などのもろもろの見直しを迫り、新しい社会システムを惹起させる契機になるというプラスの面があったこともきちんと見ておかなければなりません。
〇日本の社会は、この新型コロナウイルス感染症に伴う“社会実験”で急速に変化していくことになると思います。それに人口減少、労働力不足などの要因を加味していくと、社会福祉の分野といえども避けて通れない課題です。

Ⅱ 地域福祉研究における「研究方法」に関する研究の必要性

〇かつて、筆者は東北福祉大学の学会において、赤坂憲雄が提唱している「東北学」を援用し、東北地方の地域福祉実践、地域福祉研究の独自性に関する研究の必要性を提起したことがあります。
〇また、1990年ごろの日本地域福祉学会の研究の一環として「蓮如上人の布教と地域福祉方法論」についてエッセイ風に小論を書いたことがあります(この文献が私の手元にない。持っている方はコピーして私に下さい)。
〇「老爺心お節介情報」で、今まで何回か、地域福祉史研究の重要性を指摘してきたが、ぜひ若手の地域福祉研究者は時間をとって、この研究をしてほしい(歴史研究には時間が掛かり、かつ研究成果を出し辛い)。
〇かつて、筆者は日本社会福祉学会の求めで「若手研究者に期待すること」というエッセイを書きました。その中で、研究者の素養には①社会福祉に関する歴史研究、②社会福祉の哲学に関する研究、③社会福祉に関する国際比較研究が不可欠であることを述べたことがあります。
〇地域福祉研究者も、国の政策に“一喜一憂”するのではなく、かつ“政策の解説をする”のではなく、本質的な研究方法を身に着けて、地に足を付けた研究をしてほしい。自分が市町村との間で、しっかりした「関係人口」にも位置づいていないのにもかかわらず、その市町村の地域福祉実践を解説風に論評する研究“方法”は、ある意味地域福祉研究の倫理に悖ると考えなければなりません。
〇日本地域福祉学会は、地域福祉研究における研究方法について、もっと論議を深める必要性があります。
〇かくいう筆者自身も、東大大学院時代に、当時の助手から“お前は「道聴塗説」をしている。もっと、しっかり研究をするように”と叱られた記憶がある。
〇ぜひ、その面からも地域福祉史研究をしっかりやってほしい。

Ⅲ 『福来の挑戦――氷見市地域福祉実践の40年のあゆみ』を上梓

〇富山県氷見市の「関係人口」の一翼を担い、氷見市社会福祉協議会の実践のアドバイザー的役割を担ってきた原田正樹先生と筆者の二人が監修した上記『福来の挑戦――氷見市地域福祉実践の40年のあゆみ』(中央法規出版)が2023年4月に刊行されました。
〇筆者は、かつて生物学の授業で“個体発生は系統発生を繰り返す”ということを習ったことがありますが、地域福祉を推進する社会福祉協議会の発展の要件というものが、この本には凝集されていると自負しています。
〇全国各地の社会福祉協議会関係者が自ら関わる社会福祉協議会の地域福祉実践力を高めようとしたら、氷見市社会福祉協議会の各ステージごとの要件をキチンと学び、それを遂行していくことに尽きるのではないかと思っています。
〇上記の本で、十分触れられなかった点を補足しておきますと、①1990年代当初から「保健・医療・福祉の集い」を行っていたこと、②介護保険前夜に、国光登志子先生が、社会福祉協議会職員のみならず、市内の関係者向けに、「関係人口」の一人として精力的にケアマネジメントに関する研修をおこなったこと、③「寄付の文化」を醸成することを意識してきたことがあります。
〇多くの人に上記の本を読んで、学んで欲しいという思いから、全国の社会福祉協議会関係者に献本した際の添え状、メッセージを下記に転載しておきます。

(参考)
社会福祉協議会関係者の皆様
地域福祉研究者の皆様

〇皆様にはお変わりなく、地域福祉の推進・向上にご尽力されていることとお慶び申し上げます。
〇本年は、市町村社会福祉協議会が1983年に社会福祉事業法(当時)に法定化されてから40周年の節目の年です。かつ、厚生労働省が2016年以降推進している地域共生社会政策において、文字通り地域福祉が社会福祉のメインストリーム(主流)になりました。
〇しかしながら、地域福祉推進において、市町村社会福祉協議会は“中核”的役割を担えているのでしょうか。
〇地域共生社会政策において、改めて市町村社会福祉協議会はどうあるべきなのか、どう経営されるべきなのか、住民と行政に信頼される市町村社会福祉協議会の在り方が問われています。
〇富山県氷見市社会福祉協議会は1966年に社会福祉法人化されました。しかしながら、その活動は長らく氷見市福祉事務所の片隅に机二つおいて各種社会福祉関係団体のお世話を行うにとどまっていましたが、1981年に第1次社協基盤強化計画を策定することにより、実質的に地域福祉推進組織としての歩みを始めます。本書は、それからの約40年間の実践を取りまとめたものです。
〇氷見市の名物である寒ブリ(鰤)は成長魚で、成長に伴い名称を変えていき、最終的に体重約10キロになると鰤と呼ばれるようになります。本書のタイトルの「福来」(ふくらぎ)は、鰤の幼魚の名称です。
〇氷見市社会福祉協議会の活動も「福来」(ふくらぎ)だったものが、今や全国的に評価される「鰤」になりました。
〇本書は、「福来」が如何に「鰤」になったかの挑戦の記録を綴ったものです。住民の社会福祉への理解を促進させて作られた地区社会福祉協議会活動、地域福祉推進における行政との協働の歴史、住民のニーズに対応した新たな福祉サービスの開発等、今求められている重層的支援体制整備事業に関わる課題が歴史的に整理されており、社会福祉協議会関係者必読の文献になったのではないかと自負しています。
〇本書は、氷見市行政、氷見市社会福祉協議会のアドバイザー的役割を担いつつ、氷見市の地域福祉推進・向上を約40年間見守ってきた大橋謙策と原田正樹が監修させて頂きました。
〇全国の社会福祉協議会関係者並びに地域福祉研究者に本書を是非読んで頂き、本書を参考にして各々の市町村社会福祉協議会の実践力の向上と経営の安定を図り、現在求められている地域福祉推進・向上の“中核的組織”として社会的に評価される組織に飛躍されることを祈念して、本書を謹呈致します。

2023年3月
大橋謙策
原田正樹

大橋謙策/〔増補〕域福祉実践の神髄 ―福祉教育・ニーズ対応型福祉サービスの開発・コミュニティソーシャルワーク―


 

はじめに ―「我が事・丸ごと地域共生社会」の実現に向けての課題― 

 厚生労働省は、2016年7月に『「我が事・丸ごと」地域共生社会実現本部』を発足させ、2015年9月に発表した「誰もが支え合う地域の構築に向けた福祉サービスの実現―新たな時代に対応した福祉の提供ビジョン」(「以下「新しい福祉提供ビジョン」と略」)の具現化を推進させることになった。

それは、地域自立生活支援を展開する上で、①子ども、障害者、高齢者の全世代を一元的、一体的に受け止め、相談に応ずるワンストップサービスをシステム化すること、②福祉サービスを必要としながらサービス利用に繋がっていない人々をアウトリーチして発見し、支援することと、時には伴走型の継続的支援を行うこと、③福祉サービスを必要としている人々を地域から排除しない、新たな地域コミュニティづくりを進めること、④そのためにも子ども、障害者、高齢者の全世代が交流・利用できる地域における小さな拠点づくりが必要になること、⑤そして全世代支援、全世代交流を進めていくためには属性分野・機能別の縦割りの資格ではなく、各資格間の相互乗り入れが必要になること等を具体化、具現化させること、等が課題としてあることを指摘している。

しかしながら、これらのことは“言うは易く、行うは難し”である。それらの理念、考え方の具現化、具体化においては少なくとも福祉教育の推進、ニーズ対応型福祉サービスの開発とそれを企画できる力量のある職員の養成、住民と行政の協働を成り立たせる触媒、媒介の機能をもったコミュニティソーシャルワーク機能とそれを実施できるシステムを整備しない限り難しい。これ以外にも、専門多職種連携の在り方とシステム等の検討課題があるが、今回は触れない。

筆者は、それら「地域福祉実践の真髄」ともいえるそれら3つの機能の具現化とその理論化を求めて、50年間研究をしてきたといっても過言ではない。

その研究スタイルは「バッテリー型研究方法」ともいえるもので、実践家の実践を理論化、体系化するとともに、研究者の理論仮説を実践家に提起し、実践してもらい検証するという研究者と実践家とがあたかも投手、捕手のようにバッテリーを組んで行う方法であり、筆者の50年間の実践、研究はまさにその方法によるところが大きい。

四国・こんぴら地域福祉実践セミナーの20年間の実践もまさにそうで、筆者が関わった他のセミナーも含めて、それらのセミナー等において「バッテリー型研究方法」で実践され、論議され、システム化され、地方自治体の政策を産み出してきた多くの実践が先に述べた厚生労働省の報告書にそれなりの影響を与えたと自負している。

地域福祉実践の方法として検討しなければならないことは多々あるが、今回は「我が事・丸ごと地域共生社会」実現上特に考えなければならないことと、四国・こんぴら地域福祉実践セミナーの20年間の実践を通して考えてきたことに焦点化させることとし、本稿では、「地域福祉実践の真髄」ともいえるものの内、上記に挙げた3点を取り上げた。それを筆者がどのように考え、展開してきたのかを随想風に振り返りながら、四国・こんぴら地域福祉実践セミナーの実践に対し、若干のコメントをすることとしたい。

Ⅰ 地域福祉実践(社会福祉協議会活動)は  “ 福祉教育に始まり、福祉教育に終わる ”

全国社会福祉協議会が1979年から始め、1991年(12期生)まで続けた「地域福祉活動指導員養成課程」は、筆者の研究者的成長に大きな影響を与えると同時に、そこでの相互の学びの過程を通じての実践者との交流が「バッテリー型研究方法」の推進とその後の実践者の組織化に非常に大きな役割を果たしてくれた。その養成課程では、設置された各教科目のテキストに基づき、レポートが課され、添削指導を受けた上で4泊5日の宿泊スクーリングがあり、修了論文の提出が課せられた。

筆者はその第1期から「社会福祉教育論」という科目を担当した。それは多分、筆者が「社会教育と地域福祉」の学際的研究を行い、既に「月刊福祉」等の雑誌や著作で「社会教育と地域福祉」に関わる論文を執筆していたからお呼びがかかったのであろうと推察している。

筆者の社会福祉学研究、地域福祉論研究において福祉教育は大きな柱である。後に筆者は、福祉教育を「憲法第13条、第25条などに規定された基本的人権を前提にして成り立つ平和と民主主義社会を作りあげるために、歴史的にも、社会的にも疎外されてきた社会福祉問題を素材として学習することであり、それらとの切り結びを通して社会福祉制度、社会福祉活動への関心と理解を進め、自らの人間形成を図りつつ、社会福祉サービスを利用している人々を社会から、地域から疎外することなく、ともに手をたずさえて豊かに生きていく力、社会福祉問題を解決する実践力を身につけることを目的に行われる意図的な活動」(1982年)と定義した。

この定義は、戦前の社会問題対応策としての社会事業と社会教育との関係性、とりわけ内務省が推進した風化行政、地方改良運動、精神作興運動等の研究を踏まえたものである。

この福祉教育の考え方と実践は市町村社会福祉協議会が住民主体の活動を展開する上で必要不可欠な活動であると筆者は位置付け、先の「地域福祉活動指導員養成課程」において、“社会福祉協議会の活動は福祉教育に始まり、福祉教育に終わる”ほど重要な活動であることを強調してきた。

島根県瑞穂町(現邑南町)社会福祉協議会の事務局長になった日高政恵さん(「地域福祉活動指導員養成課程」の修了者であり、1997年の第1回こんぴらセミナーのシンポジュウムの登壇者でもある)は、住民の生活実態に関する様々な調査を行い、それを踏まえて68の集落福祉委員会を基盤に、13のブロックでの「地域福祉デザイン教室」を行い、徹底的に住民による問題発見・問題解決型の共同学習を通じて、住民の社会福祉意識の変容、向上を図る地域福祉実践を展開した(『未来家族ネットワークの創造――安らぎの田舎への道標』万葉舎、2000年参照)。

瑞穂町の実践は、子どもの福祉教育、住民の社会福祉学習、介護福祉人材の養成等町全体で文字通りトータル的に福祉教育を行っており、日高さん自身社会福祉協議会活動は“福祉教育に始まり、福祉教育に終わる”と述べてくれている。

福祉教育のより体系的実践としては、1988~89年に策定された東京都狛江市社会福祉協議会の「あいとぴあ推進計画」で位置付けられた「あいとぴあカレッジ」がある。

「あいとぴあ推進計画」は、狛江市社会福祉協議会の須崎武夫さん(「地域福祉活動指導員養成課程」の修了者であり、のちに事務局長)が東京都社会福祉協議会のモデル指定地区を受託し、社協中心の地域福祉計画づくりを行ったものである。筆者はこの策定委員会の委員長で、委員には狛江市福祉事務所の所長にも入ってもらい、行政との整合性を持たせることを意図した。その後、狛江市は「あいとぴあ推進計画」と連動させた「あいとぴあレインボープラン」を行政計画として策定。狛江市では「あいとぴあレインボープラン」に基づき狛江市条例による「市民福祉委員会」を設置し、重要な社会福祉政策課題については「市民福祉委員会」で協議することを明記。筆者はその「市民福祉委員会」の委員長を15年勤めた。

「あいとぴあ推進計画」に基づく「あいとぴあカレッジ」(1991年から実施)は、年間15回程度の本格的な市民福祉教育のカレッジとして実施された(『地域福祉計画策定の視点と実践――狛江市のあいとぴあへの挑戦』第一法規、1996年参照)。「あいとぴあカレッジ」を担当した阪野貢さん(当時宝仙学園短期大学、のちに中部学院大学教授)が「市民福祉教育研究所」を設立・主宰し、ブログも開設しているので参照されたい。

また、体系的な福祉教育実践としては狛江市の実践よりも早く、筆者は山口県宇部市において1977年より「宇部市婦人ボランティアセミナー」を企画・実施している。

このセミナーは、文部省(当時)の助成事業を活用しての実践であるが、社会福祉と社会教育との有機的連携を意識したもので、1年間に17回の座学(講義)と14回の体験、実習(朗読、点字、手話、配食サービス、老人の介護等)のプログラムが組まれた本格的な福祉教育の実践であった(『宇部市の生涯学習推進構想――いきがい発見のまち』東洋堂企画出版社、1999年参照)。筆者は17年間、毎年数回宇部市に通い、最後はセミナー(後に2年制のカレッジに改組)30周年記念までお付き合いをしてきた。

このような実践は、上記以外でも、岩手県沢内村(現西和賀町)社会福祉協議会で地域福祉計画の策定とそれに基づく「コーリム大学」を1990年代初頭に実施した。

筆者の問題発見・問題解決型共同学習的福祉教育は、1973年の東京都稲城市(筆者の居住地)における「住みよい稲城を創る会」(代表幹事・大橋謙策)が主催した「集い」が最初である。

そのプログラムは、初めに生活問題を抱えている人に実態報告をして頂き、その後分科会に分かれて討議をするというスタイルで行われた。第1回目の集いでは、「嫁」(息子の配偶者)の立場から同居している姑の介護問題の報告、父子家庭の単独世帯の子育ての困難さの報告、学校拒否児(当時の呼称)を抱える家族の悩みの3事例の話を頂いた。

東京都の「市」ではあっても、農村的風土が残っていた地域だっただけに、「集い」というオープンな場での発題者を探すのに大変苦労はしたが、発題者の問題提起は実に重要で、その実態の深刻さが浮き彫りになった。その当時、筆者は知らなかったが、既に市内(当時人口3万人)に多くの学校拒否児がいたようで、その親たち(15名)が学校拒否児の親の体験報告があるということで個々に「集い」に参加してきていた。当初、分科会としては設定していなかった学校拒否児に関する分科会を親たちの要望で急遽作ったことが昨日のように思い出される。いかに、“事実は小説よりも奇なり”で、我々がその実態をただ把握していないだけだということを痛感させられ、アウトリーチによる問題発見の重要性に気づかされた。

1997年に香川県琴平町で開催された第1回こんぴら地域福祉実践セミナーは、「ふれあいのまちづくり事業」の補助金による事業ということも考えて、単なる一過性の福祉講演会ではなく、福祉教育、住民の社会福祉学習の機会として、かつ継続することを意識して行われた。当時、人口約1万2,000人の町で、参加者が600人にのぼり、会場が立錐の余地がないほどの状況は驚きであった。考えてみれば、1986年に琴平町社会福祉協議会が受託した「ボラントピア事業」において、夏の暑い日に、冷房のない学校の体育館に並べた椅子と椅子の間の通路に氷柱を何本も立てて行われた講演会になんと1,000人が参加された歴史を持っていた(講演者・大橋謙策)。それらの仕掛けをした琴平町社会福祉協議会の越智和子さん(現琴平町社会福祉協議会常務理事)も20代末の若い時に、山口県笠戸島で「地域福祉活動指導員養成課程」を受講した一人である。

筆者は、このような地域福祉と社会教育の学際的研究と実践に関わるなかで、1979年、全国社会福祉協議会が設置した「ボランティア基本問題検討委員会」(委員長・阿部志郎、作業委員長・大橋謙策)において起草委員長として「ボランティア活動の性格と構造」をまとめさせて頂いた。それは①ボランティア活動と市民活動との関係性をどう整理するかという問題、②ボランティア活動の目的を“自立と連帯の社会・地域づくり”と考えること、③市民活動とボランティア活動を考える場合、その活動には3つの性格の活動があること。それは第1に近隣での日常的なふれあいのある地域づくりを行うこと、第2に地域内にある福祉サービスを必要としている人を発見し、その個別課題に対応する対人サービス活動を行うこと、第3に市町村における(地域)福祉計画づくりを行うことの3つの課題があり、それらを構造的に捉えて考え、実践することの重要性を提起した。

また、そのような市民活動とボランティア活動との関係を意識したのは、1970年前後のコミュニティ構想が“住民参加、住民の権利ということが担保されない、権限なきコミュニティにおいて、麗〈うるわ〉しき隣人愛に基づく活動、助け合い活動”を求めていたことへの反論であり、かつ地域住民の生活を守るためには国レベルの社会保険制度の整備と共に、居住する市町村自治体における福祉サービスの整備が必要であり、重要であると考えたからに他ならない。(全社協・ボランティア基本問題検討委員会報告書「ボランティアの基本理念とボランティアセンターの役割」全社協、1980年参照)。

また、その頃、福祉教育の実践が求める目標として「4つの地域福祉の主体形成」(地域福祉計画策定主体、地域福祉実践主体、社会福祉サービス利用主体、社会保険制度契約主体)の必要性をまとめ、提起している。

「我が事・丸ごと地域共生社会」の実現に向けて、市町村における行政と住民の協働のあり方や全世代支援を行えるワンストップサービスができるシステムの構築等を考え、実施できるようにするためにも、まずもって住民参画による市町村地域福祉計画づくりが重要になる。また、その計画策定主体の形成も含めて地域福祉の4つの主体形成がなされなければ実現は難しいことになる。

福祉教育を皮相的にとらえるのでなく、地域住民が社会福祉の学習を通じ、地域にある問題に目を開き、気づき、それを解決するためにどう行動するべきかを考える機会を提供する福祉教育こそ地域福祉実践の根幹であることを改めて認識して欲しい。

Ⅱ ニーズ対応型福祉サービスの開発と「福祉でまちづくり」

筆者は1990年まで、日本には事実上ソーシャルワーク実践はなかったということを日本社会事業学校連盟(現日本ソーシャルワーク教育学校連盟)の社会福祉教育セミナーの席上や日本社会福祉学会等の場において発言してきた。しかしながら、残念ながら反論はされなかった。それどころか、戦後日本のケースワーク研究を牽引し、国際社会事業学校連盟からも高く評価されていた仲村優一先生は、“まさに君(筆者)が言う通りである”とさえ言われ、逆に日本におけるソーシャルワーク実践の定着を図る研究をしっかり頼むと励まされる状況であった。

戦後日本では、アメリカの文化、社会福祉に関するシステムの中で育ったケースワーク、グループワーク、コミュニティオーガニゼーションといった方法論が紹介・解説され、社会福祉教育の場において教えられてきた。

そこでは、インテークという用語やクライエントという用語が使われ、福祉サービスを利用しようとして、あるいは生活上の様々な問題を抱えて相談機関に来談した人とのラポートづくりから実践が説き起こされてきた。

筆者のように、戦前の社会事業における精神性と物質性の関係性の研究、地域改良・居住者の生活改善・人格向上を目指すセツルメント運動等を研究してきたものにとって、それには非常な違和感があった。多くの“社会福祉研究者”は筆者(大橋謙策)に対し、社会福祉六法体制とケースワーク等の社会福祉方法論とを前提としている“社会福祉プロパーの研究者”として認めず、“社会福祉体系外の研究者”として位置付ける言動を投げかけていた。

1977年に上梓され、1980年に日本語に翻訳されたハリー・スペクト/アン・ヴィッケリー編『社会福祉実践方法の統合化』 (Integrating Social Work Methods編)において、アメリカのシステム理論やイギリスの地方自治体社会サービス法に基づく実践を通して、1930年代にアメリカで確立された社会福祉方法論の3分類法を「ソーシャルワーク」に止揚するべきであるという問題提起がなされ、それが日本語に翻訳されて紹介されているにも拘わらず、日本では実質的に2000年まで社会福祉士養成のカリキュラムの中で社会福祉方法論の3分類法を堅持しつづけた。しかも、いまでも多くの研究者がインテーク、クライエントという用語を無自覚的に論文上でも使用している。

筆者は、1973年に東京都稲城市立公民館の建設に際し、1947年に制定された児童福祉法の国会審議に向けて厚生省(当時)が作成した予想問答集の考え方(保育所設置の目的は①働かざるを得ない母親の就労支援、②子どもの成長には集団保育が必要、③文化国家、民主国家を建設するには女性の社会参加、社会活動を促進する必要があるので子どもを預ける保育所が必要)に基づき、公民館に市の専任職員である保母(当時)を常駐させた公民館保育室の設置を社会教育委員として提案し、建設した。その公民館の機能として住民のたまり場、交流の場としての機能・空間ももたせた。また、同じように1975年には、児童館、老人福祉センター、公民館を合築する地区公民館の建物の構想を示し、建設した。

更には、1973年、貧困児童の就学援助を増進させるために、当時、文部省の基準は生活保護基準の1.5倍が就学奨励費支給の基準であったものを市と交渉し、1.6倍にまで引き上げてもらった。

このような実践を若い時(20代)からしてきたものにとって、「申請主義」に囚〈とら〉われた社会福祉実践・研究やカウンセリング的ケースワーク論は何とも理解しがたいものであった。そのような発想は、社会福祉方法論の分野のみならず、施設経営をする社会福祉法人も陥っていた呪縛であり、市町村社会福祉行政自体も囚われていた呪縛であった。

日本の社会福祉実践、研究は、1990年まで中央集権的機関委任事務体制で展開されてきたこと、また福祉サービスも行政もしくは行政に委託された社会福祉法人が運営する施設において提供されてきたために、法人・施設運営の視点はあったものの、経営の視点は脆弱であったし、市町村における社会福祉行政のアドミニストレーションに関する研究は実質的になかったと言わざるを得なかった。

ある意味、国が設計する制度に基づく“制度ビジネス”に“安住”しており、そこでは、一般に経済界で必要とされている“市場調査”としての“サービスニーズの把握”の視点や方法、あるいは“商品開発”に該当する“ニーズ対応型サービス開発”の意識は希薄であったことは否めない。

筆者は、戦後の社会福祉実践・研究は中根千枝先生の研究の「鍵」概念を借りれば、「場」(枠組み)である制度としての枠(社会福祉六法体制、中央集権的機関委任事務体制)の中で社会福祉実践・研究を考え、行われてきたと指摘してきた。

しかしながら、21世紀においては「資格」(機能)として求められているソーシャルワーク機能に基づき、潜在化しがちな国民のニーズの発見・キャッチが重要であり、かつそれに対応したサービス開発とその起業化・経営が必要であることを頓〈とみ〉に1990年以降指摘してきた(「施設の社会化と福祉実践」『社会福祉学』第19号、日本社会福祉学会、1978年所収)。それ以降、ニーズ対応型のサービス開発のヒントは、入所型施設で提供しているサービスを細かく分節化させることや家庭機能を分節化させて、それをどういうシステムで提供するかを考えることにあると述べてきた。また、1990年以降「福祉でまちづくり」の必要性を提起してきた。

21世紀に入り、急速に進められている規制緩和の時代にあっては、社会福祉分野といえどもニーズの把握、ニーズ対応型サービスの開発とその起業化に関する研究が社会福祉研究上求められている。それは、ソーシャルワーク機能そのものが問われていることでもある。それはまた、ソーシャルワークの楽しさ、醍醐味を味わう機会でもある。

ソーシャルワークの使命(ミッション)は、ニーズキャッチ・発見を基盤に、それらの問題解決に向けてのサービスの提供、サービスの開発であり、それこそソーシャルワークの価値であることを忘れてはならない。

筆者は、今、①高齢者分野の介護保険制度外のサービス開発と供給の方法に関する研究(株式会社などが入所型施設で提供してきているサービスを細かく分節化させて、必要時に即応できるサービスシステムの開発をし、サービスを介護保険制度外のサービスとして提供している。従来の地域福祉実践はこれらの制度外のニーズに対応できているのであろうか)、②介護保険制度外の福祉機器、介護ロボットの購入・利活用に関する研究(障害者分野の補装具や介護保険の福祉用具の利活用と一般市販される福祉機器との利活用がボーダーレスになってきており、その相談、利活用システムのあり方が問われている。既に、福祉機器・介護ロボットの利活用・相談センターが制度外で動き始めている)、③障害者総合支援制度外のニーズキャッチとその商品開発、及びそれに関わっての新たな障害者の雇用形態、就労形態のあり方を考えた「起業化」が行われており、それにふさわしい経営形態はどういう組織がいいのかに関する研究、④「限界集落」、「消滅市町村」における「高齢者の、障害者のための福祉のまちづくり」ではなく、高齢者も障害者も参画した「福祉でまちづくり」という新たな第8次産業(第6次産業+障害者・高齢者・子育て中の親の参画+商店街を構成する生活衛生同業者組合も参画した地産地消・循環型地域経済)を創出することに関する研究に関心を寄せて実践に関わっている。「福祉でまちづくり」という用語は、1990年の岩手県遠野市の地域福祉計画策定において使用したのが最初である。それは特に市議会議員の研修会でその必要性と重要性を指摘した。

この④の研究、実践は、文字通り地域福祉実践そのものに関わる実践であり、これは地方創生や立地適正化計画(コンパクトシティ計画)、あるいは休耕田、空き家対策等とも関わるまちづくり、地域づくりそのものの課題であり、地域経済に関わる研究、実践でもある。

山形県鶴岡市の地域福祉計画策定において、新しく特別養護老人ホームを100床、ユニット型で建設する構想(社会福祉法人鶴岡市社会福祉協議会立特別養護老人ホームおおやま、2005年)に際し、地産地消型の視点を取り入れるべく、商工会に特別養護老人ホームへの食材等を納入する協同組合を新たしく設立頂き、地元の商工業者に参入頂いた。全国の約7,000ある介護老人福祉施設(特別養護老人福祉施設)及び全国に約4,000ある介護老人保健施設がこのような発想で「地産地消」の取り組みをすれば、地域経済に与えるえる影響は大きく、現在言われている社会福祉法人の地域貢献の実態よりもその影響は大きく、これこそ社会福祉法人の役割、責務ではないのだろうか。

先に述べた島根県瑞穂町の実践のスローガンは「未来家族ネットワークの創造」であったが、それはもう民法上の血縁家族に頼っていたのでは「中山間地域」という地域での地域自立生活が維持できなくなってきており、地域に居住している人々が血縁を超えて“地域の未来家族”として生活をしていこうとする願いでもあった。

一人暮らし高齢者のみならず、地域生活している単身の精神障害者や知的障害者、非婚の男性、女性が増えることを考えると、これからは「少子高齢社会」もさることながら、「単身生活者の時代」になり、単身生活者の生活支援が深刻な課題になる。そこでは、血縁家族機能へ期待することは幻想である。家族が居なくても、家族に頼ることもなく、人生を全うできるように、日常生活自立支援のシステム、成年後見制度のシステム、入退院支援のシステム、死後の対応としての葬儀・遺骨の取り扱いも含めての支援等、本人の意思の確認と尊重を踏まえた“自立生活支援”のシステムを地域ごとに構築していかなければならない。まさに、「未来家族ネットワークの創造」である。ここでも従来の地域福祉実践の枠組みを再検討しなければならない。

今や、社会福祉の制度の枠に縛られた実践、制度を改善することのみに行きがちな“制度ビジネス”的な実践、研究を脱皮し、新たな視点での実践と研究が求められている。

とすれば、地域福祉実践も従来の枠を超えて、「福祉でまちづくり」の視点を大胆に取り入れ、かつその実践組織も社会福祉協議会や施設経営の社会福祉法人だけでなく、NPO法人、株式会社も含めた多様な組織体による起業化が行われ、そのプラットホームの上に地域自立生活支援が成り立つという新たな地域福祉の展開の時代として、研究枠組みも実践の方法も考え直さなければならない。

四国・こんぴら地域福祉実践セミナーで取り上げられた徳島県のNPO法人どりーまぁサービスの山口浩志さんは在宅のALS患者や重症心身障害児者への24時間ケアサービスを提供しているが、その根源には住民からの相談を断らないという哲学がある。その相談こそが“ビジネスチャンス”であるという発想で、それに柔軟に対応するために、かつその実践の社会的評価を得るために、社会福祉法人という経営形態ではなく、かつ株式会社という経営形態でなく、NPO法人という経営形態を選択したと言っている。

同じく徳島県美馬市木屋平地区のNPO法人こやだいらの実践、高知県津野町の学校跡地を利用した「集落福祉としての『森の巣箱』」の実践、人口減に伴う利用者減による経営困難でJAさえも撤退した山間地域でのガソリンの供給から日常生活の買い物支援、全世代交流支援型のサービス提供等の多機能型の地域づくりを展開している地域の生活支援の中核的組織である「あったかふれあいセンター『いちいの郷』」の実践などは、従来の狭い地域福祉実践の枠を超えた地域づくりそのものであり、血縁家族を超えた、地域での住民の自立生活を支援する実践である。

徳島県美馬市木屋平地区(合併前の旧木屋平村)のNPO法人こやだいらの実践は、筆者が“ベッドサイドから診察室まで、スーパーから冷蔵庫までの実践”と勝手に命名したが、人口710人の集落(高齢化率58%)での、世帯単位ではなく、個人単位の加入による「集落福祉のNPO法人版」である。標高1,955メートルの剣山の中腹(標高800メートル、地区の集落は標高200~800メートルに散在)で、一面の雲海を下に見ながら、蝉しぐれの中で、住民座談会を開催し、木屋平地区の集落福祉をどう進めるかを論議し、NPO法人格を取得して行うしかないといった論議をしたことが昨日のように思い起こされる。

これからの地域福祉実践には「福祉でまちづくり」をスローガンに、基礎自治体を基盤にしつつも、共同性と土着性が強い稲作農耕によって作られた、自然発生的に形成された地域、自治会を超えて、一定の生活圏域ごとにより分権化(市町村からの地域組織への第3の分権化、東京都地方分権推進委員会及び東京都社会福祉審議会で、委員として筆者が提唱)させた新たな地域組織に再編成し、そこで地域の多様な生活課題を解決する多機能型地域組織を構築し、活動を推進していくことが求められる。

それはある意味、住民一人ひとりが「選択的土着民」(静岡県掛川市元市長の榛村純一氏が提唱)となって、地域づくりに関わることであり、それはある意味、住民総参加の直接的民主主義という、地域を“コミューン”にすることである。そこに「限界集落」、「消滅市町村」問題を乗り越える一つの鍵がある。NPO法人こやだいらや「ふれあいあったかセンター『いちいの郷』」の実践はその萌芽とも言える。

Ⅲ 行政と住民の協働を触媒・媒介するコミュニティソーシャルワーク

イギリスのミヒャエル・ベイリイが提唱(1973年)した考えを基に地域福祉の考え方に関わる発展段階を整理すると① Care Out The Communityの時代、② Care In The Communityの時代、③ Care By The Communityの3つの発展の時期・時代がある。

筆者は、日本では1971年~1990年が①の時代で、1990年~2000年までが②の時代であり、2000年以降は③の時代に入り、社会福祉法制も社会福祉法への改称・改正で理念的にそれを求め、明確化したと述べてきた。地域におけるヴァルネラビリティの人々とその人々を排除しない地域のあり方を指摘した2000年12月の「社会的な援護を要する人々に対する社会福祉のあり方に関する検討会」の報告書が出された意味は大きい。

ところで、コミュニティソーシャルワークという用語とその考え方は、1982年のイギリスでの「バークレイ報告」で提唱されたものであるが、イギリスではその考え方が実践的に必ずしも成功したとは言えない。

筆者は、日本的にコミュニティソーシャルワークがそれなりに定着できる状況になってきている要件として、(イ)まがりなりにも日常生活圏域における自治会等の地域組織機能があること、(ロ)全国の市町村に、地域を基盤として活動している社会福祉協議会が組織されていること、(ハ)全国の市町村に23万5千人の民生・児童委員と約5万人の保護司が設置されていることが大きいと考えている。

コミュニティソーシャルワークという考え方は、上記の③の時代には不可欠な考え方である。施設サービスから脱却し、地域での自立生活を支援していくためには、行政の力だけでは遂行できず、地域住民の参加、協働が欠かせない。そのためには先に述べた地域住民の4つの地域福祉の主体形成が求められる。

行政と住民との協働を促進し、住民の主体性を高め、住民自身が地域の問題を発見し、その問題に対し差別・偏見を持たず、地域から排除することなく、地域で問題解決を図る活動を推進するためには、住民の活動を活性化、促進させる触媒機能が重要であり、かつ行政と住民との協働を安定的に媒介させる機能が重要であり、それこそコミュニティソーシャルワーク機能である。

ところで、地域自立生活を支援するコミュニティソーシャルワーク機能の日本的発展段階には5つの段階があったと筆者は考えている。

第1の段階は、1979年にいち早く高齢化が進展していた秋田県が県単独事業として政策化させた在宅相談員制度である。一人暮らし高齢者を孤立させず、地域で見守ろうという実践で、社会福祉協議会と民生委員との協働の下に展開された。

筆者は、その初年度の在宅相談員の研修に招聘、参加させて頂いた。秋田県男鹿観光ホテルで行われた研修会では、従来の血縁的、地縁的見守りを昇華・発展させ、社会化させたシステムとして展開しようとする試みに社会福祉の新たな息吹と地域福祉実践の必要性を改めて認識させられた機会であった。そのもっとも優れた実践の一つは秋田県西仙北町社会福祉協議会の佐藤春子さん(「地域福祉活動指導員養成課程」修了者)の取り組みで、「一人ぼっちの不幸も見逃さない」という映画になり、その後“黄色いハンカチ運動”等に繋がっていく。社会福祉協議会と小地域とが協働して住民の孤立やゴミ出し等のちょっとしたお手伝いを行う事業は現在でも全国で行われており、富山県のケアネット事業等も県単で行われている。

第2の段階は、1990年に「生活支援地域福祉事業(仮称)の基本的考え方について」(平成2年8月、生活支援事業研究会中間報告、厚生省社会局保護課所管)と題する報告書がだされてからである。

筆者自身が、コミュニティソーシャルワークにより関心を寄せ、その政策化に関わるのは、この研究会の座長を仰せつかってからであり、日本におけるコミュニティソーシャルワーク機能が政策的に、実践的に意識された年である。

この報告書に基づき、1990年度にモデル事業として展開され、その成果を踏まえて政策化されたのが1991年度より始まる「ふれあいのまちづくり事業」という大型補助金事業である。モデル事業は福祉事務所、保健所、市町村社会福祉協議会で展開されたが、最も報告書の考え方を踏まえ実践してくれたのは富山県氷見市社会福祉協議会の中尾晶美さん(中尾さんも「地域福祉活動指導員養成課程」の修了者で、のちに事務局長を勤める)である。筆者は、氷見市社会福祉協議会へ約35年間通い、「バッテリー型研究方法」を展開した。最後の頃は、氷見市行政アドバイザーも勤めての実践だったこともあり、「ふれあいのまちづくり事業」は市町村社会福祉協議会で実施されることになった(このモデル事業の評価委員長は宮城孝現法政大学教授が担ってくれた)。

これが、実質的な意味での日本におけるコミュニティソーシャルワーク実践の始まりと言える。

この事業では、今日大きな問題となっている潜在的福祉サービスを必要としている人の発見、しっかりしたアセスメントによるケアマネジメントに基づく援助方針の立案、専門多職種によるチームアプローチ等が提唱された。また、制度の谷間の問題、多問題家族、多重債務者、在住外国人、核家族・単身者の入院時支援、家庭内暴力の問題等への対応の必要性と重要性を指摘している。

しかしながら、この「ふれあいのまちづくり事業」でコミュニティソーシャルワーク機能の具現化が図れたとはいいがたいと筆者は考えている。この補助事業が多くの市町村社会福祉協議会を活性化させる契機にはなったと思うが、コミュニティソーシャルワーク実践の具現化と先に述べた「生活支援地域福祉事業(仮称)」の具体化という点では筆者は必ずしも成功したとは考えていない。

第3の段階は、1993年から日本社会事業大学の社会福祉学部福祉計画学科の地域福祉コースの所属教員が研究会(研究代表・大橋謙策)を立ち上げ、厚生省(当時)の老人保健健康増進等事業の助成を受けて全国のいくつかの市町村をフィールドにして「在宅福祉サービスにおける自己実現サービスの位置とコミュニティソーシャルワークに関する実践的研究」を始めてからである。その研究成果は毎年報告書として出されているが、それを基に大橋謙策他編『コミュニティソーシャルワークと自己実現サービス』(万葉舎、2000年)が上梓されているので参照されたい。

そのフィールド市町村の一つである岩手県湯田町(当時、現西和賀町)社会福祉協議会において、主任ホームヘルパーの菊池多美子さん(「地域福祉活動指導員養成課程」の修了者で、全社協の「社会福祉主事養成課程」の修了者でもある。また、第1回こんぴら地域福祉実践セミナーのシンポジストとしても登壇)が実践していた事例に触れ、その実践こそがコミュニティソーシャルワーク機能を具現化させている実践であり、コミュニティソーシャルワーク機能の具現化を全国的に展開できると勇気づけられた実践であった(菊池多美子著『福祉の鐘を鳴らすまち―「うんだなーヘルパー」奮戦記』万葉舎、1998年参照)。

その実践には、①アウトリーチも含めた問題発見、②フォーマルケアとインフォーマルケアとを有機化させて提供、③個別対応型支援ネットワーク会議の開催、④伴走型のソーシャルワーク、⑤ニーズ対応型サービス開発、⑥社会福祉協議会独自の新しい財源創出等の機能を濃淡含めて実践していた。その考え方に学び、実践を体系化すると同時に、新たな理論仮説を提起し実践もして頂いた。この実践に関わることにより、筆者はコミュニティソーシャルワーク機能の実践ができると確信がもてた。

ただ、その実践は必ずしも意図的な、自らの仮説をもって、検証し、見直すというPDCAサイクルの実践でなかったこと、組織的には容認され、実践されていたが必ずしも社会福祉協議会の計画的、組織的位置づけの下に行われていなかったこと、かつその実践はすぐれて個人的であり、システムとして構築されていたわけでなかったこと等の課題があった。

その後、これら湯田町の実践における課題を解決するためにはコミュニティソーシャルワークを展開できるシステムづくりが必要であると考え、それには市町村地域福祉計画の策定との関わりが不可欠との認識をより強めさせることになった。

筆者は1970年代から市町村の地域福祉計画の必要性を論文で書いてきたし、先に述べた「ボランィア活動の性格と構造」のなかでも(地域)福祉計画の必要性を述べている。また、全社協が設置した「地域福祉計画研究委員会」にも委員として参加し、その委員会の報告書として1984年に上梓されている『地域福祉計画――理論と方法』(全社協)にも執筆している。筆者は、この研究会の論議を踏まえ、1985年に「地域福祉計画のパラダイム」という論文(『地域福祉研究』№.13所収、日本生命済生会福祉事業部刊)を書いているので参照されたい。

(註) 地域福祉計画策定委員長として1988年から取り組み、1990年に制定した東京都狛江市「あいとぴあ推進計画」(大橋謙策著『地域福祉計画策定の視点と実践』第一法規、1996年参照)や東京都目黒区が1990年から取り組んだ「目黒区地域福祉計画(福祉事務所と保健所を合体させ、人口26万人の区内を5地区に分け、その各々に保健福祉サービス事務所を設置)、あるいは同じく1990年から取り組んだ「遠野市ハートフルプラン」(大橋謙策他編『21世紀型トータルケアシステムの創造』万葉舎、2002年参照)等の計画策定の実践を行ってきた。
あるいは東京都児童福祉審議会(専門部会長・大橋謙策)において、筆者が委員長としてまとめた1990年の東京都東大和市の地域福祉計画で構想したものを、東京都児童福祉審議会専門部会に部会長である筆者が提案し、具現化して1994年から創設された「子ども家庭支援センター」(センターに保健師、社会福祉士、保育士を配置し、各区市町村に設置、現在58か所)等の政策提言及びその具現化の政策化及び実践がある。

これら一連の地域福祉計画において政策提言したことと、先のコミュニティソーシャルワークの実践課題の解決とを結び付けて提案し、システム化させたのが2000年4月から始まった長野県茅野市の保健福祉サービスセンターの実践である。

コミュニティソーシャルワークの発展の第4段階は、地域包括ケアシステムとコミュニティソーシャルワークとの連携がシステムとして確立できた長野県茅野市の保健福祉サービスセンターのシステムであり、実践である(筆者は1998年から15年間茅野市福祉行政アドバイザーを担当)。

この時期は、厚生労働省も未だ地域包括ケアとか、地域包括ケアシステムという用語は使っていないし、政策化させていない時期であった。筆者は、1990年の岩手県遠野市の地域福祉計画づくりから「地域トータルケアシステム」という用語を使用してきた。

長野県茅野市は、地域トータルケアシステムの拠点としての保健福祉サービスセンターを市内4か所に設置(当時人口5万7千人、中学校区9)し、市役所内にいた福祉事務所の職員、保健課の保健師を再編成して配属した。それに加えて市社会福祉協議会の職員も配属して、子ども、障害者、高齢者の全世代に対応するワンストップサービスを展開することにした。

基本的には、行政職員(ソーシャルワーカー)、保健師、社会福祉協議会職員(ソーシャルワーカー)が3人1組でチームアプローチをすることにした。それは、フォーマルサービスとインフォーマルサービスとを有機化させることとアウトリーチ型のニーズキャッチをやりやすくさせるためであった。ある年の社会福祉協議会の職員は年間280日も地域へ出張り、住民の相談とニーズキャッチに努めた。社会福祉協議会のソーシャルワーカーを配属したのは地域住民の福祉教育の促進や住民のインフォーマルケア力の向上と活用の促進を図るためでもあった。

その保健福祉サービスセンターでは、フォーマルな制度、サービスのコーディネート、家族、地域の支え合い及び新たな意図的なソーシャルサポートネットワークの構築とコーディネート、更には福祉サービスを必要としている人を発見、あるいは新たに必要な福祉サービスの開発等の機能を総合的、統合的に展開できるシステムとして構想された。

しかも、そのシステムは地域の各機関の機関長レベルの連絡調整ではなく、個別具体的な問題を個々に解決するためのチームアプローチを行う個別対応型支援ネットワーク会議を開催し、具体的支援をリードする拠点システムとしても構想された。

また、茅野市保健福祉サービスセンターには、内科クリニック、訪問看護、高齢者デイサービス、訪問介護、地域交流センターを併設し、更には、システムとして内科クリニックと諏訪中央病院との病診連携、「かかりつけ医」制度の促進を図ることなども組み込んだ(大橋謙策他編『福祉21ビーナスプランの挑戦』中央法規出版、2003年参照)。

長野県茅野市の計画、実践において、筆者は保健、医療、福祉の連携のみならず、社会教育との連携を意識して取り組んだ。地域福祉計画づくりに社会教育との連携を意識的に組み込むのは、1990年の遠野市の計画づくりからである。

なぜ、社会教育との連携を意識化したかというと、福祉サービスを必要としている人を発見し、支えていく上で、地域住民の力はプラスに働く場合もあれば、ややもするとそれらの人々への偏見、蔑視が働き、排除の動きにもなる恐れがあるので、地域住民のこれらの問題への関心の醸成と理解の深化を図ること及び住民自身が福祉サービスを必要としている人の支援者になることへの変容が求められるので、そのためにも筆者は一貫して地域福祉実践には福祉教育が不可欠であると述べてきたし、その一翼を社会教育が担うべきであると考えてきたからである。

更には、「福祉でまちづくり」の考え方を実現していくためには、住民の問題発見・問題解決型の共同学習が必要不可欠であると考えたからでもある。

まさに、地域包括ケアの構築には住民の学習を推進する社会教育行政との連携が必要と考えたからに他ならない。

この茅野市の実践事例は、その後、静岡県富士宮市、掛川市、千葉県鴨川市等へ波及していく。

茅野市のシステムと実践は、2006年に制度化された介護保険制度の地域包括支援センターのシステムとしてのモデルであり、かつコミュニティソーシャルワーク実践を展開できるシステムのモデルでもあった。

2016年7月からは、東京都世田谷区(人口91万人)の27地区に設置されている地域包括支援センター(あんしんすこやかセンター)で、子ども、障害者、高齢者の全世代支援型のワンストップサービスが始まっており、その地区ごとにコミュニティソーシャルワーク機能を担う社会福祉協議会の職員が1.5人ずつ配属されて活動している。

筆者が、この間、手がけてきた地域福祉実践の考え方が国の政策のあり方に最も反映されたものとして、2008年に発表された『地域における「新たな支え合い」を求めて――住民と行政の協働による新しい福祉』がある。この厚生労働省の研究会の座長を勤めさせて頂いたが、筆者が研究し、地方自治体で実践的に制度化、政策化させた考え方がほぼ反映されたと思っている。

しかも、その考え方は、2009年から始まる「安心生活創造事業」というモデル事業の創設により実証的に検証されることになる。そのモデル事業の市町村に指定された中に香川県琴平町があるし、筆者がアドバイザーとしてシステムづくりに関与している千葉県鴨川市も含まれている。

これらの地域福祉実践の積み重ねが、理論的にも、実践的にも可能性があるという判断がなされたのであろう、2015年9月に発表された厚生労働省の「新しい福祉提供ビジョン」にこれらの考え方が政策的に引き継がれていく。

コミュニティソーシャルワークの第5段階は、この「新しい福祉提供ビジョン」をどう具現化させるかという時代である。

その理念をより強固に具現化させるべく、2016年7月に「我が事・丸ごと地域共生社会」実現本部が設置された。

そこで求められる実践課題を筆者なりに改めて整理すると、①筆者のいう4つの地域福祉の主体形成と福祉教育の課題、②「福祉でまちづくり」を推進する上で必要なニーズ対応型サービスの開発というソーシャルワーク機能を発揮できる職員の養成とそれを展開できるシステムづくりの課題、③行政と住民の協働を触媒・媒介させるコミュニティソーシャルワーク機能とそれを展開できるシステムの課題がある。

ところで、これらのことを具体的に実施できるシステムの運営のあり方とその市町村毎のアドミニストレーションはどうあったらいいのか等は研究的にも、実践的にも未だ緒に就いたばかりであり、地域福祉研究的にはほとんど皆無の状況である。

ましてや、これらの活動の担い手をどう養成し、配属できるのか十分な展望を持てていない。筆者が理事長をしているNPO法人日本地域福祉研究所は、全国の県、市、県社会福祉協議会、市町村社会福祉協議会等と協働して、多数のコミュニティソーシャルワークの研修の機会を担ってきているが、果たしてその研修内容や方法も今のままでいいのか、かつての「地域福祉活動指導員養成課程」のようなe-ラーニングも含めたより体系的養成課程を行う方がいいのか、かつ全国の市町村においてコミュニティソーシャルワークの養成・研修を実施することへの対応の展望は見えていない。

イギリスでは、大きな制度改革が行われるときには、必ずといっていいほどその制度改革を担う人材の養成のあり方を連動させて取り組んできた。日本では、制度は制度、人材養成は別か、あるいは制度に必要な人材を制度ごとの研修で養成するという立ち位置で行われてきた。そろそろ、ソーシャルワーク機能、とりわけコミュニティソーシャルワーク機能を発揮できる人材の養成を抜本的に考える必要があるのではないか。今の社会福祉士の養成課程がこれから求められるソーシャルワーク機能を発揮できる人材の養成として相応しいとは必ずしも筆者には思えない。

それらのことも含めて、「我が事・丸ごと地域共生社会」の実現にはいろいろ難しさがある、そうであればあるほど、改めて、今求められているコミュニティソーシャルワーク機能とはを整理、確認しておきたい。それが常に意識されていないと、福祉サービスを必要としている人を発見し、その人々が抱える問題を“我が事”のように理解、共感し、その問題を行政と住民が協働して地域を挙げて解決することはできない。

そして、それを推進しようとすればするほど、行政と住民の協働を触媒・媒介するコミュニティソーシャルワーク機能が求められることを意識化しなければならないからである。

改めて、今求められているコミュニティソーシャルワーク機能とは、を整理、確認すると、①地域に顕在的、潜在的に存在する生活上のニーズ(生活のしづらさ、困難)を把握(キャッチ)すること、②それら生活上の課題を抱えている人や家族との間にラポール(信頼関係)を築くこと、③時には、信頼、契約に基づき対面式(ファイス・ツー・フェイス)によるカウンセリング的対応も行う必要があること、④その人や家族の悩み、苦しみ、人生の見通し、希望等の個人的要因を大切にしつつ、それらの人々が抱えている問題がそれらの人々の生活環境、社会環境との関わりの中で、どこに問題があるのかという地域自立生活上必要な環境的要因に関しても分析、評価(アセスメント)すること、⑤その上で、それらの問題解決に関する方針と解決に必要な方策(ケアプラン)を本人の求め、希望と専門職が支援上必要と考える判断とを踏まえ、両者の合意の下で策定すること、⑥その際には、制度化されたフォーマルケアを有効に活用すること、⑦そのうえで、足りないサービスについてはインフォーマルケアを活用したり、新しくサービスを開発するなど創意工夫して問題解決を図ること、⑧問題解決には多様な関係者の個別対応型支援ネットワーク会議を開催したり、必要なサービスを統合的に提供するケアマネジメントの方法を手段とする個別援助過程を基本的に重視しなければならないこと、⑨と同時に、その個別援助を支える地域を構築するために、個別対応型の必要なインフォーマルケア、ソーシャルサポートネットワークの開発とコーディネートを行うこと、⑩地域での個別支援を可能ならしめる地域づくりに関する“ともに生きる”精神的環境醸成、ケアリングコミュニティづくりを行うこと、⑪個別生活支援の外在的要因である生活環境・住宅環境の整備等も行うことを同時並行的に、総合的に展開、推進していく活動、機能である。

これらのコミュニティソーシャルワーク機能が十分意識化されない皮相的な取り組みで「我が事・丸ごと地域共生社会」という政策が展開されることに、行政も社会福祉関係者も、住民も十分留意しなければならない。したがって、市町村においてコミュニティソーシャルワークを展開できるシステムがない中で、安易に、コミュニティソーシャルワーカーという名称だけが一人歩きすることには気を付けなければならない。

おわりに

四国・こんぴら地域福祉実践セミナーは20回続いているが、それは他の実践セミナー(日本地域福祉研究所主催の全国地域福祉実践研究セミナーが22回、房総地域福祉実践セミナーが14回、沖縄かりゆし地域福祉実践セミナーが8回等)と同様に、“継続こそが力なり”と思い、続けることを意識して、かつ参加してきた。この20回に亘る四国・こんぴら地域福祉実践セミナーのすべてに参加しているのは、筆者と越智和子さんだけであろうか。

ところで、このセミナーは原則的に県行政や県社協の力に頼らずに、開催地を中心に自分たちで実行委員会を作り運営してきた。また、このセミナーは県庁所在地ではなく、「限界集落」と呼ばれる中山間地で行うことを原則としてきた。それは、「草の根の地域福祉実践」を豊かにしたいという思いからであった。県庁所在地での開催は第17回セミナーの愛媛県松山市が初めてである。このような考え方も四国・こんぴら地域福祉実践セミナーの特色の一つである。

高知県の足摺岬のある土佐清水市でのセミナーに539名が四国4県から集まり、討議をした光景には、正直鳥肌が立つ程の感動と感銘を覚えた。この土佐清水市のセミナーに参加して、中央集権的機関委任事務体質、行政依存的体質が大きく変わりつつあることを確信できた。

しかも、この四国・こんぴら地域福祉実践セミナーは、「地域福祉俳句会」は固より、ジャズを聴きながらの交流、あるいは徳島の阿波踊り、高知の「よさこい」踊りの体験等地域文化の野趣〈やしゅ、素朴な味わい〉に富んでおり、参加していてとても楽しい「集い」である。

本稿は「地域福祉の真髄」と題して3つの点に絞って述べてきたが、これ以外でもニーズキャッチの方法、福祉教育を実践する上での資料の作り方、市町村の地域福祉計画づくりの方法、コミュニティソーシャルワークを展開できるアドミニストレーションのあり方等も検討しなければ地域福祉実践は推進できないであろう。しかしながら、それらについては紙幅の関係もあり、後日に委ねたい。

また、四国・こんぴら地域福祉実践セミナーの実践の中でも高知市の「こうちこどもファンド」の取り組みや香川県の「香川おもいやりネットワーク事業」(施設経営の社会福祉法人と市町村社会福祉協議会と民生・児童委員との3者がコラボレーションしての生活のしづらさ、生活の困窮者を地域で支える活動)、あるいは本資料には都合により収録できなかったが、愛媛県愛南町のNPO法人なんぐん市場が取り組んでいる、精神障害者の退院支援と地域定着、地域自立生活支援の取り組みの実践、更には想定される南海トラフ地震への対策も考えた災害時支援のソーシャルワーク実践のあり方等これからの地域福祉実践を考える上で大きな示唆を与えてくれる実践についても考察を深めなければならないし、かつそれに関わってこれからの地域福祉研究上の意義、あり方についても論述しなければならないが、これも後日に委ねたい。

最後になりましたが、20年間、四国・こんぴら地域福祉実践セミナーの開催にご尽力してくれた日開野博さん(「地域福祉活動指導員養成課程」修了者)、越智和子さん、白方雅博さん(「地域福祉活動指導員養成課程」修了者)、島崎義弘さん、佐和良佳さん、市川千香さん(「地域福祉活動指導員養成課程」修了者)、日下直和(「地域福祉活動指導員養成課程」修了者)さんをはじめ、お一人、お一人のお名前を挙げられないが、四国4県の市町村社会福祉協議会及び県社会福祉協議会の職員の方々、そして日夜、地域福祉実践に傾注されている方々、更には聖カタリナ大学、高知県立大学、松山大学、高知大学、四国学院大学の先生方等本当に多くの人々に支えられ、このセミナーが継続実施されてきたことにこの誌上を借りて改めて厚く御礼を申し上げるとともに、心より感謝を申し上げる次第である。

付記
本稿は2017年6月3~4日に、愛媛県松山市の松山大学で行われた日本地域福祉学会において、地元四国4県の地域福祉実践の発表の一環として編集刊行された『「地域福祉の遍路道」四国・こんぴら地域福祉セミナー資料集』に寄稿したものに一部加筆したものである。

謝辞
本稿は、一般財団法人社会福祉研究所『所報』第93号、2018年3月、1~17ページ所収の大橋謙策先生の玉稿です(一部削除・修正)。転載許可を賜りました大橋先生と社会福祉研究所に衷心より厚くお礼申し上げます。/市民福祉教育研究所

 

補遺
(1)社会福祉協議会は  “ 自己満足 ”、“ 唯我独尊 ”、“ 視野狭窄 ”  で生き残れるか?

新年に頂いた年賀状の中に、東京都の福祉局の職員として勤め、定年後に地区社会福祉協議会に関わり、草の根の地域福祉実践をしている方から、“社会福祉協議会は旧態依然で、改革する意欲がない”という嘆きの言葉が書かれた年賀状を頂きました。

私は厚生労働省が進めている地域共生社会政策の具現化には、社会福祉協議会が改革され、住民のニーズに対応する活動を展開できなければ、その具現化は難しいと思っていますし、かつ社会福祉協議会は生き残れないと思っています。

地域共生社会政策における重層的支援体制整備事業は、包括的相談と福祉サービスを必要としている人の社会参加支援とそれを可能ならしめる地域づくりの3つの事業を三位一体として展開して欲しいとしています。

これを行うためには、市町村における第2層の専門多機関、専門多職種の連携と第3層の小学校区レベルでの住民参加、住民のボランティア活動の活性化が不可欠ですし、とりわけ第2層の機能と第3層の機能をつなげ、コーディネートする力が必要です。この第2層と第3層との有機化ができないと、また“新たな縦割り”を産みかねません。

これらの事業・活動を展開する組織として、最もふさわしい組織は市町村社会福祉協議会ではないかと私は思っています。

私の地域福祉実践、研究、教育は全国の社会福祉協議会とバッテリーを組むことにより展開され、体系化できました。言わば、私は社会福祉協議会によって“地域福祉研究者”に育てられたと思っていますので、身びいきすぎるかも知れませんが、上記の機能を考えたたら社会福祉協議会しかないと思っています。

1980年代から社会福祉協議会は小学校区レベルで地区社会福祉協議会づくりを推進してきました。その過程で、自治会組織や民生委員・児童委員とも深い関係を築いてきました。

1990年代には、住民に信頼される組織になるためには、住民のニーズに応える具体的サービスを展開し、そのサービス提供過程において、新たな住民のニーズを把握しようという「事業型社協」の考え方を打ち出しました。

また、1991年からは潜在化しているニーズを発見し、専門多機関でのチームアプローチによる支援を行う「ふれあいのまちづくり事業」を展開してきました。

このような経緯を考えれば、地域共生社会政策の具現化、重層的支援体制整備事業は社会福祉協議会がその中軸になって活動して“当たり前”だと私は思うのです。

しかしながら、冒頭に述べたように、社会福祉協議会は未だ1980年代までの“旧態依然”の活動、組織になっています。これで、社会福祉協議会はいつまでも行政からの補助金を貰えるのでしょうか。

全国各地の地方自治体では、9月の決算議会で社会福祉協議会への補助金の費用対効果が問われ、補助金の見直しの論議が各地の自治体で論議されています。あるいは、行政の監査委員会から社会福祉協議会への補助金の見直しの勧告もされています。行政の保健福祉部局が社会福祉協議会への理解を示してくれても、財政部局が理解せず、補助金カットの厳しい査定が続いています。社会福祉協議会が有している「基金」を全て遣い切ってから、改めて補助金の支出の論議を余儀なくされているところもあります。地方自治体の「指定管理制度」に伴う入札において、従来使用していた事務所がある社会福祉センターの管理運営に関わる指定管理で、社会福祉協議会が落札できず、他の業者に事務所代の賃料を払って入居している社会福祉協議会もあります。その場合の事務所賃貸料の補助金は行政から出ません。

このような状況下で、社会福祉協議会の経営のあり方は現在とても厳しい状況にあり、早く“眼を覚ます”必要があると思っています。

私自身、昨年だけでも岩手県、秋田県、福島県、香川県等の社会福祉協議会の経営問題に関する会議・研修に招聘され、上記のような状況と課題を提起し、コンサルテーションを行ってきました。

社会福祉協議会を取り巻くこのような状況を改革するためには、地域共生社会政策における重層的支援体制整備事業を受託し、第2層の地域包括支援センターの運営を軸にした専門多機関協働と第3層の小学校区の地区社協における住民参加、ボランティア活動とを有機化させる活動に取り組むしか“生き残る道はない”と考えています。

そのためには、従来の社会福祉協議会の事務局体制を改編し、地区社会福祉協議会ごとの「地区担当制」を導入し、その地区において福祉サービスを必要としている人の“発見”と個別支援に関する包括的総合相談を行い、かつその福祉サービスを必要としている人の社会参加に関する問題解決プログラムを開発・提供すること、更にはそれらの活動を住民が支え、ボランティア活動として協力するとともに、福祉サービスを必要とする人々を地域から排除することなく、蔑視をすることなく、共に生きていける地域づくり、福祉教育の推進を統合的に展開できる事務局体制に再編するしか“生き残れる道はない”と思っています。

そのためには、社会福祉協議会職員、総務部門の職員も、生活福祉資金や権利擁護部門の職員も、施設・団体支援部門の職員も含めてコミュニティソーシャルワーク機能の研修を受講し、その資質向上を図るしかありません。

厚生労働省の2015年の「新たな福祉提供ビジョン」(この報告書が地域共生社会政策の起点になる)の中で述べているように、“個別支援を通じて地域を変えていく”過程が重要なのです。

その点、テーマ型NPO法人は、福祉サービスを必要としている人の個別課題分野ごとに特化した活動を展開していますので、“個別問題”に強い“印象”を創り出していますし、事実、個別課題分野ごとに大きな成果を挙げて評価されています。

また、それらのNPO法人は今日のインターネット社会の機能をよく活用し、全国的に組織化を図り、個別課題分野における“発言力”(政治的にも、行政の信頼度においても、行政からの補助金獲得においても、クラウドファンディングにおいても)を高めています。

正直なところ、この間の内閣府等の政府の福祉サービスを必要としている人の個別課題分野ごとに取り組むNPO法人への評価は高く、政府の審議会での発言力や報告書における位置づけも高いものがあります。

それに比して、社会福祉協議会への評価、位置づけは“相対的に地盤沈下”していると思います。福祉サービスを必要としている人の個別分野の取り組みが全体的に増加しているので、その個別課題に取り組む団体・組織が増えることはいいことであり、その結果、社会福祉協議会が“相対的に地盤沈下”するのも当然でやむを得ないと考えるべきなのでしょうか。

私は、社会福祉協議会の位置は“相対的に地盤沈下”しているのではなく、“絶対的に地盤沈下”していると考えています。つまり、住民のニーズに対応しないで、相変わらず“旧態依然”の活動に終始し、“自己満足”、“唯我独尊”、“視野狭窄”に陥っているのではないでしょうか。

これらの課題は一朝一夕には解決できないと思いますが、せめてNPO法人と社会福祉協議会との“彼我の位置関係”を確認するためにも、各都道府県、各市町村で取り組み始めて貰っている「社会福祉関係資料集」の中に、これら「福祉サービスを必要としている人の個別支援をしているNPO法人」と「福祉サービスを必要としている当事者組織・団体」の把握を行い、収録することが必要ではないかと思っています。

私は、富山県社会福祉協議会のコミュニティソーシャルワーク研修において、『社会福祉関係資料集』の作成の必要性を説き、富山県福祉カレッジと協働して立派なものを作成してもらいました。この実践の取り組みは、現在では千葉県、岩手県、香川県、佐賀県の社会福祉協議会に普及しています。

地域共生社会政策では、社会福祉法の改正で地域福祉計画等を作成する際に、「地域生活課題」を明確に把握することを求めています。私は、この改正が行われる前から、住民のニーズに関わる「地域福祉・地域包括ケアに関わる基本情報」を市町村ごとに、かつ地域包括支援センター圏域毎に作ることの必要性と重要性を指摘してきました。

上記の『社会福祉関係資料集』は、これらの国の動向を踏まえても必要な取り組みです。富山県では、コミュニティソーシャルワークの研修の時のみならず、いろいろな研修の機会に活用しています。

せめて、これらの『社会福祉関係資料集』の中で、全国の、各都道府県の、各市町村で活動している「福祉サービスを必要としている人への個別支援をしているNPO法人」と「福祉サービスを必要としている人々の当事者団体・組織」の一覧を収録することにより、“彼我の位置関係”を認識し、社会福祉協議会が陥っている“自己満足”、“唯我独尊”、“視野狭窄”に気付き、改革する契機になればと思っています。

そして、社会福祉協議会がそれらの組織、団体の参加の基にプラットホームを創り、その“中核的組織”として社会福祉協議会が活動を行い、社会的評価を高められればと祈念しています。

――「老爺心お節介情報」第38号/2023年1月2日(一部削除・修正)

 

(2)「バッテリー型研究」と「関係人口」

私は地域福祉研究の「研究方法」について長らく悩んできました。とりわけ、外部の人間として地域に入るのですから、“地域”との関わり方については悩んできました。

研究者として、“上から目線”で地域に入り、“教えてあげる”という“臭い”をさせながら、“地域を引っ搔き回し”、その成果をあたかも自分の“手柄”のように披歴する研究者に1970年代から辟易してきました

私自身はそれについては相当気を付けてきたつもりではありますが、住民の皆さんからみたら、同じような指摘を受けるのかも知れません。

また、住民の意識、関係等の大量的リサーチを行うのが地域福祉研究なのかとも思ってきました。

その地域福祉の「研究方法」については『地域福祉とは何か―哲学・理念・システムとコミュニティソーシャルワーク』で述べたつもりです。一言で言えば、実践家と研究者が野球の投手、捕手のようにバッテリーを組んで、協働実践を行う「バッテリー型研究」が重要だと考えてきました。

そのことに関し、阪野貢先生が「関係人口」に関わらせて説明しているので参照して頂きたい。その一部を以下に抜粋しておきます。是非、阪野貢先生のブログ(「市民福祉教育研究所」<まちづくりと市民福祉教育>(63)2022年1月21日)を読んで下さい。

阪野 貢/追補:「関係人口」と「よそ者」―田中輝美の論考と大橋謙策の実践研究―
〇筆者(阪野)の手もとに、田中輝美(ローカルジャーナリスト、島根県立大学)の『関係人口の社会学―人口減少時代の地域再生―』(大阪大学出版会、2021年4月。以下[1])がある。
〇「関係人口」という用語は、高橋博之と指出一正の二人のメディア関係者が2016年に初めて言及したものである。「関係人口」とは、高橋にあっては「交流人口と定住人口の間に眠るもの」、指出にあっては「地域に関わってくれる人口」をいう。その後、田中輝美は「地域に多様に関わる人々=仲間」(2017年)、総務省は「長期的な『定住人口』でも短期的な『交流人口』でもない、地域や地域の人々と多様に関わる者」(2018年)、農業経済学者である小田切徳美(明治大学)は「地方部に関心を持ち、関与する都市部に住む人々」(2018年)、河井孝仁(東海大学)は「地域に関わろうとする、ある一定以上の意欲を持ち、地域に生きる人々の持続的な幸せに資する存在」(2020年)としてそれぞれ、「関係人口論」を展開する(73~75ページ)。
〇田中は[1]で、こうした抽象的・多義的で、農村論や過疎地域論に偏りがちな(都市部における関係人口を切り捨ててしまう)関係人口論に問題を投げかけ、関係人口について社会学的な視点から学術的な概念規定を試みる。関係人口とは「特定の地域に継続的に関心を持ち、関わるよそ者」(77ページ)である、というのがその定義である。この定義づけで田中は、関係人口を、移住した「定住人口」でも観光に来た「交流人口」でもなく、新たな地域外の主体、別言すれば「一方通行ではなく、自身の関心と地域課題の解決が両立する関係を目指す『新しいよそ者』」(69ページ)として捉える。その際、地域とどのように関わるかについて、関係人口の空間(「よそ者」)とともに、時間(「継続的」)と態度(「関心」)に注目する。(中略)
〇ここで筆者は、「福祉でまちづくり」の「スーパースター」(田中輝美の言葉)的な「関係人口」や地域づくりの専門家(「実践的研究者」)といえる大橋謙策(日本地域福祉研究所)の「バッテリー型研究方法」を思い出す。大橋のそれについては、本ブログの<まちづくりと市民福祉教育>(27)大橋謙策「地域福祉実践の神髄―福祉教育・ニーズ対応型福祉サービスの開発・コミュニティソーシャルワーク―」(2018年4月4日投稿)を参照されたい。
〇大橋は、全国各地の地域福祉(活動)計画の策定や地域福祉の研修会・セミナーなどに関わるが、その際の視点や姿勢はおよそ次のようなものである。

(1) 地域による実践の理論化・体系化と関係人口としての理論仮説の提起と検証(バッテリー型研究方法)を行う。
(2) 地域と長期間にわたって関わり、特定あるいは総合的・統合的な事業・活動への支援を継続的に行う。
(3) 地域による実践活動の活性化と、地域と行政や関係機関との協働を成立させるコミュニティソーシャルワーク機能(触媒・媒介機能)の展開、そのためのシステムの整備を支援する。
(4) 多種多様な、あるいは潜在的な地域課題の解決に向けた専門多職種によるチームアプローチの必要性や重要性を提唱し、その実現を図る。
(5) 地域との相互作用や相互学習の過程を通して、地域内外との交流や福祉等関係者(実践者)の組織化を促す。
(6) 地域による実践のプロセスとその結果の客観化・一般化や実践仮説の検証を図るために、著作物の刊行や地域によるそれを支援する。
(7) 地域による問題発見・問題解決型の共同学習(福祉教育)を徹底的に行い、地域(地域住民や専門家等)の社会福祉意識の変容・向上を図る。
(8) 地域との共同実践を通して地元自治体における福祉サービスの整備や、全国の地方自治体や国への政策提言を行い、その具現化の制度化・政策化を促す、

などがそれである。これらを総じていえば、地域による「草の根の地域福祉実践」を豊かなものにするために「継続は力なり」の意志を体して、理論と実践を往還・融合する探究的な「実践的研究」に取り組み、「福祉教育・ニーズ対応型福祉サービスの開発・コミュニティソーシャルワーク」を追究する、ここに大橋の「関係人口」としての具体的・実践的な視点や姿勢を見出すことができる。しかもそれらは、地域づくりや地域再生に「関係人口」が果たすべき役割や機能のひとつのモデルとして整理されよう。
〇なお、上記の(6)に関する文献に例えば次のようなものがある。紹介しておきたい。表記した地名は大橋が関わった地域である(それはそのほんの一部に過ぎない)。

・東京都狛江市/大橋謙策編著『地域福祉計画策定の視点と実践―狛江市・あいとぴあへの挑戦―』第一法規出版、1996年9月。
・富山県氷見市/大橋謙策監修、日本地域福祉研究所編『地域福祉実践の課題と展開』東洋堂企画出版社、1997年9月。
・岩手県湯田町(現・西和賀町)/菊池多美子著/『福祉の鐘を鳴らすまち―「うんだなーヘルパー」奮戦記―』東洋堂企画出版社、1998年9月。
・富山県富山市/大橋謙策・林渓子共著『福祉のこころが輝く日―学校教育の変革と21世紀を担う子どもの発達―』東洋堂企画出版社、1999年1月。
・山口県宇部市/宇部市教育委員会編『いきがい発見のまち―宇部市の生涯学習推進構想―』東洋堂企画出版、1999年6月。
・島根県瑞穂町(現・邑南町)/大橋謙策監修、澤田隆之・日高政恵共著『安らぎの田舎(さと)への道標(みちしるべ)―島根県瑞穂町 未来家族ネットワークの創造―』万葉舎、2000年8月。
・岩手県遠野市/日本地域福祉研究所監修、大橋謙策・ほか編『21世紀型トータルケアシステムの創造 ―遠野ハートフルプランの展開―』万葉舎、 2002年9月。
・長野県茅野市/土橋善蔵・鎌田實・大橋謙策編集代表『福祉21ビーナスプランの挑戦―パートナーシップのまちづくりと茅野市地域福祉計画―』中央法規出版、2003年2月。
・香川県琴平町/越智和子著『地域で「最期」まで支える―琴平社協の覚悟―』全国社会福祉協議会、2019年7月。

――「老爺心お節介情報」第33号/2022年2月22日(一部削除・修正)

 

(3)地域福祉研究者の「バッテリー型研究」

私は、1960年代、東京都三鷹市で中卒青年等を対象とした青年学級の講師を約10年間担当した。その際に、青年たちから投げかけられた言葉はいまでも忘れられないし、忘れてはいけないと“自虐”的と思えるほど意識して研究者生活をしてきた。

その言葉は“あなたたちが大学院に進み、研究できているのは我々の税金があるからではないのか。我々は、勉強したくても家が貧困で高校へも行けなかったし、大学へも行けなかった。だから、この青年学級で学んでいる。あなた方の奨学金も我々の税金で賄われているのではないのか。そいうことを考えてあなたは生活し、研究しているのかという”問い掛けであった。

当時は、東大紛争もあったりして、このような言葉がだされたのだと思うが、この言葉は自分にとって大変身に堪えた。そうでなくても、日本社会事業大学を進路として選択する際に、そのような考えを自分でしていたものの、直接、面と向かって、このような言葉を投げ掛けられると身に堪えた。それ以来、ディレッタンティズム(もの好き)で研究するのではなく、社会に貢献できる研究者になろうと誓った研究生活であった。

そんなこともあり、私は講演や研修を依頼されると、常に参加者にどのような“お土産”を持って帰ってもらうのか、参加してよかったと思える“成果”をどう提供できるのかを考えてきた。

また、講演や研修等の頂いた機会にその地域、その組織、その自治体から何を自分が学ぶかということを常に考えてきた。それは自分自身の学びであると同時に、参加者への“お土産”の素材を掴むことにもつながっていた。

その際の私の姿勢として、自分が学んだことや自分が知っている情報を“分かち与える”という、ややもすると“上から目線”になりがちな“教える”ということではなく、参加者がこれから考える糸口、課題を整理し、学びへの関心、興味を引き出せるような契機になればということを常に意識してきた。それは、言葉で優しく言うとか、言葉で励ますとかいうことではなく、参加者が主体的に考え、行動に移したいと思えるような問題の整理と課題の提起を志すことであった。

一方、私は1985年1月に『高齢化社会と教育』を室俊二先生と共編著で上梓した。それに収録された論文の中で、生涯教育、リカレント教育、有給教育制度等に触れながら、これからは高学歴社会と高度情報化社会が到来し、従来のような知識“分与”的、情報伝達的教育や研修は変わらざるをえないことを指摘した。

今、文部科学省はアクティブラーニングの必要性をしきりに強調しているが、それはかつて社会教育が青年団を中心に提唱してきた「問題発見・問題解決型協働学習」で言われてきたことと同じである。

このような状況のなかで、地域福祉研究者は、気軽に“地域づくり”、“地域共生社会”づくりというが、どのような立ち位置で研究し、どのような立ち位置で講演や研修に臨んでいるのであろうか。

他方、私は地域福祉実践をしている現場の方々と“バッテリーを組んで”、その地域、その自治体、その社会福祉協議会をフィールドにして研を行ってきた。そして、その研究は一時的なものではなく、長期に亘り、継続的に関わることによって行われるべきものだと考えてきた。

地域に住んでいる住民は、移転、移住しようにも、先祖伝来の土地、「家」のしがらみの中で生きており、気軽に移動できない状況を十分理解しないままに、外部から入り、外部の目線で“気軽に”地域づくりを言い、短期で関わりを切ってしまう研究方法は、あたかも住民の方々を弄ぶかのように思えていたからである。

私は、1970年に現在の東京都稲城市に移住し、地域活動を始めたが、それ以降、よほどのことが無い限り、この稲城市を離れることをしまいと決意を固めた。“地域づくり”を言うということは、それだけの重みのある取組であるべきだし、そうでないと住民の方々は納得してくれないと思ったからである。現に、そのような指摘は各地で幾度も聞いたし、聞かされてきた。

そんなこともあり、“バッテリーを組めた地域”には、長い地域では40年間のお付き合いをさせて頂いている地域もある。

ところで、このような文章を書いたのは、まさに「老爺心お節介」の最たるものかもしれないが、最近目にする論文等を読んでいて、研究者自身の立ち位置を明確にしないままに、取り組まれている実践を評価、紹介しているものが多く、地域福祉研究者として“一種の研究倫理”に抵触しているのではないかと思う論文を散見するからである。全国のいい実践は、大いに紹介し、情報共有化がおこなわれてほしいが、その場合でも紹介なのか、評論なのか、自分の学説の論証に使うのか等その位置づけは明確にしてほしいものである。しかも、その実践のアイディアは誰が出したのか、参与観察をするならばどういう立ち位置で行うのかを明確にする必要がある。最近、政治学の分野で「オーラルヒストリー研究法」が活用されているが、ある政策、ある実践がどういう形で企画され、政策化されていくのかを、その過程の力学も踏まえて研究が進められている。地域福祉研究においても、同じような研究の枠組みを作る必要があるのではないかと考え、この拙稿を書いてみた。

――「老爺心お節介情報」第23号/2021年3月25日(一部削除・修正)

 

(4)社会福祉実践における「実践仮説」と実践者の  “ ゆらぎ ”

筆者は、ここ数年千葉県、富山県、香川県、佐賀県、大阪府、岩手県の社会福祉協議会において、CSW研修を体系化させようと取り組んできました。その際、感じることは、社会福祉関係者の活動には「実践仮説」をもって意識的に取り組むという姿勢が弱いと感じている。

筆者が、東京都三鷹市の勤労青年学級の講師として取り組み始めたのは1966年度からですが、その際、小川正美社会教育主事から強く求められたのは、①勤労青年という教育実践の対象になる「学習者理解」を深めること、②これらの青年に対し、どのような教育目標を設定し、どのような教材や教育方法を駆使して実践するのか、1年間の、あるいは中期の「実践仮説」をもって取り組むこと、③年度がおわったら、「実践仮説」に基づいた実践がどうであったかを総括、評価し、文章化することであった。当時、日本社会事業大学の学部4年生であった私にとっては、それはとても厳しい“注文”であったが、それを意識化して取り組んだことが筆者を育ててくれたと今では感謝している。

三鷹市の勤労青年学級だけではなく、教育学分野では、教師が「実践仮説」をもって、実践に取り組むということが必要だと教えられてきたが、1970年代、社会福祉分野において「実践仮説」という言葉を使うと、関係者はその用語は初めて聞いたとか、「実践仮説」とはどういうことですかとか、用語の使用が共有化できないことに驚いた記憶がある。ある意味、社会福祉分野は“制度の枠”の中で、“制度に基づくサービスを提供”していたので、「実践仮説」という考え方を持たなくても通用してきたのかなと思ったことがある。

しかしながら、これからは制度が十分でなければ、ニーズに対応する新しいサービスを開発する必要があるし、生活のしづらさを抱えている人への伴走的支援によるソーシャルワーク実践が求められてきている。そこでは、実践者の「実践仮説」が大いに問われるはずである。

――「老爺心お節介情報」第21号/2021年1月18日(一部削除・修正)

 

(5)実践・研究における問題構造の把握と分析視角

私は、恩師の小川利夫先生から研究指導を受ける際、“おまえの分析視角は何か、そのナイフは先行研究を踏まえた理論課題を明らかにできる研ぎ澄まされているナイフなのか、それともなまくらなのかどうか?”、“事象に流されて、紹介するだけのものは論文とは言わない”等と常に戒められてきた。

そんなこともあり、私は論文を書くときに、あるいは講演をする際にとても十分とはいえないにしても、常に以下のようなことを考えて研究生活を送ってきた。

➀ 何故、その社会問題、事象を取り上げるのか、それを取り上げる意義は何か?
② 取り上げた社会問題、事象をどう分析するのか、その分析の視角は何か?
③ 分析したここの要因間の関係の構造を考え、何が幹で、何が枝で、何が葉なのか、枝葉末節を考えて、構造的に分析を行い、考えているか?
④ 分析をした社会問題、事象を通して、社会福祉学界に対してどのような理論課題を提起し、論述しようとしているのか、その理論課題に即した先行研究も十分ふまえて論述しているのか?

上記のことを私が意識して問題構造、分析視角という用語を使って書いた最初の論文が「現代児童の問題構造と分析視角」(『ジュリスト』572号、有斐閣、1974年10月)である。

自分のことを棚に上げておこがましいことを言うようであるが、最近の実践や研究において、上記のことがほとんど触れられずに、“犬が歩けば棒に当たる”類の研究姿勢が多いことはなぜなのだろうか?それは私達の世代の“大学院”での研究指導が不十分であったからであろうか。

――「老爺心お節介情報」第36号/2022年6月13日(一部削除・修正)

老爺心お節介情報/第41号(2023年3月19日)

「老爺心お節介情報」第41号

お変わりありませんか。
大分春めいてきました。いい季節になりました。
「老爺心お節介情報」第41号を送ります。

2023年3月19日   大橋 謙策

Ⅰ 都道府県社会福祉協議会主催の「社協職員実践研究発表大会」の必要性

〇本年1月から2月に掛けて、香川県、富山県、佐賀県で社会福祉協議会職員の実践研究発表大会が開催され、コンサルテーションを行ってきた。
〇筆者が、佐賀県社会福祉協議会と継続的に関わり、コンサルテーション的アドバイスをするようになったのは2012年度からである。
〇佐賀県では、2015年11月に「市町社協理事・監事・評議員・職員―地域福祉推進・小地域福祉活動実践セミナー」を「社会福祉協議会は生き残れるか」をテーマで行った。また、2017年度からは市町社協職員パワーアップゼミを行ってきた。それらを踏まえて、2018年度から社協役員研修と県内社協職員のパワーアップ研修の成果を基にした社協職員実践研究発表との連動性を意識化した合同研修会を「市町社協役職員合同研修会」として社協職員実践研究発表大会を行うようになり、2022年度が第5回目の実践研究発表会であった。
〇去る2月15日に行われた社協実践研究発表大会では、発表者6名中、パワーアップゼミの修了者が3人であったが、そのいずれの人もパワーアップゼミで取り組んできた「問題解決プログラム」に基づく実践を発表され、とても高い評価を得た。
〇与えられた業務分掌に基づき、漫然と決められた事業を遂行し、その報告をするのが従来は多かったが、今回は地域生活課題をアンケート調査等で明らかにしたり、民生児童委員の協力を得て、アウトリーチ型の問題発見を行い、そこで明らかになった生活課題を解決するために、新しいサービス開発を行って提供するという、いわば自らの「問題解決プログラム」を作成し、その実践仮説をもって、意識的に取り組んだ実践報告は非常に素晴らしいものであった。しかも、その財源についてもファンドレイジングを活用して確保するという、一連のコミュニティソーシャルワーク機能が意識された素晴らしい実践であった。
〇香川県では、2014(平成26)年に香川県内社会福祉協議会連絡協議会と香川県社会福祉協議会とが、「ニーズ対応型社協活動方針」を決定し、住民と行政の信託に応える活動を展開することになった。香川県内市町社会福祉協議会は、住民の多様な相談のたらいましをしない全世代対応型の相談活動ができるように、社会福祉協議会に「地区担当制」を導入する活動が活発になっていく。と同時に、市町社協を担う中堅職員への「次世代育成研修」を展開してきた。このような背景をもって、香川県社会福祉協議会も県内社協の実践研究発表会を2014年度(2015年1月)に開催するようになった。
〇富山県でも、佐賀県や香川県の取り組みに触発されて、2017年度(2018年1月)から社会福祉協議会職員の実践発表会が開催されている。
〇これらの県に共通しているのは、当初、市町村の社会福祉協議会の活動報告の域を出なかったものが、コミュニティソーシャルワーク研修を受ける過程において、自らの問題意識、問題把握に基づいて、それらの問題の解決を図る企画を立て(仮説の設定)、それに基づき、実践をし、その成果を発表するというスタイルに変わってきていることである。
〇筆者は、1987年に和田敏明先生(当時全社協地域福祉部長、現ルーテル大学名誉教授)と語らい、岡村重夫先生、永田幹夫先生、三浦文夫先生等の賛同を得て日本地域福祉学会を設立した。その目的は、まさに上記のように、地域問題を把握し、その解決策を立案し、実践したものを日本地域福祉学会で発表することにより、全国の市町村社会福祉協議会職員の資質向上を図り、市町村社会福祉協議会が展開する地域福祉の推進を図りたいと考えての学会設立であった。
〇しかしながら、それから約35年経たが、日本地域福祉学会における社会福祉協議会職員の占める比率は下がり、かつ実践研究報告も増加していない。
〇他方、平成の合併により、全国3750程度あった市町村が今や1700程になっている。それに伴い、各都道府県社会福祉協議会が展開していた市町村社会福祉協議会職員向けの研修も減少しているのではないだろうか。我々の認識の中に、未だ“重厚長大”をよしとする発想があるせいだろうか、県内市町村社会福祉協議会の数がへってきたことで、研修をしても参加者が集まらない、人数が少ないと元気が出ないという状況に陥っていないであろうか。筆者の“感覚”では、市町村社会福祉協議会の職員が一堂に会して、談論風発の討議、研修がなくなってきているように思われてならない。それは、行政の職員の研修スタイルが変わり、社会福祉協議会もその影響を受けているということなのかも知れない。
〇しかしながら、行政のように、法律、制度、予算に囚われている職種ならいざ知らず、社会福祉協議会職員の実践は、住民のニーズを発見し、その問題解決を図るという優れて自らの実践仮説に基づく実践を行うことが求められている状況では、かつての“知識供与型の承り研修”では駄目で、“住民のニーズ対応・問題解決型の研修”を繰り返し行うしかない。それは決して、研修参加人員が多い方がいいということではない。また、かつての社会福祉協議会は調査・研究を大事にし、住民のニーズを明らかにし、それをソーシャルアクションとして実現してきた歴史を有しているが、最近ではほとんどそのような実践を聞かない。
〇改めて、各都道府県社会福祉協議会は研修のあり方を見直し、コミュニティソーシャルワーク機能に関わる研修を軸に、“住民のニーズ対応・問題解決型の研修”を行い、その実践成果を社会福祉協議会職員実践研究発表会として開催する必要があるのではないか。
〇香川県丸亀市や東京都世田谷区等では、区市町村レベルで、社会福祉協議会が行ってきた実践を住民に報告する会を行うようになってきている。これからは、都道府県レベルだけでなく、市町村レベルでの社会福祉協議会職員の実践研究発表会が求められる時代になってきていると認識しなければ、社会福祉協議会は生き残ることができなくなるであろう。

Ⅱ 健康診断とがん告知 その ➁ ――神奈川県立がんセンター重粒子線治療の巻

①ホルモン療法は3か月に1回の割合での注射と毎日朝食後1回の飲み薬との併用である。
〇ホルモン療法の注射は、下腹部に打つのであるが、女性ホルモンということもあるのか、下腹部がポコッと膨らんでくる。女性ホルモンの療法を行うと、男性性器が勃起しなくなると聞かされていたが、それは性交ができないという意味だと私は理解していたので、それは自分には関係ないと思っていたが、どうもそうではないことが分かってきた。
〇ホルモン療法の結果、男性性器が男の子の性器のように小さくなり、かつ包茎状態になってしまうので、おしっこをする際に、きちんと包茎状態を直し、尿の出る方向を定めて放尿しないととんでもないことになる。また、勢いよくでないので、便器に近づき、“一歩前”に出ないと小便器の手前に放尿することになる。今まで、男性便所の小便器の周りがいつも尿で汚れているのが気になっていたが、それはたぶん私と同じような前立腺ガンや前立腺肥大の人が、意識して放尿していないのではないかと思えるようになってきた。私はここでも意識化する取り組みが増えた。
〇歳を取ってくる中で、部屋の電気の消し忘れ、水道の蛇口を最後まで締め切らずにちょろちょろと水を出しっぱなしにするような状況が夫婦の中で日常的多くなってきて以降、夫婦で、日常生活のあらゆる場面での意識化ということを合言葉にしてきたが、放尿の際にも意識化が必要になってきた。多分、放尿を意識化していない人が、男性便所の小便器周りに尿を“結果として”ふりまいているのであろう。
〇歳を取るということは、惰性で、無意識的に生活をしていると様々な問題が生ずる。そうならないよう、日常生活のあらゆる部分での意識化が重要になる。意識して歩く、意識して口腔体操をする、意識して整理する等意識化の重要性が見えてくる。
〇鉄道員等が“指差し喚呼”というものをしているが、まさにこの動作を意識化して“指差し喚呼”が重要になる。教育実践でも、「外化」という営みがある。自分の“内なるもの”を意識して外に出す{外化}を行うことで教育効果が上がるという考え方と同じである。
〇老化に伴う問題行動を少なくしていくためには、あらゆる場面での意識化が重要である。

②重粒子線治療では、腸内にガスが溜まっていたり、便が詰まっていると照射がうまく行かないからという理由から、1月30日から4種類の薬が処方され、朝、昼、晩の3回飲むことになった。胃腸管内のガスを取り除くシメチコン、消化を助けるエクセラーゼ、腸の働きを整えるビオフェルミン、胃酸を中和し、便を出しやすくする酸化マグネシュウムの4種類である。酸化マグネシュウムには筋力低下をもたらす恐れがあるという。
〇また、胃腸管内にガスが溜まることを促進しかねない炭酸飲料と麺類の摂取が禁止された。ビールはだめというので、日本酒はいいのですかと聞くといいという。2月13日からビールが飲めなくなる。
〇服薬しはじめて、2週間後ぐらいに、どうも歩く足が遅くなり、足に力が入らなくなる。3月1日の重粒子線治療開始後の最初の診察で、酸化マグネシュウムの影響ですかと尋ねると、酸化マグネシュウムというより、女性ホルモンの効果が出てきたのではないかという回答。酸化マグネシュウムは、便秘を防ぎ、便通をよくするので飲んで欲しいとのこと。

③2月28日から重粒子線治療が始まる。そのための体を固定する固定具の作成というものが2月13日にあった。重粒子線治療は、イオンを高速化させて、病巣にピンポイントで照射をするので、照射の際に体が動かないようにプラスチックでできている「シェル」というもので体の固定具を作るという。
〇細いベッドに横たわり、温められた「シェル」を体の上に乗せ、それを急速に冷却して固まらせるというものである。検査ガウン1枚の体に「シェル」をのせて行うのであるが、最初は少し暖かく感じるが、そのあとは扇風機を用いて冷やしていく。寒い。と同時に「シェル」が固まっていくと重くなり、身動き取れなくなる。体の型どりをし、それを体の上にのせて、いわば重しとして、体が動くことを制御するということらしい。
〇放射線は放射線が体内に入るところでエネルギーが爆発し、かつ放射線は体を通り抜けるので、他の部位にも放射線が当たり、ダメージを作るの対し、重粒子線は、病巣まで届いたところでエネルギーを爆発させるのでがん治療には効果的であるが、精密に照射をしないと他の部位へのダメージが強いので、体を固定するという。
〇この作業自体は、どうということもないが、その作業の1時間前にトイレに行き、排尿・排便した上で、250~300mlの水を飲み、その水がお小水として膀胱に溜まったところで、この作業を行う。この間、放尿を我慢できるかどうかが問題である。そのために事前の訓練も課された。しかしながら、体調はいつも同じでないので、放尿を我慢できるかどうか不安になる。私の場合、膀胱に尿が溜まるのが遅いとかで、固定具を作成する際に、体を動かさないままに普通の人よりも20分長く、ベッドに横たわる羽目になった。

④2月28日、最初の重粒子線治療が行われた。前日の27日からお酒を飲まず、指示通りに10時30分に治療前最後の排便・排尿を行う。その後300mlの水を飲む。11時に検査用ガウンとネットパンツに着替え、11時20分に治療室に入る。以前作成した固定具を付け、身動きせずに、照射の照準合わせを待つ。照準が定まり、照射が始まる。右足下腿部脇の機械からゴービシュッという音が聞こえる。その音がどれだけ続いたか、数を45数えるぐらいで終了。拍子抜けするほど短時間、かつあっけない。
〇その後、CTを取り、第一日目が終わる。明日は左側の下腿部から照射するという。交互に照射するとのことであった。

⑤重粒子線治療は医療保険適用になったので、安くなったとはいうものの、12回分で25万円強の清算であった。神奈川県立ガンセンターには、重粒子線を照射する治療室が3つあり、1日各部屋14~5人の治療を行うということであった。放射線技師の言うのには、この装置は高いから、かつ敷地を広くとらないといけないので、全国で多分5~6箇所しかないのではないかという。重粒子線治療を受ける患者の大方60%が前立腺がん患者であるという。他の部位のガンについては、放射線がいい場合もあるということで、がんの部位によって効用が違うのだという。

⑥3月3日で重粒子線治療の第1クールが終わる。4日目の金曜日の夜から、重粒子線治療の後遺症か、排尿時が痛く、尿の出も悪く、頻尿になる。夜も1時間程度で尿意が来る。土曜日も同じような症状が続き、いよいよ男性用尿取りパットを購入しないと尿漏れを起こしかねないと思い、ドラッグストアに行き、男性用尿取りパットを購入してきた。ところが、土曜日の夜からは放尿時の痛みもなくなり、かつ尿の出方も以前と変わりなく状況が戻ってきた。第2クールになったときにどうなるのか見守るしかない。
〇神奈川県立ガンセンターから渡された「治療カレンダー」に放尿時の痛みとか放尿がしにくいという項目に〇×をつける欄があった意味が分かる。

⑦3月8日、第2クールの診察日、鎌田医師に放尿時になぜ痛くなるのかを聞いた。重粒子線を照射することによって、前立腺と同時に、その中を通っている尿道にも重粒子線が当たり、“一種のやけど”が起きており、それは陽に当たって皮膚が赤くなり、痛くなるのと同じで、時間が経てば治るとのこと。あまり痛ければ薬を出すが、どうするというので我慢できないほどでもないので、お断りする。
〇ついでに、放射線と重粒子線の違いを聞くと、放射線は体を通り抜けていき、他部位の臓器等を痛める。重粒子線は、焦点化された部位で重粒子が“爆発”して、そこで終わるように、高速の重粒子をコントロール(スピード、距離)している。それだけ、照射はち密で、難しい技術がいるという。現時点では、前立腺の中を通っている尿道も一緒に照射せざるを得ないが、「次世代の重粒子線治療」は尿道にダメージを与えないで照射できるように、現在研究中だとのこと。
〇だから、固定具を作成したり、膀胱を膨らませて他の臓器に影響がでないようするとか、固定具を作成したときの体重を変えないようにとかの指示の意味が非常によく分かった。

⑧3月9日、第7回目の照射の日。前日は、膀胱に尿が溜まっておらず、照射台の上で約10分間、尿が溜まるのを待ってから照射が行われた。そのこともあったので、放射線技師になぜ膀胱に尿を溜めるのかを聞いたら、膀胱を膨張させ腸との間を空ける必要があるからだという。膀胱が膨張していないと隙間がないため、重粒子線が腸にも照射され、ダメージを与える可能性があるからだという。
〇重粒子線治療が始まる前に、固定具を作成し、そのあとCTを取ったが、そのCTの画像とずれないようにすることが重要で、0.5ミリの誤差も出さないようにしているとのこと。毎回の照射の際に、“焦点が合いました。これから照射を始めます”というアナウンスがあってから照射がはじまっていたので、この解説は納得した。
〇3月9日の照射の日に、更衣室で一緒になった患者さんも前立腺がんとのことであるが、今まで昭和大学藤が丘病院で診察を受けていたが、そこでは放射線治療を38回行うというので、神奈川県立がんセンターの重粒子線治療は12回の照射なので、こちらを選択して、今日が第2回目の照射だと言っていた。

⑨3月10日、8回目の照射を行い、第2クールが終わる。その夜は、頻尿が凄く、夜中に7回もトイレに行った。寝た気がしない。

⑩第2クールの終わりごろから頻尿がひどく、代替1時間に1回の放尿になる。時には30分で尿意を催す。しかも、尿意を催してから排泄まで我慢することが殆どできなくなる。これが辛い。トイレがある場所を移動しているときは、それなりに注意できるが、ある日、トイレに行ってから散歩にでたにも関わらず、30分もしないうちに尿意を催し、住宅地のところだったので、“雉うち”するわけにもいかず、走って自宅に帰ろうとしたが、残念ながら間に合わず、“お漏らし”をすることになった。それ以降、危なそうな時には男性用尿取りパットをつけて、散歩に出るが、そのあとも間に合わず、尿取りパッドのお世話になったことが1度ある。この頻尿と放尿時の痛さは、照射が終了して2週間ぐらいでもとに戻るということなので、当分の間お世話になるようである。

⑪神奈川がんセンターでは、時々“付添人は一人までにしてください”とアナウンスをしているが、実際には2人も付き添ってきている。中には、付添人自体が認知症が始まっているのではないかと思われる夫婦がいる。看護師の説明がよく理解できない夫に付き添っているのはいいのだけれど、付き添っている妻はといえば、両足のソックスが色違いで、ちぐはぐな状況をみていると付き添っている妻も認知が進んでいるのだろうかと心配になる。

⑫第3クールに入って、3回目の診断の際に、医師に頻尿と放尿時の痛さを訴えたが薬を出しましょうかという言い方なので、その時は頑張ってみますと答えた。しかしながら、その後も頻尿と放尿時の痛さが続くので、第4クールに入った4回目の医師の診断の際に、同じ訴えをした。前回と同じく「薬出しましょうか」という言い方で、「出しましょう」とは言わない。そこで、その薬はどういう性質のもので、副作用があるのかどうか、飲むとすればどれだけの期間飲むのかを聞くと、「皆さん飲むと放尿が良くなり、痛みも感じない」という。副作用は「立ち眩みする人がいるので、車を運転する際には注意が必要」だという。飲む期間は照射後2週間程度すれば、照射に伴う“一種の火傷”は治るので、それまでの期間だというので薬を処方してもらった。薬を飲むかどうかの選択を患者にしろというばかりの応接には参った。
〇早速、3月15日夜から服薬したが、医師の言う通り、尿の出は良く、“ほとばしる”ような出であった。また、放尿時の痛みもなく、これならば医師はもっと積極的に勧めるべきではないのだろうかと思った。

⑬3月17日、12回目の照射も終わり、重粒子線治療が終了した。放射線技師や看護師、事務職に丁寧に挨拶して帰る。看護師から、今日から胃腸を整える薬は飲まなくていいです、麺類を食べることも解禁です、お酒は5月31日で解禁です、温泉には5月末まで入らないでくださいとの説明を受ける。次回の診察は5月29日で、今後3か月ごとにチェックを受けることになる。

⑭早速、お昼に、病院近くの中華飯店で、牛肉ピーマン細きりそばを頂く。美味しかった。

Ⅲ 『関外余男随想集』を読んで

〇兵庫県社会福祉協議会の事務局長、常務理事を歴任された塚口伍喜夫先生から『関外余男随想集』をご恵贈賜った。
〇関外余男さんは、兵庫県社会福祉協議会の常務理事、会長を歴任された方で、その方の随想を塚口伍喜夫先生たち兵庫県社会福祉協議会のメンバーが中心になって、編集され、この度刊行された。目を通した。
〇塚口伍喜夫先生に宛てた礼状の一部を転記しておく。

この度は、貴重な『関外余男随想集』をご恵贈賜りありがとうございました。全て読めていませんが、関外余男先生は、戦前社会教育と社会事業が未だ未分化、密接不可分の時代に、内務省の管轄であった「社会課長」をされているのですね。とても興味深く読ませて頂きました。戦後の兵庫県社会福祉協議会の常務理事、会長をされるのはある意味自然の流れですね。
本書に出てくる小田直蔵さん(P534)という社会事業主事はどういう経歴を経たのでしょうか。私は、社会福祉の歴史の中で、戦前の社会事業主事に関する研究が不十分だと思っています。一部は私が中心になって、日本社会事業大学の社会事業研究所でまとめましたが、各都道府県別にまではできていません。
戦後の社会福祉研究も教育研究も、いわば“ポツダム研究”になっていて、戦前は全て悪く、戦後はすべていいという単純な図式に陥っています。私は、戦前と戦後の“連続・継承”に関する研究が大事だと考えつつも未だ整理しきれていません。この視点に基づいて改めて「関外余男研究」を中核とした兵庫県社会福祉の歴史研究をする必要があるのでしょうね。
同封しました「老爺心お節介情報」第37号で取り上げました見坊和雄元全社協常務理事のところでも書きましたが、全国の都道府県社会福祉協議会の初代の会長、初代の事務局長がどういう方か一度研究してみる必要があると思っています。兵庫県社会福祉協議会の初代会長、初代事務局長はどういう方なのでしょうか。その方々は戦前何をされていたのでしょうか。塚口先生がお分かりでしたら教えていただければと思います。「関外余男研究」もそのような流れの一環に位置づけて考えてみたら面白いと思うのです。どなたか若い人で、そのような研究を志す人はいませんでしょうか。

〇この礼状にも書いた通り、戦前と戦後を簡単に“断絶”させてしまった“ポツダム研究”が戦後において“横行”した。
〇戦前で反省すべきものは大いにあるし、戦後が全ていいものでもない。戦前、戦後の「連続」、「継承」、「反省」、「断絶」を十分に意識した各都道府県の地域福祉史研究、とりわけ都道府県社会福祉協議会の歴史研究が重要ではないか。そのポイントは、戦前の各都道府県の社会事業主事は誰で、どういうことをしていたのか、戦後の各都道府県社会福祉協議会の初代の事務局長は誰で、どういう経歴の人なのかを明らかにするとことから研究を始める必要があるようだ。
〇このことに興味、関心のある方は是非取り組んで欲しい。私も1980年代末に、阪野貢先生等とこの研究の一端を行ったが、それ以降継続しきれていない。是非、興味、関心のある方は取り組んで欲しい。

Ⅳ 小田直藏著『社会事業夜話』を読んで

〇先のⅢで述べた手紙を読んだ塚口伍喜夫先生から、改めて本が送られてきた。小田直藏著『社会事業夜話』と『地域福祉の歩みーー兵庫県社会福祉協議会30年史』の二冊である。
〇先の手紙に書いた戦前,兵庫県の社会事業主事をされた小田直藏氏に関わる文献である。小田直藏氏は、戦後初代の兵庫県社会福祉協議会の事務局長でもあった。
〇小田直蔵氏は」新潟県村上市出身で、熊本の旧制5高に学び、その後旧制東京大学に進学し、大学院では「賑恤救救済事業」を研究し、卒業後内務省吏員(留岡幸助、生江孝之、高田慎吾らと親交)となり、大正6年4月に兵庫県社会事業主事として赴任する。賀川豊彦らとも親交があり、スラム街新川地区や被差別部落の生活改善に取り組んでいる。
〇『社会事業夜話』を読んで驚いたのは、兵庫県では岡山県の済世顧問制度、大阪府の方面委員制度と同じように昭和2年7月から方面委員制度が実施されるが、それに先立ち、大正8年に「救護視察員」という兵庫県独自の有給の地区担当の吏員制度を創設したことである。神戸、姫路、尼崎、明石等の都市に駐在し、担当区域内の生活状況を視察調査し、要保護者に対し必要な保護を加えるという制度であった。しかも、その制度の提唱者が知事本人で、かつその制度の必要性の趣旨を知事が巻紙に毛筆で書いて小田直蔵さんに指示されたということは驚きである。
〇また、兵庫県では、昭和3年に市町村に児童相談所を設置する奨励規定を作り、県下10数か所に設置されたという。知能テストや歯科診療を行ったという。さらには、兵庫県立児童研究所を昭和7年に開設し、医師や心理学専攻の職員、日本女子大家政学科(社会福祉学科の前進)卒業生を採用し、運営されたという。その児童研究所には児童一時保護所も併設されていた。
〇このように、戦前に社会事業主事として様々な制度を作る活動をしてきた小田直蔵氏は、戦後昭和26年3月の兵庫県社会福祉協議会設立総会において、兵庫県社会福祉協議会の初代事務局長に、兵庫県立児童研究所所長のまま選任される。
〇兵庫県社会福祉協議会が常に地域福祉実践において、全国のリーダーの一翼を担い、住民のニーズに対応する実践を行ってきた精神的、理念的淵源が小田直蔵氏や関外余男氏らの戦前からの「社会行政」に基づく実践に裏打ちされていたということが非常に良くわかり、嬉しくなってきた。これこそ、“研究者冥利”でもある。
〇改めて、全国の各都道府県で、社会福祉協議会設立時の初代会長、初代事務局長がだれであり、戦前との連続・継承、反省・断絶の歴史を事実に基づいて明らかにする必要性を実感した。塚口伍喜夫先生からの資料提供に心より感謝したい。
〇それにしても、この本を読んで、改めて自分の勉強不足を痛感させられた。と同時に、大学において、社会福祉教育を担当する教員は、このような事実があったことをどれだけ理解しているのであろうか。現在の社会福祉教育が社会福祉士養成の“テキスト”に頼り、“テキスト”を教えている底の浅さを嘆くしかない。このままで、社会福祉士は社会的評価を高められる実践を展開できるのであろうか。

(2023年3月18日記)

大橋謙策/異なる国の文化・生活慣習と多文化理解―キリーロバ・ナージャ著『6ヶ国転校生・ナージャの発見』を読んで―

〇私が、国によって文化や言語が違い、その結果として「ものの見方、考え方」が違うことに関心を持つようになったのは、何歳の頃か定かでない。ただし、笠信太郎の『ものの見方・考え方』を読んで、非常に興味をそそられたことは覚えている。
〇そんなこともあり、私は1960年代に社会福祉方法論としてのケースワークを習ったが、その内容が基底になる文化、言語の違いがあるにも関わらず、アメリカの“直輸入”的で、どうにも馴染めず、学習が進まなかった。
〇当時、“社会福祉と文化”との関係を極める必要があると考え、社会人類学や民俗学、文化論等の書物を読んだが、奥が深く、幅が広くとても自分には研究できないと考え、“文化・民俗学・社会人類学の視点からの社会福祉研究”を断念した思い出がある。しかしながら、その命題は、いつも私の心に、私の思考に引っかかる命題であった。
〇1990年代半ばに「村山談話」がだされ、日本が侵略した韓国、中国への私の贖罪感、こだわりも少し解消され、韓国への調査研究に出掛けられるようになった。その折に、韓国と日本の食文化、食事作法の違いに、改めて驚かされた。1970年代から、アメリカ、ヨーロッパに出掛けていたにも関わらず、その当時は食事マナーに気がとられていたのか、あまり注目していなかったが、韓国への旅行では食文化、食事作法をはじめとして様々な文化の違い、生活習慣の違いがあるにも関わらず、日本は“侵略”し、日本語を強制し、創氏改名まで強制した蛮行になんとも心が痛んだ。この“蛮行”をすべての日本人に理解してもらわないと、真の交流にはならないと思っている。
〇朝日新聞の1月9日の「天声人語」で紹介されていたキリーロバ・ナージャ著『6ヵ国転校生・ナージャの発見』(集英社インターナショナル、2022年7月)を読んだ。学校の給食、テスト、体操での整列の仕方等、国々によってこんなにも違うのかと改めて驚いた。それは、現象、制度が違うだけでなく、そのことを通して何を獲得するのか、なにを学ぶのかまで左右する大きな違いがあることに驚かされた。国の違う学校の試験でも、「正答」を求めない試験もあるという。つまり、社会生活の中で、常に「正答」は一つではないことを考えさせる取組でもある。一つの価値基準が全てという画一的な思考法とは異なる取り組みである。
〇この本を読んで、多文化理解とは、その国の、その民族の生活様式、文化を理解するだけでなく、それらがもたらす思考方法の違いにも目を向けなければ、その理解は皮相的なものになることを教えられた。まさに“ものの見方、考え方”の違いを理解することが多文化理解なのではないかと教えられた。そこでは自分にとって“「ふつう」こそ個性だ”という記述はとても考えさせられる記述であった。
〇以前悩んだ文化、社会人類学あるいは民俗学をきちんと学ばないと“生活に関わるソーシャルワーク”の理解は深まらないのではないかと改めて考えている。研究者生活を50年間もやってきて、いまさらながら、何をしてきたのだろうかという“自虐的自戒”に囚われる。
〇私は2005年に書いた「わが国におけるソーシャルワークの理論化を求めて」(相川書房『ソーシャルワーク研究』Vol31No1、2005年所収)において、中根千枝の社会構造研究において日本をタテ社会と論じた枠組みを援用して、日本の社会福祉、ソーシャルワークの問題について論究した。そこでは、日本には実質的にソーシャルワーク実践、研究が1990年までなかったと主張している。
〇我々は、多文化理解、多様性等について、“分かっている気になっている”が、本当に分かっているのであろうか。『6ヵ国転校生・ナージャの発見』を読んで、改めて福祉教育の奥の深さ、難しさを思い知らされた。この本は、福祉教育関係者、地域福祉関係者の必読文献と言っていい本である。
 
 
付記
キリーロバ・ナージャ/「ふつう」が最大の個性だった!?
「環境が変わると、ガラッと変わるものは?」
答えは、「ふつう」だ。転校するたびに今まで「ふつう」だと思っていたことが、急に通用しなくなる。転校生なら少なからずみんな経験している気がする。
絶対的な「ふつう」がないんだとしたら、自分の「ふつう」ってなんだろう? 今まで考えたことはなかったけれど、誰かの「ふつう」を真似する限り、二番煎じにしかならないし、自分の本当のよさが生きてこない気がした。
子どものころはなかなか気づけないけれど、まわりと違う自分の「ふつう」こそが、「個性」の原料だ。そう気づいてから、今まで嫌いだった自分の「ふつう」がなんだか少しだけかわいく見えた。
そう、みんな「ふつう」でいいし、「ふつう」に対するコンプレックスをもっともっと捨てられるといいなと。
「ふつう」を磨いていくことが、「個性」を磨くことよりずっと早いという発見をしてから、ずっとそう思っている。(114~118ページ抜粋)

老爺心お節介情報/第40号(2023年2月3日)

「老爺心お節介情報」第40号

皆さんお変わりありませんか。
「老爺心お節介情報」第40号を送ります。
今号はやや私的な事情の述懐が含まれていますがお許し下さい。

2023年2月3日   大橋 謙策

 立 春 > 
< メジロ来て梅を励ます小坪かな >

〇この句は、季語が実質的に2つあり、俳句の関係者には受け入れられない句かも知れないが、私が好きな句の一つである。
〇毎年、我が家の小坪に、メジロが来て、庭の梅の木にとまり、蕾をくちばしで突いている情景を謳ったものである。私の書斎から見えるメジロの愛くるしい姿はまさに“絵になる”情景で何とも心が洗われる思いがする。春の到来を予感させる情景である。
〇私の大学教員50周年を記念した『地域福祉とは何か』に、この句を入れたのも、俳句の出来悪しはしょうがないとして、私の心にぴったりする句で気に入っている。

Ⅰ 異なる国の文化・生活慣習と多文化理解――『6ヶ国転校生・ナージャの発見』

〇私が、国によって文化や言語が違い、その結果として「ものの見方、考え方」が違うことに関心を持つようになったのは、何歳の頃か定かでない。ただし、笠信太郎の『ものの見方・考え方』を読んで、非常に興味をそそられたことは覚えている。
〇そんなこともあり、以前の「老爺心お節介情報」にも書いたが、私は1960年代に社会福祉方法論としてのケースワークを習ったが、その内容が基底になる文化、言語の違いがあるにも関わらず、アメリカの“直輸入”的で、どうにも馴染めず、学習が進まなかった。
〇当時、“社会福祉と文化”との関係を極める必要があると考え、社会人類学や民俗学、文化論等の書物を読んだが、奥が深く、幅が広くとても自分には研究できないと考え、“文化・民俗学・社会人類学の視点からの社会福祉研究”を断念した思い出がある。しかしながら、その命題は、いつも私の心に、私の思考に引っかかる命題であった。
〇1990年代半ばに「村山談話」がだされ、日本が侵略した韓国、中国への私の贖罪感、こだわりも少し解消され、韓国への調査研究に出掛けられるようになった。その折に、韓国と日本の食文化、食事作法の違いに、改めて驚かされた。1970年代から、アメリカ、ヨーロッパに出掛けていたにも関わらず、その当時は食事マナーに気がとられていたのか、あまり注目していなかったが、韓国への旅行では食文化、食事作法をはじめとして様々な文化の違い、生活習慣の違いがあるにも関わらず、日本は“侵略”し、日本語を強制し、創氏改名まで強制した蛮行になんとも心が痛んだ。この“蛮行”をすべての日本人に理解してもらわないと、真の交流にはならないと思っている。
〇朝日新聞の1月9日の「天声人語」で紹介されていた『6ヵ国転校生・ナージャの発見』(集英社、2022年)を読んだ。学校の給食、テスト、体操での整列の仕方等、国々によってこんなにも違うのかと改めて驚いた。それは、現象、制度が違うだけでなく、そのことを通して何を獲得するのか、なにを学ぶのかまで左右する大きな違いがあることに驚かされた。国の違う学校の試験でも、「正答」を求めない試験もあるという。つまり、社会生活の中で、常に「正答」は一つではないことを考えさせる取組でもある。一つの価値基準が全てという画一的な思考法とは異なる取り組みである。
〇この本を読んで、多文化理解とは、その国の、その民族の生活様式、文化を理解するだけでなく、それらがもたらす思考方法の違いにも目を向けなければ、その理解は皮相的なものになることを教えられた。まさに“ものの見方、考え方”の違いを理解することが多文化理解なのではないかと教えられた。そこでは自分にとって“「ふつう」こそ個性だ”という記述はとても考えさせられる記述であった。、
〇以前悩んだ文化、社会人類学あるいは民俗学をきちんと学ばないと“生活に関わるソーシャルワーク”の理解は深まらないのではないかと改めて考えている。研究者生活を50年間もやってきて、いまさらながら、何をしてきたのだろうかという“自虐的自戒”に囚われる。
〇私は2005年に書いた「わが国におけるソーシャルワークの理論化を求めて」(相川書房『ソーシャルワーク研究』Vol31No1、2005年所収)において、中根千枝の社会構造研究において、日本をタテ社会と論じた枠組みを援用して、日本の社会福祉、ソーシャルワークの問題について論究した。そこでは、日本には実質的にソーシャルワーク実践、研究が1990年までなかったと主張している。
〇我々は、多文化理解、多様性等について、“分かっている気になっている”が、本当に分かっているのであろうか。『6ヵ国転校生・ナージャの発見』を読んで、改めて福祉教育の奥の深さ、難しさを思い知らされた。
〇この『6ヵ国転校生・ナージャの発見』は、福祉教育関係者、地域福祉関係者の必読文献と言っていい本である。

Ⅱ 健康診断とがん告知――“説明同意書”へのサインと3人の身元保証人の必要性?

〇現在、がんは国民の2人に1人がり患する病気であり、生存率も格段に良くなり、完治する病気にもなってきている。しかしながら、生活習慣病とは異なり、体のどこの部位に発症するのかも予測できないし、がん予防の対策も今一つはっきりしない。
〇私は、1987年3月の島根県邑南郡瑞穂町(現邑南町)への出張中、咳が酷く、風邪だろうと思い帰宅後の3月13日(金)に稲城市民病院珉を受診した。診療に当たった医師は、私の胸部レントゲン写真の他に3葉のレントゲン写真を並べ、私に私のレントゲン写真が示された3葉のレントゲン写真のどれと似ているかを質問した。3葉のレントゲン写真は肺がんのもの、肺結核のもの、肺炎のものの3葉であった。私は、自分の肺の写真の中に白い、丸い画像があったので、同じような写真を同じだと挙げた。医師は、その写真は肺がん患者の写真だと説明し、あなたは“肺がんである”と宣告し、慶應大学病院か国立がんセンターに行って、詳しい検査を受けるようにと言って、肺がんの診断書と共に紹介状をくれた。
〇風邪と思って受診した私に取って、肺がんの宣告は“晴天の霹靂”で、当時日本社会事業大学の移転業務を担っていた関係もあり、その足で、大学へ行き、相談して国立がんセンターへ検査入院することになった。
〇国立ガンセンターでの検査でも主治医は98%、肺がんだと思うが、国立ガンセンターは病理検査の結果がでないと確定診断はしないということで、セカンドオピニオンを求められ、肺結核専門の複十字病院と北里病院を紹介された。2つの病院とも肺がんの診断であった。
〇国立がんセンターの治療方針は,肺生検を行い、病理検査で確定させてから手術を行うという。病巣が右肺の上葉にあるが、内視鏡を使えないので、肺生検で病理検査を行うという。手術は右肺の肋骨3本を切除し、右肺上葉を切除するというものであった。
〇肺生検は肺の部分の局部麻酔なので、私自身の意識はあり、検査の際にモニターのブラウン管に映し出される自分の肺に針が刺され、血が滲んでいくのが見える。咳が続く中での肺生検は辛いものであった。2回行われた肺生検では病巣から組織をとることができなかった。にも拘わらず、4月17日に手術を行うということになり、術後の呼吸法の訓練が始まった。この呼吸法の訓練は辛く、いつも涙を流していた。
〇4月17日の前日、最後の検査としてレントゲンでの確認がおこなわれた。この時、レントゲンに映っていた肺の丸い、がんと思われる病巣の画像が少し変形したことに医師が気が付いてくれ、少し様子をみるということで、17日の手術は延期になった。その後、咳も止まり、退院したが、再度12月に同じような病巣の画像があらわれ、医師は手術をさせてほしいといったが、私は拒否した。その後のレントゲンではその病巣の画像は出ず、今日に至っている。
〇当時、がんは不治の病であり、生存率も低く、私はがん告知を扱った井上靖の本を始め、多くのガンについての本を読み、どう死に対応するのか、残す子どもたちの将来はどうなるのか、煩悶する日々であった。
〇他方、この“肺がん騒ぎ”の時は、丁度1987年に成立した「社会福祉士及び介護福祉士法」の国会審議の最中で、私は日本社会事業学校連盟(現日本ソーシャルワーク学校連盟)の事務局長を仰せつかっていたこともあり、築地の国立がんセンターから永田町の自民党の本部などに駆け付け、請願活動をしたことも懐かしい思い出である。
〇このような経験もあり、私は健康診断や人間ドックにやや懐疑的になっていく。日本社会事業大学の専任教員の際は、法定の健康診断が求めれるが、私学共済事業団の人間ドックは受診しないようになっていく。“肺がん騒ぎ”の頃は、未だ子どもが小さいこともあり、人間ドックを利用していたが、子どもが成長してからは人間ドックを利用しなくなった。そんな折に読んだ近藤誠医師(昨年2022年に急逝、医学界の常識を覆すような論説をいくつもの本で提起)の影響もあったかもしれない。
〇日本社会事業大学退任後は、法定の健康診断も受けず、かつ自治体から送られてくる高齢者の健康診断も受けず、かかりつけ医で6か月に1回受ける血液検査で、自分自身の体調の変化を確認することにした。ヘモグロビン(Hb)A1c、γ―GTP、血糖値、コレステロール、クレアチニン等の検査項目をチェックしている。
〇2022年3月の定期血液検査の際、S先生の強い奨めもあり、20年ぶり位に前立腺がんの腫瘍マーカーであるPSAの検査項目を入れておこなった。その結果、普段の血液検査では、検査結果票を渡してくれるだけなのに、その時はかかりつけ医が診察室に私を呼び、PSAの数値が15.4なので、前立腺がんが疑われる(正常値はPSA数値が4以下)ので、紹介状を書くのですぐに受診してほしいとのことであった。稲城市立病院と日本医科大学多摩永山病院が提示され、どちらにするかという選択をせまるので、日本医科大学多摩永山病院をお願いし、紹介状を書いてもらった。
〇多摩永山病院では、ⅯRI検査、CTスキャナー、骨シンチ等の検査を行い、前立腺以外への転移がないことが確認された。前立腺への生検が1泊2日の入院でおこなわれ、グリソンスコアが8,がんのステージ(臨床病期)はT2aで、ステージ2と診断された。
〇これに基づき、医師は選択肢が4つあると提示。第1は、このまま治療せず、放置しても余命が10年間はあるので治療しない。第2は手術ロボット・ダビンチによる全摘手術、第3はホルモン療法と放射線治療を行う。この場合には、がんは完治できないかもしれない。第4は重粒子線治療とホルモン療法を行う。ただし、東京都内には重粒子線治療ができる病院がないので、神奈川県立がんセンター(自宅から小田急線、相鉄線を乗り継いで、二俣川駅で下車、片道約2時間かかる)に行かなければならない。重粒子線とは放射線よりも重い粒子で、炭素イオンを高速で回転させ、がん細胞に照射するという。この重粒子線治療ならばがん細胞を完治できるという。夫婦で呼び出されていたので、相談して、その選択は第4の重粒子線治療にすることを決めた。
〇この一連の過程で、常に医師、看護師に問われたのは本人の意思確認であり、そのための丁寧な説明であった。インフォームドコンセントが徹底しており、そのために、必ず、“了承した旨の同意書”へのサインが求められた。またセカンドオピニオンも奨められ、その際には検査結果は提供するという姿勢であった。35年前とは雲泥の差で、医療界が大きく患者目線に変わってきていることを実感した。
〇他方、これだけの丁寧な説明をし、同意書にサインをさせておきながら、本人を信頼しないのか、時には配偶者もしくはそれに代わる人の臨席を求められることには違和感を感じた。私の子どもは勤務しているわけだし、同居ではないので、配偶者だけの身元保証人でいいのではないかといっても、身元保証人は3人必要だといって譲らない。
〇今後、一人暮らし高齢者や一人暮らし障害者等その意思確認や説明を理解できない人への対応の在り方が医療界でも社会福祉界でも大きな問題になると思われた。
〇単身高齢者が増え、身元保証人(それも3人も必要?)もいない人が増えてきている状況、一人暮らしの障害者も増加してきている状況の中で、医師、看護師からの説明を理解し、同意書にサインを求められても対応できない人が多くなることがこれからは考えられる。これは、社会福祉界において重要な、かつ喫緊の課題であると、改めて自分自身の体験から痛感した。
〇このように、配偶者、身元保証人の臨席を求めるものだから、病院内は付き添いの人も含めて大混雑であった。
〇神奈川県立がんセンターは、築50年以上の日本医科大学多摩永山病院とは異なり、近代的な建物であり、空間も広く、かつ診察システムもICTを活用した近代化された病院であった。
〇神奈川がんセンターでも日本医科大学多摩永山病院と同じような診断が下され、グリソンスコアが8、がんのステージはT2aかつ2ということであった。ホルモン療法は2年間、重粒子線治療はホルモン治療開始後6か月以降に行うという治療方針が示された。
〇ホルモン治療の効果をチェックする3か月ごとの検査では、PSAの数値が10月3日には0・217になり、1月10日は0・04迄下がっている。この数値なら、重粒子治療は必要ないのではないかと尋ねると、ホルモン治療の結果、数値が下がっているが、ホルモン治療だけではいずれ効果がなくなり、また数値が上がるので、重粒子線治療が必要との回答であった。
〇重粒子線治療がいよいよ2月末から始まる。重粒子線治療が始まるとお酒が飲めないという。それだけならまだしも、治療終了後3か月間もお酒は飲めないという。6月20日まで禁酒である。
〇前立腺がんと診断されて以降も、何の自覚症状もなく、毎日お酒を楽しんできたものにとって、3か月半の禁酒は“人生最大の危機”である。
〇3回行った「四国歩きお遍路」でも、第2回目を禁酒しただけである。その時は約40日間お酒を飲まず、結願したあと、徳島での打ち上げ式にお酒を飲んだら、まずくて早々に引き上げた記憶があるが、今度は100日間の禁酒である。どのような体質になるのか、今から楽しみである。
〇1月30日の再診で、重粒子治療に向けた準備が始まった。整腸剤を始め、4種類の服薬が毎食後必要になったが、外出している時にはついつい服薬を忘れてします。4種類の薬をコミュニティ袋に分けて持ち歩いていても、昼食等外食する際にはついつい忘れてしまう。頭では分かっていたつもりでも、いざ自分がその身になってみると、一つ一つが新たな体験で、社会福祉分野での話し方、考え方をもっと実情に合わせて考えなければならないことの反省と実感の日々である。
〇現時点では、何の自覚症状もなく、自分が前立腺がんに罹患していることが全く自覚できない、不思議な状況である。治療しなくても10年間の余命というなら、その選択肢もあったのかなという思いと、他方これからどんな体験ができるのかという楽しみと不思議な感情がなり混ざった心境のこの頃である。

(2023年2月3日記)

老爺心お節介情報/第39号(2023年1月9日)

「老爺心お節介情報」第39号

「老爺心お節介情報」第39号を送ります。
関係する方々への配信は自由ですので、大いにご活用下さい。
なお、阪野貢先生が主宰する「市民福祉教育研究所」のブログには第1号からすべて掲載されていますので、必要な方はアクセスしてください。
ご自愛の上、ご活躍下さい。

2023年1月9日   大橋 謙策

寒中お見舞い申し上げます!
〇皆様お変わりありませんでしょうか。暦の上では小寒になり、これから寒さ本番の大寒を迎えます。
〇新型コロナウイルス感染症と共に、インフルエンザも流行してきているようです。くれぐれもご自愛の上、ご活躍下さい。
〇今回の「老爺心お節介情報」では2つの事項の情報提供と提案です。
〇今年も、これから研修等忙しくなります。次回の「老爺心お節介情報」を発信できるのは、多分3月になってからではないでしょうか。第36号から37号までの期間が約6か月も空き、多くの方に“大橋は生きているのか、病気したのではないか”とご心配を頂きましたが、今回は斯様なご心配はご放念下さい。

Ⅰ 地域共生社会政策における必読書

『差別はたいてい悪意のない人がする――見えない排除に気づくための10章』キム・ジヘ著、尹怡景訳、大月書店、2021年7月初版、1600円

〇本書は、韓国で2019年に『善良な差別主義者』というタイトルで出版され、1年もしないで10万部を超えるベストセラーになった本の日本語訳版である。
〇日本でも、2021年に翻訳刊行されてから今まで7刷りされている。
〇私はこの本を読んで、自分の従来の差別論や人権感覚を多面的に問い直す必要性を感じた。本書で述べられている論理を全て首肯できてはいないが、少なくとも何気なく使ってきた差別、特権、平等、多文化、共生という用語、言葉を、改めて自らが置かれている“立ち位置”を意識して使わなければならないということを意識させられた。
〇“発せられた言葉”は同じものでも、それを発した人の“立ち位置”によって“意味”が大きく異なり、時にはその“言葉”が差別にもなることも意識させられた。
〇本書で改題をしている大東文化大学の金美珍准教授が、「本書が注目されたのは、差別に関する既存の考え方に新たな問を投げかけたからと考えられる。一般に、差別に対する認識は、差別する加害者とそれをうける被害者という構造の中で議論される。本書でも指摘されているように、だれもが差別は悪いことだと思う一方、自分が持つ特権には気づかないので、みずからが加害者となる可能性は考えない傾向が強い。本書は『善良な』という表現を用いて、「私も差別に加担している」、「私も加害者になりうる」という可能性に気づかせる。つまり、平凡な私たちは知らず知らず差別意識に染まっていて、いつでも意図せずに差別行為を犯しうるという、挑発的なメッセージを著者は投げかけている。」と述べているが、私が気づかされた点もまさにその通りである。
〇本書を読みながら、多くのページに蛍光ペンでマークをし、かつ付箋も付けた。その一つ一つに関わる私のコメントを書きたい思いがあるが、それはある意味一冊の本を書くようなものである。皆さんは、是非この本を読んで欲しい。とりわけ、地域共生社会政策に関わる人、福祉教育に携わる人、差別、人権に興味関心を寄せ、差別を無くし、平等の社会を創ろうと思っている人には是非読んで欲しい本である。
〇本書は、アメリカの事例、判例、韓国の社会状況をふんだんに取り上げながら論述されていると同時に、政治学、民主主義に関わる歴史的論者の考えも引用しており、その文献の渉猟の広さ、凄さ、博学さにも圧倒される本である。

Ⅱ 市町村に「ソーシャルケア連絡協議会」を創ろう

〇国は今、地域共生社会政策を推進しています。その中で、市町村の第2層レベルでの専門多機関、専門多職種の連携を求めています。
〇筆者は、2000年5月に、日本学術会議の幹事を仰せつかっている時に、当時の日本学術会議会員であった仲村優一先生と、私と同じ幹事であった田端光美先生に相談し「ソーシャルケアサービス従事者研究協議会」を設立しました。
〇それは、ソーシャルワークとケアワークとを統合的に考え、両者の社会的評価、社会的発言力を高める試みとして設立しました。その協議会には、社会福祉士会、精神保健福祉士会などのソーシャルワーク専門職団体、介護福祉士会のケアワーク専門職団体、それらの養成を担う大学、養成校の団体並びにそれらの研究を行う日本社会福祉学会などの17団体に参加してもらい結成されました。
〇このソーシャルワークとケアワークとを連動させる考え方は、1987年の「社会福祉士及び介護福祉士法」制定の際にも、その必要性を説きましたが却下され、社会福祉士及び介護福祉士は別々の国家資格として法制化され、各々が専門職団体を設立し、成長してきました。
〇しかしながら、1980年代の入所型社会福祉施設中心の時代ならいざ知らず、1990年代に入り、在宅福祉サービスが法定化され、住民の在宅福祉サービス利用が増えてきている状況では、1980年代までの施設福祉サービス提供とは大きく異なり、ソーシャルワークとケアワークとを統合的に捉えるケアマネジメントが必要とされてきます。
〇この状況はイギリスでも同じで、イギリスは1998年にソーシャルワークとケアワークとを連動させた教育研修体系に切り替えるために、「ソーシャルケア統合協議会」を設立しました。
〇この点については、拙著『地域福祉とは何かーー哲学・理念・システムとコミュニティソーシャルワーク』第2部第1章(P73)に書いていますので参照してください。
〇私は全国的な「ソーシャルケアサービス従事者研究協議会」を創ると同時に、各都道府県レベルでも「ソーシャルケアサービス従事者研究協議会」を創り、社会福祉士、精神保健福祉士、介護福祉士の地位向上、社会的発信を強めるべきであると考え、関係者にお願いしてきました。そのためにも、毎年7月の「海の日」をソーシャルワーカーデーに定め、各都道府県レベルでの活動の強化をお願いしてきました。私の知る限り、最も典型的な組織を創ってくれたのは栃木県です。大友崇義先生を中心の「栃木県ソーシャルケアサービス研究協議会」が設立され、2022年に20周年大会が行われました。
〇と同時に、私は「ソーシャルケアサービス従事者研究協議会」の市町村版を創るべきだと考え、いろいろ働き掛けをしてきました。その一環として、市町村で設置される審議会や地域福祉計画策定委員会に社会福祉士や介護福祉士等の専門職団体の支部長を参加させるべく行政に働き掛けてきました。
〇一例をあげると山形県鶴岡市の地域福祉計画策定委員会に、社会福祉士会の支部長に入ってもらいました。また、東京都豊島区の地域保健福祉審議会の委員に豊島区社会福祉士会支部長に入ってもらいました。
〇行政は、当初、そのような支部があるかどうかも分からない等という理由で拒否反応を示しましたが、支部はあるはずであると説得して委員に入れてもらうことにしました。
〇鶴岡市の社会福祉士は地域福祉計画策定委員会の副委員長として、現場の状況を踏まえた適切な情報提供、発言をしてくれました。豊島区の場合は、支部長は社会福祉士養成の専門学校の先生でしたが、全く“現場感覚”がなく、発言もできず、私は社会福祉士の代表を入れて欲しいと行政に頼み込んだ経緯もあり、行政の関係者に幾度か謝りました。
〇市町村レベルでは、社会福祉士、精神保健福祉士、介護福祉士の国家資格を有している人がいると言っても数は多くないでしょうし、その力量、資質も“千差万別”であり、その時点(2000年代)ではやむを得ないと思っています。医師のレベルは100年以上かけて、そのレベルが確立してきていますが、社会福祉士等の資格は国家資格になってから高々20年にも満たない状況での取り組みだったので、その旨行政に話し、育てて欲しいと行政にお願いしました。
〇しかしながら、現在推進されている地域共生社会政策における包括的・重層的支援体制における第2層の専門多機関、専門多職種連携が求められている状況の中では、“待ったなし”の状況で、社会福祉士、精神保健福祉士、介護福祉士の力量が問われます。
〇この機会に、市町村レベルにおいて「ソーシャルケア連絡協議会」を創り、切磋琢磨してお互いの力量を高めると同時に、社会福祉士等のソーシャルワーク、ケアワークの国家資格の認知度を高め、社会的評価と信頼を高める活動を展開する必要があるのではないでしょうか。
〇市町村レベルの状況を考えると、この「ソーシャルケア連絡協議会」には、介護支援専門員、障害者相談支援員、あるいは保育士の方々にも参加して欲しいものです。
〇是非、市町村社会福祉協議会の方はこの取り組みを進めて欲しいですし、県レベルの方々にはその支援をお願いしたいと思います。

(2023年1月9日記)

老爺心お節介情報/第38号(2023年1月2日)

「老爺心お節介情報」第38号

新年明けましておめでとうございます。
本年もなにとぞよろしくお願い致します。
お互いに体に気を付けて、素晴らしい地域福祉実践を創造しましょう。
「老爺心お節介情報」第38号をお届けします。
どうぞ、ご自由にお使い下さい。
2023年1月2日   大橋 謙策

新年明けましておめでとうございます
〇皆さんにはお変わりなく新年を迎えられたこととお慶び申し上げます。私も元気に新年を迎えることができました。
〇今年も、草の根からの地域福祉実践を豊かにし、地域共生社会を実現するためにお互いに頑張りましょう。
〇ところで、私の場合昔からそうなのですが、睡眠がノンレム睡眠からレム睡眠に変わる時に目覚め、トイレに行ったり、考え事をします。その考え事を明日の朝まで忘れないようにしようとすると眠れなくなるので、その考え事、思いついたことは枕元にいつも置いてあるメモ用紙に書いて、眠ることにしています。
〇12月31日の夜の睡眠時の夢は初夢とは言わず、1月1日の夜の睡眠時の夢が初夢ということのようですが、私は12月31日の深夜の2時30分(実際は1月1日の午前2時30分)に目覚め、トイレに行き、その後考え事をしたことが2023年の最初の「老爺心お節介情報」の内容です。
〇それは、この間気になっていたNPO法人と社会福祉協議会との関わりです。

Ⅰ “地域を基盤としている社会福祉法人”としての社会福祉協議会のプラットホーム機能とテーマ型支援をしているNPO法人との関りーー社会福祉協議会は“自己満足”、“唯我独尊”、“視野狭窄”で生き残れるのであろうか?

〇新年に頂いた年賀状の中に、東京都の福祉局の職員として勤め、定年後に地区社会福祉協議会に関わり、草の根の地域福祉実践をしている方から、“社会福祉協議会は旧態依然で、改革する意欲がない”という嘆きの言葉が書かれた年賀状を頂きました。
〇私は厚生労働省が進めている地域共生社会政策の具現化には、社会福祉協議会が改革され、住民のニーズに対応する活動を展開できなければ、その具現化は難しいと思っていますし、かつ社会福祉協議会は生き残れないと思っています。
〇地域共生社会政策における重層的支援体制整備事業は、包括的相談と福祉サービスを必要としている人の社会参加支援とそれを可能ならしめる地域づくりの3つの事業を三位一体として展開して欲しいとしています。
〇これを行うためには、市町村における第2層の専門多機関、専門多職種の連携と第3層の小学校区レベルでの住民参加、住民のボランティア活動の活性化が不可欠ですし、とりわけ第2層の機能と第3層の機能をつなげ、コーディネートする力が必要です。この第2層と第3層との有機化ができないと、また“新たな縦割り”を産みかねません。
〇これらの事業・活動を展開する組織として、最もふさわしい組織は市町村社会福祉協議会ではないかと私は思っています。
〇私の地域福祉実践、研究、教育は全国の社会福祉協議会とバッテリーを組むことにより展開され、体系化できました。言わば、私は社会福祉協議会によって“地域福祉研究者”に育てられたと思っていますので、身びいきすぎるかも知れませんが、上記の機能を考えたたら社会福祉協議会しかないと思っています。
〇1980年代から社会福祉協議会は小学校区レベルで地区社会福祉協議会づくりを推進してきました。その過程で、自治会組織や民生委員・児童委員とも深い関係を築いてきました。
〇1990年代には、住民に信頼される組織になるためには、住民のニーズに応える具体的サービスを展開し、そのサービス提供過程において、新たな住民のニーズを把握しようという「事業型社協」の考え方を打ち出しました。
〇また、1991年からは潜在化しているニーズを発見し、専門多機関でのチームアプローチによる支援を行う「ふれあいのまちづくり事業」を展開してきました。
〇このような経緯を考えれば、地域共生社会政策の具現化、重層的支援体制整備事業は社会福祉協議会がその中軸になって活動して“当たり前”だと私は思うのです。
〇しかしながら、冒頭に述べたように、社会福祉協議会は未だ1980年代までの“旧態依然”の活動、組織になっています。これで、社会福祉協議会はいつまでも行政からの補助金を貰えるのでしょうか。
〇全国各地の地方自治体では、9月の決算議会で社会福祉協議会への補助金の費用対効果が問われ、補助金の見直しの論議が各地の自治体で論議されています。あるいは、行政の監査委員会から社会福祉協議会への補助金の見直しの勧告もされています。行政の保健福祉部局が社会福祉協議会への理解を示してくれても、財政部局が理解せず、補助金カットの厳しい査定が続いています。社会福祉協議会が有している「基金」を全て遣い切ってから、改めて補助金の支出の論議を余儀なくされているところもあります。地方自治体の「指定管理制度」に伴う入札において、従来使用していた事務所がある社会福祉センターの管理運営に関わる指定管理で、社会福祉協議会が落札できず、他の業者に事務所代の賃料を払って入居している社会福祉協議会もあります。その場合の事務所賃貸料の補助金は行政から出ません。
〇このような状況下で、社会福祉協議会の経営のあり方は現在とても厳しい状況にあり、早く“眼を覚ます”必要があると思っています。
〇私自身、昨年だけでも岩手県、秋田県、福島県、香川県等の社会福祉協議会の経営問題に関する会議・研修に招聘され、上記のような状況と課題を提起し、コンサルテーションを行ってきました。
〇社会福祉協議会を取り巻くこのような状況を改革するためには、地域共生社会政策における重層的支援体制整備事業を受託し、第2層の地域包括支援センターの運営を軸にした専門多機関協働と第3層の小学校区の地区社協における住民参加、ボランティア活動とを有機化させる活動に取り組むしか“生き残る道はない”と考えています。
〇そのためには、従来の社会福祉協議会の事務局体制を改編し、地区社会福祉協議会ごとの「地区担当制」を導入し、その地区において福祉サービスを必要としている人の“発見”と個別支援に関する包括的総合相談を行い、かつその福祉サービスを必要としている人の社会参加に関する問題解決プログラムを開発・提供すること、更にはそれらの活動を住民が支え、ボランティア活動として協力するとともに、福祉サービスを必要とする人々を地域から排除することなく、蔑視をすることなく、共に生きていける地域づくり、福祉教育の推進を統合的に展開できる事務局体制に再編するしか“生き残れる道はない”と思っています。
〇そのためには、社会福祉協議会職員、総務部門の職員も、生活福祉資金や権利擁護部門の職員も、施設・団体支援部門の職員も含めてコミュニティソーシャルワーク機能の研修を受講し、その資質向上を図るしかありません。
〇厚生労働省の2015年の「新たな福祉提供ビジョン」(この報告書が地域共生社会政策の起点になる)の中で述べているように、“個別支援を通じて地域を変えていく”過程が重要なのです。
〇その点、テーマ型NPO法人は、福祉サービスを必要としている人の個別課題分野ごとに特化した活動を展開していますので、“個別問題”に強い“印象”を創り出していますし、事実、個別課題分野ごとに大きな成果を挙げて評価されています。
〇また、それらのNPO法人は今日のインターネット社会の機能をよく活用し、全国的に組織化を図り、個別課題分野における“発言力”(政治的にも、行政の信頼度においても、行政からの補助金獲得においても、クラウドファンディングにおいても)を高めています。
〇正直なところ、この間の内閣府等の政府の福祉サービスを必要としている人の個別課題分野ごとに取り組むNPO法人への評価は高く、政府の審議会での発言力や報告書における位置づけも高いものがあります。
〇それに比して、社会福祉協議会への評価、位置づけは“相対的に地盤沈下”していると思います。福祉サービスを必要としている人の個別分野の取り組みが全体的に増加しているので、その個別課題に取り組む団体・組織が増えることはいいことであり、その結果、社会福祉協議会が“相対的に地盤沈下”するのも当然でやむを得ないと考えるべきなのでしょうか。
〇私は、社会福祉協議会の位置は“相対的に地盤沈下”しているのではなく、“絶対的に地盤沈下”していると考えています。つまり、住民のニーズに対応しないで、相変わらず“旧態依然”の活動に終始し、“自己満足”、“唯我独尊”、“視野狭窄”に陥っているのではないでしょうか。
〇これらの課題は一朝一夕には解決できないと思いますが、せめてNPO法人と社会福祉協議会との“彼我の位置関係”を確認するためにも、各都道府県、各市町村で取り組み始めて貰っている「社会福祉関係資料集」の中に、これら「福祉サービスを必要としている人の個別支援をしているNPO法人」と「福祉サービスを必要としている当事者組織・団体」の把握を行い、収録することが必要ではないかと思っています。
〇私は、富山県社会福祉協議会のコミュニティソーシャルワーク研修において、「社会福祉関係資料集」の作成の必要性を説き、富山県福祉カレッジと協働して立派な「富山県社会福祉関係資料集」を作成してもらいました。この実践の取り組みは、現在では千葉県、岩手県、香川県、佐賀県の社会福祉協議会に普及しています。
〇地域共生社会政策では、社会福祉法の改正で地域福祉計画等を作成する際に、「地域生活課題」を明確に把握することを求めています。私は、この改正が行われる前から、住民のニーズに関わる「地域福祉・地域包括ケアに関わる基本情報」を市町村ごとに、かつ地域包括支援センター圏域毎に作ることの必要性と重要性を指摘してきました。
〇上記の「社会福祉関係資料集」は、これらの国の動向を踏まえても必要な取り組みです。富山県では、コミュニティソーシャルワークの研修の時のみならず、いろいろな研修の機会に「社会福祉関係資料集」を活用しています。
〇せめて、これらの「社会福祉関係資料集」の中で、全国の、各都道府県の、各市町村で活動している「福祉サービスを必要としている人への個別支援をしているNPO法人」と「福祉サービスを必要としている人々の当事者団体・組織」の一覧を収録することにより、“彼我の位置関係”を認識し、社会福祉協議会が陥っている“自己満足”、“唯我独尊”、“視野狭窄”に気付き、改革する契機になればと思っています。
〇そして、社会福祉協議会がそれらの組織、団体の参加の基にプラットホームを創り、その“中核的組織”として社会福祉協議会が活動を行い、社会的評価を高められればと祈念しています。
〇これが12月夜の睡眠時に考えたことです。2023年も、これらの課題を解決すべく、全国各地を飛び回り、美味しい肴と美味しいお酒を飲みながら、社会福祉協議会職員と談論風発の論議をしたいものだと夢見ています。

(2023年1月2日記)

老爺心お節介情報/第37号(2022年12月26日)

「老爺心お節介情報」第37号

皆さんお変わりありませんか。随分とご無沙汰しています。
8月に出す予定の「老爺心お節介情報」が漸くできました。送ります。関係者で自由にご活用下さい。
向寒の折、皆様くれぐれもご自愛ください。
(2022年12月26日記)

〇皆さんお変わりありませんでしょうか。新型コロナウイルスの第7波が驚異的に拡大していますが、皆さんのところは大丈夫でしょうか。私は、7月4日に第4回目のワクチン接種を行いました。ワクチンの効果はいかほどか分かりませんが、出来る対策の一つです。
〇今回のテーマは、1960年代から悩んできた「人が育つということ」、「人を育てる」ということに関わり、言語、思考のとらえ方です。
(2022年8月15日記)

Ⅰ 「言語と思考」――「言語の脳科学」(酒井邦嘉著、中央公論新社、2002年)

〇私は、日本社会事業大の学部2年生の時のゼミナールで、カール・マルクスの『経済学・哲学草稿』を講読した。その時以来、人間の主体性をどう形成するのか、できるのかに関心を寄せるようになった。主体形成を図るということは、人が育つということ、人を育てるという営みについて考えることであると思い、教育学を学ぶ必要性を感じ、学生サークル「教育科学研究会」を立ち上げ、当時、日本社会事業大学の非常勤講師を勤められていた山住正巳先生(東京都立大学教授、後に総長)に指導をお願いした。「教育科学研究会」では、月刊誌『教育』(国土社)に連載中の勝田守一先生の連載原稿の「能力と発達と学習」(後に国土社から単行本『能力と発達と学習』として刊行)を輪読することを中心に勉強した。
〇これらの勉強の中から、人間が育つうえで「外化」(「疎外」ともいう)という営みの重要性を認識する。人間の成長には、自らの内なるものを外に出して、自らがそれを客観化し、そのありようを意識して改善していく営みが主体形成には欠かせないと考えた。鉄道関係者がよくしている「指差し喚呼」や、学校で国語の教科書を音読させたりする営みは、その「外化」の一つである。自らの内なるものが“外”で出て、それを自らが対象化し、意識化し、それを主体的に改善、克服するという弁証法的取り組みである。
〇この“学び”の過程において、“言語と思考”とのかかわりに興味を持ち、ピアジェの『言語と思考』による内言語と外言語、ヴィゴツキー『思考と言語』(柴田義松訳)等も読むことになる。難しくて、十分咀嚼できているとは思わないが、心理学も含めて思考と言語との関り、その心理、かつ思考、言語の背景にある民俗学、文化に関心を拡大させていく。しかしながら、この論考はあまりにも奥が深く、途中で思考をとん挫させてしまった。
〇この8月に、「言語の脳科学」(酒井邦嘉著、中央公論新社、2002年)を知り、読み始め、それの読後感も含めて「老爺心お節介情報」として情報提供したかったが、全国各地のコミュニティソーシャルワーク研修が始まり、時間的にも、精神的にも余裕がなく、この「老爺心お節介情報」は8月15日の段階で、書きかけのまま、放置されることになった。
〇皆さんには、是非「言語の脳科学」(酒井邦嘉著、中央公論新社、2002年)を読んで欲しい。
〇筆者が、“言語と思考”、民俗学、心理学等への傾倒を強めていくのには、柴田義松先生の存在がある。
〇筆者は、1970年に東京大学大学院教育学研究科の修士課程を修了し、博士課程への進学が認められていたが、恩師の小川利夫先生を介して、女子栄養大学の助手にお誘い頂いた。
〇当時、筆者は全国の「教育科学研究会」の教授学部会にも参加しており、「島小物語」等を書いた教育方法論、教授学で名を馳せていた斎藤喜博先生(「斎藤喜博全集」が刊行されている)や柴田義松先生とは顔みしりであった。そのような関係もあったのか、大学院博士課程に在籍のまま、女子栄養大学の助手に採用するとの条件だったので、1970年4月から女子栄養大学に赴任することになる。女子栄養大学人間学教室には動物生態学の先生や科学史の先生がおり、より広く学問を考える環境があった。柴田義松先生は、のちに東京大学教育学部の教育方法論講座の教授として転任された。(2022年8月15日記、一部2022年12月26日追記)

Ⅱ 都道府県社会福祉協議会の創設時・初代事務局長に関わる調査研究の必要性

(はじめに)
〇皆さんお変わりなくお過ごしでしょうか。私は、12月も秋田、岩手、富山、石巻等のコミュニティソーシャルワーク研修で忙しくしていましたが、それも12月24日で終わり、漸くのんびりとする時間が持てています。
〇新型コロナウイルス感染症のワクチンも第5回目が終わり、何とか元気に過ごしています。
〇今回は、「老爺心お節介情報」第37号の追記部分として書いて、今年の仕事納めにしようと思います。

(日本地域福祉学会の地域福祉実践の地方史研究と都道府県社会福祉協議会の創設時・初代事務局長に関わる調査研究の必要性)

〇11月、12月と岩手県に行き、日本社会事業大学を卒業し、岩手県に入職後、岩手県立大学の教授をされた細田重憲さんや、日本社会事業大学を卒業後、岩手県社会福祉協議会に入職し、岩手県社会福祉協議会の事務局長を務められた右京昌久さん達と懇親する機会があり、『都道府県社会福祉協議会の創設時・初代事務局長に関わる調査研究』の必要性を痛感したので、その情報提供とお願いである。
〇筆者は、日本地域福祉学会の事務局長当時、財団法人安田火災記念財団からの助成を頂き、北海道、東京、近畿ブロックの地域福祉実践の地方史をまとめる研究プロジェクトのプロモーターを務めた。その成果物は、1992年に中央法規出版から『地域福祉史研究序説』として刊行されている。
〇この研究プロジェクトは、その後各都道府県単位の学会支部で取り組んで欲しい旨をお願いしたが、筆者が知る限りめぼしい成果は出ていない。富山県地域福祉研究会が、富山国際大学短期大学の学長をされている宮田伸朗先生を中心に、富山県地域福祉実践の地方史の研究をまとめられているが、それ以外では寡聞にして知らない。
〇上記したように、今回岩手県の訪問に際し、岩手県立大学が「岩手の社会福祉史研究会」を組織し、岩手県社会福祉協議会の初代事務局である見坊和雄さんに聞き取りしている資料をご恵贈賜り、読むことができた。聞き取りの要約は、細田重憲さんが『岩手の保健』第226号=228号(令和3年3月・8月・令和4年3月)、岩手県国民健康保険団体連合会発行に連載している。
〇これらの資料を読み、改めて地域福祉実践における地方史研究の必要性、とりわけ都道府県社会福祉協議会の創設時の初代事務局の人物像も含めた研究が必要ではないかと思った。その際に、筆者がすぐに思いついたのが、秋田県社会福祉協議会の三浦三郎事務局長と山形県社会福祉協議会の松田仁兵衛事務局長である(松田仁兵衛さんの本は全社協選書から『社会福祉とともに』が刊行されている)。
〇秋田県社会福祉協議会の三浦三郎事務局長には、筆者が日本社会事業大学学部3年生の時、恩師の小川利夫先生に名刺に添え書きをして頂いて、山形、秋田を訪問した際に大変お世話になった。三浦三郎事務局長は、戦前の社会事業主事講習を受けており、戦前のセツルメントハウス・興望館にも勤めていたこともある。三浦三郎事務局には、秋田の祭り・竿灯を見せて頂いた上に、下浜の自宅に留めて頂いた。
〇見坊和雄さんは、三浦三郎さんと松田仁兵衛さんと一緒になって、いろいろな取り組みをされたことを話しておられる。改めて、東北3県の社会福祉協議会の事務局に焦点を当てて、地域福祉実践の地方史を研究する必要があるのではないか。
〇と同時に、全国の各県社会福祉協議会の創設の時の状況や初代の事務局長の動向についての歴史研究に各県社会福祉協議会の職員や日本地域福祉学会の各県支部の会員は是非取り組んで欲しいものである。

(2022年12月26日追記)

老爺心お節介情報/第36号(2022年6月13日)

「老爺心お節介情報」第36号

〇関東は梅雨入りしたようですが、皆さまのところは如何ですか。梅雨がないと水不足になり、田畑が困りますが、連日の雨と湿度の高い日々は気分的にはまいります。
〇我が家近辺の多摩丘陵には、今年もホトトギス(時鳥)が飛来し、“トウキョウトッキョキョカキョク”と毎日未明から鳴いています。
〇我が家の庭の小さな畑に、ナス、キュウリ、シシトウが実り、食卓を豊かにしてくれています。
〇「老爺心お節介情報」第36号をお届けします。

Ⅰ 社会問題の分析視角と『ことばと文化』(鈴木孝夫著)

〇私は、恩師の小川利夫先生から研究指導を受ける際、“おまえの分析視角は何か、そのナイフは先行研究を踏まえた理論課題を明らかにできる研ぎ澄まされているナイフなのか、それともなまくらなのかどうか?”、“事象に流されて、紹介するだけのものは論文とは言わない”等と常に戒められてきた。
〇そんなこともあり、私は論文を書くときに、あるいは講演をする際にとても十分とはいえないにしても、常に以下のようなことを考えて研究生活を送ってきた。

➀ 何故、その社会問題、事象を取り上げるのか、それを取り上げる意義は何か?
② 取り上げた社会問題、事象をどう分析するのか、その分析の視角は何か?
③ 分析したここの要因間の関係の構造を考え、何が幹で、何が枝で、何が葉なのか、枝葉末節を考えて、構造的に分析を行い、考えているか?
④ 分析をした社会問題、事象を通して、社会福祉学界に対してどのような理論課題を提起し、論述しようとしているのか、その理論課題に即した先行研究も十分まえてに論述しているのか?

〇上記のことを私が意識して分析視角、問題構造という用語を使って書いた最初の論文が「現代児童の問題構造と分析視角」(『ジュリスト』572号、有斐閣、1974年10月)である。
〇自分のことを棚に上げておこがましいことを言うようであるが、最近の実践や研究において、上記のことがほとんど触れられずに、“犬が歩けば棒に当たる”類の研究姿勢が多いことはなぜなのだろうか?それは私達の世代の“大学院”での研究指導が不十分であったからであろうか。
〇『ことばと文化』(鈴木孝夫著、岩波新書、780円)を2022年6月に読んだ。残念ながら、この本は1973年に初版が出ている。
〇私が、1970年頃に日本の文化を基底とした社会福祉のあり方と、WASP(ホワイト、アングロサクソン、プロテスタント)の文化を基底としたアメリカの社会福祉の考え方、とりわけ社会福祉方法論との関係で悩んでいたころに出た本である。
〇生活のしづらさを抱えている人を支援する際に、その人の文化的基底は何か、生活文化は何か、その違いを抜きにして“アメリカ直輸入”的に社会福祉方法論を論じ、支援の際に援用することにどうしても馴染めず、文化、言葉、心理というものを学ぼうとしたがあまりにも奥が深くとん挫した研究経験を私は有している。
〇ところが、この『ことばと文化』を読んで、初版本が出た時に、この本を読んでいれば、あるいは私の研究上の“分析視角”や“問題構造の描き方”は変わっていたかも知れないと直感的に思った。というのも、生活問題を取り上げる社会福祉研究は、生活問題の事象をどのように表現し、どのような文脈の中で分析し、関係づけて考えるか、そのヒントが『ことばと文化』の中にあるからである。
〇鈴木孝夫氏は、慶應大学名誉教授であり、言語社会学者である。1926年に生まれ、2021年の2月に逝去している。逝去に際し、多くのマスコミが鈴木孝夫氏の論功を取り上げ紹介した。浅学菲才の私は不覚にも、その時はじめて鈴木孝夫氏の論功を知った。(鈴木孝夫氏が逝去された報道の後、すぐにこの本を購入したが、1年間本棚に“積読”の状態で、漸くここに来て読むことができた)。
〇『ことばと文化』の初版本が出された1970年代初頭の頃、社会福祉と社会教育の学際研究をしていた私は、その二つの領域の文献とその領域の政策動向、実践情報を把握するのに精一杯で、精神的にも、時間的にも余裕がなく、広く“文化”や“ことば”に関する文献を検索できていなかった。“文化”については、いくつかの文献を渉猟したが、あまりにも奥が深く、幅が広く、“社会福祉と文化”の関係を分析できる視角を確立できる自信が持てず、諦めてしまった経験を有している。
〇鈴木孝夫氏は、『ことばと文化』の中で次のように述べている。

① “文化の単位をなしている個々の項目(事物や行動)というものは、一つ一つが、他の項目から独立した、それ自体で完結した存在ではなく、他のさまざまな項目との間で、一種の引張り合い、押し合いしながら、相対的に価値が決まっていくものなのである”(P4)
② あらわれた文化とかくされた文化――“ある国の人々の生活や考え方を隅々まで支配している、その国の文化というものは、そこに生まれた人々にとっては、空気の存在と同じく、元来自覚されにくいものである。・・普通の人が気付く、いわゆる文化の相違は、比較的目につきやすい、具体的な現象に限られることが多いのである。あらわな文化という(over culture)と呼ぶ文化の側面がこれである。
この顕在的な文化に対して、目に見えにくい、それだけに、仲々気が付かない文化の側面のことをかくれた文化(cover culture)と呼ぶ。・・・このように文化の項目としては全く同一のスプーンを使いながら、日本人と西洋人との間には、ちょっと人が気が付かない構造的な違いが見られる。・・かくれた部分に気付くことこそ、異文化理解のカギであり、また外国語を学習することの重要な意義の一つはここにあるといえよう。(P15~17)
③ “ことばが、私たちの世界認識の手がかりであり、唯一の窓口であるならば、ことばの構造やしくみが違えば、認識される対象も当然ある程度変化せざるを得ない。”(P31)
④ “ことばというものは、混沌とした、連続的で切れ目のない素材の世界に、人間    の見地から、人間にとって有意義と思われる仕方で、虚構の文節を与え、そして分類する働きを担っている。言葉とは絶えず生成し、常に流動している世界を、あたかも整然と区分された、ものやことの集合であるかのような姿の下に、人間に提示して見せる虚構性を本質的に持っているのである“(P30~31)
⑤ “ものにことばを与えるということは、人間が自分を取り巻く世界の一側面を、他の側面や断片から切り離して扱う価値があると認めたということにすぎない。
化学式でH₂Oと一括できる同一のものが、日本語で「氷」、「湯」、「ゆげ」に始まり、「露」「霜」から「春雨」や「夕立」に至る、何十という別々のことばで呼ばれていることは、しかし、確実なものとしての存在は、H₂Oだけであって、それ以外の名称は、名前だけの実体のない存在、つまり対象の側に必然的な裏付けのない虚構であるということにはならないのである。
何故かといえば、このH₂Oですら、人間が世界のある特定の角度から整理した結果、把握されたものであって、決して最終的な、確実なものではないからだ“(P39~40)

〇我々が、社会問題、生活問題を取り上げて研究する際、どの視点からその問題を取り上げるのか、そしてその問題の整理にあったて、どのような“言葉”で分析するのか、その結果どのような理論課題を提起するのか、とても重要なことである。
〇アメリカ人の“ものの見方、考え方”における文化と、日本人の“ものの見方、考え方”の違いと、それを表現する仕方が違うということをよく踏まえて海外研究、国際研究をする必要がある。
〇“ことわざ”はその国の文化、生活慣習にすぐれて影響を受けている“ことば”である。私の拙文を韓国語に訳すときに、“ことわざ”の翻訳ができないとよく言われたものである。
〇このようなことを考えると、生活問題、社会問題自体が、ある局面を語っているわけであるから、その分析はどの側面から切っているのか、それは何を提起しているのかを常に考える必要がある。
〇“研究者”として、論文を書くということが如何に難しいかを再認識させられた。

Ⅱ 雑感―― 黒川祐次著『物語 ウクライナの歴史』を読んで

〇ウクライナ人の民族国家、主権国家ウクライナへロシアが侵攻した。とても許される行為ではない。まさに国際法を踏みにじる蛮行である。いくら、1991年以前のソビエト連邦の傘下国であったとしても、断じて許されない行為である。
〇ロシアはなぜこのような蛮行を犯したのか、黒川祐次著『物語 ウクライナの歴史』(中公新書、860円)を読んで、その歴的な遠因、根の深さを改めて認識させられた。
〇かつて、このような蛮行を日本もしてきた。韓国の人が日本に対して持っている“恨”には根深いものがある。韓国(朝鮮)に対し、白村江の侵略、秀吉の侵略に加え、日韓併合、「創氏改称」という蛮行を日本は行ってきた。中国に対しても満州国建設、南京侵略等蛮行を行ってきた。
〇ロシアのウクライナ侵攻に際し、どれだけの日本人が、かつて韓国(朝鮮)や中国に対して行ってきた蛮行を振り返り、反省し、その上でロシア批判をしているのであろうか。
〇戦前、日本が犯した蛮行を今こそ正面から向き合い、反省し、謝罪すべきことは明らかに謝罪したうえで、未来に向けての平和友好を築く努力をするべきではないのだろうか。
〇マスコミの論調に、このようなかつて日本が犯した蛮行との関りでの論説が十分でないことに懸念を持っている。まさか、そんな“日本の過去の蛮行”は“水に流して”と思っている日本人がいないことを願うばかりである。
〇目の前のウクライナ侵攻を日本人が傍観しているのではないことを願うのみである。
〇と同時に、ウクライナ難民の受け入れとタイ、ミヤンマー、あるいはバングラデシュ等のアジア地域の人々の難民受け入れとを日本人が差別化していないことを願うばかりである。

(2022年6月13日記)

老爺心お節介情報/第35号(2022年5月5日)

「老爺心お節介情報」第35号

〇皆さんお変わりなくお過ごしでしょうか。時の移ろいは早いもので、もう5月になってしまいました。昨年の4月は第3回四国歩きお遍路巡礼の後半を歩き、4月末に帰宅し、今頃は紀行文を書いている時期でした。
〇新型コロナウイルス感染症に伴う“行動制限”もない3年振りのゴールデンウイークですが、皆さんは自然を満喫されたでしょうか。
〇この間、読んだ本や雑誌についての情報をお届けします。

Ⅰ 「ひきこもり」の人たちへの関わり方、支援のあり方を考える本です。是非読んで下さい。

『ひきこもりの真実』林恭子著、ちくま新書、840円
『ひきこもりから考える』石川良子著、ちくま新書、780円

〇林恭子さんは“ひきこもり当事者”の方で、ご自分の体験を基に、“ひきこもり”支援のあり方について述べられています。
〇“支援を受ける側”の立場から、“ひきこもり”支援は“就労がゴールではない、自己肯定感の回復が先であり、大切である”。
〇支援者に伝えたいことは、“向き合うのではなく、支援する側―支援される側という関係ではなく、横に並ぶ”こと、 “アウトリーチは当事者にとって恐怖以外のなにものでもない”。
〇“分かるということよりも分かろうとしている姿勢が当事者に伝わることが大切”、“当事者に見えている世界を知って欲しい”等など、とても考えさせられる内容が書かれています。是非読んで下さい。
〇石川良子さんの本は、ひきこもりの方々と20年間近く関わってこられた体験を基に社会学研究者として書かれたものです。
〇林恭子さんの本を読んで、私は、改めてソーシャルワーク支援を必要としている人の一般的属性概況を知識として知っている必要があるが、その属性概況に“レッテル”を貼って、その属性概況の一般的「枠組み」で支援を考える支援をしてはならないこと、一般的属性概況を踏まえた上で、なおかつその一人一人にきちんと向き合い、その人のナラティブに基づき支援をすることの重要性を再確認させられた。
〇皆さんにも支援者の姿勢として、是非考えて欲しい点である。

Ⅱ 「医療的ケア」を必要としている人へのソーシャルワークと生命倫理

〇私は、2000年前後に、日本社会事業大学大学院、同志社大学大学院、東北福祉大学大学院、淑徳大学大学院等での授業において、社会福祉学研究者の基礎的素養として、社会福祉学の基本になる哲学を学ぶ授業を行っていたことがある。その際のテキストとして、生命倫理やケアの考え方、公共福祉などに関わる文献を取り上げて行っていた。
〇今日のように、「医療的ケア児」への支援、終末期を迎えているがん患者、高齢者等への支援、難病の方への「社会生活モデル」に基づくソーシャルワーク支援を考える際に、あらためて支援に当たる立場としてソーシャルワークにおける生命倫理、ケア観を問い直しておく必要があるだろう。
〇私が学んでいた1960年代当時の日本社会事業大学の学生には、脳性まひの学生がおり、その学生の支援に仲村優一先生が多大の努力をされていた。その学生の一人は、「青い芝の会」のメンバーとしていろいろ活動していた。1975年に横塚晃一さんが『母よ殺すな』(すずさわ書店)を上梓した時代で、障害を有している子どもをもった親の苦労、苦悩と障害を有している子ども自身の生存権、幸福追求権との関りをいろいろ考えさせられた時代であった。

#前にも紹介したが、SOMPO福祉財団文献賞を受賞した高阪悌雄著『障害基礎年金と当事者運動』(明石書店、5400円)を是非読んで欲しい。

〇今日の「医療的ケア」を必要としている人へのソーシャルワークと生命倫理との関係も、内容的にとても重い問題であるが、地域福祉実践・研究を志すものとして避けて通れない課題である。
〇医療従事者における“呼吸すること”を保障する「医学モデル」に基づく実践としての生命倫理とは異なり、社会福祉従事者においては“生きること”を保障する「社会生活モデル」に基づく実践であり、医学分野の生命倫理を踏まえながらも、「社会生活モデル」に基づく実践における生命倫理、ソーシャルワークのあり方を論究する必要がある。
〇この間以下の本を読んで、「生きること」、生命倫理についていろいろ考えることがあった。
『助けてが言えない』、松本俊彦編著、日本評論社、1600円
『殺す親、殺させられる親』児玉真美著、生活書院、2300円

〇松本俊彦編著『助けてが言えない』の中で、精神障害者への支援において、“コンプライアンスから、アドヒアランスへと発展し、いまや患者と医療者のパートナーシップをより重視したコンコーダンス”の時代だという記述に大いに期待したいと思うものの、実情はそうなっているのだろうかと考えてしまった。精神障害者の地域自立生活支援における“コンコーダンス”の時代を我々は市町村で構築できるであろうか。
〇児玉真美著『殺す親、殺させられる親』は、第2部で『「死ぬ・死なせる」をめぐる意思決定』について書かれている。一人暮らし高齢者や一人暮らし障害者の終末期支援をしていく際に、我々が考えておかなければならない課題が提起されている。

Ⅲ 「生きづらさを抱えた人」の支援と地域生活定着支援センター

〇地域共生社会政策の一環として,地域福祉計画、地域福祉支援計画を策定する際に、自殺予防、再犯防止、孤立・孤独対策等も包含して計画策定することが求められている。
〇『新ノーマライゼーション』2022年4月号(日本障害者リハビリテーション協会、500円)は、矯正施設出所者への支援のあり方について特集している。全国に48ある地域生活定着支援センターの取組や千葉県中核地域生活支援センター等の取組が紹介されている。「生きにくさを抱えた障害者等の支援者ネットワーク」の赤平守さんが「支援の本質を問い続けてー生きにくさネットの活動」を書いています。赤平さんは、“「生きにくさを抱えている人の心はいつも揺れ動いています。「地域で生きる人を、地域で支える」のであれば、その人を知る努力と確かな根拠を基にした想像力が必要となります”と述べていますが、ソーシャルワークにおける「2つのそうぞう性(想像力と創造力)」の重要性と、“レッテル”を貼って分かった気にならないで、福祉サービスを必要としているその一人一人のナラティブに基づく支援のあり方が問われています。
〇また、犯罪という事柄に我々は目が行きがちであるが、その背後には貧困、障害、いじめ、虐待などの問題があり、その人のソーシャルサポートネットワークが崩壊したときに“犯罪”がおきていることを考え、支えていく意味が問いかけられている。

Ⅳ 雑感「文化人類学とソーシャルワーク」

〇かつて、私は加地伸行著『儒教とは何か』(中公新書、720円)等の儒教関係の本を読んで、儒教とは何かを考えようとした。それは、自分を含めて、日本人のものの考え方、感じ方に色濃く儒教の“教え”が入り込んでおり、影響を受けている。地域福祉の主体形成を考えていくとき、これらの問題は看過できないと考え、チャレンジしたが事実上その作業はとん挫している。
〇以前紹介した山本七郎著『日本資本主義の精神~なぜ一生懸命働くのか~』も同じ文脈である。
〇それは、マックス・ヴェーバーが書いた『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』をひも解くとすれば、それと同じように日本人に影響与えた考え方、思想を探ろうという文化人類学的発想からでたものであった。
〇私は、1970年代に“日本の福祉文化の底流にあるものに興味、関心を寄せ”、文化とは何かを理解したいと思ったし、その日本人の文化と社会福祉との関りを考究したいと考えたが、“奥が深く、幅が広く、とても自分には手が負えない”と考えて、その研究アプローチも断念せざるを得なかった。
〇しかしながら、住民の生き方、地域のありよう等を考えないで地域福祉研究をしていていいのだろうかとういう“脅迫観念”ともいえる思いは今になっても消えないでいる。
〇かつて、中根千枝の「タテ社会の構造」理論を援用して、2005年に「わが国におけるソーシャルワークの理論化を求めて」(『ソーシャルワーク研究』第31巻第1号)を書いたのもその“流れ”から来ている。
〇この連休中に、宮城谷昌光著『孔丘』(文芸春秋、2000円)を読んだ。この本は、孔子の生涯と考え方を小説にしたものであるが、この本を読みながらを如何に自分の中に儒教の考え方が入り込んでいるか改めて再認識させられた。
〇「法」と「礼」、「徳」、「天」といった人間の行動を律する語句や考え方が如何に当たり前のように自分の中にあることに驚かされた。
〇文化人類学や社会思想史は、形になりづらいものであり、研究の難しさはあるが、社会福祉学が自立支援を目的に考えるとすれば避けて通れない課題ともいえる。日本の社会福祉学研究を文化人類学の視点を踏まえて行う人が出てこないであろうか。

(2022年5月5日記)

 

老爺心お節介情報/第34号(2022年3月24日)

「老爺心お節介情報」第34号

〇皆さんお変わりなくお過ごしでしょうか。我が家の小坪には、ミツバツツジやシデコブシの花が咲き、春到来を告げています。
〇新型コロナウイルス感染症の「第6波」も減少傾向を見せ始め、少し気分的にも楽になってきました。私自身は2月4日に第3回目のワクチン接種を行いました。それでも地方への出張では気を使い、3月13日にPCR検査を受けましたが陰性でした。これからも体調管理に気を付けて、新型コロナウイルス感染に罹らないように留意していきたいと思います。 〇「老爺心お節介情報」第34号は、以下の通りです。

Ⅰ 『地域福祉とは何かーー哲学・理念・システムとコミュニティソーシャルワーク』

〇拙著『地域福祉とは何かーー哲学・理念・システムとコミュニティソーシャルワーク』
(中央法規出版、2022年4月10日発行、3000円)を上梓しました。
〇本書の「まえがき」を添付しましたので参考にして頂ければと思いますが、地域福祉実践・研究の理論的課題を私の50年間の「バッテリー型研究」の自伝史に引き付けて書いてみました。本書は、私の50年間の地域福祉実践・研究の「集大成」です。
〇全国各地で、これからもコミュニティソーシャルワーク研修が進むものと考えられますが、その際に本書を使って頂ければ全てわかるように、“地域福祉の考え方”、“地域自立生活支援の考え方”、“住民の社会福祉を高めることの必要性と気を付けなければならない視点”、“地域福祉を推進する組織である地域を基盤とする社会福祉法人としての社協の性格、歴史的変遷”、“地域福祉を推進する方法論としてのコミュニティソーシャルワーク機能”についてまとめてあります。
〇とりわけ、現時点で考えられるコミュニティソーシャルワーク研修の考え方、それに必要な研修用のシートも収録してあります。大いにご活用頂き、コミュニティソーシャルワークの推進の役立てて頂ければと思います。

Ⅱ ICFの視点に基づくケアマネジメント方法を活用したソーシャルケア

〇私は、2001年のWHOのICF(国際生活機能分類)の日本語版翻訳に際し、その「社会活動」領域の作業班長を仰せつかりました。私自身、1960年代から障害者の学習・文化・スポーツ・レクリエーションの振興に取り組んでいましたし、社会福祉は憲法第25条の規定による社会権的生存権の保障のみならず、憲法第13条に基づく幸福追求権、自己実現を図ることも社会福祉推進の法源、根拠とすべきと考え、実践も研究もしてきましたので、2001年のWHOのICFの考え方である生活環境を改善することの重要性についてはさほど驚きませんでしたし、“今更”という感慨を持ったことは事実です。
〇しかしながら、厚生労働省がWHOのICFを翻訳し、その考え方を普及させるとなると話はかわってきます。私は、当時、厚生労働省の担当者に、“このICFの考え方を取り入れると障害者分野の施策の大幅な見直しが必要ですよ。状況によっては、障害基礎年金や障害者手帳のもつ意味が変わってきますし、障害認定に伴う制度自体の改編が必要になると思いますが、それでも行いますか”と質問したことを覚えている。
〇その当時は、生活環境の変化がサービスを必要としている人の生活意欲、生活方法、行動様式、生活圏域の拡大を劇的に変えるというイメージはさほどなかったことは事実です。
〇しかし、その後の介護ロボットの開発・普及、ICTを活用しての福祉機器の開発・普及の進展は目を見張るものがあり、これからのケアワーク、ソーシャルワークというソーシャルケアはICFの視点に基づく福祉機器の利活用を前提としたものでなければ“使い物”にならなくなってきています。
〇しかしながら、社会福祉士、介護福祉士、介護支援専門員、障害者相談支援専門員などの養成・研修において、福祉機器に関する領域は殆ど“皆無”といっても過言ではありません。福祉機器を利活用しての生活環境を改善させることは、これからのソーシャルケアの実践においては不可欠となっています。
〇先日読んだ『奇跡の介護リフトー介護業界に風穴を開けた小さなメーカーの苦闘の記録』(森島勝美著、幻冬舎、1500円、2022年2月発行)は、是非多くの社会福祉関係者に読んで欲しい文献です。
〇本書には、自宅において介護リフトを利活用することによって、“寝たきりの高齢者”の生活変容、生活意欲などが紹介されています。
〇社会福祉(社会事業)は、戦前から福祉サービスを必要としている人の生きる意欲、生きる希望、生きる見通しを引き出し、支えることが重要であり、それが“積極的社会事業”であると言われてきましたが、まさに福祉機器はそのような機能を有しています。
〇その際に重要なことは、福祉機器には補聴器もその範疇に入っているということを忘れてはいけません。2021年3月に出されたWHOの「聞こえ」の保障にかかわる報告書で、“難聴がうつ病を誘発し、それが認知症へとつながっている”ことを指摘しています。
〇社会福祉関係者は補聴器も含めた福祉機器の利活用に関心を寄せることが肝要です。このことは、拙著『地域福祉とは何か』の中で、地域自立生活支援における福祉機器の利活用の重要性についても述べています。

(2022年3月24日)

大橋 著作 その2

老爺心お節介情報/第33号(2022年2月22日)

「老爺心お節介情報」第33号

〇皆様お変わりなくお過ごしでしょうか。前回の「老爺心お節介情報」をお届けしてから早3か月が経ってしまいました。申し訳ありません。
〇昨年の10月以降、新型コロナウイルス感染症が小康状態になり、各地の研修が開催されたことと、私の最後の著書になるであろう『地域福祉とは何かー哲学・理念・システムとコミュニティソーシャルワーク』(中央法規出版、4月刊行)の編集、校正に忙殺され、「老爺心お節介情報」を書く時間と気持ちの余裕がありませんでした。この間、皆様にお届けしたくなるような“情報”に出合わなかったこともありますが、上述した業務以外に新たな文献を読めていないことも要因の一つです。
〇今回の「老爺心お節介情報」は以下の3点です。

Ⅰ 宮城孝著『住民力―超高齢社会を生き抜く地域のチカラ』(明石書店、1800円)

〇法政大学の宮城孝先生が、自らの地域福祉実践・研究のフィールドとして長く関わってきた島根県松江市淞北台地区や中野区、あるいは東日本大震災で被害を受けた陸前高田市での支援を中心に取り上げ、地域づくりにおける住民の参加、力について分かりやすく書いてあります。「住民力」を高める7つのポイントも示されています。

Ⅱ 原田和広著『実存的貧困とはなにか』(青土社、7200円)

〇本書は、700ページを超える大著です。
〇原田さんは、山形市で子育て支援サービスの事業を展開している人で、山形県議会議員も勤めました(昨年の総選挙で、県議を辞し、国政選挙に出馬しましたが落選しました)。
〇本書は、原田さんが東北福祉大学大学院で学び、博士論文として学位取得が認められた博士論文に加筆修正したものです。私が指導教員を勤めました。
〇本書は、生活困窮、生活のしづらさを抱えている人々について、従来の社会福祉学の経済的・古典的貧困では現状を説明できないこと、新しい生活のしづらさを抱えている「新しい貧困」だけでも説明できない状況があるとして、それは「実存的貧困」ではないかと問題提起しています。その実証事例を“風俗営業”などに従事している女性を中心に、膨大なインタビュー調査を基に解析しています。従来の“風俗営業”等に従事している女性の問題はジェンダー論の立場から分析することが多かったのですが、それでは現状を説明できないと考え、その人の生育史、学歴、社会関係等も分析して、新たな貧困概念が必要ではないかと考え、「実存的貧困」概念を提唱しています。
〇読みでがありますが、とても重要な社会福祉学の理論的検討がされています。社会福祉学研究者は少なくとも本書を読んで、新たな社会福祉問題の分析視角、理論課題を検討するべきだと思います。

Ⅲ 阪野貢先生の「市民福祉教育研究所」のブログ「雑感」104号

〇私は地域福祉研究の「研究方法」について長らく悩んできました。とりわけ、外部の人間として地域に入るのですから、“地域”との関わり方については悩んできました。
〇研究者として、“上から目線”で地域に入り、“教えてあげる”という“臭い”をさせながら、“地域を引っ搔き回し”、その成果をあたかも自分の“手柄”のように披歴する研究者に1970年代から辟易してきました
〇私自身はそれについては相当気を付けてきたつもりではありますが、住民の皆さんからみたら、同じような指摘を受けるのかも知れません。
〇また、住民の意識、関係等の大量的リサーチを行うのが地域福祉研究なのかとも思ってきました。
〇その地域福祉の「研究方法」については『地域福祉とは何かー哲学・理念・システムとコミュニティソーシャルワーク』で述べたつもりです。一言で言えば、実践家と研究者が野球の投手、捕手のようにバッテリーを組んで、協働実践を行う「バッテリー型研究」が重要だと考えてきました。
〇そのことに関し、阪野貢先生が「関係人口」に関わらせて説明しているので参照して頂きたい。その一部を以下に抜粋しておきます。是非、阪野貢先生のブログを読んで下さい。

#「関係人口」とは――以下、阪野貢先生が主宰する「市民福祉教育研究所」のブログの「雑感」104号、「まちづくれと市民福祉教育」63号を参照(以下に一部引用)。

「まちづくりと市民福祉教育」63号
追補/「関係人口」と「よそ者」―田中輝美の論考と大橋謙策の実践研究―

〇筆者の手もとに、田中輝美(たなか・てるみ。ローカルジャーナリスト、島根県立大学)の『関係人口の社会学―人口減少時代の地域再生―』(大阪大学出版会、2021年4月。以下[1])がある。
〇「関係人口」という用語は、高橋博之(たかはし・ひろゆき)と指出一正(さしで・かずまさ)の二人のメディア関係者が2016年に初めて言及したものである。「関係人口」とは、高橋にあっては「交流人口と定住人口の間に眠るもの」、指出にあっては「地域に関わってくれる人口」をいう。その後、田中輝美は「地域に多様に関わる人々=仲間」(2017年)、総務省は「長期的な『定住人口』でも短期的な『交流人口』でもない、地域や地域の人々と多様に関わる者」(2018年)、農業経済学者である小田切徳美(おだぎり・とくみ。明治大学)は「地方部に関心を持ち、関与する都市部に住む人々」(2018年)、河井孝仁(かわい・たかよし。東海大学)は「地域に関わろうとする、ある一定以上の意欲を持ち、地域に生きる人々の持続的な幸せに資する存在」(2020年)としてそれぞれ、「関係人口論」を展開する(73~75ページ)。
〇田中は[1]で、こうした抽象的・多義的で、農村論や過疎地域論に偏りがちな(都市部における関係人口を切り捨ててしまう)関係人口論に問題を投げかけ、関係人口について社会学的な視点から学術的な概念規定を試みる。関係人口とは「特定の地域に継続的に関心を持ち、関わるよそ者」(77ページ)である、というのがその定義である。この定義づけで田中は、関係人口を、移住した「定住人口」でも観光に来た「交流人口」でもなく、新たな地域外の主体、別言すれば「一方通行ではなく、自身の関心と地域課題の解決が両立する関係を目指す『新しいよそ者』」(69ページ)として捉える。その際、地域とどのように関わるかについて、関係人口の空間(「よそ者」)とともに、時間(「継続的」)と態度(「関心」)に注目する。

(2022年2月22日記)

老爺心お節介情報/第32号(2021年11月6日)

「老爺心お節介情報」第32号

〇皆さんお変わりなくお過ごしでしょうか。新型コロナウイルスの感染が小康状態になり、事業も研修も日常スタイルに戻りつつあるのではないのでしょうか。私も、この10月から各地の研修が再開され、普段の生活スタイルに戻り、やっと“自分らしく”なってきました。
〇「老爺心お節介情報」第32号を送ります。

Ⅰ 『ええじゃないかー民衆運動の系譜』(西垣晴次著、講談社学術文庫)

〇東京大学大学院で社会教育を学んでいる時、色川大吉著『明治精神史』、安丸良夫著『日本の近代と民衆思想』、渋谷定輔著『農民哀史』、細井和喜蔵著『女工哀史』、横山源之助『日本の下層社会』等を読み、民衆(庶民)の生活、民衆の考え、民衆の思想等について考えていた時があった。
〇今、厚生労働省は「地域共生社会政策」を掲げ、住民参加で、「地域生活課題」を明らかにして「地域福祉計画」の策定を求めている。
〇筆者は、その「地域生活課題」に関し、疑義を呈し、「地域社会生活課題」ではないかと述べてきた。それというのも、庶民の地域社会生活に関わる側面を考えないと地域福祉は展開できないと考えてきたからである。
〇今回、『ええじゃないかー民衆運動の系譜』(西垣晴次著、講談社学術文庫)を読んだ。お伊勢信仰とお陰参りと大政奉還された慶応3年に起きた「ええじゃないか運動」とを天連動させて考察された著書で、民衆の生活不安、治世への不満、不満を発散させる方法としての踊りと信仰との関係等を考えることができ、とても参考になった。
〇丁度、11月6日に中根千枝先生の訃報が報道された。1990年代に中根千枝先生の「タテ社会の構造」を基に地域福祉実践と研究を考えた頃を思い出し、改めて地域福祉実践、研究の奥の深さと難しさをかみしめている。

Ⅱ 『新ノーマライゼーション』2021年10月号(公益財団法人日本障害者リハビリテーション協会発行)

〇今月号は、「災害対策基本法の改正による個別支援計画の作成促進について」、「精神障害者にも対応した地域包括ケアシステムが目指すモノ」、ロービジョンの障害者が使いこなす「iPhoneは暮らしの必須アイテム」、難病のME(筋痛性脳脊髄)・CFS(慢性疲労症候群)の患者さんの「医療難民、福祉難民からの脱却を目指した10年間――療養に専念できる環境を求めて」等が掲載されており、大変参考になった。
〇ソーシャルワーカーはマイノリティという用語をよく使うが、果たしてどれだけ難病の患者さんも含めてマイノリティのことを知ろうとしているのか、大いに反省させられた。

(2021年11月6日記)

老爺心お節介情報/第31号(2021年9月20日)

「老爺心お節介情報」第31号

―井上英晴先生の「岡村重夫理論」の考察を読んで―

〇井上英晴先生の存在を認識したのは。先生が福岡県嘉穂郡穂波町社会福祉協議会の福祉活動指導員として、産炭地における生活課題に取り組んだ実践レポートを読んだことが最初であると記憶している。
〇その後、井上先生が大学院での論文を基に刊行された『福祉コミュニティ論』を読み、それを日本社会事業大学の大学院で教材文献として紹介し、その批判検討をした記憶がある。その本では、井上先生は、大橋謙策の福祉コミュニティ論の考え方は間違っていて、岡村重夫の福祉コミュニティ論が正しいと、大橋謙策論文を批判していながら、最後は大橋謙策の考えを何か肯定しているかのような論説の仕方をされていたことを思い出している(手元にその著書がないので確かめていない)。
〇この度、井上英晴先生が鳥取大学を退職して、高松大学発達科学部に移られてから書かれた、以下の論文を読み、久しぶりに“知的好奇心と興奮”を覚えたので、その一端を紹介したい。

①『岡村重夫の生活者原理(社会福祉の援助原理)には個別性の原理が含まれるのか』(高松大学研究紀要第51巻、P1~21、2008年投稿、
②『岡村重夫なのりこえられたかーー「地域社会関係(原理)」について』
(高松大学研究紀要第52=53巻、P1~24、P39~80、2009年投稿)
③『岡村重夫による和辻哲郎の需要と批判』
(高松大学研究紀要第56―57巻、2011年投稿)
④『死あるいは死ぬということと、岡村重夫の死の援助』
(高松大学研究紀要第58―59巻、P1~56、2012年投稿)

〇井上英晴先生は、岡村重夫先生の(岡村重夫講演「現代の社会福祉の特徴」『大阪市社会福祉研究』特別号、2002年、大阪市社会福祉協議会・大阪市社会福祉研修センター) “日本の研究者を見ていると、社会福祉の問題は一体何なんだということが研究されていない。社会福祉の本がたくさんあるが、どれを見ても全くつまらない。中身は大学の先生なんかが来ているんですけども、みんな紙屑みたいなものだと思いますね。・・・見たら全くつまらない。お金と時間のムダなんですね。それは何故かというと、社会福祉の「固有性」、社会福祉は何なのかということ、他のものとは違う、ここに特色があるんだということが研究されていない・・・福祉がなければ社会がつぶれてしまうという、そういう必然性があるんだということを証明していかなければならない”という言説を引用しつつ、岡村重夫先生の理論を多角的に、多面的に検討した論稿を書かれている。
〇上記した大学紀要の論稿はいずれも長文で、引用文献も哲学分野も含めて、多面的に引用されて、諸々の論説を丁寧に批判検討されている。先に述べた岡村重夫先生の言説の持つ意味を多くの社会福祉研究者並びに地域福祉研究者に考えて欲しいと思った。

①の論稿では、私は個別性が問われるのは“支援する側”の視点であり、“主体性”はサービスを必要とする人の側の論理であり、その両者の“合意”が重要であると考えた。訓詁学的に論議をするのではなく、“求めと必要と合意に基づく支援”の展開を心がける必要性を改めて感じた。
②の論稿では、岡本栄一先生の論説を巡っての検討であるが、そもそも岡本栄一先生の論説の立論に問題があると私は考えており、1970年代の岡村重夫先生のコミュニティケアの考え方や私の「施設の社会化論と福祉実践」(1978年)で書いた域を超えてはいないと感じた。
③の論稿は、岡村重夫理論が和辻哲郎の考え方を援用したものだということがよく分かった。ただ、主体性についての岡村重夫理論の考察はやや浅く、岡村重夫はどうしたら主体性が確立できるのかについて論説しきれていないことをもっと深めるべきではなかったかと感じた。この点は、戦前の海野幸徳等の積極的社会事業論との関係なども深めるべきではなかったかと感じた。
④の論稿は、岡村重夫の「死の援助」についての言説(岡村重夫は「死の援助」――死の相談を受けられないソーシャルワーカーは落第―と述べている)であるが、学生の「死の援助」に関わるレポートも引用しながら展開しており、福祉教育の教材、方法論の上でも考えることが多々ある論文である。ここでも、岡村重夫の社会福祉の「固有性」について論じている。

〇井上英晴先生のこれら一連の論稿は、今日の地域共生社会政策を考える上で、とても考えさせられる論点が多く含まれている。
〇老爺心お節介情報」第30号で書いた、特例貸付の方々や生活のしづらさを抱えた人日を支援する際に、その事象のみに囚われず、それらの事象を引き起こす社会構造が、ある人には強く働き、ある人は乗り越えるという“違い”を意識しつつ、それらの人々への支援のあり方を考えることこそが、対人援助としての社会福祉の「固有性」であると改めて考えた。「老爺心お節介情報」第30号共々読んで頂きたい。
〇また、私は、岡村重夫理論については、その原著は読んできたし、松本英孝著『主体性の社会福祉論――岡村社会福祉学入門―』(法政出版株式会社、1999年)や『岡村理論の継承と展開』善4巻、ミネルヴァ書房、2012年)も読んで、それなりに理解してきたつもりではあるが、こういう見方、考え方もあるのかと改めて岡村理論を見直す機会になった。

(2021年9月20日記)

老爺心お節介情報/第30号(2021年9月6日)

「老爺心お節介情報」第30号

Ⅰ 「新型コロナウイルス感染症特例貸付に関する社協職員アンケート報告書」(2021年8月、関西社協コミュニティワーカー協会)の感想

〇以前から、兵庫県社会福祉協議会の広報紙に掲載されていた特例貸付に関する社会福祉協議会職員の取組の姿勢、考え方に共感しており、私の知っている関係者にもそれを情報共有させてもらってきていた。
〇また、同じような思いから、私が関わっている富山県や香川県等の関係者に、この特例給付事業を単なる“貸付”に終わらせることなく、この事案は社会福祉協議会にとって“宝の山”と考えて、これらの問題に対応できるように社会福祉協議会の活動、組織を見直すべきだと言い、特例給付関係の資料の整理の必要性を述べてきた。
〇この報告書の「自由記述欄」に書かれていることは、まさに社会福祉協議会の活動のあり方を考え直すヒントがたくさんある。新型コロナウイルスの件に伴う生活困窮の問題は、かつて1960年代に江口英一先生が指摘していた「不安定就業層」の問題であり、それがリーマンショックの時と同じように、顕著に表れたと考えている。この対策は、経済的支援の問題が最も重要ではあるが、それ以外に、今日の生活困窮者自立支援法で問題にしている課題や地域でのソーシャルサポートネットワークの脆弱性にも社会福祉関係者は目を向けるべきである。その点を社会福祉協議会関係者が最も関心を寄せるべき点であり、その上で、それらの課題にどう対応してきたのか、反省も含めて組織のあり方を考え直すべき課題であると思っている。その点で、P.128~9の自由記述の欄の内容とP.144の第1章のまとめ、P.150の第2章のまとめとの間にはやや齟齬があると思えた。経済的給付に関わる制度及びその対応体制の問題と“生活困窮を抱えている人へのソーシャルワークアプローチ”とは、意識して分けて考える必要がある。私は、後者の問題を重視し、そのソーシャルワークアプローチができないと、今後社会福祉協議会は生き残れないと考えている。それらの点について、大いに論議したいものだと思った。

Ⅱ 『生活クラブ千葉グループの挑戦――生協がなぜここまでやるのか』(2021年8月、中央法規、2000円)の感想

〇従来の消費者生協とはやや異なる発想で、住民の多様な生活課題に対応してきた「生活クラブ生協」の実践をまとめた本である。千葉県の生活クラブ生協の実践は、2000年代以降の千葉県における地域福祉に大きな影響をもたらした。時あたかも、労働者協同組合法が2020年12月に議員立法で成立し、2022年末までの施行となる。
〇韓国、ソウル市で実践している「ソンミソン」の実践も、一定地域に集積して、医療、芸術、コミュニティカフェ、学校などの多様な活動を重層的に、生協組織として展開している。ある意味、「コミューン」のイメージがあるとみてきましたが、それと同じような発想で生活クラブ生協は活動を展開しているのではないかと思った。

Ⅲ 『伴走型支援――新しい支援と社会のカタチ』(奥田知志・原田正樹共編著、有斐閣、2000円、2021年8月)の感想

〇生活困窮者支援法や地域共生社会政策作りに関わった研究者、実践家の“思い”が凝集された本である。社会福祉協議会関係者、地域福祉研究者は是非学んで欲しい。
その感想の一端を記しておきたい。

(1)生活困窮者、生活のしづらさを抱えている人を発見し、その人々との「つながり」を作り、信頼関係を構築して支援していく姿勢、哲学、関わり方の際の言葉遣いなどに込められた気持ちには学ぶことが多々ある。
(2)そのうえで、強いて述べるとすれば、ソーシャルワーク実践としての支援において、かつ地域福祉研究として深めなければならない点が幾つかある。

①生活のしづらさを生み出す社会的要因と個々の生活のしづらさを抱える人の問題とが、やや安易につなげて論じれている。同じ、社会的要因の中でも、その影響を“受けている”人は、どのような関り、個別要因が働いてそのような状況になったのかを丁寧に分析する必要がある。マス、マクロとしての社会的要因が、ある人には影響がさほどでなく、ある人には厳しく働いてしまう点へのアプローチ、分析を丁寧にする必要がある。そのことは、生活困窮者や生活のしづらさの“事象”を問題にするだけでなく、それらの問題を抱えている人の個人的要因とその人の置かれている社会的環境、要因との接点に関わるというソーシャルワーク実践の根幹の問題である。
②ソーシャルワーク実践には、生活のしづらさを抱えている人の生きる希望、生きる意欲、生きる見通しを引き出し支援する機能があり、戦前においてはそれを“積極的社会事業”として位置づけていた。このようなソーシャルワーク実践の歴史に触れることなく、“新しい支援”というのは、ソーシャルワーク研究をしてきたものにとっては悲しい。社会福祉の歴史も含めてソーシャルワークをきちんと学んで分析することが研究者としての務めである。
③「新しい支援」はどういうシステムで行われるべきなのか、その点での論述がない。「社会のカタチ」という言葉を使っているが、それはどのようなシステムを通して具現化されていくのか、地域福祉研究としては考えていかねばならない課題である。とりわけ、生活のしづらさを解決するために、厚生労働省も言っている参加支援、地域づくりをも考えた重層的支援では、地域におけるソーシャルサポートネットワークの構築に関わることが重要であると筆者は考えているが、それが「社会のカタチ」につながると思うのだが、論述がない。このことは、①の論点ともつながる。
④生活のしづらさの“事象”は、「ホームレス」(ハウスレスとは違う)やごみ屋敷といった“事象”に現れ、それを解決するために支援を展開することになるが、それらの“事象”を抱えている人の「生きづらさ」の実態、事象と「生きづらさの理解」(向谷地生良)はどれだけ深められて、かつ関係者の共有化が図られているのであろうか。その「生きづらさ」は、その人の生育過程にかなり関わる場合もあるし、その人の生活技術能力・家政管理能力との関りもある。また、それは、その人の人間関係、社会関係の持ち方にも関係があるのか、それとも自己表現能力との関りや自分の気持ちの言語化に問題があるのかといった要因が十分に分析(アセスメント)されず、“事象”の解決だけに目がむいてしまうことは、①の論点とも関わるが、ソーシャルワーク実践としては如何なものであろうか。
生活のしづらさを抱えている人々の特色的概況を社会福祉関係者が情報共有したうえで、個々の事案に“レッテル貼りで臨む”のではなく、その人の個人をよくアセスメントして対応することが肝要なのではないか。

(3)コミュニティソーシャルワークの特色は、生活のしづらさを抱えている人(経済的困窮者への経済的給付だけでは解決できない人、在宅福祉サービスなどの非貨幣的ニーズへのサービス提供(三浦文夫)だけでは解決できない“問題”を抱えている人)の“問題解決”(課題解決とは違う)において、制度化されたフォーマルケアサービスを最大限に活用しつつ、それと住民が有しているインフォーマルケアとを“有機的に結びつけて“支援を展開するところに特色がある。
したがって、コミュニティソーシャルワークは“個別支援と地域づくり”ではなく“個別支援を通して、その問題と切り結ぶことによる地域づくり、地域住民の意識変容を図る営み”である。そこがコミュニティワークとも違うところであるし、“地域を基盤としたソーシャルワーク”とも違うところである。
生活のしづらさを抱えた人への重層的支援の重要なポイントの一つは、この個別支援を通じて、その人の地域生活支援と社会活動支援を展開する上での地域のかかわり方、社会のかかわり方を変えていく営みである。

Ⅳ 雑感

〇このところ、司馬遼太郎の『峠』(新潮文庫、全3巻)や『山田方谷伝』(宇田川啓介著、上下、振学出版)、『山田方谷』(童門冬二著、学陽書房)を読んだ。幕末の混乱期に老中を勤めた藩の家老を勤めた山田方谷と河井継之助に関わる小説である。『峠』は越後長岡藩の河井継之助を取り扱ったもので、『山田方谷伝』、『山田方谷』は備中松山藩の山田方谷を取り扱っている。
〇これらの本を読んでいて、驚いたことは、幕末の歴史に登場している人間、例えば勝海舟、西郷隆盛、福沢諭吉、大久保利通らは、相互に訪問して、交流をしている関係にあったということを改めて認識させられた。幕末の力学に関しての自分の無知ともいうべきことを痛感した。江戸時代という交通が不便な時代に、お互いが切磋琢磨して、意見を戦わし、情報を収集し、行動規範を求めていたことは本当の驚きであった。
〇と同時に、福沢諭吉の『西洋事情』が当時15万部ともいわれるほど刊行されており、 多くの識者が“西洋事情”を知りながら、“尊王攘夷”を掲げた意味等を改めて考えさせられた。と同時に、地域づくりの持つ意味も考えさせられた小説であった。

Ⅴ シルバー産業新聞連載第9回

『地域共生社会づくりに必要な
新しい地域包括ケアシステムとコミュニティソーシャルワーク』

「地域共生社会政策」の理念である全世代対応型重層的・包括的支援を展開していくためには、新たな地域包括ケアシステムとコミュニティソーシャルワーク機能が必要になる。
新しい地域包括ケアシステムの構築には、現在の介護保険法に位置づけられ、全国に約4500ある地域包括支援センターが改組・発展整備されることが最も可能性のある取組であると筆者は考えている。
既存の地域包括支援センターは、市町村を基盤としつつ、日常生活圏域毎に既に設置されており、重層的支援の一つのシステムとして構築されている。その名称が“高齢者包括支援センター”でなく、“地域包括支援センター”と命名されたのは、厚生労働省の担当者がいずれは高齢者のみならず、子ども・家庭支援、障害者支援をもできるように考えて命名したと仄聞している。
市町村圏域では、障害者分野の支援における障害者相談支援専門員制度があるし、母子保健分野では子育て世代包括支援センターの制度等があるが、これらは日常生活圏域毎の展開にはなっていない。福祉サービスを必要としている人や家族の困りごとが、縦割りの社会福祉行政でたらい回しにされず、かつ家族全体の抱える問題に対し日常生活圏域においてワンストップで対応するシステムとして既存の地域包括支援センターを改組することが最も近道であり、それにより住民の距離的、心理的福祉アケセシビリティは格段に飛躍する。
新たな「地域包括支援センター」システムの運営においては、現在属性分野ごとに、かつ制度ごとに、その担い手である職員の養成・研修を行っている仕組み自体を変え、新たな「地域包括支援センター」を担える職員(ソーシャルワーカー)を育てなければならない。
筆者は予てより、日本には社会福祉行政を含めて社会福祉実践を担う分野横断的な一元的職員論がないことが問題であると指摘してきた。その職員は、地域自立生活を支援するために、地域のあらゆる社会福祉問題に最低対応できるジェネリックソーシャルワークによる職員養成が必要であると指摘してきた。と同時に、そのソーシャルワークを展開できるシステムを市町村に構築する必要性も指摘してきた(註)。
市町村の日常生活圏域ごとに構築される新たな「地域包括支援センター」には、従来にない新たな機能であるソーシャルワーク機能、とりわけコミュニティソーシャルワーク機能を遂行するできるシステムを構築することが求められている。
それは、①相談を持っているだけではなく、アウトリーチによる問題発見ができるシステム、②サービス提供だけでなく、伴走的、継続的支援ができるシステム、③複合的問題に対応する専門多職種のコーディネート機能ができるシステム、④住民のインフォーマルケアの力を醸成し、福祉サービスを必要としている人の個別問題解決につなげるコーディネート機能などである。
ところで、地域共生社会の理念である福祉サービスを必要としている人を孤立させず、それらの人々が地域から蔑視、排除することなく、地域、社会においてそれなりの役割を担い、社会的に評価される重層的、包括的支援を展開することが今喫緊の課題として求められている。
それを実現していくメルクマールは、福祉サービスを必要としている人や家族のソーシャルサポートネットワーク(情緒的支援、手段的支援、情報的支援、評価的支援の4つの機能)を地域で個別課題毎にどれだけ構築できるかである。
しかも、地域で暮らす単身の高齢者や障害者が増大していく中で、従来家族に依存していたゴミの分別、各種契約書類や行政からの書類の管理・申請手続き、預貯金の管理、時には入退院等に際しての保証人の有無、更には看取りや葬儀、遺骨の取り扱い等の終末期ケアが日常生活圏域で社会的システムとして必要になってきており、新しい「地域包括支援センター」では、それらの課題にも対応することが求められている。
新しい「地域包括支援センター」に求められる機能を端的に述べるならば、「福祉サービスを必要としている人のナラティブを尊重した社会生活モデルに基づき、ICFの視点でケアマネジメントの手法を活用したコミュニティソーシャルワーク機能」であり、そこでは制度化されたフォーマルなサービスと近隣住民のインフォーマルケアとを有機化させる機能がシステムとして不可欠である。
筆者は、このような機能が求められる新しい「地域包括支援センター」ではコミュニティソーシャルワーク機能が必要であると考え、その養成・研修を全国各地で展開してきた。
これらのコミュニティソーシャルワーク機能の実践を展開していくためには、地域を基盤として成り立つ社会福祉法人としての市町村社会福祉協議会が大変重要なポジションにある。
全国の市町村社会福祉協議会が、これらの課題に堪えられるように、現状の“行政以上に官僚的な組織で、硬直した姿勢”と揶揄される状況からどう脱皮し、社会福祉協議会の組織としても、職員個々人の資質としてもコミュニティソーシャルワーク機能を具現化できる力量をどう高めて、新たな「地域包括支援センター」の一翼を担えるかが大きな課題である。
全国的には、「まるごと相談員」やコミュニティソーシャルワーカーを日常生活圏域に配置して、その取組を展開している市町村社会福祉協議会がみられるが、全体的には未だ十分とは言えない。福祉サービスを必要としている人を地域から排除せず、地域で包摂できるようにするためにも、ソーシャルサポートネットワークを身近な地域で構築できる可能性を秘めている市町村社会福祉協議会への期待は大きい。

(註)筆者は日本学術会議の第1部会員をしている2003年に、「ソーシャルワークを展開できる社会システムづくりへの提案」を日本学術会議の対外報告として取りまとめ、全国の市町村に配布をした。

(2021年9月6日記)

老爺心お節介情報/第29号(2021年8月15日)

「老爺心お節介情報」第29号

〇新型コロナウイルスの感染急拡大の上に、酷暑、豪雨と日本は、地球はどうなったのでしょうか。
〇残念ながら、日本地域福祉研究所の第26回地域福祉実践研究セミナーin花巻は、岩手県、花巻市が新型コロナウイルスの状況がステージⅣになったことから中止になりました。足掛け4年に亘り準備してきてくださった花巻市社会福祉協議会の皆様の無念さを思うとなんとも辛いです。この間の準備に、心より感謝とお礼を申し上げます。
〇今後とも、花巻市社会福祉協議会のコミュニティソーシャルワーク実践が豊かに展開されることを祈念すると同時に、機会があればいろいろお手伝いしたいと思います。
〇「老爺心お節介情報」29号は、その花巻市でのセミナーで、紹介しようと思った「福祉でまちづくり」の農村型原型に関するレジュメとシルバー産業新聞連載の8月分の拙稿です。
〇もう一つの情報は、福祉教育・ボランティア学習に関心のある人の必見の論稿です。その文献を紹介しておきます。
(2021年8月15日、平和を祈念して)

Ⅰ 「福祉でまちづくり」の農村型原型――地域福祉実践の一つの原点

※松田甚次郎著『津に叫ぶ』は、既に著作権が切れており、PDFでダウンロードできるようです。是非、読んでください。花巻市社会福祉協議会地域福祉課の根子裕司課長がダウンロードしてくれました。
(根子課長より)
参考までに、資料データをギガファイル便にアップいたしました。データ容量が20MBで、メールに添付できませんでした。
アドレスはつぎのとおりです。https://xgf.nu/8Ek4

「福祉でまちづくり」の農村型原型――地域福祉実践の一つの原点

1 井上 亀五郎『農民の社会教育』1902(明治35)年
農村社会の改良拠点としての公会堂――公談場、共同遊戯場、共同宴会場、展覧会

2 横井 時敬『模範農村』1907(明治40)年
公会堂――レストラン、風呂、図書館、遊技場
※東京大学教授、東京農業大学の共同創設者(榎本武揚)
3 島木健作『生活の探求』初版1937(昭和12)年6月
『続 生活の探求』初版1938年(昭和13)年6月
※香川県三木町で農民組合の書記、転向後作家生活――川端康成、林房雄と交友
4 松田甚次郎『土に叫ぶ』初版1938(昭和13)年5月、羽田書店
『続 土に叫ぶ』初版1942(昭和17)年

#1 松田甚次郎(1909年~1943年)、山形県稲舟村鳥越(現新庄市)で出生、盛岡高等農林学校卒業、宮沢賢治に師事
#2 鳥越隣保館を設置(1933(昭和8)年起工、1937(昭和12)年落成)
#3 農繁期共同保育所、出産相扶会、共同浴場、最上共慟村塾等を組織化――山形県社会課社会事業主事永田誠氏(社会事業主事補 大正15年~昭和7年、社会事業主事 昭和13年~14年)が支援。
#4 農村劇36回上演
#5 『土に叫ぶ』の出版社、羽田書店は元総理大臣羽田孜氏の父親で衆議院議員
羽田武嗣朗氏が社長。

(参考文献)
大橋謙策著「戦後地域福祉実践の系譜と社会福祉協議会の性格及び実践課題」
(『地域福祉史序説』日本地域福祉学会編、中央法規、1993年所収)

(2021年8月1日記)

Ⅱ シルバー産業新聞連載第8回

「地域福祉に必要なシステムづくりと地域包括支援センターの原型」

筆者は、1960年代末から、社会福祉学の中でも地域福祉に関する実践的研究を行ってきた。従来の社会福祉実践が「福祉六法体制」と呼ばれるように“縦割り“的に社会福祉法制の枠内でのみ行われ、かつサービスを必要としている人が法制度が定めたサービス利用要件に該当するかどうかを判定するシステムであったのに対し、地域福祉は当時、”社会福祉の新しい考え方“と考えられ、なおかつ地域福祉に関する法体系もないことから、地域福祉実践は社会福祉制度の枠内での実践だけではなく、住民のニーズに対応して新しいサービスも開発する、最もソーシャルワーク実践を行なえる領域だと考えたからである。
その新しいシステムは、地域福祉の理念である地域での自立生活を支援するシステムである以上、地方自治体レベルで、地域の実情に即して創造していくことが求められると考え、筆者は全国の地方自治体で地域福祉に関するシステムづくりを実践的に研究してきた。
と同時に、地域での自立生活を支援するということは、属性分野ごとの単身者に対応する「福祉六法体制」ではなく、問題を抱える単身者は固より、同居している家族全体を考えた対応が求められるし、中には、家族の構成員が複数で、複合的問題を抱えている世帯もある。したがって、地域福祉における新しいサービスやシステムの開発は世帯全体にも対応できる、分野横断的システムでなければならない。
現在進められている「地域共生社会政策」の具現化は、地方自治体の地域状況に即して新しい包括的、重層的支援ができるシステムをどう創るかが課題である。筆者は、その政策の具現化の要は、現在全国に約4800か所設置されている「地域包括支援センター」が分野横断的なワンストップサービスの拠点機関として、かつ包括的、重層的支援の要の役割を担えるかが大きな課題だと考えている。
地域包括支援センターは、2006年に介護保険制度が改正され、位置づけられた。市町村を複数の日常生活圏域に分け、その圏域毎に地域包括支援センターを設置し、保健師、社会福祉士、主任介護支援専門員を配置するシステムは画期的な取り組みであり、地域包括ケアの新たな一歩を踏み出したと位置づけても過言ではないと考えている。
筆者は、この地域包括支援センターのシステム的モデルは、長野県茅野市が2000年4月から発足させた茅野市保健福祉サービスセンターシステムであると考えている。
目黒区では、1990年に法定化された老人保健福祉計画を2017年に社会福祉法改正により“上位計画”とされた地域福祉計画と同じ考え方で、障害児者も子育て問題も視野に入れて、住民の地域での自立生活を分野横断的に支援する地域福祉計画として位置づけ、住民参加で策定した。当時目黒区は人口26万5000人で、保健所が2つ、福祉事務所が1か所あった。それを再編・改組するために、区内を5地区に分けて、各圏域に保健福祉サービス事務所を設置し、住民の身近なところ(福祉アクセシビリティ)で、保健と社会福祉が統合的に相談、支援できるシステムとした。
また、1994年には、東京都児童福祉審議会において、筆者は専門部会長として東京都内の区市町村における“子育て支援のシステム”創りを提言した。子育て分野は家庭の私事性が強く意識され、高齢者分野、障碍者分野に比して地域での自立生活を支援する在宅福祉サービスという考え方が弱かった。実態は、問題を抱える児童、家庭への“点と点”でつながる支援システムで、療育、法的措置、保護を中心としたサービスシステムで、その代表が児童相談所という位置づけであった。
しかしながら、家庭や地域での子育て能力が脆弱化している状況を踏まえると区市町村レベルで、保育所だけでない、多様な子育て支援のサービス開発と相談・支援体制を構築することが重要であると考えていた。そこで、子育て支援が必要な家庭の近くである東京都の全区市町村に子ども・子育て問題の総合的相談、支援システムとして「こども家庭支援センター」を構想した。その「子ども家庭支援センター」には、社会福祉士、保健師、保育士を配置し、チームで相談・支援の対応をすることを求めた。この「こども家庭支援センター」は急速に整備され、都内全区市町村に58か所設置された。
「地域包括支援センター」の原型は、これらの自治体における新しいシステムづくりの実践を踏まえ、長野県茅野市の地域福祉計画づくりの中で、提案し実現できた。
茅野市の地域福祉計画は、当時の諏訪中央病院の鎌田實院長や医師会の土橋善蔵会長を中心に、100名を超える委員が手弁当で、足掛け3年間に延べ400回を超える委員会を開催し取りまとめられた『福祉21ビーナスプラン』に盛り込まれ実現する。
茅野市は当時人口5万7000人の人口で、中学校が9校ある広大な市域であるが、その市内を4つの在宅福祉サービス地区(現在の日常生活圏域)に分け、その圏域ごとに保健福祉サービスセンターを設置し、社会福祉行政職員、市保健師、市社会福祉協議会職員を配置し、チームで仕事をする、世代横断的なワンストップの総合相談体制と地域へ出張っての問題発見機能を統合的に展開するシステムにした。筆者は、茅野市福祉行政アドバイバーとして関り、目黒区や東京都の実践を踏まえて、このシステムづくりをした。
これからの社会福祉は、出されてきた国の政策に敏感に対応するだけでなく、地方自治体の属性に即して、地方自治体が新しい地域自立生活支援のサービスやシステムを開発していく時代である。

#1、筆者が、各自治体でどのような取り組みをしたかは、『コミュニティソーシャルワーク』(中央法規で販売)第26号、27号で論述しているので参照願いたい。
#2、茅野市のシステムづくりは『福祉21ビーナスプランの挑戦』(中央法規、2003年)を参照願いたい。

Ⅲ 渡邊 琢「言葉を失うとき―相模原障害者殺傷事件から二年目に考えること―」 雑誌『世界』2018年8月号、岩波書店

『障害者の傷、介護者の痛み』(2018年、青土社)所収

※大熊由紀子先生の「ゆきのえにしメール」(7月22日付け)からの情報

(2021年8月15日記)

老爺心お節介情報/第28号(2021年7月22日)

「老爺心お節介情報」第28号

〇梅雨が明けて、猛暑の日々が続いていますが、皆さんはお変わりなくお過ごしでしょうか。
〇私は、6月末から、新型コロナウイルスの件での自粛生活が続くので、時間的ゆとりが持てるようになりましたので、近くのパソコン教室に通っています。1990年頃にワードプロセッサーを使い始め、2000年頃にパソコンを使い始めましたが、いずれも見よう見まねで、本格的に基礎から体系的に学ぶことはありませんでした。分からないところは周りの人に聞いてやってきましたが、今回改めて習い始めて、用語やマークの意味が初めて分かり、こういうことだったのかという納得と新たな技術習得でパソコンに向かうのがさほど怖くなくなりました。
〇また、スマホ教室にも通い、こちらもこういう機能があったのだと妙に納得し、喜んでいます。
〇ただし、これらの技術や知識は面白く、楽しいですが、自分の日常の生活ではあまり使う機会がなく、やはり自分の生活と生活の行動上に必要な最低のものがあればいいのだとも実感しています。
〇しかし、これらの技術と知識を有しているかどうか、使えるかどうかは国民に新たなITリテラシー格差を生み出し、ひいてはそれが生活格差になることも実感しています。
〇DX時代といわれ、社会福祉学や社会福祉実践はどこへ行くのでしょうか。
〇「老爺心お節介情報」第28号の内容は以下の通りです。

Ⅰ CSWパワーアップ研修の方法と手順(コンサルテーション)

CSWパワーアップ研修の方法と手順(コンサルテーション)

コミュニティソーシャルワークの養成研修は、できるだけ社会福祉士や精神保健福祉士の有資格者を原則とし、別記の(初任者版CSW研修における事例検討の方法とアセスメント能力向上研修)の項目、手順、方法に基づいて研修を行って欲しい。
そのうえで、そのコミュニティソーシャルワーク研修修了者を対象とした研修(パワーアップ研修)では、コンサルテーションという機能を重視して研修を行って欲しい。
その際には、①個別支援の事例に即した問題解決プログラムの開発能力、その問題解決に即した新しい福祉サービスの企画力(抽象的、一般的地域資源の開発はダメ。個別支援に即して必要な地域資源、新しい福祉サービスの企画力を修得する)、②個別事例で提起された新しい問題の解決策として必要な新しいシステムづくりに関する企画力を高める研修を意識してほしい。
それが、“個別支援と地域づくり”という二元論ではなく、“個別課題の解決を通して地域を変える”という「地域共生社会政策」のポイントである。
CSWパワーアップ研修においては、別記の(初任者版CSW研修における事例検討の方法とアセスメント能力向上研修)を既に受講していることを前提に、下記の主に4,5,6の項目を重点的に展開する。復習の意味も兼ねて下記の1,2,3を再度行う。
このような研修をするにあたっては、従来、社会福祉方法論の領域で使われてきたスーパービジョンという用語は使用しないでいただきたい。コミュニティソーシャルワーク研修の中核的修得課題に即していえば、問題解決プログラムの開発、新しい社会福祉システムづくり、あるいは新しい財源確保や地域資源の開発にかかわる能力の向上を図る目的、内容からいえば、スーパービジョンという用語は馴染まず、コンサルテーションという用語がふさわしい。

(研修の方法と手順)
1 履修者に個別支援の事例を提出させる。
2 提出去れた個別事例の中から、ワークショップを行うグル-プ数に見合う事例を選択する。できるだけ、多領域の事例、困難事例を取り上げる。
3 ワークショップごとに取り上げて事例に即し、アセスメント能力の向上を図る
以下の手順を、まず個人作業として行い、その後グループごとのワークショップとして行う。

1)事例に即し、担当したソーシャルワーカーが何をアセスメントしたかを項目毎にポストイットに書き出す。
2)事例検討者が、事例を扱ったソーシャルワーカーのアセスメントが不十分なところで、かつ必要な項目ごとに、色違いのポストイットに書き出す。
3)上記1)、2)のポストイットを拡大した「社会生活モデルアセスメントシt-ト」に張り付ける

4 事例が抱える問題を解決するための望ましい支援方針を立案する。その際に、既存のサービスになく、問題解決に必要な解決プログラムや新しい福祉サービスを考え、それをポストイットに書き出し、先の「社会生活モデルアセスメントシート」に貼る。
5 問題解決プログラムや新しい福祉サービスについて、シートに基づき企画する。
6 問題解決の一つとして、その事例に即し、どのようなソーシャルサポートネットワークを構築すればいいのか、そのソーシャルサポートネットワークの構築に向けての企画書を作成する。

(初任者版CSW研修における事例検討の方法とアセスメント能力向上研修)
① 取り扱う事例の概略の説明を受ける。
② その概略化された事例に基づき、何がアセスメントされているかをその項目ごとに付箋(ポストイット)をつけて確認する。
③ 概略化された事例に対し、支援する場合に、アセスメントできてない、アセスメントした方がいいと思える項目を付箋の色を変えて書き出す。
④ 第1回目のアセスメントの付箋と第2回目のアセスメントの色違いの付箋の両方を、KJ法的に分類する。
⑤ KJ法的に分類したものを「社会生活モデルに基づくアセスメントシート」に貼り付け、自分のアセスメントの足らないところを自己認識する(「社会生活モデルに基づくアセスメントシート」は付箋を貼りやすいように、少し大きめの版で印刷してほしい。模造紙までとは言いません)。
⑥ 概略化された事例は、実際にはどうであったのかを事例発表者に改めて説明してもらう。
⑦ 新たに説明された事例に基づき、今度はグループごとに事例に対する支援・援助方針を立てる。
⑧ その際に、事例検討者個々人が気が付いておらず、グループ討議の中で出てきたアセスメントの項目については、前2回のアセスメントとは色違いの付箋で、シ-トに張り付ける。
⑨ 取り上げた事例ごとの支援・援助方針を各グループから報告してもらい、アドバイザーのコンサルテーションを受ける。
⑩ 取り上げた事例への支援・援助において、既存のサービス、社会資源がない場合には、それらのサービス、社会資源を簡略的に、箇条書きで書き出す。
⑪ 初任者は、①~⑩を丁寧に行った上で、困難な事例に即し「問題解決プログラムシート」に基づくプログラムの企画と個別事例に即した「ソーシャルサポートネットワーク構築シート」に基づく支援方策を企画する。

Ⅱ シルバー産業新聞連載記事第7回

「地域包括ケアの歴史的展開と地域社会生活支援」

厚生労働省は2016年7月に「地域共生社会実現本部」を立ち上げ、それ以降「地域共生社会政策」を推進している。その政策に先駆けて、厚生労働省は2015年に「医療介護総合確保法」を成立させ、いわゆる2025年問題(団塊の世代が後期高齢期になる2025年の介護問題)を見越して、日常生活圏域でのケアの一体的提供をするために、医療、介護、福祉の連携を強化させることを目的にした政策を推進すると同時に、“地域包括ケア”という用語をしきりに使用することになる。この“地域包括ケア”と“地域共生社会政策”という用語との関係が国会審議の過程において問われ、厚生労働省は、“地域共生社会政策は、地域包括ケアを包含したものである”と答弁している。
戦後70年間、社会福祉行政は「福祉六法体制」と呼ばれたように、属性分野ごとに細分化された“社会福祉行政の縦割り化”が進んでいたが、地域での自立生活が可能になるように支援していくためには、複合的課題を抱えた個人や家族全体に対し、総合的に相談支援していくことが求められ、現在「地域共生社会政策」の下で、様々な取り組みが展開されている。
2017年の社会福祉法改正では、地域生活課題の解決に資する支援が包括的に提供される包括的支援体制整備を努力義務として規定した。2020年の社会福祉法改正では、包括的支援体制を強化するための機能が法定事業になり、市町村が認める場合には市町村の責任において地域住民に対して包括的支援ができることが明記された。と同時に、その包括的支援をするために、介護、障害、子ども、生活困窮の分野からの財源拠出等の財政支援を定め、それらの制度の一体的運用・実施もできるようにした。
また、地域共生社会政策を推進するために、包括的支援を行うとともに、福祉サービスを必要としている人々を地域で早期に発見し、それらの人々が地域社会から蔑視されず、排除されず、それらの人々の個人の尊厳と人間性が尊重され、社会、地域において社会的役割を担い、地域社会を構成する一員として認められ、包含されるように、個別支援とそれを支える地域づくりを一体的に展開する重層的支援体制整備事業も位置づけられるようになった。
これらの考え方、政策はある日突然出てきたわけではない。これらの課題への取組は歴史的に常に問われ、実践もされてきた問題であった。
地域包括ケアシステムに関わる歴史的ベクトルは大きく2つある。第1のベクトルは、医療系を中核としたベクトルで、古くは1950年代の長野県の佐久病院の若月俊一医師による医療、保健、福祉、社会教育の連携システムに基づくベクトルや1970年代広島県御調町の山口昇医師による病院を拠点としたシステムのベクトルが有名である。この医療系を中核としたベクトルにはもう一つの流れがあり、1970年代秋田県象潟町、高知県西土佐村での宮原伸二医師による実践や兵庫県五色町で展開された松浦尊麿医師の実践で、地域保健を中核とした実践であった。
第2のベクトルは地域福祉系のベクトルで、1994年設置の岩手県遠野市「健康福祉の里」(国保診療所併設)におけるワンストップの相談システムや2000年実施の長野県茅野市における保健・医療・福祉の複合型拠点(内科クリニックを併設した保健福祉サービスセンター)を中学校区という4つの日常生活圏域毎に設置し、かつ社会福祉協議会が実践するコミュニティソーシャルワーク機能と有機化させるシステムを創った実践である。
ところで、“地域包括ケア”とか、“地域共生社会政策”とかが掲げる福祉サービスを必要としている人々への縦割りの属性分野を越えて福祉サービスを総合的に、かつ医療、介護と一体的に提供するという考え方は崇高であるが、その実現はそう簡単ではない。
地域包括ケアシステムを構築する際の保健・医療・介護・福祉の連携を阻む要因が幾つかある。その主なものを挙げると、①医療・保健・福祉・介護に関わる財源が一元的でない調達問題(税金による一般会計財源、医療保険財源、介護保険財源の違い)、②保健・医療・福祉・介護に関わる利用圏域(広域圏域、一部事務組合、市町村圏域、日常生活圏域)の違い、③介護保険事業計画、医療計画、健康増進計画、地域福祉計画・障害者福祉計画・子ども子育て支援計画等の各種保健・医療・福祉に関わる計画の整合性の問題等が挙げられる。
地域での自立生活支援においては医療的ケア児の問題、一人暮らし高齢者や一人暮らし障害者の入退院支援や看取り支援、あるいは認知症高齢者の支援、難病患者や若年性がん患者の療養と生活支援等、今日では益々医療・介護・福祉・保健を一体的に考えて提供するシステムや考え方を推進しなければならないところに来ている。
今や、急性期医療だけでなく、慢性期医療が社会的に大きな課題になってきている時に、病院での治療を中心に考えた「医学モデル」での対応だけでは問題が解決しない。治療ということも包含して、その人の生活全体を考え、アスメントし、支援方針を考えるという「社会生活モデル」に基づく支援が必要とされており、そのための専門多職種連携、チームアプローチが求められている時代である。
そのためにも、市町村ごとに、医療・介護・福祉・保健の一体的提供のシステムを考えた「地域福祉計画」の策定が重要になる。

(2021年7月22日記)

老爺心お節介情報/第27号(2021年7月3日)

「老爺心お節介情報」第27号

〇7月に入り、各県でのCSW研修などが開始され始めましたし、各地での地域福祉実践セミナー開催の情報も届くようになってきました。
〇皆さんの地域での新型コロナウイルスの感染状況や新型コロナウイルスのワクチン接種の進捗状況は如何でしょうか。
〇私は、インターネットをそれなりに使えますが、それが使えるからと言って、ワクチン接種の予約をインターネットで取ることに“抵抗感”があり、“IT弱者の高齢者”の方の“思い”を少しでも分かろうと考え、電話のみで予約しようと試みてきました。結果は、当初7月15日と8月5日と言われましたが、後に少し早まり、結果的にワクチン接種は第1回目が7月5日、2回目が7月26日になりました。妻からは責められましたが、インターネットは使わずに予約を行いました(インターネット予約のサイトは開いては見ましたが。電話が架からず、大変な状況でした)。
〇これからの社会、生活上でITを使えない高齢者や障害者はますます“不利”になっていきます。それを社会福祉関係はどう考え、どう対応しようとしているのでしょうか。
〇 今回の「老爺心お節介情報」は以下の通りです。

Ⅰ 「障害者権利条約 日本の初回審査とパラレルレポート」(『新ノ-マライゼーション』2021年6月号、公益財団日本障害者リハビリテーション協会発行)

日本は障害者の権利条約を批准しましたが、その実施状況を審査する初回審査が予定されました。実際には、新型コロナウイルスの件で、その審査は延期されました。この初回審査に向けて、政府の報告書とは別に、国内の民間の団体が意見を述べることが規定されており、それが「パラレルレポート」と呼ばれているものです。
『新ノ-マライゼーション』2021年6月号では、「日本の初回審査とパラレルレポート」(長瀬修)、「JDF総括所見用パラレルレポートについて」(佐藤聡)
「障害者権利条約についての日本弁護士連合会の活動――あらゆる差別や人権侵害からの救済とパラレルレポートの作成―」(野村茂樹)の3つの論稿が収録されています。
この論稿の中で、「地域共生社会」の具現化、地域福祉実践において重要な項目をいくつか取り上げます。

① 国連の権利員会からの質問で、「自立した生活及び地域社会への包容」について、「未だ施設にいる障害者、施設から退所した障害者と彼らの現状について、とりわけ性別、年齢、居住地、支援提供の有無によって分類した数値」に関する情報を政府に求めています。――「地域福祉計画」策定時に、地域で一人暮らししている障害者の人数、その障害種別を全国の地方自治体が把握していないことは以前の「老爺心お節介情報」で指摘した通り。
② 日本では成年後見制度で良かれとおもっている関係者が多いが、障害者権利条約では、このような代理決定は認められておらず、“後見制度下にある人達を対象に、支援付き意思決定支援への転換”の指摘。
③ 政府から独立した「権利条約の実施及び監視に関する機関」の設置―――日本にはない。
※1992年に、私がイギリスの在外研究で訪ねたたロンドンのある区では、区長直結のポストがあり、その人は障害を有していた人で、その区のあらゆる政策、事業、条例に関し、障害者に不利益になっていないかをチェエクする機能、役割、権限を担っていたことに驚いたことがあった。
④ 手話言語の認定に関すること。
※ 私も含めて、地域福祉関係者はどれだけ障害者分野が大きく変わり、かつ従来の“障害者福祉”では対応できない課題があることを理解したうえで、地域福祉実践や地域福祉計画づくりを考えているであろうかーー自省的省察。

Ⅱ シルバー産業新聞連載記事第6回

「国際生活機能分類(ICF)と自立生活支援」

社会福祉分野は人力によるサービス提供が、人にやさしいサービスであるという呪縛に長らく囚われてきている。その結果、サービス従事者の腰痛等を引き起こし、介護現場はきつい労働現場というイメージを作り、“3K職場”と言われるようになってしまった。
他方、社会福祉分野は、身体機能の診断とその対応策について1980年に世界保健機関(WHO)が制定した国際障害分類(ICIDH)による失われた機能を補完するという医学モデルに囚われ、その人々の生活環境を改善して、生活の質(QOL)を高め、その人の自己実現を豊かに図るという社会生活モデルからの発想、視点は弱かったと言わざるを得ない。
1990年の社会福祉関係八法改正や戦後の社会福祉行政の基礎構造を改革したといわれている2000年の社会福祉法への改称・改正により、今日の社会福祉における「自立」の考え方は、今までの連載でも指摘してきたように、憲法13条に基づく国民の幸福追求権を前提に福祉サービスを必要とする人の人間性の尊重及び個人の尊厳を踏まえた地域での自立生活支援へと転換された。
従来の社会福祉における「自立」観に大きな影響を与えていたのは、1980年に世界保健機関(WHO)が定めた国際障害分類(ICIDH)であった。それは、身体的機能障害に着目し、それを固定的にとらえ、身体的機能障害があるとそれがその人の能力不全につながり、ひいては社会生活上の不利を産み出すという考え方であり、かつその3つの機能の相関性が強いと考えられた。そこでは、身体的機能障害を医学的に診断することが前提になる。しかも、それらの診断は本来あるべき身体機能が欠損しているというどちらかといえばマイナス的側面に着目した診断と言えた。
ICIDHが2001年にICF(国際生活機能分類)に改訂された。ICFは、その人の身体的機能障害の診断もさることながら、その人の能力不全や社会生活上の不利になる要因として、その人の生活環境にも大きな要因があると考え、生活環境を改善することによりそれらの能力不全や社会生活上の不利を改善できると環境因子の重要性を指摘した。それは言葉を替えて言えば、身体的障害に着目することよりも、生活機能上の障害に着目する考え方であった。ICFという新しい考え方は、ICIDHが医学モデルと呼ばれたのに比して、社会生活モデルと呼ばれている。
その考え方は、何も身体的機能障害を有する人にのみ求められる対策ではなく、一人暮らし高齢者も生活のしづらさという生活上の機能障害を抱えるという意味合いで、支援・対策が必要となる。このように考えると今後は“障害”概念それ自体の見直しが必要になってくる。
総務省は、2021年10月に実施する「社会生活基本調査」の項目に、“心身の状態により日常生活に支障があるかどうか”を質問する項目を加えた。この“生活のしづらさ”を事実上加えたことは、従来のICIDHでなく、ICFの視点に基づいた“生活機能の障害”を問うもので重要な変更である。
病院での疾病治療や身体機能回復訓練としての狭義的な意味合いでの“リハビリテーション”、あるいは入所型社会福祉施設での生活を支援するという場合には、ある意味ICIDHの考え方で対応できたかもしれないが、今日のように地域での自立生活支援が主流になってきている時代においては、より生活環境を重要な要因として考えるICFが重要となる。今、進められているITや福祉機器の活用により、ケアの考え方も一変し、一種の“介護革命”ともいえる時代状況になってきている。
ところで、生活環境を整備しても、要は生活者である住民自身が自らの生活を改善、向上させようという意欲や意志がなければ生活は改善されないし、向上もしない。残念ながら、ICFは、“統計上の分類のための指標”という面があるので、当然のことながら個人因子である個人の意欲、意志、希望などは対象になっていないし、それらに影響を与えている個人の生活歴、生活体験なども指標に組み込まれていない。
また、生活者である住民の置かれている立場、社会環境ということについても考えられていない。つまり、その人が生活上「出来ること」と立場上「せざるを得ないこと」との違い、また、そのことに対して「する意欲があるかどうか」については整理しきれていない。地域での自立生活支援においては、立場上あるいは生活環境上「せざるを得ない」立場の人が生活上それができていないことが問題になるわけで、地域自立生活支援では、単純に身体的にできるかどうかというレベルだけでは対応できない課題を考えてサービス提供の在り方や生活環境を改善する必要がある。
地域での自立生活支援を促進するために、ICFの視点を踏まえた生活環境を変えるICTや福祉機器の役割は大きい。かつての肉体労働とは異なる、ICTを活用した労働の機会が増大している。また、ICTを活用しての意思表明やコミュニケーションが可能となり、自ら感じたことを自己表出させることも可能になる。さらには、座位保持装置や立位保持装置の活用、服薬管理を支援するロボット、脊椎損傷の方の食事介護ロボット等も自立生活支援に大きな役割を担える。
このように考えてくると、これからの福祉サービスにおけるアセスメントではどうICTや福祉機器を活用するかが問われることになり、介護支援専門員や障害者相談支援員の業務におけるICFの視点を踏まえたICTや福祉機器の活用が重要な、かつ大きな課題である。

(2021年7月3日記)

大橋謙策/第一回・第二回・第三回四国歩きお遍路紀行―人間像と地域福祉―

第1回四国歩きお遍路紀行/2010年9月20日~11月8日

第2回四国歩きお遍路紀行/2014年4月3日~5月10日

第3回四国歩きお遍路紀行(前半)/2020年4月3日~4月20日

第3回四国歩きお遍路紀行(後半)/2021年4月3日~4月28日

四国八十八箇所地図

(1)


第1回/第1日目

第2回/第1日目

第3回/第1日目(前半)

(2)


第1回/第2日目


第2回/第2日目

第3回/第2日目(前半)

(3)


第1回/第3日目

第2回/第3日目

第3回/第3日目(前半)


(4)


第1回/第4日目

第2回/第4日目

第3回/第4日目(前半)


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第1回/第5日目

第2回/第5日目


第3回/第5日目(前半)

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第1回/第6日目


第2回/第6日目


第3回/第6日目(前半)

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第1回/第7日目

第2回/第7日目


第3回/第7日目(前半)


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第1回/第8日目

第2回/第8日目


第3回/第8日目(前半)


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第1回/第9日目

第2回/第9日目


第3回/第9日目(前半)


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第1回/第10日目

第2回/第10日目


第3回/第10日目(前半)

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第1回/第11日目

第2回/第11日目


第3回/第11日目(前半)


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第1回/第12日目


第2回/第12日目



第3回/第12日目(前半)

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第1回/第13日目

第2回/第13日目


第3回/第13日目(前半)


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第1回/第14日目


第2回/第14日目


第3回/第14日目(前半)


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第1回/第15日目

第2回/第15日目


第3回/第15日目(前半)

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第1回/第16日目

第2回/第16日目

第3回/第16日目(前半)


(17)


第1回/第17日目

第2回/第17日目

第3回/第17日目(前半)

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第1回/第18日目

第2回/第18日目


第3回/第18日目(前半)

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第1回/第19日目

第2回/第19日目

第3回/第19日目(後半第1日目)

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第1回/第20日目

第2回/第20日目

第3回/第20日目(後半第2日目)

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第1回/第21日目

第2回/第21日目


第3回/第21日目(後半第3日目)

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第1回/第22日目


第2回/第22日目


第3回/第22日目(後半第4日目)

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第1回/第23日目

第2回/第23日目


第3回/第23日目(後半第5日目)

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第1回/第24日目

第2回/第24日目


第3回/第24日目(後半第6日目)


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第1回/第25日目


第2回/第25日目

第3回/第25日目(後半第7日目)

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第1回/第26日目

第2回/第26日目

第3回/第26日目(後半第8日目)

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第1回/第27日目

第2回/第27日目


第3回/第27日目(後半第9日目)

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第1回/第28日目

第2回/第28日目

第3回/第28日目(後半第10日目)

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第1回/第29日目


第2回/第29日目


第3回/第29日目(後半第11日目)

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第1回/第30日目

第2回/第30日目

第3回/第30日目(後半第12日目)

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第1回/第31日目


第2回/第31日目

第3回/第31日目(後半第13日目)

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第1回/第32日目


第2回/第32日目

第3回/第32日目(後半第14日目)



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第1回/第33日目

第2回/第33日目


第3回/第33日目(後半第15日目)

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第1回/第34日目

第2回/第34日目


第3回/第34日目(後半第16日目)

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第1回/第35日目


第2回/第35日目


第3回/第35日目(後半第17日目)

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第1回/第36日目

第2回/第36日目


第3回/第36日目(後半第18日目)

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第1回/第37日目

第2回/第37日目


第3回/第37日目(後半第19日目)

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第1回/第38日目


第2回/第38日目


第3回/第38日目(後半第20日目)

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第1回/第39日目

第3回/第39日目(後半第21日目)

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第1回/第40日目

第3回/第40日目(後半第22日目)

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第1回/第41日目

第3回/第41日目(後半第23日目)

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第1回/第42日目

第3回/第42日目(後半第24日目)


(43)


第1回/第43日目

第3回/第43日目(後半第25日目)

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第1回/第44日目

第3回/第44日目(後半第26日目)

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第1回/第45日目

第3回/第45日目(後半第27日目)

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第1回/第46日目

第3回/第46日目(後半第28日目)

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第1回/第47日目

第3回/第47日目(後半第29日目)

(48)


第1回/第48日目

(49)


第1回/第49日目

(50)


おわりに
第1回



第2回

第3回(前半)





第3回(後半)


老爺心お節介情報/第26号(2021年6月17日)

「老爺心お節介情報」第26号

〇皆さんお変わりなくお過ごしでしょうか。私の方は、関係する団体の理事会、評議員会も無事終わり、ちょっと一息ついています。
〇それにしても、新型コロナウイルスの件に伴い、関係する団体の研修が軒並み中止、延期、規模縮小で赤字決算になり、頭を痛めています。内閣府が定める公益法人の財務規律では、このような時には対応ができないことを改めて実感しています。
〇社会福祉分野は、“どこかお金は降ってくる”といった認識があり、財源確保や財務関係へのアプローチや研究が弱いと思っていましたが、これからは財源確保や財務関係もきちんと分析でき、その対策も考えられる力量が実践的にも、研究的にも必要だということを再認識しています。その意味でも、前回取り上げた『チャリティの帝国』は必読書で、如何に日本の戦後の社会福祉研究が歪んでいたかが分かる文献です。
〇「老爺心お節介情報」第26号では、日本社会福祉士会のニュースの200号記念に寄稿した拙稿「これからの社会福祉士―地域共生社会政策と社会福祉士の役割」と4月に行った「四国歩きお遍路」の紀行文(後編)を添付しました。お暇な折にご笑覧下さい。関心のある関係者にもご回覧下さい。

Ⅰ 日本社会福祉士会ニュース第200号記念号:拙稿「これからの社会福祉士―地域共生社会政策と社会福祉士の役割」

Ⅱ 大橋謙策「第3回四国歩きお遍路喜寿紀行(後篇)」

 添付資料Ⅰ

添付資料Ⅱ
本ブログ/大橋謙策の福祉教育論:アーカイブ(4)四国遍路紀行文/本文

(2021年6月17日記)

老爺心お節介情報/第25号(2021年6月3日)

「老爺心お節介情報」第25号

〇皆さんお変わりなくお過ごしでしょうか。
〇新型コロナウイルスの件で、私が関わっている財団、社団などの理事会は軒並み書面審査かリモートによる会議で、何か味気ない雰囲気の中で終了しています。今は、我慢の時です。ワクチン接種が進み、少し交流ができるようになることを願うばかりです。
〇この間、私が頂いた資料や本で、皆さんと情報の共有化したいものを挙げます。

Ⅰ 金澤周作著『チャリティの帝国』(岩波新書、2021年5月20日発行)

京都大学教授の金澤周作先生は、2008年に出版した『チャリティとイギリス近代』で、SOMPO福祉財団の文献賞を受賞された方であるが、この度『チャリティの帝国』(岩波新書、2021年5月20日発行)を上梓された。とてもコンパクトにイギリスのチャリティの歴史、概要についてまとめられているので必読文献の1つである。

私は、ご恵贈賜ったお礼の手紙に次のようなことを記した。
(金澤先生への礼状の一部)
私は、戦後日本の社会福祉研究は憲法第89条の規定に制約され、イギリスの行政と住民のボランティア活動との関係を巡る研究が不十分だったことを指摘してきました。また、そのイギリスのボランティア活動の一番大きなものはチャリティ、金銭のボランティア活動、それも遺贈だと言ってきました。
私は、1980年代から日本には「寄付の文化」がなく、あるのは互助組織における冠婚葬祭での金銭授受であり、かつ神社仏閣への寄進であり、社会に対する、見ず知らずの人への寄付文化は育っていないと指摘し、それを変えなければ、日本の社会福祉は発展しないと言い続けてきました。
更には、1992年にイギリスで1601年に制定された「Statute of Charitable Uses 」(チャリティ用益法、P66)の存在を知り、COの事務局でその原典に触れ、大変驚きました。また、その考え方が1960年の チャリティ法や、その1992年の大改正法にも引き継がれていることに驚き、イギリスの歴史の重みを感じました。その後、日英米3か国の共同募金や寄付の文化について調査研究し、日本の社会福祉はイギリスのCAFにもっと学ぶべきと言ってきましたが、相変わらず日本の社会福祉研究は行政依存型です。
そんな日本の社会福祉研究者に金澤先生のご労作である『チャリティとイギリス近代』を読むように言ってきましたが、その内容がこのようにコンパクトにまとめられたことは嬉しい限りです。多くの人に読んでもらい、イギリスの学び方を変えてもらえればと願うばかりです。

Ⅱ 自閉傾向の強い障害者のターミナルケア(『嬉泉の新聞』第83号より)

日本社会事業大学教授であった故石井哲夫先生が、故須藤理事長と力を合わせて設立した社会福祉法人嬉泉の機関紙『嬉泉の新聞』第83号に、我々が改めて考えなければならない記事が掲載されており、とても感動した。
故石井哲夫先生のご子息で、現在、社会福祉法人嬉泉の理事長をされている石井啓氏が「自閉傾向のある人のターミナルケアを考えるーーインフォームド・コンセントの大切さー」と題して、また袖ケ浦ひかりの学園園長の松田香さんが「利用者の終末期に寄り添うーー実践を通して、援助者として思ったこと、感じたこと」を、「自分らしく生きるために」と題して、袖ケ浦ひかりの学園の鈴木雅士さんが執筆している。
袖ケ浦ひかりの学園に入園していた52歳の女性で、“自閉症のある方で、非常に拘りが強く、知的な遅れもあり、コミュニケーションをとることの難しい、いわゆる重度の方”が、定期健診で末期がんが見つかり、看取るまでの過程が記述されている。
障害のある方でも、自分らしく生きることを理念として掲げている社会福祉法人嬉泉が、家族と協働して、“がん告知”をし、延命治療をせずに、死の直前まで自らの拘りの行動、表現をされていた方を看取った記述が綴られており、大変感動した。

Ⅲ 『ICFの視点に基づく自立生活支援の福祉用具』(伊藤勝規著、中央法規、3300円)

日本社会事業大学の学部卒業生である伊藤勝規さんが描いた本です。ICFの視点に基づくマネジメントの重要性と必要性を非常にわかりやすく書いています。この本は、日本社会事業大学社会福祉学会の木田賞に選ばれました。

Ⅳ シルバー産業新聞の4月版、5月版に連載した原稿を添付しておきます。

(1)シルバー産業新聞の4月版
「求めと必要と合意に基づく支援」

(2)シルバー産業新聞の5月版
「家族・地域の介護力、養育力の脆弱化とソーシャルサポートネットワークの必要性」

添付資料(1)
シルバー産業新聞連載記事第4回

「求めと必要と合意に基づく支援」

福祉サービスを必要としている人々への支援において、よほど気を付けないと無意識のうちに“上から目線”の世話をしてあげるというパターナリズムになりがちになる。
福祉サービスを必要としている人はさまざまな心身機能の障害や生活上の機能障害において要介護、要支援の状態に陥っているので、ついつい福祉サービス従事者はその機能障害を改善、補完するために“いいことをしてあげる”という意識になりがちである。それは、一見“善意”に満ちた行為として考えられがちであるが、福祉サービスを必要としている人の意思や主体性を尊重しての“誠意”ある行為といえるのであろうか。
また、福祉サービスを必要としている人で、家族と同居している人の場合には、福祉サービスを必要としている人本人の意思よりも、同居している家族が自分の“思い”、“願い”を福祉サービス従事者に話され、その家族の希望が優先され、ややもすると本人の意向や意思は無視されがちになる。ましてや、福祉サービスを必要としている人は、日常的に同居している家族に普段から迷惑をかけているからという“負い目”もあり、家族に遠慮して、自分の意向、意思を表明しない場合が多々ある。
イギリスのブラッドショウは1970年代に、住民の抱える生活上のニーズを4つに類型化(①本人から表明されたニーズ、②住民は生活上の不安や不満、生活のしづらさを抱えているが表明されていないニーズ、③住民は気が付いていないか、表明もしていないが専門職が気づき、必要だと考えられるニーズ、④社会的にすでにニーズとして把握され、対応策が考えられているニーズ)した。この類型化されたニーズにおいて、日本の社会福祉分野において気を付けなければならないニーズ把握は、②の住民の生活上様々なニーズがあるにも関わらず気が付いていないか、自覚しておらず、表明されていないニーズである。
日本の“世間体の文化”、“忖度の文化”、”もの言わぬ文化”に馴染んで生活してきた国民は、自らの意思を表明することや自らの希望や願いを表明することに多くの人が躊躇してしまう。したがって、本人が自分の意見や気持ちを表明しないのだからニーズがないのだろうと解釈するととんでもない間違いを起こすことにもなりかねない。それらのニーズは潜在化しがちで、対応が遅れることになる。
一方、専門職が気づき、必要と判断するニーズにおいても、社会生活モデルに基づくアセスメントやナラティブに基づく支援方針の立案が的確に行われていればいいが、上記したようなパターナリズムでのアプローチをしている場合には専門職の判断が必ずしも妥当であると言えない場合が生じてくる。
イギリスでは、1990年の法律により、福祉サービスを提供する際には、その援助方針やケアプラン及び日常生活のスケジュール等を事前に本人に提示し、本人の理解を踏まえて提供することが求められるようになったが、2005年の「意思決定能力法」ではよりその考え方を重視するように法定化された。
日本の民法の成年後見制度や社会福祉法の日常生活自立支援事業は福祉サービスを必要としている人が自ら意思決定できないことを前提にして制度設計されているのと違い、イギリスの「意思決定能力法」は日本と逆の立場を取っている。
「意思決定能力法」は①知的障害者、精神障害者、認知症を有する高齢者、高次脳機能障害を負った人々を問わず、すべての人には判断能力があるとする「判断能力存在の推定」原則を出発としており、②この法律は他者の意思決定に関与する人々の権限について定める法律ではなく、意思決定に困難を有する人々の支援のされ方について定める法律であるとしている。その上で、➂「意思決定」とは、(イ)自分の置かれた状況を客観的に認識して意思決定を行う必要性を理解し、(ロ)そうした状況に関連する情報を理解、保持、比較、活用して (ハ)何をどうしたいか、どうすべきかについて、自分の意思を決めることを意味する。したがって、結果としての「決定」ではなく、「決定するという行為」そのものが着目される。意思決定を他者の支援を借りながら「支援された意思決定」の概念であるとしている。(註)
日本だと、“安易に”、あの人は判断能力がないから、脆弱だから“その意思を代行してあげる”ということになりかねない。言語表現能力や他の意思表明方法を十分に駆使できない障害児・者の方でも、自分の気持ちの良い状態には〟“快”の表情を示すし、気持ち悪ければ“不快”の表現ができる。福祉サービス従事者は安易に“意思決定の代行”をするのではなく、常に福祉サービスを必要としている人本人の意思、求めていることを把握することに努める必要がある。
その上で、本人が自覚できていない人、食わず嫌いでサービス利用の意向を持てていない人に対し、専門職としてはニーズを科学的に分析・診断・評価し、必要と判断したサービスを説明し、その上で、両者の考え方、プランのあり方を出し合って、両者の合意に基づいて援助方針、ケアプランを作成することが求められている。(2021年3月12日記)

(註)菅冨美枝「自己決定を支援する法制度・支援者を支援する法制度――イギリス2005年意思決定能力法からの示唆―」法政大学大原社会問題研究所雑誌No822、2010年8月所収。

添付資料(2)
シルバー産業新聞連載記事第5回

「家族・地域の介護力、養育力の脆弱化とソーシャルサポートネットワークの必要性」

戦後日本の社会福祉問題は、1970年頃を境に大きく変質する。1960年代末から1970年代にかけて、「新しい貧困」という考え方が登場する。
従来の貧困は、経済的貧困であり、労働経済学的視点に基づく対応策が考えられ、ほぼ金銭瀬的給付をすれば問題は解決できると考えられていた。そのような中で、江口英一は「不安定就業層」という新しい考え方を提示し、労働者世帯の生活の不安定さは労働経済的対応策だけでは不安定な生活の問題解決につながらず、地方自治体における様々な対人援助サービスの整備が必要であることを指摘した。1970年頃“ポストの数ほど保育所を”というスローガンの下に、保育所増設運動が全国各地で台頭したのはその一つの現れである。
また、金銭的給付では解決できない「新しい貧困」への対処も求められるようになってくる。農業中心の時代には、家族も多世代同居家族であり、地域においても農業を通じての地縁・血縁関係が豊かにあり、様々な生活問題があってもそれらへの対処は家族や近隣での助け合いの中で問題解決が行われ、行政による社会的対応策が求められなくても済んだ。
しかしながら、急激な工業化、都市化、核家族化の進展により、家族構成員の抱える生活問題への対処力が脆弱化していく。
第1には、家族の構成員が抱える様々なショックをやわらげ、慰め、励ます機能が家族形態の変容と核家族化することにより脆弱化していく。人間は弱い動物であり、日常的に受けるショックを和らげてくれる機能や慰め、励ましてくれる機能が身近になければ一人で対処することは大変なことである。筆者は、家族構成員が受けるショックを和らげ、慰め、励ましてくれる機能を自動車の乗り心地の良さを左右するショックアブソーバー(衝撃緩衝装置)にたとえ、家族が持っていたショックアブソーバー機能が脆弱化することにより、家族とその構成員の精神的不安定さと生活問題対処力の脆弱化が増大していることを指摘した。離婚が増え、一人親家庭が増大していくと、家族のショックアボソーバー機能は家族内にはほとんどなくなり、かつ社会的にも“支援”がなく、孤立していく。また、それとともに精神疾患の増大も深刻化していく。
第2には、急激に核家族化されたことにより、親の世代から引き継ぐべき生活文化、生活様式、生活習慣といったものの“世代間継承”ができず、生活力の弱い核家族が増えることになる。塩月弥栄子の『冠婚葬祭入門』が1971年に刊行され、ベストセラーになったのも、松田道雄等の『育児書』が刊行され、重宝されたのも、この生活文化、子育ての文化の“世代間継承”が断絶したことの一つの証左であろう。高度経済成長に必要な労働力として、“金の卵”として全国から集められた中卒集団就職者にとっては、自らの生活力を豊かに育む生活環境を持てず、厳しい生活にさらされる。
福祉事務所で生活保護業務を担当する現業員らによる調査で、生活保護世帯への救済策として金銭的給付では解決できない「新しい貧困」、“生活力“の脆弱さが指摘された。
第3には、急激な都市化、工業化の中で、住居の移動も激しく、近隣関係を構築できない、地域コミュニティを形成できない中で、多くの住民が日常的に触れ合える、支え合える近隣関係、人間関係を持てずに暮らすことになる。
2015年に施行された「生活困窮者自立支援法」は、まさにこれらの「新しい貧困」問題への対応策であり、かつ2016年から推進されている地域共生社会政策はよりその対応策を強化しようとするものである。
それは、福祉サービスを必要としている人が地域において、孤立することなく、排除されることなく“社会参加”できるようにしようとするもので、日本でもイギリスと同じように、“孤立・孤独問題担当大臣”を任命せざるを得ないほど地域においてソーシャルサポートネットワークを持てずに孤立・孤独に陥っている人々の問題は深刻化している。
地域生活している単身高齢者や単身障害者の数はますます増大しており、それらの人々への支援には、介護保険サービスや障害者サービスを“点と点を結ぶ”方式で提供しても解決できない問題が数多くあることが指摘されている。
民法の成年後見制度や社会福祉法に基づく日常生活自立支援事業もあるが、それだけでは解決できない様々な生活上の支援が必要とされている。入退院時の保証人制度や庭木の手入れ等の住宅管理保全、ゴミの分別と廃棄、看取り、死後対応事務(火葬許可書の名義、葬儀の扱い、遺骨の取り扱い)等、既存のサービスにない日常生活支援サービスが必要になっているが、それとともに重要なのが孤立・孤独問題である。
従来の家族、地域が有していた生活支援に“幻想を抱かず”、それとは別に、新たなソーシャルサポートネットワークを構築することが求められている。悲しい時に慰めてくれる人、嬉しい時に一緒に喜んでくれる人など情緒的にサポートしてくれる人の存在、生活上のちょっとした困りごとを手伝ってくれる人の存在、日々変わる日常生活上の制度などについて情報を教えてくれる人の存在、一人の人間としての尊厳を守り接してくれる人、人間として評価してくれる人の存在という4つのソーシャルサポートネットワークの機能が地域自立生活にはとても重要で、その機能の構築が地域共生社会政策として不可欠である。

(註)J・S・Houseの4つの機能、『支えあう人と人』浦光博著、サイエンス社、1992年参照。

(2021年6月3日記)

老爺心お節介情報/第24号(2021年5月2日)

「老爺心お節介情報」第24号   

〇皆さんお変わりなくお過ごしでしょうか。新緑が目と心を癒してくれる季節になりました。
〇私は、この4月2日から、昨年、新型コロナウイルスに伴う緊急事態宣言発出により中断を余儀なくされた「四国歩きお遍路」を再開しました。4月3日に高知県37番札所岩本寺から歩きはじめ、4月28日に88番札所大窪寺を打ち、無事結願しました。その後、徳島から和歌山へフェリーで渡り、高野山奥の院に詣で、4月30日夕刻に帰宅しました。
〇26日間に亘るお遍路は、721キロ、1030941歩で、一日平均27・8キロ、39652歩の行程でした。出発時の体重が71・4キロ、体脂肪率が19であったのが、帰宅後は体重が68・7キロ、体脂肪率15でした。
〇今回のお遍路は、ある意味、四国4県の市町村社会福祉協議会への行脚でもありました。高知県社会福祉協議会、高知市社協、津野町社協、土佐清水市社協、宿毛市社協、宇和島市社協、今治市社協、観音寺市社協、丸亀市社協、善通寺市社協、香川県社協を訪問し、関係者と懇談をしたり、資料をお渡ししたり、定年退職した職員と懇談する等の交流をしてきました。
〇皆さん、新型コロナウイルスの件もあり、十分な時間も懇親の機会も持てない中でしたが、当初の目的の一つは遂行できたかなと思っています。いずれ、「四国歩きお遍路喜寿紀行の後編」としてまとめたいと思います。
〇留守の間、受領した郵便物を5月1日に整理していて、皆さんに情報提供しておいたほうがいいと思われるものを下記に列挙しました。参考にして頂ければ幸いです。

Ⅰ 東日本大震災関係資料

①「災害福祉支援ネットワーク、DWATの実態把握、課題分析及び運営の標準化    に関する調査研究事業」富士通総研・行政経営グループ
②「東日本大震災宮城県民100の提言」宮城県サポートセンター支援事務所
③「令和2年度東日本大震災被災者実態調査研究報告書」岩手県社会福祉協議会
④「東日本大震災に伴う生活支援相談員活動事例集2020」岩手県社会福祉協議会
⑤『岩手県における生活支援相談員の活動と地域福祉』山崎美喜子・山下興一郎、岩手県社会福祉協議会共編、中央法規
⑥『地域福祉から未来へー社協職員が向き合った3・11』
『地域福祉から未来へ2―社協職員が歩んだ10年』原田正樹編著、全国コミュニティサポートセンター発行

Ⅱ 新型コロナウイルスに伴う生活福祉資金「特例給付」関係資料

①「兵庫県内社協・新型コロナウイルス感染拡大に伴う生活福祉資金特例貸付レポート2020」兵庫県社会福祉協議会

(2021年5月2日記)

老爺心お節介情報/第23号(2021年3月25日)

「老爺心お節介情報」第23号

〇桜の季節なのに、気分は今一つすっきりしない閉塞感のある日々ですが、皆さまお変わりありませんか。
〇人事異動の季節で、ちらほら聞こえてきますが、もし変更があったら教えてください。
〇 例によって、「老爺心お節介情報」第23号を送ります。
〇くれぐれもご自愛の上ご活躍下さい。

Ⅰ 地域福祉実践現場で行われる講演・研修の「講師」の立ち位置と地域福祉研究者の「バッテリー型研究」を行う必要性

私は、1960年代、東京都三鷹市で中卒青年等を対象とした青年学級の講師を約10年間担当した。その際に、青年たちから投げかけられた言葉はいまでも忘れられないし、忘れてはいけないと“自虐”的と思えるほど意識して研究者生活をしてきた。
その言葉は“あなたたちが大学院に進み、研究できているのは我々の税金があるからではないのか。我々は、勉強したくても家が貧困で高校へも行けなかったし、大学へも行けなかった。だから、この青年学級で学んでいる。あなた方の奨学金も我々の税金で賄われているのではないのか。そいうことを考えてあなたは生活し、研究しているのかという”問い掛けであった。
当時は、東大紛争もあったりして、このような言葉がだされたのだと思うが、この言葉は自分にとって大変身に堪えた。そうでなくても、日本社会事業大学を進路として選択する際に、そのような考えを自分でしていたものの、直接、面と向かって、このような言葉を投げ掛けられると身に堪えた。それ以来、ディレッタンティズム(もの好き)で研究するのではなく、社会に貢献できる研究者になろうと誓った研究生活であった。
そんなこともあり、私は講演や研修を依頼されると、常に参加者にどのような“お土産”を持って帰ってもらうのか、参加してよかったと思える“成果”をどう提供できるのかを考えてきた。
また、講演や研修等の頂いた機会にその地域、その組織、その自治体から何を自分が学ぶかということを常に考えてきた。それは自分自身の学びであると同時に、参加者への“お土産”の素材を掴むことにもつながっていた。
その際の私の姿勢として、自分が学んだことや自分が知っている情報を“分かち与える”という、ややもすると“上から目線”になりがちな“教える”ということではなく、参加者がこれから考える糸口、課題を整理し、学びへの関心、興味を引き出せるような契機になればということを常に意識してきた。それは、言葉で優しく言うとか、言葉で励ますとかいうことではなく、参加者が主体的に考え、行動に移したいと思えるような問題の整理と課題の提起を志すことであった。
一方、私は1985年1月に『高齢化社会と教育』を室俊二先生と共編著で上梓した。それに収録された論文の中で、生涯教育、リカレント教育、有給教育制度等に触れながら、これからは高学歴社会と高度情報化社会が到来し、従来のような知識“分与”的、情報伝達的教育や研修は変わらざるをえないことを指摘した。
今、文部科学省はアクティブラーニングの必要性をしきりに強調しているが、それはかつて社会教育が青年団を中心に提唱してきた「問題発見・問題解決型協働学習」で言われてきたことと同じである。
このような状況のなかで、地域福祉研究者は、気軽に“地域づくり”、“地域共生社会”づくりというが、どのような立ち位置で研究し、どのような立ち位置で講演や研修に臨んでいるのであろうか。
他方、筆者は地域福祉実践をしている現場の方々と“バッテリーを組んで”、その地域、その自治体、その社会福祉協議会をフィールドにして研を行ってきた。そして、その研究は一時的なものではなく、長期に亘り、継続的に関わることによって行われるべきものだと考えてきた。
地域に住んでいる住民は、移転、移住しようにも、先祖伝来の土地、「家」のしがらみの中で生きており、気軽に移動できない状況を十分理解しないままに、外部から入り、外部の目線で“気軽に”地域づくりを言い、短期で関わりを切ってしまう研究方法は、あたかも住民の方々を弄ぶかのように思えていたからである。
筆者は、1970年に現在の東京都稲城市に移住し、地域活動を始めたが、それ以降、よほどのことが無い限り、この稲城市を離れることをしまいと決意を固めた。“地域づくり”を言うということは、それだけの重みのある取組であるべきだし、そうでないと住民の方々は納得してくれないと思ったからである。現に、そのような指摘は各地で幾度も聞いたし、聞かされてきた。
そんなこともあり、“バッテリーを組めた地域”には、長い地域では40年間のお付き合いをさせて頂いている地域もある。
ところで、このような文章を書いたのは、まさに「老爺心お節介」の最たるものかもしれないが、最近目にする論文等を読んでいて、研究者自身の立ち位置を明確にしないままに、取り組まれている実践を評価、紹介しているものが多く、地域福祉研究者として“一種の研究倫理”に抵触しているのではないかと思う論文を散見するからである。全国のいい実践は、大いに紹介し、情報共有化がおこなわれてほしいが、その場合でも紹介なのか、評論なのか、自分の学説の論証に使うのか等その位置づけは明確にしてほしいものである。しかも、その実践のアイディアは誰が出したのか、参与観察をするならばどういう立ち位置で行うのかを明確にする必要がある。最近、政治学の分野で「オーラルヒストリー研究法」が活用されているが、ある政策、ある実践がどういう形で企画され、政策化されていくのかを、その過程の力学も踏まえて研究が進められている。地域福祉研究においても、同じような研究の枠組みを作る必要があるのではないかと考え、この拙稿を書いてみた。

Ⅱ 「シルバー産業新聞」連載3月号添付

Ⅲ コミュニティソーシャルワーク研修モデルプログラムと関係シート添付

# このプログラムの整理には、富山県地域福祉部魚住浩二さんにご尽力頂いた。

Ⅳ 市民福祉教育研究所を主宰している阪野貢先生(元中部学院大学教授)が開設しているブログに「大橋謙策の福祉教育論」のコーナーが開設されたそうです。興味のある方は検索してください。

添付資料
シルバー産業新聞連載記事第3回

「ナラティブ(人生の物語)を大切にする自立支援」

筆者は、1970年頃から、社会福祉学研究、社会福祉実践において労働経済学を理論的支柱にした経済的貧困に対する金銭給付と憲法第25条に基づく最低限度の生活保障の考え方では国民が抱える生活問題の解決ができず、新たな社会福祉の考え方が必要であると考え、提唱してきた。
筆者が考える社会福祉とは、その人が願うその人らしさの自立生活が何らかの事由によって阻害、停滞、不足、欠損している状況に対して関わり、その阻害、停滞、不足、欠損の要因を除去し、その人の幸福追求、自己実現を図れるように対人援助することだと考えた。
その場合の“自立生活”とは、古来から“人間とは何か?”と問われてきた課題を基に6つの要件(ⅰ)労働的・経済的自立、ⅱ)精神的・文化的自立、ⅲ)身体的・健康的自立、ⅳ)生活技術的・家政管理的自立、ⅴ)社会関係的・人間関係的自立、ⅵ)政治的・契約的自立)があると考えた。と同時に、それらの6つの「自立生活」の要件の根底ともいえる、その人の生きる意欲、生きる希望を尊重し、その人に寄り添いながら、その人が望むナラティブ(人生の物語)を一緒に紡ぐ支援だと考えてきた。
戦前の生活困窮者を支援する用語に「社会事業」という用語がある。この「社会事業」には、積極的側面と消極的側面とがあるといわれてき、その両者を統合的に提供することの重要性が指摘されていた。積極的側面とは、その人の生きる意欲、希望を引き出し支えることで、消極的側面は生活の困窮を軽減するための物質的援助のことを指していた。消極的側面は、気を付けないと“人間をスポイルする”危険性があることも懸念していた。
現在の民生委員制度の原型を1918年に大阪で創設した小河滋次郎は、“その人を救済する精神は、その人の精神を救済することである“として、「社会事業」における積極的側面を重視した。しかしながら、戦後の生活困窮者を支援する「社会福祉」は積極的側面を実質的に“忘却”してしまい、物質的援助をすれば問題解決ができると考えてきた。
憲法第25条の最低限度の生活保障では消極的側面の対応でよかったのかもしれないが、憲法第13条に基づく幸福追求の支援ということでは、高齢者のケアであれ、障害者のケアであれ、生活困窮者の支援であれ、その人が送りたい“人生”、その人が願う希望をいかに聞き出し、その人の生きる意欲、生きる希望を支え、伴走的に支援していくことが求められる。
従来の社会福祉学研究や社会福祉実践では、「療育」、「家族療法」、「機能回復訓練」などの用語が使われており、その人らしさの生活を尊重し、支援するということよりも、ややもすると専門職的立場からのパターナリズム的に“問題解決”を図るという目線に陥りがちであった。
また 従来の社会福祉学や社会福祉実践では、よくアブラハム・マズローの「欲求階梯説」が使われが、この考え方も気を付けないといけない。アブラハム・マズローがいう生理的欲求、安全の欲求、愛情と所属の欲求、自尊と承認の欲求、自己実現の欲求の6つの欲求の項目の意味は重要であるが、それらの項目において、下位の欲求が満たされたら上位の欲求が生じるという“欲求階梯説”はどうみてもおかしい。人間には、自ら身体的自立がままならず、他人のケアを必要としている人であっても、当然その人が願うナラティブ(人生の物語)があり、それを自己実現をしたいはずである。
その際、福祉サービスを必要としている人自らが自分の希望、欲求を表出できるとは限らない。福祉サービスを必要としている人の中には、さまざまなヴァルネラビリティ(社会生活上のさまざまな脆弱性)を抱えている人がおり、自らの願いや希望を表出できない人がいる。更には、障害を持って生まれてきたことで、多様な社会体験の機会に恵まれず、一種の“食わず嫌い”の状況で、何を望んだらいいのかも分からない人という生活上の“第2次障害”ともいえる状況に陥っている人もいる。このような人々の場合には、その人の“意思を形成する”ことに関わる支援も必要になってくる。
まして、福祉用具のような、新しい領域では、どの福祉用具を使用したら、自分の生活がどのように変容するのかのイマジネーション(想像性)をもてない人がいる。そのような人々に対し、イマジネーションがもてるようにし、新たな人生を作り出すクリエーション(創造性)機能も重要な支援となる。
従来の社会福祉実践は、福祉サービスを必要としている人の「できないことに着目し、それを補完する目的で、してあげるケア観」に陥りがちであった。幸福追求、自己実現を図るケア観に立つと、福祉サービスを必要とする人の「できることを発見し、それを励ますケア観」が重要になる。
社会福祉実践は、その人の生育歴におけるナラティブ(narrative:身の上話、経験などに関する物語)に着目し、その人が望む人生を創り上げるナラティブ(出来事などに関する物語、語ること)に寄り添い支援することが求められている。(2021年2月14日)

(2021年3月25日記)