生き方をデザインする:「塑(そ)する」ことと「繋(つな)ぐ」こと―佐藤卓著『塑する思考』読後メモ―

デザインの本質は、物や事をカッコよく飾る付加価値ではありません。あわゆる物や事の真の価値を、あらゆる人間の暮しへと繋ぐ「水のような」ものなのです。(「帯」)
 
〇筆者(阪野)の手もとに、日本を代表するグラフィックデザイナーの一人である佐藤卓が書いた『塑する思考』(新潮社、2017年7月。以下「本書」)がある。本書は、デザインのノウハウ本ではない。佐藤がデザインに関する「仕事」を高く積み上げ、それを深く掘り下げることによって体得した「思考」について論じたものである。その際の重要なキーワードは「塑(そ)する」である。また、注目したいキーワードに「繋(つな)ぐ」がある。本書はつまりは、人間の「生き方」すなわち「哲学」の書である(筆者にとって「塑する」とは馴染みのない言葉である。連想するのは「粘土・彫塑」「木材・彫刻」といった程度である)。
〇佐藤は言う。「人の営みの中で、デザインが一切関わっていない物(モノ)や事(コト)など一つもない。政治、経済から医療、福祉、衣食住、教育、科学、技術、エネルギー、社会活動、等々まで、どんな分野のどんな物事にも、すでにデザインがある」(74ページ)。「人がなし得る全ての企てには、計画的であるか否かにかかわらず、必ずデザインが及んでいる」(75ページ)。「デザインは全ての人間の営為を成り立たせるために必要なもの」(77ページ)である。本稿では、佐藤のこのような視点を首肯したうえで、留意したい言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。「です・ます」調を「である」調に変換。見出しは筆者)。

「人の営み」とデザイン
デザインは日常ありとあらゆるところに隠れている。意識化されるデザインなど、そのごく一部にすぎず、ほとんどのデザインに対して我々は無意識である。(8~9ページ)
どんな技術にせよ情報にせよ、人に届けるためには何かしらのデザインを必ず経なければならない。これは、それぞれの人の思想や好き嫌いの問題ではなく、人が人として生きていく上でどうしても避けられない事実である。(9ページ)
 
「弾性」と「塑性」
「柔(じゅう)よく剛(ごう)を制(せい)す」という言葉がある。しなやかな柔軟さが一見強そうな堅さを結果的には負(ま)かしてしまうものだ、を意味する。この「柔」という言葉は、さらに「弾性(だんせい)」と「塑性(そせい)」の二つの性質に分けられる。(47ページ)
弾性とは、例えば釣り竿のように、外部から力が加わって形を変えても、その力がなくなれば元の形に戻ろうとする性質である。塑性とは、例えば粘土のように、外部からの力で凹(へこ)むと、そのままの形を保つ性質である。それは、加わった力次第でそのつど形状を変化させる。(47ページ)

「自分らしさ」と「ありのまま」
人生訓上の「柔」は、これまでは「弾性」をイメージして語られてきた。いかなることに当っても自分を見失うな、常に自分の形を忘れず、自分に戻れ、といった具合にである。(48ページ)
これに対して「塑性」は、自分の形などどうでもよく、そのつど変化してもかまわないのだ、となる。しかし、そもそも自分とは何か、自己意識はどこから来て、なぜ自分は今ここに存在するのか。人生のそんな基本についてまるで分かっていない自分に、どんな形があるものなのか。自分を分かっていない自分が、自分の形をどう決めるというのか。何を考えているにしても、すでに考えている自分が存在するのだから、「自分らしさ」を気にかける必要はなく、そのつど与えられた環境で適切に対応している自分のままがいいのではないか。(48~49ページ)
自分のままであるかどうか(自分を強く意識していないかどうか)を自覚するためには、折あるごとに自分を疑ってみなければならない。何かよい案を思いついても、その直後に、これは第三者にもちゃんと伝わるのだろうか、と自分を疑ってみる。(51ページ)

「やるべきこと」と「やりたいこと」
塑性的であるとは、社会の流れにただ身を委(ゆだ)ねることでも、無闇(むやみ)に付和雷同することでも、ましてや世の中に媚(こ)びて流行を追うことでもなく、置かれた状況を極力客観的に受け止め、適切に対応できる状態に自分をしておくことである。それは、世の中に流されない冷静な判断の下、自分が今なるべきものになる、「やるべきこと」をやる姿勢である。塑性的であれば、やるべきことが、まさに「やりたいこと」になる、と言い換えてもいい。(60ページ)
 
「表現」と「個性」
デザインの仕事では、とかく個性的な表現を求められる傾向がある。そこで、自分らしさとは何かと考えざるを得なくなる。(49ページ) 
本来、個性は誰にでもあって、個性のない人など、この世に存在しない。表現以前の思考の段階がすでに充分個性的なので、個性は、それと意識していない状態のほうがむしろ出やすいのではないか。(54ページ)
なすべきこと(「やるべきこと」)についてできるだけ客観的に思考し、見極めるところに、その人ならではの個性が出る。一般には、目に見える表現に個性があるとされがちであるが、それは違う。表現以前のその人その人の思考、ひいては生き方や思想に個性は確実に潜んでいる。(54ページ)
 
「発想」と「繋ぐ」
未知の事象が突如現れたかのように、「無」から何かを発想するなど、絶対にあり得ない。必ず「それ以前」が存在する。つまり発想とは、ある目的のために今まで繋がっていなかった事物同士を繋げる試みであり、自分が「無」から純粋に生み出すのではけっしてない。すでにあるのに気がつかずにいた関係を発見して繋ぐ営為が、発想である。(55ページ)

「仕事」と「塑性」
全ての仕事は「これから」のためにある。将来のために、今、何をしておくべきかを考え、事を為すことである。(168ページ)
あらゆる仕事という仕事の基本は、「間に入って繋ぐこと」である。(57ページ)
何かと何かの間に入って両者を繋ごうとすると、当然、繋ぎ方はそのつど異なる。臨機応変な繋ぎ方を可能にするため、一定の形を持たずにおく、それこそが塑性による「柔」の姿勢である。自分の形を持っていると、帰巣本能のようにそこに帰っておけば安心であり、その形が自分が社会的に認知される効力にもなる。(58ページ)
しかしながら、一つの自分の形を持ってしまえば、それ以外のあまたの可能性を狭めるのだと知っておくべきである。(58ページ)

「感性」と「仕事」
デザインは「感性の仕事だ」と言われる。それは、感性は特別な人にしか備わっていないといったニュアンスさえ感じられる。(62ページ)
そもそも感性とは何なのか。それが外部からの刺激、あるいは情報を感受する能力だとするなら、周囲の環境から何らかを感じ取る力に差はあれど、感性がまったくない人などいるわけがない。(62ページ)
誰にでもふつうに備わっている感性をさらに活かす能力、すなわち感じ取った内容を世の中に役立つなにものかに変換していく能力を技術として身につけているのがデザイナーの本分である。(64ページ)
感性が必要ない仕事などあり得ないのだし、感性を持たない人などいない。感性を活かすための技術が、それぞれの仕事でそれぞれに必要なのである。その技術とは、聞き・話し・見せるコミュニケーション能力であり、発想する能力であり、具体的な形にする能力である。(65ページ)。

「ほどよい関係」とデザイン
昔から普段よく言われてきた「ほどほど」や「いい塩梅(あんばい)」などの言葉が、実は日本人が忘れてはならない大切な感性をしかと伝えている。(115ページ)
度が過ぎない、ほどのよいところを見極める(「ほどほどを極める」114ページ)、そこにこそ、デザインを考える、ひいては人の営為を考える上での大切なヒントがある。(258ページ)
秩序と無秩序、国と国民、伝統と現代、人と人、人と物事‥‥‥。それらのほどよい関係を見つけるためにこそ、人の営みにはデザインがあり続けるのである。(259ページ)

〇以上から、本稿の冒頭に記した本書の「帯」の一節に注釈を加えるとすれば、次のようになろうか。すなわち、デザインの本質は、物や事をカッコよく飾るために外から価値を付け足すこと(「付加価値」)ではない。あらゆる物や事がもともと持っている真の価値を見出し、その価値をあらゆる人間の暮しへと繋ぐ、われわれが生きる上でなくてはならない(「水のような」)ものである。デザインの本質は自己表現ではなく、何かと何かを「繋ぐ」ことである。デザイナーの仕事は、あらゆる物事を社会や不特定多数の人の間に入って、ほどよく繋ぐことであり、装飾を施す(デザインする)ことが目的ではない。
〇ここで、山崎亮の「コミュニティデザイン」(community design)の言説を思い出す。山崎によると、コミュニティデザインとは、地域コミュニティの課題をその地域の人たちが自ら解決できるよう、「場」や「しくみ」をデザインすることである。コミュニティデザイナーの仕事は、住民主体の内発的な「まちづくり」すなわちコミュニティデザインを進めるために、人と人を結びつけ、なさすぎでも、ありすぎでもない「いいあんばいのつながり」(山崎亮『コミュニティデザインの時代』中央公論新社、2012年9月、10~11ページ))をデザインすることである。佐藤の言説と通底するところである。
〇佐藤は、「(政治・経済や医療・福祉、科学・芸術など全ての)人の営みの中でデザインと関わりのない物事は何ひとつないのだとすれば、必然的にデザイン教育へと意識が向かう」(216ページ)。「デザインは、我々を取り巻く地球環境を人の営みと共に気づかい(気づいて思いやる)考えることでもある」(220ページ)、と言う。そこで、デザインマインドを育む「デザイン」の授業を、「英語の早期導入や道徳の成績評価化の前に、むしろ国語・算数・理科・社会・体育・デザイン」として一日も早く、小学校低学年から始めてはどうか、と提案する(220ページ)。
〇また、山崎も言う。「これからの地域福祉に必要な知恵を、『わたしたち』は、どこで学ぶのか。現場で学べばいい。地域の活動に参加して、人と人とのつながりのなかで体験し、発見し、感動し、共感しながら知恵を会得(えとく)することに勝る教育はない。その生き方(Life)こそが、21世紀を生きていく『わたしたち』にとって最高の財産(Wealth)になるであろう」(山崎亮『縮充する日本』PHP研究所、2016年11月、355ページ)。佐藤と山崎のこの言説については、「まちづくりと市民福祉教育」について探究する筆者にとって、同感するところである。
〇佐藤にあっては、「ある課題を深く掘り下げて行くために、場合によっては一定の枠(=形)をあらかじめ決めて(=持って)おく必要があることまで否定するつもりはない」(61ページ)。そう言いながらも、弾性的に自分の形あるいはスタイルを持つことには否定的である。「一つの自分の形を持ってしまえば、それ以外のあまたの可能性を狭める」、と佐藤は言う。
〇この点を「まちづくりと市民福祉教育」の実践・研究に引きつけて言えば、その実践・研究をめぐる状況や課題は、歴史的・社会的に形成され変質する。その点を認識したうえで、「まちづくりと市民福祉教育」の科学的・体系的で学際的な深化・発展を期するためには、独自(固有)の視点や枠組み、アプローチの仕方や分析方法、言語体系や記述方法などを設定・構築することが必要かつ重要となる。とは言え、すべての実践家(学術的実践家)や研究者(実践的研究者)が同一の実践・研究方法による必要はない。それぞれの形あるいはスタイルを持つ実践・研究の成果を、「共働」の視点に立って、如何に融合化・統合化するかが重要となる。それによってはじめて、「まちづくりと市民福祉教育」の総体としての推進が図られることになる(注①)。例によって我田引水ではあるが、あえて一言付け加えておきたい。
〇最後に、蛇足ながら付記すると、言葉は人の考えや感情をデザインするものである。筆者がこれまでに多少なりとも関わった「仕事」(まちづくりと市民福祉教育)を通じて使うようになった言葉やキャッチコピーに、例えば、次のようなものがある。「ふくし」(ふだんの・くらしの・しあわせ/福祉の意味/注②)、「あいとぴあ」(であい・ふれあい・ささえあい+ユートピア/狛江市社協:地域福祉活動計画/1990年3月)、「みんなのなかにわたしがいる みんなとともにわたしがいる」(自立と共生/三重県社協:小学生からの福祉読本/2004年3月)。これもデザインである。


①「福祉教育」に固有の実践・研究方法はすでに成立・存在しているか、ということをめぐっては、例えば、日本福祉教育・ボランティア学習学会編『福祉教育・ボランティア学習の新機軸-学際性と変革性―』大学図書出版、2014年10月、から読み解くこともできよう。筆者は、福祉教育実践の理論化・体系化は言われるほどには進んでいないと思っている。ここ10年近くは、「先進的」「独創的」と評される実践事例の単なるモデル化や定型化による「福祉教育プログラム」の研究開発が進められてきた。そのうえに、いま、政府主導による形式的で画一的な、財源の裏付けを欠いた、理念や理想としての「地域共生社会」づくりが強調(強制)されている。気にかかるところである。言うまでもなく、地域づくり(まちづくり)を推進するためには、そのノウハウやヒト、モノ、カネが必要である。
また、「地域共生社会」については、原田正樹の次の指摘に留意したい。「これまで『総論賛成・各論反対』と言われてきたが、7・26(相模原殺傷)事件はこの『総論』でさえも全否定し、共生社会を実現していくことの難しさを思い知らされた」(原田正樹「7・26(相模原殺傷)事件を考える-事件が問いかける意味とは-」『ふくしと教育』第22号、大学図書出版、2017年2月、13ページ)。改めて、いま、福祉教育の理論的・実証的研究のあり方が厳しく問われている。
②「ふくし」の意味することについて、原田正樹は次のように述べている。「共生文化を創出していくことができる力のことを『共に生きる力』という。これが福祉教育の目標である。/そしてそのことを子ども達にもわかるように、福祉教育実践の先人たちは、福祉を『ふだんのくらしのしあわせ』として、メッセージを込めた。/『ふくし』の主体は、私自身である」(逗子市社協 福祉教育チーム企画・編集『みんなが「ともに生きる」福祉教育の12年~逗子での12年の実績を踏まえて~』逗子市社協、2015年8月、101ページ)。
なお、筆者が平仮名の「ふくし」(ふだんの・くらしの・しあわせ)という言葉を使い始めたのは、1990年代中頃から2000年前後にかけての時期であろうか。その直接的なきっかけは、茨城県社協主催の福祉教育セミナー(1994年2月、1998年1月、2000年1月、2001年1月)に参加したことにあるが、そこで修得したのは「ふくし」=「普通の・暮らしの・幸せ」であった。