「ローカリズム」考:“百姓にだけはなるんじゃないぞ”の思考停止から脱却するために―内田樹・他『「農業を株式会社化する」という無理』読後メモ―

〇「みつ(名前)、行くぞ!」「‥‥‥」「う~ん」「‥‥‥」「もっとしっかり押せ」「‥‥‥」「しっかり押さんか!」「‥‥‥」。真冬の寒風が吹きつける夜、野菜をいっぱいに積み上げたリヤカーのうしろを押すことが、筆者(阪野)の子どものころの仕事のひとつであった。市場(いちば)からの帰りは、空になったリヤカーに乗せてもらい、ときに「日の出屋さんの鯛焼き」を1枚買ってもらえることが唯一の楽しみであった。その後、リヤカーは隣人が運転する軽トラになり、鯛焼きは礼金とガソリン代に変わるが、野菜の仕切値を上回ることがしばしばであった。
〇近くの大学の学部の新増設やキャンパスの集約が図られるなかで、保有していた畑の3分の2が国によって強制買収された。そのおかげで兄弟二人は大学に行かせてもらえたようなものだが、“貧困と侮蔑”という暮らしぶりは大きく変わったとは思えなかった。暮らし向きは多少よくなったとはいえ、冬になると相変わらず、両親の手はひびやあかぎれでズタズタに切り裂かれていた。所詮(しょせん)、百姓は百姓であった。そして、「ものいわぬ百姓」のまま老いて、鬼籍に入った。その人生は弱々しくも、したたかであった。“百姓にだけはなるんじゃないぞ”、明治生まれの父の言葉がいまも耳に残る。
〇筆者はいま、毎日「日曜人」(にちようびと。毎日サンデー?)である。「百姓仕事」(宇根豊)とは到底言えないが、2畝(せ)20歩(ぶ)、約80坪の畑で“百姓もどき”の「作業」をしている。年のせいで鍬(くわ)やスコップで土を耕すことが辛(つら)くなり、昨年、大枚をはたいて小さな耕運機を購入した。これまでと比して土は細かく、柔らかくなり、作業は楽になった。作土が深まり、違った生きもの(「有情」:宇根)と出会うことにもなった。何よりも、自分の畑で、自分の作業によって「とれた」「できた」野菜は格別である。とはいえ、「百姓仕事は天地有情(てんちうじょう)のなかでの心地よい仕事」(宇根)、「時間は円環の回転運動をし、春が戻ってくる・帰ってくる」(内山節。本ブログ「ディスカッションルーム」(38)2014年7月13日投稿参照)などと感じたり、思ったりすることは未だできないでいる。百姓仕事はきつく、春からはその度合いが増す。“百姓にだけは”の思考停止がいまだに続いている。
〇そんななかで、積ん読になっていた『「農業を株式会社化する」という無理―これからの農業論―』(家の光協会、2018年7月。以下[1])を読んだ。内田樹、藤山浩、宇根豊、平川克美の4つの論考と内田と養老孟司の対談が収録されている。そうそうたる顔ぶれである。
〇「農は人間の情愛のふるさとである」(『農本主義へのいざない』創森社、2014年7月)、「農の営みにこそ未来がある」(『農本主義が未来を耕す―自然に生きる人間の原理―』現代書館、2014年8月)、と宇根は言う。本稿は、宇根の「農の精神性や思想性」に留意しながら、“百姓にだけは”の思考停止から抜け出すための「ローカリズム」考である。[1]から、新たに理解を深めたり再認識した論点や言説をはじめ、言語化できないでいる管見にも通底する分かりやすい言葉や言い回しなどをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。筆者が「アンダーライン」(エピグラフ/冒頭の引用文)を引いたところでもある。

「農業を株式会社化する」という無理/内田樹
農業の存在理由と国策
農業の存在理由は人間を飢えから守ることです。それに尽くされる。(10ページ)
農産物を他の商品と同列に論じることはできない(中略)。農産物について、まず最優先に配慮すべきは、長期にわたって自給できる体制を整備することです。それが最優先します。(11~12ページ)
一国の政府ができるのは、消費者の嗜好(しこう)の変化や病気の蔓延や為替の変動などの、外的な要因とかかわりなく主食を安定的に自給できる体制を整備することまでです。(15ページ)
農業をまるごと市場に委ねている国なんか、世界のどこにもありません。農作物の安定的な供給は最優先の国策課題だからです。だから、アメリカもEU(欧州連合)も農家に対する政府の補助は手厚い。市場に任せたりはしていない。「国民を飢えさせない」、それが政府の第一の仕事です。(15~16ページ)

「不払い労働」と農業
生産性が高い産業というのは要するに人件費コストの削減に成功した産業ということです。(29~30ページ)
農業を営利企業のつもりでやった場合、たぶん失敗する。それは、農業という産業が成立するためには、その前提として膨大な「不払い労働」が存在するからです。それなしでは農業そのものが成り立たない仕事がある。(28ページ)
不払い労働というのは、山林の管理や道路水路の補修、祭礼や伝統芸能の継承などです。集団が存続し続けるためには、求心力がなければいけない。祭礼や伝統芸能はその求心力を補給する装置です。(中略)そういう周辺的なことも全部含めて初めて農業が成立している。(中略)そのために割かれる時間と手間は実は農業を可能にするために彼らが負担しているコストなんです。
「強い農業」論者は農地を統合して、機械化して、収量を増やして、人件費コストを削減すれば、儲けが出ると電卓を叩(たた)いてるかもしれませんが、彼らは祭礼や伝統芸能も農業のためには必要だということはたぶんわかっていない。(30~31ページ)

自然からの贈与と「反対給付」
農業が他の産業と一番違うのは、その成果の多くが自然からの贈与に拠っているということです。(37ページ)
実際に自分の体を使って、太陽を浴びて、雨に濡れて、風に吹かれて労働した後に、その成果として青々とした作物が実り、それを収穫して、食べて美味しかったということの感動は、他の仕事では得られないものだと言います。そして、それが「贈与」であると実感したら、人々は「反対給付」の義務を感じる。当然のことなんです。誰かに贈り物をしてもらったら、「お返し」をしないと気が済まないというのは、人間として当然のことだからです。(中略)贈与されたら返礼する。農作物は部分的には天からの贈与です。(39ページ)
一昔前までは、製造業でもサービス業でも、(中略)「売り手よし、買い手よし、世間よし」(近江商人の経営理念の一つ。三方よしの精神)というように、企業活動においても「贈与と反対給付」のマインドが生きていましたけれど、現在のグローバル資本主義にはもうそういうマインドは生きていません。その結果、(中略)世界中で富の偏在が起きている。(中略)「贈与」の感覚が農業ではまだ生きている。(40ページ)

若者の「逃(のが)れのまち」
「地方創生」の実態は「地方の切り捨て」です。「コンパクトシティ」構想は、「行政コストのカットのための居住地制限」です。日本の里山のほとんどはいずれ無住の荒野になる。(50、51、52ページ)
いま、多くの若者が地方に移住して帰農し始めています。(46ページ)
一時のブームとか流行とかじゃない。そういう地殻変動の流れはもう始まっていて、感受性の鋭い部位から順番に動き始めている。(66ページ)
もっと静かで、もっと穏やかで、あえて言えば人間の弱さや壊れやすさをベースにした運動のように見えます。それだから持続するんじゃないかと思います。(68ページ)

年に1%ずつで田園回帰はできる/藤山浩
「田舎の田舎」の1%戦略
私たちは人口減少、高齢化、地域の過疎化という予測と、それがもたらすさまざまな困難を甘んじて受け入れるしかないのかというと、そうではありません。(72ページ)
データを分析するさいに、今後も東京一極集中型の社会が継続するという仮定を前提にしているため、「田舎の(中の)田舎」のような地域に関しては、どんなに頑張っていても、悲観的な予測値が出てしまいます。(73ページ)
こうしたデータをよそから示されて慌てるのではなく、地元ごとに、しっかり自分たちでデータをとって具体的な戦略を持たないといけません。(74ページ)
私は「人口1%取り戻しビジョン」を示しています。これはつまり、毎年人口の1%、100人につき1人の定住者を増やしていけば人口が安定する、というものです。(74ページ)
人口を取り戻すときに必ずセットで考えなければいけないのが、所得です。単純に地元の人口が1%増えれば、必要な所得も1%増えるわけなので、所得を毎年1%取り戻していく戦略を同時に立てていく必要があります。(80ページ)

循環型社会の創造
これから目指すべきものは、ひと言で言えば循環型社会です。規模拡大をひたすら目指すのではなく、足元の暮らしや所得の流れを見つめなおして、経済も地域内で循環するような社会をつくっていく必要があります。(81ページ)
「規模の経済」より「循環型の経済」といった価値観に、今の30代以下の人は目覚めつつあると思います。若い世代の人たちは実際に「田舎の田舎」に移住して、持続可能な生き方を模索している一方で、50代、60代の人たちは、まだ成長の幻想の中にいるような感じがします。(中略)30代以下の人たちは、「いままでの延長戦上には未来はない」ということを理解して、もう一回端っこから地元をつくりなおしていくしかないと気づいています。(104ページ)

農本主義が再発見されたワケ/宇根豊
「農本」と「農本主義」
「農本」という言葉は、「国家の土台は農業だ」という意味にとられていますが、「おれたちが国家を担うんだ」という気持ちよりも、むしろ「在所(ざいしょ。住んでいる所)、村、パトリオティズム(愛郷心。あいきょうしん)のほうがナショナリズムの土台にある」という考えなわけだから、ほんとうはそんなにえらそうな感覚ではなかったはずなのです。つまり、心持ちとしてはおそらく、かなり謙虚だった。(121ページ)
「農本主義は国体思想に取り込まれ、ファシズムの母体となった」という、あまり良くないイメージを持つ人が少なくありません。しかし、これは戦後にそういうレッテルを貼られたのであって、実際には、昭和初期の農本主義者たちは、日中戦争や満蒙開拓などに反対していた人も少なくありませんでした。まして、日本が「農本主義国家」になったことは一度としてありません。
日本の歴史ではじめて、百姓が百姓仕事の中から紡ぎだした思想が「農本主義」です。彼らの「農とは、人間が天地と一体になることだ」という考えは、農の本質をつかんでいます。結果ばかりを追いかける現代でこそ、より深い意味を持つもつのだと私は思っています。(116ページ)

農業の3つの特徴
なぜ農業は資本主義に合わないかは、「労働」ではなく百姓仕事の内実を考えていくとわかってきます。まず、百姓仕事は自然の中で行われますし、生きもの相手です。それは「自分(人間)」対「相手(生きもの)」という関係ではありません。生きもの全体、自然全体に自分も含まれるというものです。また、自分といっても自分一人だけではなくて、村の共同体などの広がりを持っています。そういう、人と人、人と自然とが切り離せない世界というのは、そもそも資本主義には扱えないし、近代化になじまないのではないかと考えて、農業の特徴は、おおまかに3つに整理できるな、と気づいたのです。
農業というものはつまり、「生きものが相手」で、「天地自然という共同体が母体」であり、つまり「人間の欲望に合わせて肥大するものではない」ということです。ところがこれまでの農業は、資本主義に合わせるために、近代化を図ったきました。そのために、「生きものを操作対象として見て」、「天地自然の制約を克服し」、「人間だけの都合を優先させて」近代化されてきたのです。それはやはり無理があるというものです。(118~119ページ)。

百姓への「環境支払い」
今は農本主義の考えとはまったく違う方向である「農業の成長産業化」ということがしきりに言われます。(中略)「他産業並みにする」ために所得を上げる、反収を上げる、生産の効率を上げる、資本主義の発達に遅れないようにする、という方向性は一貫してあったわけです。(123ページ)
資本主義は早晩、破綻するでしょう。(中略)資本主義以後への準備はいろんなところで始まっていると思います。(125ページ)
それでは、農業は具体的にどうすけばよいかという話になれますが、現時点で、すぐに資本主義を否定するのは無理です。そうであけば、農業の半分を資本主義から外したらどうか、と私は主張しているのです。半分は資本主義に乗っかって市場経済でやってもいいかもしれないけど、もう半分は市場から完全に外すという政策を始めればいい。(125ページ)
その一つの方法が、百姓への「環境支払い」(直接支払い)です。EU(欧州連合)諸国では、百姓の所得の七十数%は直接支払いです。(中略)ドイツでも50%を超えています。それは言ってみれば、農業の半分以上は資本主義から外して、あとは国民負担つまり税金からまかなうということです。(126ページ)
直接支払いというと、日本では「それは生活保護に近いのではないか」という見方をする風潮が、おおいにあります。(中略)「この支援金は、カネにならない自然環境や風景を守っている対価として国民が支払うのですよ‥‥‥」という共通認識が世論となれば、受け取る百姓も税金を納める国民も納得できるはずです。(126~127ページ)

「天地有情」の感覚
私は、「天地有情」(天地自然は生きもので満ちていること)を農本主義の新しい土台思想にしようと考えているのです。(144ページ)
食べものは天地のめぐみだという感覚を取り戻す思想を百姓が語らないなら、誰が語るのでしょうか。人間は資本主義の価値観だけで生きているのではないことを、百姓は天地有情の世界で示していく、そういう時代がそこまで来ています。(157ページ)

贈与のモラルは再び根づくか/平川克美
強欲のグローバリズム
グローバリズムとは、国家の統治システムに対して、市場原理を優先させるという考え方です。(165ページ)
お金持ちがお金儲けをするために最適化されたシステムが市場原理主義であり、グローバリズムだということです。再分配のための税金は少なく、ビジネスに規制はなく、資金移動も自由で、稼いだ分はすべて自分のふところに入ってくるようなシステムです。究極の企業優先の論理であり、勝ったものが総取りできるシステムです。弱者にハンディキャップを与えるなんていう無駄を省き、自己責任で競争させるシステムを肯定しているのですから。(166ページ)

共感のグローバリズム
グローバリズム、市場原理主義から、人間を回復するために何が可能なのでしょうか。その答えはナショナリズムの回復ではないだろうと思います。(169ページ)
一つの答えは、共感のグローバリズムへのシフトです。市場原理主義に最も欠けているものこそ、他者への信頼であり、弱者への共感です。ちよっと、大きく構えれば、わたしは、国境を越え、時間を超えるような共感のグローバリズムをつくりだせるかどうかが、人類の未来にかかっていると思います。そして、それを可能にするのは、政府や財界ではなく、選択と集中、分断と排斥のベクトルを、共感と連帯のベクトルへと転換させようとするひとりひとりの力の結集以外にはありません。(170ページ)

経済の定常化と農村
日本はすでに総人口が減り始めていますが、(中略)長い時間スパンの中で経済がゆるやかな成長過程を経てその後にある定常化という着地点に向かっているんだということです。(173、175ページ)
ここで問題なのは、もうすでに定常化が起きてしまっているのに、企業人のマインドセット(思考様式)のほうはまだ経済成長モデルに執着しているということです。(175ページ)
わたしたちは、定常化後の社会というものを構想する必要があるのです。では、その定常化のヒントがどこにあるのかといったら、わたしはそれは第一次産業にあると思うのです。第一次産業がもともと持っている、毎年決まった量を、できるだけ長期にわたって収穫するという考え方そのものが、定常化の概念だからです。(176ページ)
農村部に若い人が戻りつつあるという現象は、全体給付や、相互扶助的なものが社会も自分も救済することになると直感しているからではないでしょうか。(中略)消費化し、人工化した都市部の現状が、あまりにもそこから離れてしまったから。自然の恵み、自然からの贈与を相手にするという、農村のモラルに惹かれる人が増えるというのは、とても健全なことだと思います。(190ページ)
帰農という流れが持続的に続いていくためには、現在の競争経済の中で、再分配のシステムをどういうふうに構築して確保していくのか、人が生き延びていくための制度資本が整備されてからだと思います。たとえば教育、医療、介護などが無償化していく。(中略)もう一つは、ある意味で強引に、つまりベーシックインカム(全ての国民に対して無条件で必要最低限の所得を保障する制度)のようなものが導入されるということです。(193ページ)

贈与の3つのパターン
贈与のシステムというのは、贈与されたら、その返礼は必ず第三者へのパスというかたちをとるということです。こうした、第三者への贈与の迂回によって、全体給付が実現する。あるいは、親から子、子から孫へと順送りにする贈与があります。第三者に渡すか、順送りにしていくか。その「送っている」つまりパスで回すというのが贈与の一番のポイントです。だから、贈与に返礼というものはありません。もう一つのパターンがあるとすれば、贈与合戦のようになって物質を使い果たしてしまう、蕩尽(とうじん)というものがあります。つまり贈与には「順送り」「第三者へのパス」「蕩尽」という3つのパターンがあるということです。(195ページ)
今の社会から次の社会のあり方に移行していくためには、モラルがまず揺らがないと変わらない。いま優勢な「借りたものは返さなくてはいけない」という貨幣経済モデルのモラルがまず揺らがないと、贈与的な相互扶助社会が実現していかない。ただのチャリティーになってしまう。(196ページ)

〇[1]は、「これからの農業論」にとどまっていない。政府や財界が主導する、限界や矛盾が露呈する経済・社会の現状を斬り、未来社会を切り拓く本である。そこに通底する視点や論点は、あえて3つに絞(しぼ)れば、「定常」(経済「成長」から「定常」経済へ)、「循環」(「規模」の経済から「循環」の経済へ)、「贈与」(等価「交換」から「贈与」交換へ)であろうか。
〇内田、藤山、宇根、そして平川の4人の言説をさらに学ぶためには、最近の著作として、例えば次のものが参考になる。グローバル資本主義の終焉と「守るべきはお金よりも山河」であると説く内田樹の『ローカリズム宣言―「成長」から「定常」へ―』(デコ、2018年1月。以下[2])。「田園回帰」を全国へと広げていくためのビジョンや戦略を大胆に提案する藤山浩の『田園回帰1%戦略―地元に人と仕事を取り戻す―』(農山漁村文化協会、2015年6月。以下[3])。「天地有情」と「在所」や「農」への強い情愛に基づきパトリオティズム(愛郷心)を打ち立てる宇根豊の『愛国心と愛郷心―新しい農本主義の可能性―』(農山漁村文化協会、2015年3月。以下[4])。2つの価値観を楕円として捉えてこれからの時代について軽妙に哲学する平川克美の『21世紀の楕円幻想論―その日暮らしの哲学―』(ミシマ社、2018年2月。以下[5])、がそれである。
〇各言説の詳細は原典にあたっていただくとして、ここでは、内田の[2]の章題と副題を記しておく。ローカリズムについての思考の枠組みや施策の方向性が示されている。加えて、現代「社会認識」の内容や方法として留意したい、藤山の[3]と宇根の[4]、そして平川の[5]の核心部分を付記しておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「ローカリズム」考の枠組み/内田樹

田園回帰と循環型社会の社会技術/藤山浩
21世紀において求められる循環型社会に向けて、(中略)「自然」「経済」「暮らし」の本来の関係を取り戻す舞台となる地域社会の構築こそ、田園回帰のなかで進めるべき「地元」の創り直しなのです。(225ページ)
新たな「地元」とは、田園回帰と循環型社会の基本単位となる一次的な生活圏に相当するものです。その人口規模は地形条件などにより大きな幅がありますが、現状から考えて、おおむね300人から3000人程度、平均1500人程度と想定されます。(221ページ)
量的な拡大には限界がありますが、分子構造や生物同士の共生関係に見られるように、多様な要素のつなぎ方の進化には、無限の可能性があります。地域ごとの多様性と地域内の多角性を損なうことなく、分野を横断して複合的そして地域を横断して重層的につないでいく結節機能を創設することが、21世紀の循環型社会において求められる社会技術となることでしょう。そうした結節機能を支える人材・組織・拠点・ネットワーク・制度を進化させていくことが、社会の持続性回復と田園回帰が表裏一体で進む原動力となります。(226ページ)
イギリスでは、近年、マス・ローカリズム(mass localism)と称して、地域の主体性・個性に基づいた取り組みを同時進行させ、その成果を広く共有することで国全体としても大きな成果を達成するボトムアップ的な地域政策手法が注目されています。(中略)現場発のチャレンジを同時多発的にするなかで、共通する阻害要因や促進要因を抽出し、それらを全国的な共通政策として基盤整備や制度改革を行なうのです。また、多様な地域特性を持つ地域の成功や失敗が広く共有されることで、地域相互の学び合いが促進され、上からの押し付けではなく、自ら選び取る手法が促されます。(216、217ページ。図1参照)

ナショナリズムとパトリオティズム/宇根豊
私が重視するのは、ナショナリズム(愛国心)よりも(愛郷心)です。国益よりも在所の価値です。(47ページ)
国民国家がナショナリズムを意図的に国民に植え付けるときに最も役立ったのは「戦争」だと言われています。(中略)こういう誰の心にもはっきり意識できるものを「意識的で強いナショナリズム〈A〉」としておきます。(48ページ)
私たちはいつの間にか「日本人」になっています。この「無意識に」日本の国民だと思う「意識」は、私たちが「国民化」されたからこそ身につけたものです。これを私は「無意識のナショナリズム〈a〉」と呼びます。「ガンバレ! ニッポン」という励ましは、このことを証明しています。(47~48ページ)
私はナショナリズムと対抗する、拮抗するものとしてのパトリオティズムを打ち立てようとしています。これが自覚的で尖鋭化された「意識的で強いパトリオティズム〈B〉」というものです。その内容は、(中略)国民国家が切り捨てようとしている世界を、意識的に守ろうとする情愛と情念を思想化したものです。天地有情の共同体を支えてきた在所の人間の気概の表出です。(49ページ)
パトリオティズムは普段は意識しないものがほとんとです。「日本に生まれてよかった」と思うときもありますが、それは若い頃のふるさとの思い出が多いのは、ナショナリズムというよりも「無意識のパトリオティズム〈b〉」でしょう。これはナショナリズムに回収され、包含されてしまっています。(48~49ページ。表1参照)

真円的思考と楕円的思考/平川克美
花田清輝が書いたエッセイの中の一つである「楕円幻想」の意味は、相反するかに見える二項、(中略)「縁」と「無縁」、田舎と都会、敬虔(けいけん)と猥雑(わいざつ)、死と生、あるいは権威主義と民主主義という二項は、同じ一つのことの、異なる現れであり、そのどちらもが、反発し合いながら、必要としているということです。
どちらか一方しか見ないというのは、ごまかしだということです。
ごまかしが言い過ぎだとすれば、知的怠慢と言ってもいいかもしれません。(206ページ)
「楕円も、円とおなじ、一つの中心と、明確な輪郭を持つ堂々たる図形であり、円は、むしろ楕円のなかのきわめて特殊の場合である」と、花田は言っています。
にもかかわらず、ひとは真円(しんえん。完全な円、つまり一つの中心しか持たず、その中心から等距離にある点が描く図形)の潔癖性に憧れる。
しかし、真円的な思考は、楕円がもともと持っていたもう一つの焦点を隠蔽(いんぺい)し、初めからそんなものは存在していなかったかのように思考の外に追い出してしまいます。
真円的思考とは、すなわち二項対立的な思考であり、それは田舎か都会か、科学と信仰か、権威主義か民主主義か、個人主義か全体主義か、理想主義か現実主義か、どちらを選ぶのかと二者択一を迫ることです。(206、207~208ページ。図2参照。本ブログ「雑感」(58)2017年12月25日投稿参照)

補遺
藤山の[3]から、「規模の経済」と「循環の経済」に関する言説(表・図)を紹介しておくことにする(表2:44ページ、図3:41ページ)。

追記
宇根豊の「農本主義3部作」を改めて記しておく。
(1)『農本主義へのいざない』創森社、2014年7月
(2)『農本主義が未来を耕す―自然に生きる人間の原理―』現代書館、2014年8月
(3)『愛国心と愛郷心―新しい農本主義の可能性―』農山漁村文化協会、2015年3月

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「怒りと希望」:社会に怒りラディカル(徹底的)に抗すること・目の前の一人を慮(おもんぱか)ること・社会的課題をデザインで解き希望に変えること―今中博之著『社会を希望で満たす働きかた』読後メモ―

〇「あなたの『怒り』は何ですか」。この本はこのワンフレーズで始まる。今中博之著『社会を希望で満たす働きかた―ソーシャルデザインという仕事―』(朝日新聞出版、2018年10月。以下[1])がそれである。
〇今中の怒りは、障がい者などの社会的に弱い立場に置かれている人、すなわち「ふつうではないとみなされる人」をさらに痛めつける人や社会のシステムに向けられている。今中は、怒りをつくり出す社会的課題に対峙し、「ソーシャルデザインという仕事」を通して「怒りを希望に変える」「社会を希望で満たす」デザイナーである。今中にあっては、デザインは「整理整頓」(今中のデザインの原点)であり、デザイナーは「社会改良者」「社会活動家」である。デザイナーには、「目の前の一人を慮(おもんぱか)る」(220ページ)、「『なんとなく、分かる』ゆらいだ状態を受け入れる」(113ページ)、「身の丈にあった組織のサイズと、目の届く活動内容にする」(117ページ)、「熱い胸と冷たい頭の態度を身につける」(126ページ)ことなどが必要かつ重要となる。一言をもってすれば、社会に対して“しなやかに したたかに”であろうか。
〇今中の仕事場は、「社会福祉法人 素王会(そおうかい) アトリエ インカーブ」(以下「インカーブ」)である。インカーブは、知的に障がいのあるアーティストと、デザイナーであるスタッフが日常を暮らす場所(「デザイン事務所」)である。そこでは、アーティストによって制作活動が行われ、その(生活)支援活動や環境整備活動がデザイナー(スタッフ)によって展開される。インカーブの運営理念は「閉じながら開く」(48ページ)である。事業の目的は「作品制作をおこなう、知的に障がいのあるアーティストの日常が平安であること、そして彼らの作品に尊厳を取り戻すこと、それに伴って市場で正当な評価を得ること」(137ページ)にある。それ故に、「デザインと福祉」「福祉とアート」「文化と福祉」「市場と福祉」が重視される。
〇今中の人生とインカーブの誕生と展開については、今中博之著『観点変更―なぜ、アトリエ インカーブは生まれたか―』(創元社、2009年9月。以下[2])に詳しい。[2]では例えば、「アートはアカデミズムに犯されず、自らのためにつくりだしたものであり、『創造=オリジナル』である。デザインはその真逆に位置する」(89ページ)。「取材を受けた後、新聞に踊る文言は『頑張っている障害者』や『アートで生きがい作り』、『障害者アート』だった」(144ページ)。「ヒトもモノもコトも、見る角度によって、美しくも、醜(みにく)くも、優しくも、冷たくもなる。ヒトもモノもコトも、見る角度や高さを少しずつコントロールすることができるようになってきた。私はそれを『観点変更』と呼ぶ」(273ページ)。「私は彼らのクリエイティブな能力に心酔してインカーブを立ち上げた。お涙頂戴や見世物小屋として立ち上げたわけではない」(298ページ)、などのフレーズに注目したい。それらは筆者(阪野)に、糸賀一雄の『福祉の思想』(日本放送出版協会、1968年2月)を学生時代に読んだときの感動をよみがえらせる。
〇ここでは、[1]の論考から、福祉教育実践や研究において、筆者が注目あるいは留意したい論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。それは、[1]は「目から鱗(うろこ)」の、福祉教育論の「作品」「テクスト」でもあると評するからである。

アーティストの尊厳と作品の尊厳
(インカーブのアーティストの作品は)初めから評価されたわけではないし、作品が売れたわけでもない。私は「美術館」で展覧会をすべき作品だと思っていたが、美術関係者からは「公民館や市役所のロビー」での展示をすすめられた。バザー商品と同じように展示すれば購入者も現れるかもしれないというアドバイスもいただいた。
一方で、社会福祉関係者からの風当たりも強烈だった。立ち上げてまもないインカーブの事業を講演会で説明したときだった。「あんたらは、障がい者を食い物にしてるだけや。デザインやアートみたいなもんで障がい者が食べていけるわけないやろ。知的障がい者は文句いわへんから、スタッフが好きなことやってるだけやないか」。大阪弁で罵声が浴びせられた。(35ページ)
障がいがあるというだけで彼らの作品をカテゴライズ(分類、区分)し、評価の俎上に載せることをためらったり、市場性があることを認めないのは時代錯誤といえるだろう。(37ページ)
誰もが障がい者の社会参加を当然のことと思えるようになるためには、障がい者もみんなの土俵に上がる必要がある。特別に仕立てられた土俵ではなく、市場というフラットな土俵(現代アートを扱う一般のアート市場:阪野)に上がらなくてはならない。(39ページ)
インカーブやアーティストの矜持(きょうじ。誇り)を守るために、公民館のロビーではなく、お涙ちょうだいの展覧会でもない、作品の尊厳を傷つけない「美術館」で発表し、美術の俎上に載せることを目指したのだ。(42ページ)

デザインとソーシャルデザイン
コトやモノを計画的・意識的につくる行為は確かにデザインである。しかし本来はそれだけではない。つくった先を見据えること、そしてその先の暮らしや環境にも責任を負うことがデザインである。(50ページ)
デザインは、モノの姿や形よりも、「計画」や「意図」にその本質がある。(62ページ)
インカーブのような「障がい者のための社会福祉事業」を興すことも広義のデザインである。(63~64ページ)
ソーシャルデザインとは、「社会的課題を解決」するための、「意図的な企て」を「整理整頓」することで、利益追求を第一義にせず、「社会貢献」をおこなうことだ。ソーシャルデザインの実践は「ソーシャルワーク」を重ね合わせながら考える必要があるため、二つの領域を「行ったり来たり」しながら進めていかなければならない。(58ページ)
ソーシャルデザインは、金もうけを第一義に考えるのではなく、あくまで「生活の困りごと」をデザインの思考や手段を用いて解消することが目的である。その生活は個人のミクロのレベルを起点に考えられる。つまり「市場をつくろう」と思い立つのは、あくまで目の前で「生活の困りごと」を持った個人のためであり、その個人に相対さない限り困りごとの真実は見えてこない。(54ページ)

ソーシャルデザインとコミュニティデザイン
この数年間、ソーシャルデザインと並行して「コミュニティデザイン」という言葉も頻繁に使われるようになった。(中略)ソーシャルデザインは、対象を「目的を一つとしない人々」を含めた集団で、個人から地域、さらに政策や運動などの社会的課題を射程に置く。一方のコミュニティデザインは、「目的を一つとする人々」の共同体で、その社会的課題は、個人から地域までを対象としている。(65ページ)
馴染みのある日本のソーシャルデザイン(「コミュニティデザイン」:阪野)は、過疎化する地方の再生のために、その地域の市民をエンパワーする仕組みや、事業デザインをおこなうことだ。(中略)私が話すソーシャルデザインは、ラディカル(革新的、根源的)で荒唐無稽(こうとうむけい)な物語にうつっているのかもしれない。(160ページ)

ソーシャルデザイナーと「可視化する能力」
ソーシャルデザイナーは、「社会的課題を解決するための意図的な企てを整理整頓する人間」である。彼らに必要とされるのは「社会的課題」を「発見」する能力、その社会的課題を解決するための「バランスの良い」意図的な企て、そして課題を「整理整頓」するときに必要な「狭義のデザイン」能力である。(69~70ページ)
①「社会的課題」を「発見」する能力については、自らの興味と関心、そして怒りが生まれてくる課題を発見してほしい。発見するには、哲学や宗教に裏付けされた思想が必要である。「哲学・宗教抜きのデザインと社会福祉は愛のないセックス」だと言えないだろうか。(70、71ページ)。
②「バランスの良い」意図的な企てについては、両極端な二つの道を否定することから入り、一つの計画を立てること(仏教でいう「中道」)である。(72ページ)
社会的課題にはそれぞれの暗閣(くらやみ)がある。いかんともしがたい状況に出くわすことがある。(中略)その暗闇に分け入るために、ソーシャルデザイナーの覚悟とメンタルのタフさとラフさが要求されている。(73ページ)
③課題を「整理整頓」する能力については、デザイナー独自の能力は、「可視化する能力」である。色や形をつくり、文章を書き、企画書に仕立て、プレゼンテーションをおこない、依頼者・顧客の課題を解決することである。時代が変わってもデザイナーの中核をなす基本のスキルは、可視化する能力につきる。(73~74ページ)

「公と共と私」と「閉じながら開く」
社会を希望で満たしていくために、地域やNPO法人、社会福祉法人は協働すべきである。中でも私は、社会福祉法人を使い倒すことで「公と共と私」をつなぎ直せる可能性にかけてみたい。(139ページ)
現在はおこなっていないが、インカーブの設立当初「見学会」を開いていた。(中略)毎月の見学会には多様な分野から大量の人がインカーブにやってきた。行政は「社会福祉施設は地域に開かれた存在になりましょう」と指導する。その言葉を鵜呑みにした私は、見学会を真面目に開催していた。(142ページ)
そもそもインカーブは、誰を「主体」として仕事をしているのか。それは間違いなく障がいのあるアーティストであり、彼らの制作環境を整えることが第一義である。その主体性を脅やかすモノやコトに抗していくのがわれわれスタッフの仕事であり、ソーシャルデザイン/ソーシャルワークである。開き過ぎれば彼らの精神状態はアップダウンし心の波が立つ。スタッフも見学者へのアテンド(世話、接待)が増え、本来の仕事であるアーティストとの関係が希薄になる。
その後、私がインカーブを「閉じながら開く」組織にしていこうと考えたのは、彼らを慮(おもんぱか)ることができなかった見学会の反省からだった。(143ページ)

「文化芸術の鑑賞」と「価値の高い芸術」
2018年6月7日、文化芸術基本法と障害者基本法の基本的な理念に沿った「障害者による文化芸術活動の推進に関する法律」(通称、障害者文化芸術活動推進法)が衆議院本会議で全会一致で可決・成立した。(中略)私がこの法律で腑に落ちないのは、「文化芸術基本法」の基本理念2条3項で「障害の有無」にかかわらず、「文化芸術を鑑賞」し「参加」「創造」することができるように「環境の整備」を図ると明記されているにもかかわらず、なぜ、新たに法律化する必要があるのか。さらに文化芸術基本法でも踏み込まなかった「芸術上価値が高い」という価値判断は誰がどのようにおこなうのか。美術館に籍を置く多くの学芸員が「障がい者の文化芸術」を大学等で履修した経験が限りなく少なく、研究成果も乏しい中でどのように展示計画を立て、一般市民に普及啓蒙できるのか。また国に貢献する障がい者の作品のみを支援するように感じられるのは、なぜか。特別な法をつくるのではなく、いま起動している「文化芸術基本法」を再改正するべきではなかったか、など言い出せばきりがないのでこのへんでやめとおこう。(152~153ページ)
そもそもこのようなカテゴライズする行為はダイバーシティを掲げる世界の潮流にも反するし、東京2020大会に向かう日本にとっても逆風だと思うのだが。(152ページ)

※ 文化芸術基本法
(基本理念)
第2条 文化芸術に関する施策の推進に当たっては、文化芸術活動を行う者の自主性が十分に尊重されなければならない。
3 文化芸術に関する施策の推進に当たっては、文化芸術を創造し、享受することが人々の生まれながらの権利であることに鑑み、国民がその年齢、障害の有無、経済的な状況又は居住する地域にかかわらず等しく、文化芸術を鑑賞し、これに参加し、又はこれを創造することができるような環境の整備が図られなければならない。
※ 障害者文化芸術活動推進法
(基本理念)
第3条 障害者による文化芸術活動の推進は、次に掲げる事項を旨として行われなければならない。
2 専門的な教育に基づかずに人々が本来有する創造性が発揮された文化芸術の作品が高い評価を受けており、その中心となっているものが障害者による作品であること等を踏まえ、障害者による芸術上価値が高い作品等の創造に対する支援を強化すること。

マイノリティ(少数派)とダイバーシティ(多様性)
私は「デザイナー」の属性と「障がい者」の属性があり、二つを行ったり来たりしながら仕事をしてきた。(214ページ)
「東京2020 Nipponフェスティバル」の「主催プログラム」を検討していた文化・教育委員会の進行台本には、「今中委員には、〈障がいを持つ当事者〉として、また、知的に障がいのある現代アーティストたちの創作活動の支援者として、ご協力いただいた」と記されていた。文章のはじめにある〈障がいを持つ当事者〉である私が、「トークンマイノリティ」だと気づいたのはそのときだった。
トークンは「証拠」という意味で、トークンマイノリティは「お飾りのマイノリティ」ともいわれる。「トークンマイノリティ」ということを否定的に捉えれば、委員会のメンバーにマイノリティ(社会的少数者)の人も含めておけばイメージが良くなるという打算であり、まさにバランスを取るために形ばかりに入れるマイノリティのことだといえる。一方で肯定的に捉えれば、多様な人々の参加によって多様性を実現しているとも、自己と他者のシームレス化(境界線を消すこと)の実現に一役買ったともいえる。(215ページ)
メガネをかけたアスリートはオリンピックに出場し、車椅子に乗るアスリートはパラリンピックに出場すると、われわれは思い込んでいないか。メガネと車椅子が同じ福祉用具なら両者はパラリンピックに出るべきである。メガネがファッションなら、車椅子もファッションである。そうであるなら、オリンピックとパラリンピックは、どちらか一方でいい。メガネも車椅子も有用性という意味では差異はない。(216~217ページ)

〇「怒りは感情的なものではなく、希望を追い求めるがゆえの態度である」(228ページ)。この本の「あとがき」のワンフレーズである。

補遺
〇[1]と[2]に、インカーブの「チーフディレクター」である「神谷梢」のことが記されている。今中は神谷を「福の神」と呼び、「彼女との二人三脚の仕事が始まった」「私の右腕以上の存在となった」([2]103~105ページ)と言う。その神谷が、今中監修の『アトリエ インカーブ―現代アートの魔球―』(創元社、2010年5月。以下[3])」という作品を書いている。[3]では、「インカーブ」「アート」「現代アート」などについて説述されるが、次の三つの文章のみを紹介しておきたい(見出しは筆者)。なお、神谷は、今中が求める「アーティストへの敬意の表明」([1]45ページ)としての、学芸員と社会福祉士の両方の国家資格を持つデザイナー(スタッフ)の一人である。

「インカーブ」
むかし大リーグで内角をえぐる魔球をインカーブと呼んだ。ストレートと変わらない球速で打者の手元で鋭く曲がるパワーカーブ。鞭(むち)のような腕のしなりから放たれた大きく割れるスローカーブ。アトリエ インカーブは二種類のカーブを対機説法(たいきせっぽう。教えをきく人の能力や素質に応じて、理解のゆくように法を説くこと:『広辞苑』等)のごとく使い分けながら、「福祉とアート」の世界で投げ続けてきた。(3ページ)

「これは奇跡ではない」
これは奇跡ではない。普通のこと、当たり前のこと、自然なことと、すこしの、だけどとても素敵な偶然が積み重なってできたのだ。しかし、うがった視線や曇った心で見ていたとしたら、アトリエ インカーブはひとつの奇跡と言えるのかもしれない。(13ページ)

「閉じながら開く」
インカーブの事業は「閉じながら開く」という言葉で言い表される。アーティストたちの制作環境を守るために、外部に対して「閉じ」、日常生活をいっしょに過ごしながら彼らの体調や心の面に目を配る。そしてアーティストが世にでるために、美術館やギャラリーに作品をみてもらうなど「開いて」アウトプットしていく。割合としては「閉じる」が九割、「開く」が一割を心がけている。何よりもアーティスト自身の心身のバランスをとることが大切だからだ。(230ページ)

〇いま筆者は、今中(「アクセル」)と神谷(「ブレーキ」)の「二人三脚」に関して、1977年2月1日に初めて訪問した止揚学園(知的に重い障がいのある人たちの支援施設)のリーダー・福井達雨と園長・面条義清のことを思い出している。当時、「鬼の福井」「仏の面条」と言われていたと記憶する(間違っていたらご容赦願いたい)。その折、福井の逆鱗に触れたことが懐かしい。

「むち打ち症」:激変時代を生き抜くための原理(9+1)―伊藤穣一、ジェフ・ハウ著『9プリンシプルズ』読後メモ/“おもしろさの探究と創造”―

〇桂米朝や文珍の落語「地獄八景亡者戯」(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)は、噺の筋と話芸の巧みさがおもしろい。その噺では、三途の川を渡る際に、死に方によって渡し賃(通常は六文、300円)がぼったくられる。閻魔(えんま)さんのお裁きを受ける前に、“金次第”である。それを節約し、三途の川を泳いで渡るのもまた一興かなという思いでもないが、筆者(阪野)は定年退職と同時にプールに通い始めた。いまではそれなりの時間と距離を泳げるようになった。ただし、ターンのやり方については習得していない(その意味は?)。
〇「今夜は少し早いけど、プールに行こうか」「うん、分かった」「‥‥‥」「赤信号だ」「‥‥‥」“ドカーン”「なに、なに、どうしたの」「すみません。すみません。路肩に移動してください」「‥‥‥」「申し訳ありません。お体は大丈夫ですか。ごめんなさい」「‥‥‥」「大丈夫ですよ」「警察を呼んでください」「保険会社に連絡してください」。寒風のなかの1コマ(1時間半)であった。
〇「むち打ち症の一歩手前ですね」「後になって症状が出てくることもありますので、2、3か月の間、週2、3回ほど通院してください」「わかりました」「電気をかけますね」「ウォーターベットもやりましょうかね」。何故か親切である。
〇冒頭から私事で恐縮であるが、昨年暮れの出来事である。いまも通院している。病院のリハビリ室はまるで桂文珍の噺「老婆の休日」の世界であり、時間である。「最近、Aさんをみないね」「そーだねー。どっか身体の具合でも悪いのかなー」「私もBさんも、元気だからこそ病院に来れる」。電気をかけながら楽しんでいる。
〇過日、宇野重規の『未来をはじめる―「人と一緒にいること」の政治学―』(東京大学出版会、2018年9月)を読んだ(本ブログ「雑感」(71)2019年1月12日投稿)。そこでは、伊藤穣一、ジェフ・ハウ著/山形浩生訳『9プリンシプルズ―加速する未来で勝ち残るために―』(早川書房、2017年7月。以下[1])が紹介されている。宇野によると[1]では、常識自体が激しく変化している現代という時代を生き抜くための処方箋――「9つの原理」(9プリンシブルズ)が示されている。「しなやかさと引く知恵とコンパスを持って」(168ページ)生きる、というのがそのひとつである。
〇遅ればせながら筆者は、早速[1]を入手し読むことにした。その原著は、Whiplash: How to Survive Our Faster Future(Grand Central Publishing,2016)である。原題の“Whiplash”は「むち打ち症」である。
〇「むち打ち症」になりかねないほどの高速で激変する未来(あす)を生き抜くには、どうすべきか。[1]では、その原理(指針)について、イノベーション(変革)をめぐる多くのトピックやエピソードを解説しながら提示する。その論考は、圧倒的な知性を自在に操(あやつ)るものであり、深く広い。難解なところもあるが、刺激的で興味深く、おもしろい。
〇[1]においては、現代社会の特徴は「非対称性」(asymmetry)、「複合性」(complexity)、「不確実性」(uncertainty)にある。「非対称性」(不均等・偏り)は、かつては大きな力に対抗するためには、同等の組織や強さを要した。今日では、小さなものが大きなものに脅威を与えている。「複合性」は、異質性、ネットワーク、相互依存性、適応性の4つの要素から成り立っている。「不確実性」は、これまで人類の成功は正確に予測する能力と直結していた。しかしいまの時代は、未来(あす)を見通すことができなくなっており、無知を認めることのほうが戦略的に優位性を持っている(30~35ページ)、等々を含意する。
〇こうした大きな社会変革が進むなかで、今後の時代や社会において重要になるのが次の「9つの原理」である。「(1)権威より創発」「(2)プッシュよりプル」「(3)地図よりコンパス」「(4)安全よりリスク」「(5)従うより不服従」「(6)理論より実践」「(7)能力より多様性」「(8)強さより回復力」「(9)モノよりシステム」。すなわちこれである。以下に、その要点を抜き書きすることにする。なお、各項目の次に記したキャッチーなフレーズは、訳者・山形によるものである。

(1)権威より創発(emergence over authority)/自然発生的な動きを大事にしよう
伝統的なシステムだと、製造業から政府まで、ほとんどの意志決定はトップが行っていた。従業員は製品やプログラムを提案するよう奨励はされても、専門家と相談してどの提案を実施するか決めるのは、管理職や権威を持つ他の人々だった。このプロセスは通常はゆっくりしており、何層もの官僚主義に包まれ、保守的な手順主義に妨害を受ける。
創発的なシステムは、そのシステム内のあらゆる個人がグループに役立つ独自の知性を持っていると想定する。その情報は、人々がどんなアイデアやプロジェクトを指示するか選択するとき、あるいはそうした情報を得てイノベーションに使うときに共有される。(55~56ページ)

(2)プッシュよりプル(pull over push)/自主性と柔軟性に任(まか)せてみよう
人的資源の最高の使い道は、必要なものだけを、必要とされるときだけに使って、人々をプロジェクトに引き込む(プルする)ことだ。タイミングが鍵となる。創発は問題解決に多くの人々を使うという話ではあるけれど、プルは、この発想をもう一歩先に進め、必要なものを、それがまさに最も必要とされているときにだけ使う。(75ページ)
「プル」は資源を参加者のネットワークから必要に応じて引き出し、材質や情報を抱え込んだりはしない。既存企業の管理職にとって、これは費用削減をもたらし、急変する状況に対応する柔軟性を高め、最も重要な点として自分の仕事のやり方を考え直すのに必要な創造性を刺激することになる。(80ページ)

(3)地図よりコンパス(compasses over maps)/先のことはわからないから、おおざっぱな方向性で動こう
地図は、その土地についての詳細な知識と、最適経路の存在を含意している。コンパスは、はるかに柔軟性の高いツールだし、利用者が創造性と自主性を発見して自分の道を見つけなければならない。地図を捨ててコンパスを取るという決断は、ますます急速に動くますます予測不能な世界では、詳細な地図は無用に高いコストをかけて、人を森に深く引き込んでしまいかねない、という点を認識している。でもよいコンパスは、常に行くべきところに導いてくれる。(106ページ)
地図よりコンパスを重視すれば、別の道を探究したり、回り道を有効に使ったり、予想外の宝物を見つけたりできるようになる。(106ページ)

(4)安全よりリスク(risk over safety)/ルールは変わるものだから、過度にしばられないようにしよう
現代の低コストイノベーションの可能性をすべて活用するにはこれ(安全よりリスク重視)が不可欠だ。(中略)これはますます、製造業、投資、アート、研究のイノベーションでも重要なツールになりつつある。(140ページ)
安全よりリスクに注目する潜在的な便益は、金銭的な利得をはるかに超える。(中略)これ(安全よりリスク重視)は投資と製品開発の古い階層モデルでは閉め出されていた人々にとって、各種の新しい機会を提供する。(142ページ)
これ(安全よりリスク重視)はあらゆるリスクの高い提案を盲目的に支持しまくる必要はないけれど、イノベーターたちや投資家たちに、いま何かをやる費用と、何かを先送りにしようか考える費用とをてんびんにかけるよう促すものだ。(143ページ)

(5)従うより不服従(disobedience over compliance)/むしろ敢(あ)えてルールから外れてみることも重要
不服従、特に問題解決のような極度に重要な領域での不服従は、しばしばルール準拠より大きな見返りをもたらす。イノベーションには創造性が必要で、創造性は――善意の(そしてあまり善意でない)管理職たちの大いなるフラストレーションの源(みなもと)ではあるけど――しばしば制約からの自由を必要とする。(中略)偉大な科学的進歩に関するルールは、進歩のためにはルールを破らねばならないということだ。言われた通りにしているだけでノーベル賞を受賞できた人はいないし、だれかの設計図にしたがっていただけでノーベル賞をもらえた人もいない。(167ページ)

(6)理論より実践(practice over theory)/あれこれ考えるより、まずやってみよう
理論より実践ということは、加速する未来では変化が新しい常態となるので、実際にやって即興するのに比べ、待って計画するほうが高い費用がかかるということを認識するということだ。古き遅き日々なら、計画は――ほとんどどんな活動でもそうだけれど、特に資本投資を必要とするもの――金銭的なトラブルと社会的な後ろ指を指されかねない失敗を避けるのに、不可欠なステップだった。でもネットワーク時代では、主導的な企業は失敗を受け入れ、奨励さえしている。いまや(中略)各種のものの立ち上げは、価格面でも大きく下がり、ビジネスは「失敗」を安上がりな学習機会として受け入れるのがごく普通になっている。(194ページ)

(7)能力より多様性(diversity over ability)/ピンポイントで総力戦やっても外れるから、取り組みもメンバーも多様性を持たせよう
人はつい、ある分野で最も賢く最もよい訓練を受けた人々――専門家――がその得意分野の問題解決に一番向いていると思いがちだ。(224ページ)
さまざまな局面で、多様性のある集団のほうが生産的だと実証する研究は増える一方で、このため多様性は学校や企業やその他の組織にとって戦略的に重要となりつつある。多様性は政治的にもいいし、宣伝にもいいし、その人の人種やジェンダーの平等への取り組み次第では善行にもなる。でも各種の課題のほうでも最大限の複雑性を持ちかねない時代にあっては、多様性は単によいマネジメントだ。これは多様性が能力を犠牲にすると思われていた時代からは驚くほどの変化だ。(225ページ)

(8)強さより回復力(resilience over strength)/ガチガチに防御をかためるより回復力を重視しよう
強さより回復力を示す古典的な例は、葦(あし)と樫(かし)の木の物語だ。台風が吹き荒れたとき、鋼鉄のように強い樫の木は砕けるが、柔軟で回復力のある葦は低くたわみ、嵐が通り過ぎるとまた跳ね起きる。失敗に抵抗しようとして、樫の木はかえってそれを確実にしてしまったわけだ。(243ページ)
長期では、強さより回復力を重視することで、組織がもっと活気ある、堅牢(けんろう。頑丈)で、ダイナミックなシステムを発達させる一助となるだろう。これはとんでもない破綻に対してずっと耐性が高い。はるか遠い偶発事に備えて資源を取っておいたりしないし、不要な手続きだの手順だのに過剰な手間暇を支出したりもしないので、予想外の嵐をも乗り切れるようにする、組織的な健康のベースラインを構築できる。(246ページ)

(9)モノよりシステム(systems over objects)/単純な製品よりはもっと広い社会的な影響を考えよう
ごく最近まで、科学は脳研究に対し、腎臓研究と同じやり方で取り組んできた。言い換えると、研究者たちは脳という器官を研究対象のモノとして扱い、その解剖学、細胞構成、体内の機能などに専門特化して生涯のキャリアとした。でもエド・ボイデン(神経科学者)
はこの学術的な伝統には属していない。(中略)かれのグループは、脳を名詞よりは動詞として扱うほうが多く、独立した器官よりはむしろ重なりあうシステムの焦点として扱い、そうしたシステムを理解するには、その機能を定義づける変化し続ける刺激群の文脈を考えねばならないとしている。(268~269ページ)
各分野のあいだやその向こうの空間は、学術的にはリスクが高くても、競争は少ないことが多いし、有望で風変わりなアプローチを試すにも必要な資源は少なくてすむ。そしていまはあまりうまくつながっていない既存分野間のつながりを開封することで、すさまじいインパクトをもたらせるかもしれない。(282ページ)

〇以上の原理(処方箋)はそれぞれ、「お互いと重なりあり、補いあうようにできている(順番は重要度とは関係ない)」。そして、「9つの原理」や[1]全体に通底する「原理」に、「教育より学習」(learning over education)がある([1]38ページ)。本稿のサブタイトルの「9+1」が意味するところである。なお、その「学習」は自分でやること、「教育」はだれかにしてもらうことをいう([1]38ページ)。
〇例によって唐突であるが、ここで、「まちづくりの10原則」について思い起こしたい(本ブログ「まちづくりと市民福祉教育」(11)2012年10月13日投稿)。「(1)公共の福祉の原則」「(2)地域性の原則」「(3)ボトムアップの原則」「(4)場所の文脈の原則」「(5)多主体による協働の原則」「(6)持続可能性、地域内循環の原則」「(7)相互編集の原則」「(8)個の啓発と創発性の原則」「(9)環境共生の原則」「(10)グローカルの原則」(日本建築学会編『まちづくりの方法』丸善、2004年3月、3~4ページ)がそれである。この「まちづくりの10原則」に「9つの原理」(「9+1」の原理)を掛け合わせて考えてみると、「まちづくりと市民福祉教育」の実践や研究の新たな視点・視座や問題あるいは課題を見出すことができようか(図1)。留意したい。それは、激しい世界の動きや時代の流れとそれが個別具体的に反映される地域・社会において、その動きや流れをおもしろいと感じ、その現状を変革する方向性を見出し、変革する力を育てることが強く求められる、と思うからである。誤解を恐れずにそれを別言すれば、“おもしろさの探究と創造”であろうか。

補遺
日本建築学会 「まちづくりの10原則」
(1)公共の福祉の原則
居住環境や町並み景観、地域経済、教育・文化など、地域社会の 公共の福祉に関わる事項を維持向上させ、安全性、快適性、保健・衛生などの基礎的な生活の場の条件、文化的な生活のための条件を整え、公共の福祉を実現する。
(2)地域性の原則
それぞれの場に存在する多様な(社会的、物的、文化的、自然的、歴史的な)地域資源とその潜在力を生かし、固有の地域性に立脚して進められる。
(3)ボトムアップの原則
公権力の行使としての都市計画や巨大資本による都市開発とは異なり、地域社会の住民と市民の発想を元に、地域社会における下からの活動の積み上げにより、その資源を保全し、地域社会を持続的に改善し、発展向上させる。
(4)場所の文脈の原則
歴史・文化の集積としての「場所の文脈」に対する共通理解の元で、社会・空間をその延長としてデザインし維持運営する。ここで言う場所の文脈とは、歴史的に積み重ねられた行為がそれぞれの場所に集積され生活を支える基盤となっているもので、それぞれのまちの社会と空間を支える基本であるとの認識である。
(5)多主体による協働の原則
個人やそれぞれの組織が自立しつつ、補完し合い、連携・協働して、活動する。このことは、一つのまちづくり活動の内部においても、さまざまなまちづくりが連携する場面においても、共通である。
(6)持続可能性、地域内循環の原則
持続可能な社会と環境を目指して、一挙に特定の目的を達成するのではなく、時間をかけた漸進的な過程を経ながら地域社会を構成する多様な主体の参加を得て持続的に進められる。そして、資源や財産、そして人材が地域内に循環し、持続可能な地域社会を維持しながら運営される。
(7)相互編集の原則
目標とする将来像が事前確定的ではなく、個々のまちづくり活動の成果が相互作用の過程を経ながら整合的に組み立てられ、徐々に「まち」の全体を形づくる。このプロセスを相互編集、相互デザインと呼ぶ。地域の内から、そしてボトムアップで全体を編集するのであり、それを導くのが目標空間イメージの共有とその持続を支える仕組みと技術である。
(8)個の啓発と創発性の原則
住民一人一人、個々のまちづくり組織の個性と発想が生かされ、個の自立と創発性により、それぞれが高め合いながら地域が運営されまちづくりが進められる。
(9)環境共生の原則
自然、生態学的環境の仕組みに適合し、物的環境を維持発展させる。そして、個々のまちづくりの活動の集積が広域的な生活圏、例えば河川の流域圏などの都市と農山漁村の複合環境体を維持向上させ、さらにそれらの集積である地球環境システムの維持に貢献する。
(10)グローカルの原則
地域性に立脚しながらも、常に地球的な視野で構想し、さまざまなネットワークに自らを位置づけ、活動する。まちづくりも、地域という境界を越えボーダレスな情報や知恵の交換が進められ、まちづくりの境界を越えて相互編集される。21世紀のグローバル社会の中では、地域性の原則を維持し、しかし地域に閉じこもるのではなく、拓かれた活動としてのまちづくりが展開されている。グローバルで、かつローカルな視点と行動が求められているのである。
(日本建築学会編『まちづくりの方法(まちづくり教科書第①巻)』丸善、2004年3月、3~4ページ)

「冷たい社会」を「冷たい頭」で考える、そこには「厳しい闘い」と「本当の優しさ」がある:子ども・青年と大人の社会認識や市民性を形成するための愉快な“学び”について―タコツボ的思考からの脱却とネットワーク型思考の展開―

〇昨年11月の日本福祉教育・ボランティア学習学会第24回大会(「あいち・なごや大会」)の「分科会」(自由研究発表)に参加した際、ある種の懸念や危惧が筆者(阪野)の頭をよぎった。福祉教育実践や研究は、その基軸である地域性と共働性をはじめ、多様性と共通性、学際性と総合性、創造性と変革性などについての「知」と「心」と「力」の育成・共有を確かなものにしてきたか。その取り組みはタコツボ化し、硬直化しているのではないか、というのがそれである。多少具体的にいえば、福祉教育は、①その成立基盤であり構成要素でもある科学的な「社会認識」の形成、②その理念や思想とされる「社会的包摂」や「共生社会」についての単一的思考からの解放、そして③その地域・社会の真の「あるべき姿」を展望し未来(あす)を切り開く「市民性」(市民的資質・能力)の育成、などをめぐる問題点や限界についての懸念や危惧である。
〇そんな思いを持ちながら、2019年元日に、不遜の極みであるが布団の温もりとほろ酔い気分のなかで(1)井手英策『18歳からの格差論―日本に本当に必要なもの―』(東洋経済新報社、2016年6月。以下[1])と(2)井手英策・宇野重規・坂井豊貴・松沢裕作『大人のための社会科―未来を語るために―』(有斐閣、2017年9月。以下[2])を読み返すことにした。
〇[1]のメッセージは、僕たちは「社会的弱者を見て見ぬふりする社会」「誰かのための負担をきらう、つめたい社会」「つながりの危機に直面した、生きづらい分断社会」に生きている。「弱者を生まない、誰も後ろめたさを感じなくていい。僕たちはもっと生きる価値のある未来を創り出すことができる」(カバー「そで」)。「誰もが自分の生き方を自分で決められる、そんな自由で公正な社会の可能性を一緒に考えてみませんか?」(112ページ)、である。[2]は「経済、政治、社会をめぐるさまざまな出来事を、できるだけわかりやすい言葉で、できるだけ多様な視点で説き明かし、最後に未来への一つの方向性」(3ページ)を示している。それは、知的な権威に批判的な態度をとる「反知性主義」に対する、「上から目線」の「ささやかな抵抗」(3ページ)でもある。その際、[1]は「財政学」の視点から、[2]は財政学(井手)、政治学(宇野)、経済学(坂井)、歴史学(松沢)などの「社会科学」の立場から説述し、提言を行う。
〇[1]の目次は次の通りである。井手の立ち位置や視点・視座、言説の内容の大筋を知ることができる。また、その項目だけからも、いまの日本社会を思索する際の多くの知的ヒントを得ることができる。

〇以上の項目をめぐる論述について、そのポイントを要すれば次の通りである。かつて「平等主義国家」と呼ばれた日本社会はいま、「格差社会」「分断社会」「自己責任社会」である。この社会を作り出した責任は、政府や財界だけにあるのではなく、「ふつうに生活している人たち、そう僕たちみんな」(29ページ)にある。日本は先進国のなかでも「小さくて効率的な政府」(20ページ)であり、「税への抵抗」が強く租税負担率も低い。「育児・保育、教育、医療、介護、障がい‥‥‥人間が人間らしく生きていくためには、さまざまなサービスが必要である。このサービスを(貧困層に限らず)みんなが受け取り、かわりに必要な財源を(所得に比例して)みんなで分かちあう」(5ページ)。すなわち、「取られる税」から「くらしのための分かちあい」(101ページ)へと視点を変換する。それによって、誰もが・中高所得層も「受益者」になり、「働かざる者食うべからず」の考え方や姿勢などお互いが対立・反発し合うことはなくなる。ここに、「絆」に頼るのではなく「絆」を作り出す(112ページ)、公平・公正で優しい社会が実現する。これが、井手が言う「必要の政治」の戦略(制度設計)である。それを支える哲学は、「所得の大小で人間を区別しない」「お金なんかで人間を評価しない」(96ページ)というものである。
〇ここで、[1]から井手の「思想の根っこにある考え方」(93ページ)について抜き書きする。そこには、福祉教育実践や研究のあり方を再認識する、あるいは問い直す視点や視座が見出される。科学的で革新的な「ネットワーク型思考」に基づく「発想の転換」や「逆転の発想」に留意したい。

◍ 考えてください。そもそも弱者を「助けてあげる」ことは100%正しいのでしょうか。(75ページ)
◍ 救済――それは、人間の善意であり常識でさえあります。でも、それは同時に、確実に、そして深く、人間を傷つけてしまいます。このことに気をつけないと、「救済」と「自己満足」とは紙一重になってしまうのではないでしょうか。(76ページ)
◍ 「傍観」することだけは絶対にやめなければならない。それは未来を創造する権利を投げ出すことだからです。(79ページ)
◍ かわいそうだから助けてあげるのではない、理不尽だから闘うのだ、(中略)弱者の幸福ではなく、人間の幸福を追求するのだ。(93ページ)
◍ みなさん。一度、人間の「違い」ではなく、「同じところ」に想いをはせてみませんか?(中略)みんなが必要なものの組みあわせについて。(110ページ)。
◍ 僕たちは、連帯や団結を人間に強いることはできません。なぜなら人間は人間の心を支配することはできないからです。(110ページ)

〇[2]では、いまの日本「社会をほどき、結びなおす」(1ページ)ために、(1)経済に関連する「GDP」「勤労」「時代」、(2)政治をめぐる「多数決」「運動」「私」、(3)社会における「公正」「信頼」「ニーズ」、(4)未来を読みとくための「歴史認識」「公」「希望」という12のキーワードを取りあげ、切れ味鋭く解説する。それは、「ぐずぐず言わずに考える!」(「帯」)、「知」の力で社会を変える、そのための「共通の知的プラットホーム」(3ページ)すなわち「教科書」の作成・提供である。
〇ここで、[2]から、筆者の関心事項について、そのいくつかを抜き書きあるいは要約する(「である調」に変換。見出しは筆者)。

運動の「正当性」とそのゆらぎ/第5章「運動」(松沢)
「自分たちのことは自分たちで決める」を理念とする民主主義社会では、理念と実際のずれを埋めるために、運動はなくてはならないものである。ある運動が起き、とくにそれが一定の広がりや影響力をもつ場合には、運動参加者のあいだで何らかの価値が共有されていること、また運動参加者はそうした価値が、運動が働きかける相手にも共有されていると考えていること、が前提となる。この「正当性」によって運動は支えられる。正当性の確保に失敗すれば、運動は失敗する。そもそも運動を起こすためには、一人ひとりの個人が結びついて〈私たち〉としてまとまることが必要である。その結びつきの軸になるのが正当性であるが、その軸は時代によって変する。いまの日本社会では、その軸が多様化しており、単一の〈私たち〉を立ち上げることはできなくなっている。それは、一面で、多様な価値観の共存を許す社会に近づいている、ということを意味してもいるが、現代日本の運動は、正当性のゆらぎのなかに置かれていると言える。(88~100ページ)

社会問題の個人化と民主主義の危機/第6章「私」(宇野)
民主主義とは、自分たちの問題を、自分たちの力で解決していく営みである。ところがいまや、若者は自らの生活に不安や不満を抱えていても、ともに問題を解決するための〈私たち〉をみつけられずにいる。団結すべき〈私たち〉の不在――現在の日本の民主主義の最も脆弱な部分がそこにある。かつては、社会問題を解決するにあたって、同じ境遇にある労働者の団結をめざす労働運動も可能であった。今日では労働者といってもおよそ一枚岩ではない。社会問題は、個人にすべて帰責できない事柄までが、個人の問題のように現れている。この社会問題の「個人化」こそが、〈私たち〉の問題を、〈私たち〉の力で解決する民主主義を困難にしている。(105~109ページ)

人々の節度と共生社会の創造/第7章「公正」(坂井)
他者とのかかわりのなかで自分が不公正に扱われることを嫌がり、対等に扱われたいと欲する自尊の心理は、人間が自然にもつものである。そしてこの心理は、他者が自分を対等に扱ってくれるのならば、自分も他者を対等に扱おうという感情につながる。ただしそうつながるためには自尊の心理に節度が必要である。節度がなく暴走すると、自分だけを尊重せよ、自分は他者を尊重しないという感情になってしまうからである。人々が節度をもち、互いを対等に扱おう、互いに必要とするものを尊重しあおうという感情は、人々が共生する社会の礎(いしずえ)となる。節度がきかないならば、相互尊重ではなく、自分だけを優遇せよとなるから、人々が互いに必要とするものを支え合う社会はつくれない。(134~135ページ)

「安心社会」の崩壊と「信頼社会」の構築/第8章「信頼」(宇野)
終身雇用や年功序列といった特徴をもつ日本企業に代表される、いわゆる「日本型組織」は「安心社会」の最たるものである。そのような日本の「安心社会」にも変化がみられる。日本社会は、「安心社会」ではなくなりつつある一方、他者との信頼関係に基づく新たな「信頼社会」にはうまく適応できず、結果として周囲に同調してしまっている、と指摘される(社会心理学者/山岸俊男)。現在、注目が集まっている考え方の一つに「ピア・ネットワーク」(peer network)がある。この場合の「ピア」とは「仲間」や「同等の立場の人間」をさす言葉である。上から下への支持(ママ。指示:阪野)・命令関係ではなく、対等な人間のあいだの相互評価とネットワークこそが、社会を動かす新たな原理となるべきである。「ピア・ネットワーク」は、21世紀の「信頼」の形なのかもしれない。上から力によって統制されるばかりでは、社会は円滑にも、効率的にも運営されない。社会を真に支え、動かすのは「信頼」である。(142~143、150~151ページ)

「パブリック」と「生活の場」「生産の場」「保障の場」の再編/第11章「公」(井手)
自助と共助に委ねられ、依然として自己責任に支えられた日本の財政をどうするのか。このことについては、人々に共通の「パブリック」なニーズを今後どうするのかという問題に加えて、家族やコミュニティなどの「生活の場」、企業を中心とする「生産の場」、国と地方自治体、自治体と自治体という「保障の場」の関係をどう立て直していくのかが問われることになる。私たちはこれから、人口が急激に減少し、経済の成長がかつてほどには見通せない時代を生きていくこととなる。気持ちはどうしてもふさぎかちである。でも、「希望」はある。人間に大切なのは、人口増大や経済成長そのものではなく、どのように人間らしい生活を維持していくか、どのように将来の不安をなくしていくかということである。生活に必要なニーズを3つの場を鋳(い)なおして満たしていく――まさにいま、地域が人口や経済の規模に応じて「生活の場」「生産の場」「保障の場」のそれぞれに力点を置きながら、それぞれの形で生活ニーズを満たしあっていく、そんな多様性の時代が訪れようとしているのである。(196~197、207ページ)

「まだ―ない」希望と「ウォームハート」「クールヘッド」/第12章(宇野)
人間は「もはや―ない」過去によって規定されているのと同じように、「まだ―ない」未来によっても規定されているのではないか(ドイツのマルクス主義哲学者/エルンスト・ブロッホ)。「希望」は、「私たちのなかにすでにある力」を顕在化させることにある。そしてそのような力をはっきりと見定めるためには、「社会科学」の力が必要である。かつてイギリスの経済学者アルフレッド・マーシャルは、「ウォームハート」(温かい心)と「クールヘッド」(冷静な頭脳)の必要性を説いた。希望という「ウォームハート」と社会科学という「クールヘッド」を結びつけること、これこそが本書のメッセージなのである。(213、224ページ)

〇宇野重規の著作に、『未来をはじめる―「人と一緒にいること」の政治学―』(東京大学出版会、2018年9月。以下[3])がある。「政治って何なのだろうか」という中高生に対する講義と座談の内容を収録したものである。講義は、「『人と一緒にいる』のは素晴らしいことであると同時に、時としてつらいことでもある。自分とまったく同じ人間は、世界のどこにもいない。当然、人と人には、いつも『違い』がある。『違い』があるからこそ、人と一緒にいることはおもしろいし、楽しいけれど、時には対立が起き、すれ違いが生じる」(ⅱページ。「である調」に変換)という「基本的感覚」からスタートしている。そして、宇野は言う。「社会において対立はなくならない」(55ページ)。「政治とは本来、互いに異なる人たちが共に暮らしていくために発展してきたもの」(2ページ)である。「政治とは結局のところ人と一緒にいるということ」(126ページ)である、と。
〇[3]から、下記の一文を紹介しておく(「である調」に変換。見出しは筆者)。併せて、次の一節に留意したい。「思い込みを捨てて、なるべく長い射程で物事を考えてみよう」(15ページ)。「ひょっとしたら悲観的(あるいは批判的:阪野)なことを言う方が知的であるように見えるかもしれない」(221、223ページ)。「凡庸(平凡)な人が何も考えなくなるとき、巨大な悪を生み出す」(253ページ)。「人間が生まれてきたのは始めるためである(ドイツ出身の20世紀の政治哲学者/ハンナ・アーレント。」(255ページ)。けだし至言(しげん)である。

「強いつながり」と「弱いつながり」
いままでの政治学は、どうも「強いつながり」ばかりを重視してきた気がする。同じ国民なのだから共に戦うとか、利益を同じくする集団が自らの主張を政治的に実現するとか、ややもすればみんな「強いつながり」(strong ties)の世界でばかりで議論をする。しかし、そういう枠組みばかりで政治を議論していると、どうしても話が煮つまってしまう。これからは、政治の議論でも、もう少し「弱いつながり」を大切にした方がいいのではないか。「弱いつながり」(weak ties)の関係をあちこちにたくさん持っていると、有益な情報が得られたり、視点や発想の転換が生じたりし、ブレイクスルー(行き詰まり状態の打開)に至りやすい。(131~135ページ)

「自由でありたい」と「一緒にいたい」
ルソー(フランス革命や近代教育思想に影響を与えた18世紀のフランスの哲学者)は、生涯にわたって、自分と他者のみならず、自分自身と折り合いをつけることにも苦労した人であった。ルソーは矛盾を抱え込んで悩み、それを乗り越える答えとして「一般意志」(政治社会に必要な一つの意志。いまで言う「民意」)という謎のキーワードを生み出した。これに対して、カント(18世紀のドイツの哲学者)はルソーの思想のうち、自分のことは自分できめたい、自分のボスでありたいという部分を重視して、自律を大切にする哲学をつくった。これに対しヘーゲル(19世紀のドイツの哲学者)は、やはり人間は一人で閉じこもっていてはダメで、矛盾だらけの社会で、少しずつ自由であることを学び、成長していくしかないと説いた。ルソーの中にある「いつまでも一人の人間として自由でありたい」という部分と、「それでも他の人と一緒に社会をつくっていきたい」という部分を、カントとヘーゲルがそれぞれ発展させたとも言える。そして僕らは、いまでも、この三人の思考の枠の中で、ものを考えている(139、159~160ページ)

〇[1]「2」「3」はともに、現代社会が抱える問題や課題について多角的、根本的かつ歴史的な視点に立って、平易な言葉で、幅広く・奥深く解説している。内容は重いが、その説得力とメッセージ性は強く、「知」の面白さやダイナミズムを感じる。また、コトの真贋(しんがん。真偽)を見極めるための新たな視座を得ることもできる。
〇最後に、井上ひさしの次の言葉を付記しておきたい。「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでもゆかいに」(井上ひさし「前口上」『the座』第14号、こまつ座、1989年9月、16ページ下段。電子書籍版/小学館、2016年9月)。

付記
筆者の手もとに、中野佳裕(社会哲学)の『カタツムリの知恵と脱成長―貧しさと豊かさについての変奏曲―』(コモンズ、2017年12月。以下[4])がある。[4]は、大学の学部講義(「開発学」「平和研究」等)を書籍化したものであるが、「自分の生き方そのものの転換を志す者のための格好の手引き」(「帯」)と評される「読み物」である。「カタツムリは脱成長のシンボルである」(12ページ)。「アカデミアの世界は形式ばっていて、どことなく窮屈だという印象(を持っている)。物を考える営みは、もっとリズミカルで創造的なものじゃないか、もっと自由で表現豊かなものじゃないか」(148~149ページ)。「コンヴィヴィアル(自立共生)な市民文化は、他者と共に楽しく考え、語り合い、学び合うことから始まる」(149ページ)、と中野は言う。言説の一部を付記しておくことにする(抜き書き。見出しは筆者)。

「関係性の貧困の深刻化」と「地球環境破壊の悪化」
人類社会は物質的に豊かになったが、その反面、社会の再生産の危機に直面している。社会的次元における「関係性の貧困の深刻化」(生活の個人化、社会関係の崩壊、生活の質的低下などの社会的危機)と、生態学的次元における「地球環境破壊の悪化」(自然環境の汚染、地球資源の枯渇、生物多様性の喪失などの生態学的危機)がそれである。(19~22ページ)

脱成長と感覚世界の変革
消費社会は人間を合理的経済人に還元し、わたしたちの感覚世界を一面的なものに変えてしまった。脱成長の理念と共振するローカリゼーション(地域づくり)の実践は多く存在する。その実践に共通するのは、単なる経済活動ではなく、生活の意味を再発見し、生活の形をデザインし直す表現活動でもある。人間が他の人間や自然と共に生きることの大切さを理解し、そのような生活を喜びのあるものにデザインしていくには、生活の速度を緩め、感覚を解放し、隣人との対話や自然との触れ合いの中から生活のルーツを再創造していくことが、遠回りに見えても確実な道なのではないか。(33~34ページ)

「貧しさ」と「惨めさ」
〈貧しさ〉を購買力の視点からのみ捉えることは、貧しき者たちがその固有の文化の中で営んできた生活倫理や生存のための技法(アート)を捨象し、彼らを資本主義経済の言説空間に閉じ込めることになる。「貧困層」(the poor population)と抽象的な集合名詞で括(くく)られるようになった貧者は、もはや能動的主体ではなく、経済政策の受動的対象へと還元させられている。貧者の内発的能力や自律性が否認されたとき、〈貧しさ〉は物質的生活と精神的生活の両側面で〈惨めさ〉を引き起こす。(57、58、61ページ)

地域づくりと創造性・芸術性
これからの地域づくりは、人間と物の世界との感性的な関係を捉え直すことから始めなければならない。わたしたちはもっと表現的な人間にならねばならない。だからこそ、このテーマに関わる学問研究は、人間の感性的な次元を重視し、未来への構想力を育むような言葉と仕掛けを演出していく必要がある。ローカリゼーションに関する研究分野においては、そこに携わった人が〈共〉(the common、一緒・仲間)の表現者となれるような、創造性と芸術性にあふれる知が生まれることを期待したい。(150ページ)

「“助けて”と言えない無縁社会」×「“違った意見”が言えない統制社会」:気がつけば民主主義が民主的な手続きによって内側から壊れている―奥田知志を読む―

〇2018年11月24日~25日、日本福祉教育・ボランティア学習学会の第24回大会(「あいち・なごや大会」)が日本福祉大学(愛知県東海市)で開催された。
〇奥田知志(おくだ・ともし。牧師、NPO法人抱樸理事長)の記念講演―「共に生きる意味」と、それを受けて行われた大橋謙策(おおはし・けんさく。東北福祉大学大学院教授、元日本社会事業大学学長)との対談―「共生文化の創造にむけた学び」は圧巻であった。宗教や実践・研究の体系を持つヒトは強くて深い。聞き手は感銘を受け、心が揺さぶられる。
〇周知のように、奥田は、生活困窮者(ホームレス等)に対して、信仰(神学)に支えられた深い洞察とそれに基づく個別的で包括的かつ持続的な「人生支援」を行っている。奥田は言う。「自己責任論の社会が私たちから奪ったものがある。それは『助けて』という一言である」(奥田知志『「助けて」と言おう―3・11後を生きる―』日本キリスト教団出版局、2012年8月、37ページ)。大橋は、地域福祉の理論と思想、方法(コミュニティソーシャルワーク)、そして福祉教育について実践的研究を進めている。大橋は言う。「新たな社会システムに必要な価値、意識として“博愛”の精神の涵養とそれを推進する福祉教育が求められる」(大橋謙策『新訂 社会福祉入門』放送大学教育振興会、2008年3月、227ページ)。
〇筆者(阪野)が奥田を知ったのは、NHKクローズアップ現代取材班編著『助けてと言えない―いま30代に何が―』(文藝春秋、2010年10月)である。その本の「帯」の一文、「言えない/孤独死した39歳の男性が便箋に残した最後の言葉は『たすけて』だった」に衝撃を受けたことを覚えている。いま筆者の手もとに、奥田が執筆した本(単著、共著、分担執筆)が6冊ある。

(1)奥田知志『もう、ひとりにさせない―わが父の家にはすみか多し―』いのちのことば社、2011年6月(以下[1])
本書の内容をあえて言えば、「絆の神学」とも言うべきであろうか。しかし、それは空論ではなく、具体的な「ホームレス」との出会いの中から紡(つむ)ぎだされた「絆の物語の神学」である。この時代に「だれ」と、どのような「絆」を結んで生きるのかと、この本は問いかけている。(関田寛雄「推薦の言葉」6ページ)、
(2)奥田知志『「助けて」と言おう―3・11後を生きる―』日本キリスト教団出版局、2012年8月(以下[2])
震災以来声高に叫ばれ続ける「絆」という言葉。しかし多くの場合、そこで意味しているのは自分に都合のよい絆のこと。ホームレス支援の現場と震災支援の中で見えてきた、傷つくことを恐れて自己責任論の中に逃げ込む現代人の心のあり方を問う。(「帯」より)
(3)奥田知志・茂木健一郎『「助けて」と言える国へ―人と社会をつなぐ―』(集英社新書)集英社、2013年8月(以下[3])
ホームレスが路上死し、老人が孤独死し、若者がブラック企業で働かされる日本社会。人々のつながりが失われて無縁社会が広がり、格差が拡大し、非正規雇用が常態化しようとする中で、私たちはどう生きればよいのか? 本当の“絆”とは何か? いま最も必要とされている人々の連帯とその倫理について、社会的に発信を続ける茂木健一郎と、長きにわたり困窮者支援を実践している奥田知志が論じる。対談本。(カバー「そで」より)
(4)佐藤彰・奥田知志・宋富子/明治学院150周年委員会編『灯を輝かし、闇を照らす―21世紀を生きる若い人たちへのメッセージ―』いのちのことば社、2014年3月(以下[4])
本書は、明治学院150周年記念連続講演会(2013年11月、明治学院高校主催)を再録したものである。奥田の講演「その日、あなたはどこに帰るか?―誇り高き大人になるために」が収録されている。メッセージは、「誇り高い人類として生きたいのならば、『助けて!』と言ってください。『助けて!』は、新しい社会を創造するために欠かせない言葉です」。(77ページ)
(5)奥田知志・稲月正・垣田裕介・堤圭史郎『生活困窮者への伴走型支援―経済的困窮と社会的孤立に対応するトータルサポート―』明石書店、2014年3月(以下[5])
奥田知志によって名づけられた「伴走型支援」の思想・理念・仕組みを確認するとともに、その成果と課題を実証的に明らかにしたうえで、これからの生活困窮者支援の方向性を示す必要があると考えた。それが本書である。(稲月正「はじめに」4ページ)
(6)埋橋孝文/同志社大学社会福祉教育・研究支援センター編『貧困と生活困窮者支援―ソーシャルワークの新展開―』法律文化社、2018年9月(以下[6])
本書は、①「伴走型支援」の内容、②家計相談支援の意味と方法、③学校ソーシャルワークの背景と機能、④保育ソーシャルワークの今後の方向性など、生活困窮者および(子どもの)貧困に関するホットイシューズを取り上げている。講演記録集。(埋橋孝文「序」3ページ)

〇本稿では、以上のうちから、[1]の論考について筆者が留意したい論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「一人称」で語られる「安心・安全」は人を無縁へと押しやる
「安全、安心の街づくり」とは、いったい何であったのか。そもそもホームレス状態の人々を「タイプの違う人」と呼び、「治安や秩序が乱れる」と決めつけているのは差別である。「安全、安心の街づくり」が人を排除し、その人たちを死へと向かわせている。「安心・安全」が、人を無縁へと押しやっているのである。
あえて問いたい。「安心・安全はそんなに大事か」と。自分たちの「安心・安全」を追求する地域社会が、「自分の安心・安全」を守るために他者との出会いのチャンスを自ら閉ざし、敵対心を燃やす。あるいは、それを理由に無関係を装う。([1]92ページ)
実際の「安心・安全」は、常に「一人称」で語られる。私の安心・安全、我が町の安心・安全、我が国の安心・安全、我が家の‥‥‥。そこには、あなたの安心・安全や彼らの安心・安全は存在しない。全部が「我がこと(一人称)」なのだ。
そもそも人が出会い、共に生きようとする時、人は多少なりとも自分のスタイルやあり様を変えざるを得なくなる。すなわち、自らの都合を一部断念せざるを得なくなる。出会いというものは、その意味で自分の「安心・安全」のみを願う私たちにとって、「危険」だと言わざるを得ない。出会いによって人は学ぶ。そして学ぶと、人は変えられ、新たにされる。([1]93ページ)

「自己責任論」は社会の無責任を肯定し人を分断・排除する
自己責任論社会とは、困窮状態に陥ったその原因も、またそこから脱することも、すべては本人次第、本人の責任であるという考え方である。現在の社会は、この自己責任論に席巻された感がある。([1]162~163ページ)
自己責任論の構造は、ある人に関する責任を、ある一定の範囲に押しとどめて理解するというものである。自己責任、あるいは身内の責任は、自分自身、あるいは家族という一定の範囲に責任を押しとどめた。その結果、周囲は無責任を装えたのだ。「自己責任論」は、社会の無責任を肯定するための理屈だった。
自己責任論的な構造は、日本社会においては以前からあったと思う。しかし、当時成長を続ける社会というものが前提として存在していたゆえに、がんばればチャンスを手に入れられるという時代でもあった。すなわち、個人のがんばりが効く時代であった。自己責任という言葉は、教育的な面も含め、ある程度の意味があったのだ。
しかし、現在のような低成長期において、企業社会や家族的経営と呼ばれたものは崩壊し、終身雇用制は原則ではなくなった(賃金労働者の4割が非正規雇用である:阪野)。公の行う社会保障も先細るなかで、自己責任は「励まし」ではなく、人を分断、排除するための用語となった。([1]168ページ)

「孤族」の時代は「何が必要か」とともに「だれが必要か」を問う
ホームレス支援において重要なのは、「ハウスレス」と「ホームレス」という、2つの困窮という視点である。ハウスレスは家に象徴される、食糧、衣料、医療、職などあらゆる物理的(・経済的:阪野)困窮を示す。もうひとつは、ホームレス。それは、家族に象徴されてきた関係を失っている、すなわち関係的困窮(無縁:阪野)を言う。税制と社会保障の一体的改革は、ハウスレス問題にとって重要な課題である。経済の動向がこの先どのようになるのか。労働者の権利がどのように守るのかなど、課題は山積である。しかし一方で、たとえ食べられるようになったとしても、だれと食べるのかという問題は、さらに重要な事柄なのだ。
この視点に立ち、野宿者支援をしてきた私たちが考え続けたことは、この人には今何が必要か、ということとともに、この人に今だれが必要か、ということであった。そして今日、このホームレス問題は、野宿状態という物理的困窮の有無にかかわらず、多くの人々が抱えている問題となっている。([1]171ページ)
「無縁社会」や「孤族」の時代は、ホームレス問題がもはや路上の問題ではないことを明示している。このホームレス化を促進したもの、その最大の要因が「自己責任論」であったと思っている。([1]172ページ)

「傷」つくことなしにだれかと出会い「絆」を結ぶことはできない
自己責任社会は、自分たちの「安心・安全」を最優先することで、リスクを回避した。そのために「自己責任」という言葉を巧妙に用い、他者との関わりを回避し続けた。そして、私たちは安全になったが、だれかのために傷つくことをしなくなり、そして無縁化した。
長年支援の現場で確認し続けたことは、絆には「傷」が含まれているという事実だ。([1]209ページ)
傷つくことなしにだれかと出会い、絆を結ぶことはできない。出会ったら「出会った責任」が発生する。だれかが自分のために傷ついてくれる時、私たちは自分は生きていてよいのだと確認する。同様に、自分が傷つくことによってだれかがいやされるなら、自分が生きる意味を見いだせる。自己有用感(自分は人の役に立っているという意識:阪野)や自己尊重意識にとって、他者性と「きず」は欠くべからざるものなのだ。([1]210~211ページ)
「傷つくという恵み」――国家によって犠牲的精神が吹聴された歴史を戒(いまし)めつつ、今こそ他者を生かし、自分を生かすための傷が必要であることを確認したい。([1]211ページ)

〇[1]にはいわゆる「囲み記事」が7本ある。そのなかに「手紙」(98~99ページ)、「配達されない手紙」(114~115ページ)がある。

〇言うまでもなく、民主主義の存立基盤は「参加」「熟議」「自治」であり、「多数決」はそのひとつの要素でしかない。民主主義イコール多数決ではない。
〇日本社会はいま、福祉や教育の世界においても、規制緩和や市民参加(「我が事・丸ごと」等)が声高に叫ばれるなかで、民主主義の崩壊が進み、国家権力による管理・統制が強化されている。「地域参加による学校づくりのすすめ」(「コミュニティ・スクール」等)や市民によるまちづくり(「地域福祉計画」等)の「主体性」や「自律性」も所詮は、規制緩和と同時並行的に管理・統制の変更や強化が図られるなかでのものに過ぎないのか。こうした社会認識のもとで改めて[1]を読むと、奥田らの地べたを這いずり回り、血がにじむ取り組みにただただ頭が下がる。とともに、日本社会の危うさを痛感する。そんななかで、「恵さん」と「信久さん」の手紙に一筋の光明を見出したい(注①)。これまで以上に、福祉教育実践や研究のあり方や取り組みが厳しく問われている。
〇福祉教育についての議論は、「学会」の界隈だけにあるのではない。個別具体的な実践や研究が展開されている福祉教育現場こそが重視されなければならない。「学会」は、最新の福祉教育実践や研究の成果を持ち寄り、多面的・多角的な視点から議論し、実践・研究の深化や発展を図る“現場”である。その“現場”ではいまだに、(岡村重夫や大橋謙策らの)権威ある学説を無条件に受け入れたり、眼前の地域・社会や新たな社会福祉問題に向き合おうとしない「報告」が散見される。高齢者や障がい者、生活困窮者、外国籍住民などを福祉教育実践や研究の「共働者」ではなく、言い古された「当事者」として位置づけるモノも多い。また、気鋭の実践家や研究者による実践・研究の学際的・総合的視点からの掘り起こしやブラッシュアップ(磨き上げること)も、必ずしも十分であるとは言えない。「あいち・なごや大会」に参加して思ったことのひとつである。


① NPO法人抱樸では、小・中学校からの「ホームレス」についての授業の依頼に応えるために、「生笑(いきわら)一座」を興し、公演カリキュラムにホームレスから自立した人による「語り」を取り入れている。その際の「当事者」によるメッセージは、(1)「生きてさえいればいつか笑える日がくる」、(2)「『助けて』と言っていい」である(日本福祉教育・ボランティア学習学会『第24回あいち・なごや大会 報告要旨集』2018年11月、38~42ページ)。

補遺
奥田の言説のキーワード・キーコンセプトのひとつに「伴走型支援」がある。奥田によるとそれは、「1988年にホームレス支援が始まり、以来、路上での生活やその後の看取りまで続く営みのなかで生まれた支援論である。学者が豊富な知識を駆使して構築した体系ではない。日々の経験が積み重ねられ、何よりも当事者から学ぶなかで澱(おり。液体の底に沈んだカス:阪野)が沈殿していくようにできた支援論である」([6]27ページ)。奥田は、生活困窮者支援における「伴走型支援の7つの理念」について次のように整理している。([5]56~72ページ抜き書き)
(1)家族(家庭)機能をモデルとした支援
家族(家庭)が持っていたと想定される機能に、①包括的、横断的、持続的なサービス提供機能、②記憶の蓄積と記憶に基づくサポートプラン策定機能、③持続性のあるコーディネート機能、④役割の担い合いによる自己有用感提供機能、がある。伴走型支援は、これらの家族(家庭)機能をひとつのモデルとした支援である。
(2)早期的、個別的、包括的、持続的な人生支援
伴走型支援は、生活困窮者が社会的に孤立状態にあり、しかも多様で複合的な課題を抱えているとの認識に立つがゆえに、早期的、個別的、包括的、持続的な支援でなければならない。それは「自立支援」にとどまらず、「人生支援」である。
(3)存在の支援
伴走型支援は、従来の問題解決型の「対処・処遇の支援」に加えて、「伴走そのもの」を支援とする。伴走者と当事者が、向き合うこと、関係すること自体が支援である。
(4)参加包摂型の社会を創造する支援
伴走型支援は、徹底して個人に寄り添うことから始まる。当然の帰結として、社会や地域を問うことになる。困窮者支援は、経済的困窮状態にあり、社会的に孤立した「個人の社会復帰を支援する」といわれるが、問題の本質は「そもそも復帰したい社会であるかどうか」というところにある。
(5)多様な自立概念を持つ相互的、可変的な支援
伴走型支援は、生活自立や社会参加を基軸とした社会的自立、経済的自立など多様な自立概念から構成される。伴走は、助けられたり助けたりという相互的な関係である。また、助けられた者が助ける側に変われる可変性が担保されなければならない。
(6)当事者の主体性を重視する支援
伴走型支援は、当事者が自分で自分を助ける力を得ることである。当事者は「できない人」ではなく、「自分を助けることができる人(になる)」との認識に立つ。「まず自助、次に共助、最後に公助」という順番が重視されるが、自助は、公助や共助が適正に機能している状況において成立する。
(7)日常を支える支援
伴走型支援は、人生支援である。そして人生の大半は、なにげない日常である。伴走型支援は、この日常を支える支援である。伴走型支援は、「日常は問題が起こる場所である」という認識に立ち、日常を支える参加包摂型社会の構築をめざす。

「ひとりでボーっと生きてんじゃねーよ!」:幸せは“関係性の豊かさ”にあるという言説―ステファーノ・バルトリーニ著『幸せのマニフェスト』読後メモ―

練りに練ったアイデアより、一瞬のひらめきが勝ることがある。このひらめきが、「ぼんやり」から生まれることが近年分かってきた。実は、何もせずにぼんやりしている時の脳は、意識的な作業をしている時の15倍ものエネルギーを消費している。つまり脳は働いている。(中略)確かに、思わむ文章が突然に浮かぶことがある。(日本農業新聞「四季」2018年11月30日)

〇筆者(阪野)が本稿を草することを思い立ったのは、畑仕事の合間に、ひとりで「ぼんやり」とあたりを見回していたときである。最近、畑仕事をすると以前にも増して疲労度が高まることに、「ガッテン」した。筆者がひらめきをメモるのは、かつては小さな手製の用紙であったが、いまはそれが携帯の電子機器に変わった。そのせいではないが、当初のひらめきはあらぬ方向へ漂っていったり、霧散霧消することも多くなった。別の意味で、「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と言われそうである。
〇朽ちかけた白壁土蔵のある広い屋敷の旧家に、ひっそりと暮らす老夫婦がいる。同じ仕様の可愛い分譲住宅が立ち並ぶ一画からは、子どもたちの無邪気な笑い声が聞こえてくる。“幸せ”はどこにあるのか、を考えてしまう筆者が暮らす地域の光景である。老夫婦はかつては、上がり框(かまち)や縁側で、豊かな人間関係を持っていたのであろう。若い家族はこれから、外向きに開く玄関のドアから、新たな社会関係を作り上げていくことになる。
〇筆者の手もとにいま、2冊の本がある。(1)古沢広祐『みんな幸せってどんな世界―共存学のすすめ―』(ほんの木、2018年3月。以下[1])と(2)ステファーノ・バルトリーニ、中野佳裕訳『幸せのマニフェスト―消費社会から関係の豊かな社会へ―』(コモンズ、2018年7月。以下[2])、がそれである。古沢は環境社会経済学、イタリアのバルトリーニ(Stefano Bartolini)は経済学、中野は社会哲学を専攻する。本稿では、それぞれの論述から、注目しておきたい論点や言説のいくつかを紹介しておくことにする(抜き書きと要約。[1]は「である」調に変換。見出しは筆者)。

(1)古沢広祐『みんな幸せってどんな世界―共存学のすすめ―』
人類社会ではいま、生存環境の危機、グローバル社会経済システムの歪み、人間存在の空洞化(実存的危機。存在の不安定化や揺らぎ:阪野)が進行している([1]176~177ページ)。古沢は、世界が直面している経済・社会・文化・自然などの諸問題について多面的・多角的に考察し、「みんなが幸せに生きる世界」への道筋を探る。その際に拠って立つ視点が「共存」である。そして、互いの存在を受け入れ、「関係性の豊かさ」を追究する「共存学」を構想する。

「共生」と「共存」
「共存」という考え方は、これまでキーワードとされることが多かった「共生」という理想よりも緩やかな概念である。(中略)「共生」や「みんなが幸せであること」のように、全員が一つの価値観を共有することを理想とする世界は簡単には実現しないし、持続もしない。実際の世界で起きている出来事はもっと多様で複雑である。他者や他文化を許容し、受け入れ、変化を強制しないという意味で、「共存」を考えたい。多様な考え方や価値観、存在のあり方を探って困難な問題を解決に導くには、「共存」を土台に考えることこそ意味がある。
([1]11~12ページ)

「環境的適正」と「社会的公正」
新時代を象徴するキーワードとして、「持続可能な発展・開発(Sustainable Development)」という言葉が世界的に定着してきている。([1]42ページ)
持続可能な開発とは、より具体的には「環境、経済、社会について調和のとれた発展をめざすこと」と解釈されるのが一般的である。補足して言いなおすと、「発展の原動力である経済発展を、環境的適正(調和)によって、また社会的公正(貧困や格差の是正)によって、調和をはかる(調整される)こと」となる。([1]43ページ)

「結束型」紐帯と「橋渡し型」紐帯
人間存在のあり方については、「社会関係資本」(ソーシャルキャピタル)という考え方を手がかりにしてとらえることもできる。地域社会の基盤を強化する働きとして、近年注目されてきた概念である。人々のつながりや関係性が、地域社会の土台・基礎を形づくっている様子を示す。そこには、狭く限定的な結びつきとしての「結束型」紐帯(ちゅうたい)と、広域性をもつ多様でゆるやかな「橋渡し型」紐帯の二つのタイプがある。
地域がその存在基盤を揺るがされるとき、この二つの要素が微妙に重なりながら地域再建の動きとして展開されると考えられる。仲間内だけの狭い関係(結束型)だけに閉じこもらず、開かれた関係性(橋渡し型)が生じて、その両方がうまく連動することで思いがけない展開が生まれるのである。([1]130ページ)

「共存」と「共存学」
現代という時代が「共生」という理想ではとらえがたい状況にあり、混迷期を迎えていることへの仕切りなおし的な意味をもつ。
「共存学」では、対立や敵対を回避しつつ、より創造的な関係性への契機を含み込んだ状況に光をあてて究明していくこと、多角的視点から世界をとらえなおす取り組みをしてきた。「共存」とは、「多様な人間集団(地域社会、国家、国際社会)の存在様式において、敵対的関係(他者の否認)ではなく、互いに存在を受け入れ(存在受容)、関係性を維持しつつ多様性構築の可能性を保持する様態」ととらえている。
人間の世界は複雑な関係、安定性を欠いた緊張状態を内在させている。そこに、協調的関係と秩序が形成される過程として、対立、敵対、諸矛盾の克服・調整を経つつ、安定性や持続性に向かう共存の関係が形成されてきた。そして、共存からより安定した共生の関係が模索されてきた。それは一方向的で単純な動きではなく、複雑なダイナミズムと矛盾を秘めた多義的・重層的な諸関係を内在させている。いわば「共生」にいたるまでには多義的な経過や展開があり、その原初的形態とも呼ぶべき「共存」をキーワードに、諸問題を探る試みとして共存学は構想されたのである。([1]182~183ページ)

(2)ステファーノ・バルトリーニ、中野佳裕訳『幸せのマニフェスト―消費社会から関係の豊かな社会へ―』
深刻な現代社会の危機は、「関係性の衰退や幸福感の低下」([2]12ページ)によって特徴づけられる。バルトリーニは、“幸せ”の問題を主観的・個人的なものとしてではなく、社会的・制度的な問題として捉える。そして、「関係性の貧困」や「防衛的資本主義」に関するデータ分析を通して、脱物質主義的な社会構想(政策案)を提示する(注(1):阪野)。バルトリーニはいう。「経済成長を盲目的に信頼する文化」は「古びてきている」([2]318ページ)。アメリカは模倣すべき「モデル」ではない。

「関係性の衰退(貧困)」と「防御的な経済成長(資本主義)」
幸福度に関する、1975~2004年の米国のデータによると、所得の増加は幸福度にプラスの効果を与えるが、それ以上にマイナスの効果が上回っている。その主な要因は関係性の衰退である。さまざまな指標は、孤独、コミュニケーションの困難さ、不安、孤立感、人間不信、家庭崩壊、世代間の分断の増大、連帯や誠実さの低下、社会参加・市民参加の減少、社会環境の悪化を示している。
この幸福度指標は、社会関係財という概念を統計学的に示した結果である。この指標は、社会関係を通じて得られる人間の経験の質を示している。社会関係財が幸福度に与える影響は非常に大きい。([2]27ページ)
社会関係の悪化を引き起こす傾向にある経済的・社会的組織の類型を、〈防御的な経済成長によって動かされる資本主義〉(防衛的な資本主義)と呼ぼう。このようなタイプの資本主義では、経済成長が社会関係の悪化を引き起こすとき、経済の拡大成長によって社会関係(および環境)の破壊を推進するプロセスが発生し、そのプロセスが経済成長を導く。自己展開するこのメカニズムによって、私的所有に基づく富は増加し、コモンズ―社会関係財、環境―はますます欠乏していく。([2]31ページ)
社会関係の悪化は、さまざまな意味で現代人を〈働き詰めの生産者〉と〈熱心な消費者〉に変えてしまった。現代人はアイデンティティと魂の抜けた居住区に暮らし、それゆえに社会関係の悪化に一層晒(さら)され、より多く働き、生産し、ストレスを溜(た)め込んで慌(あわ)ただしく生活し、自動車を乗り回している。それゆえ、お金が必要となる。現代人はこのように暮らしながら社会関係と環境を悪化させ、そこから逃げようとする。これこそが防御的な経済成長の悪循環だ。([2]49ページ)

「消費文化」と「外発的」動機
我々の社会関係の質に影響を与えるきわめて重要な要素は、文化だ。(中略)関係性の悪化を導く文化は「消費」文化である。
消費文化、すなわち消費主義文化は、生活における外発的動機づけを重視し、内発的動機づけは軽視する。外発的動機づけと内発的動機づけの区別は、行為の動機を支える手段の違いとして現れる。「外発的」という言葉は、お金のように、人間の活動の本質とは関係のない動機につけられる。これに対して「内発的」という言葉は、友情や連帯や市民感覚など人間の内面における動機を指す。要するに、消費主義的な価値観を採用する諸個人は、感情、社会関係一般、社交的な行動をあまり重視せず、お金、消費財、経済的成功などの外発的な目標に高い優先順位を置く。([2]34ページ)
米国社会における社会関係の衰退の最も有力な要因は、この類の消費文化の普及である。([2]36ページ)

「社会関係財」と「社会関係資本」
社会関係財は、社会科学で広く使用されている「社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)」概念の一構成要素である。社会関係資本は、諸個人の間や個人と制度の間に存在するあらゆる種類の非経済的関係を指す。社会関係財以外にも、たとえば政治投票への参加、市民意識、制度に対する信頼などが社会関係資本に含まれる。([2]89ページ)
ロバート・パットナムは、米国の社会関係資本が1960年代以降衰弱しており、この傾向が米国内の社会的まとまりと民主主義の安定性を長期間脅かしていることを指摘している。([2]89ページ。注(2):阪野)

「ポスト・デモクラシー」と「民主主義の衰退」
コリン・クラウチ(イギリスの社会学者・政治学者)が使用する「ポスト・デモクラシー」という用語は、現代民主主義がその政治的意思決定過程において経済エリートからの大きな影響を受けている事実を示す。政治的意思決定は多くの場合、選挙で選出された政治家と経済的権益を独占する民間グループ〔=大企業など〕の間のやりとりに基づいている。その一方で、投票だけでなく討議や自主組織を通じて大衆が公共的選択に参加する可能性は著しく減っている。
ポスト・デモクラシーは民主主義ではない。なぜなら、公共的問題の管理を民主主義以前の状況―つまりは閉鎖的なエリート集団に帰属させる状況―にまで後退させているからだ。市民の役割は選挙の投票に行くだけとなった。しかも選挙は、事前に決められた限定的なテーマへと公共の議論を誘導する情報伝達の専門家たち〔=マスメディアなど〕によってコントロールされている。選挙という儀式の外で、市民は受動的で従順で無感動に生きる役を演じるように求められているのだ。([2]60~61ページ)
ポスト・デモクラシーは、防御的な資本主義の制度的支柱のひとつだ。我々に必要なのは生活可能な世界であり、より大きな経済的繁栄ではない。しかし、ポスト・デモクラシーは生活可能な世界をつくるのではなく、お金を増やすように我々を駆り立てる。([2]61~62ページ)
ポスト・デモクラシーは、お金を求める経済競争に火をつける。([2]62ページ)

〇バルトリーニによると、現代資本主義社会の病理の原因は、消費主義的価値観・文化の普及拡大による社会関係や親密な人間関係の悪化にある。その典型はアメリカに見られるが、ヨーロッパや日本においても例外ではない。そうした病んだ「消費社会」に取って代わるべきは、脱物質主義的価値観・文化に基づいて社会的共有財を重視する「関係性の豊かな社会」である。その社会を構築し支えるのは、内発的動機による労働である。
〇バルトリーニはいう。「消費主義の普及の主犯格は経済システムと教育制度である」([2]36ページ)。市場経済システムのもとでは、社会関係は個人的・物質的な利潤に基づくものとなる。関係性の豊かなまちづくりを進めたり、信頼・協力関係や満足度の高い労働の実現を図るためには、「連帯経済」の成長が求められる。連帯経済活動には、企業の社会的責任や非営利組織(NPO)、社会的協働組合などによるさまざまな活動があるが、それらは内発的動機づけに支えられている([2]306~307ページ)。
〇「学校は既存の体制(ステータス・クオ〈Status quo:阪野〉)を変革するためのエンジンとならねばならないのに、現在ではそれを再生産するために機能している」([2]58ページ)。「現代学校教育のキーワードは、認知能力を偏重する教育、生徒を社会から隔離する教育、課題の増加」([2]59ページ)である。「生徒が彼ら自身のニーズに応じて社会的・制度的環境を変える能力を発達させる教育を行うべきだ」([2]57ページ)。バルトリーニの教育言説である。
〇日本社会では、民主主義の根幹を揺るがす「政治の劣化」と「行政の劣化」が加速している。「地方創生」(「まち・ひと・しごと創生」)や「一億総活躍」(「働き方改革」)、「地域共生」(「我が事・丸ごと」)などの「お守り言葉」(鶴見俊輔)が多用され、乱舞している。真に成熟した社会とは到底思えず、負の現象が顕著に見られるスカスカの「定常型社会」である。アメリカ以上に深刻である。
〇最後に、[2]の訳者である中野佳裕の解説文「関係の豊かさとポスト成長社会」中の「日本への示唆―関係の豊かな社会は可能だ」([2]335~339ページ)を筆者なりに別言して、次のように述べておきたい。
グローバリズムの時代は終焉を迎え、世界各地でローカリズムの推進が図られている。しかし、日本の政界や産業界は、「経済成長神話」の呪縛にとらわれ、凋落するアメリカに追随(「アメリカ信仰」)している。そして、周回遅れの経済・社会改革や教育改革に余計な汗を流し、とりわけ現場はその「改革」とやらに振り回されている。教育は、「市場原理」や「競争原理」が導入され、政府による統制強化や右傾化が進んでいる。あるべき教育は、その時代の国家権力や経済社会のニーズに迎合することではない。いま求められるのは、主体性・創造性や自律性・内発性を重視した「関係の豊かな社会」(バルトリーニ)、「みんなが幸せに生きる世界」(古沢)の形成とそのための「市民」の育成である。


(1) 「働き方の改革」と「資本主義的労働」
バルトリーニは、「我々がもし幸福感に満ちた生活を欲するのであれば、(中略)生き生きとしたコミュニティや豊かな社会関係の発展を妨げる社会的・経済的・文化的制約を取り除く必要がある」([2]176~177ページ)という。そして、そのための政策(「幸せのための政策」)として、①「関係の豊かな都市をつくる」、②「子どものための政策」、③「広告に対する政策」、④「民主主義を変える」、⑤「働き方をどう変えるか」、⑥「健康のための政策」、などを提案する。
そのうちの、例えば⑤「働き方の改革」については、「労働満足度を改善するために何をすべきかについて明確なレシピを抽出できるだろう。それは、興味をもてるような仕事、ストレスの低い仕事、意味のある仕事、人間関係・社会関係構築の手段となる仕事の4目標に集約される」([2]237ページ)とする。そして、具体的に、①働く人の自由裁量と自律性を高める。②圧力、管理、インセンティブ(目標を達成するための奨励・刺激:阪野)など、労働組織のなかでストレスを生み出す要素を減らす、③仕事のプロセスが面白くなるように、労働内容をリデザインする、④労働と生活の他の側面を両立可能にする、⑤職場の人間関係の質を改善する、などを提案する。
例によって唐突であるが、資本主義社会(資本主義的生産様式)が根源的・恒常的に抱える「矛盾」に、「賃労働」(労働力の商品化)や「労働疎外」がある。労働疎外には、マルクスによると、①労働の生産物からの疎外、②労働行為における疎外、③(自由に意識的・創造的に活動することができる生き物である人間の)類的存在からの疎外、④人間からの人間の疎外、の4つがある(マルクス、城塚登・田中吉六訳『経済学・哲学草稿』(文庫)岩波書店、1964年3月)。資本主義社会における労働は、資本によって強制される「苦役」(マルクス)であり、基本的には「内発的動機」によって行われるものではない。こうした考えに立つと、バルトリーニが説く「防御的資本主義」も資本主義社会の「矛盾」のひとつのあらわれ(現象形態)である。また、上述の対症療法的な諸提案については、資本主義社会の本質的理解に基づく議論が求められる。あえて付記しておきたい。
(2) 「社会関係資本」と「社会関係財」
バルトリーニは、「社会関係財は、社会科学で広く使用されている『社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)』概念の一構成要素である」といい、ロバート・パットナムの議論についてふれる。
アメリカの政治学者ロバート・D・パットナム(Robert D.Putnam)は、1993年に出版した『哲学する民主主義』(河田潤一訳、NTT出版、2001年3月。原題 Making Democracy Work)において、「社会関係資本」を次のように定義している。「調整された諸活動を活発にすることによって社会の効率性を改善できる、信頼、規範、ネットワークといった社会組織の特徴」(206~207ページ)、がそれである。要するに、社会関係資本は、人々の協調行動を活発にすることによって、社会の効率を高める働きをする社会的な関係をいう。そして、その内実・構成要素は「信頼」「規範」「ネットワーク」の3つである。パットナムはいう。「信頼、規範、ネットワークのような社会資本の一つの特色は、普通は私的財である通常資本とは違い、普通は公共財である点である」(211ページ)。
筆者はパットナムの言説から、社会関係資本は、人々の協調行動を活発にする「ネットワーク」(社会的つながり)と、そこから生まれる「互酬性の規範」(お互いさまの支え合い)、そして一般的な人々に対する「信頼感」によって構成される、と理解している。
詳細については、本ブログ中のカテゴリー[まちづくりと市民福祉教育](5)「ソーシャル・キャピタルと市民福祉教育」/2012年8月21日投稿、を参照されたい。

「まちづくりと福祉教育」の「当事者」の立ち位置と姿勢に関するメモ―「当事者研究」(向谷地生良)と「2.5人称の視点」(柳田邦男)、「“熱い胸”と“冷たい頭”」(一番ヶ瀬康子)、そして「住民当事者研究」などをめぐって―

〇「まちづくりと福祉教育」の「当事者」とは誰か。その当事者は立ち位置をどこに取り、どのような姿勢でその実践や研究に取り組むべきか。本稿のねらいは、この素朴で基礎的な質問にひとまず応えるための文献と、そこでの注目(留意)すべき論点や言説を紹介(再認識)することにある。ブログ読者からの「問い」に対する回答のひとつである。なお、以下の文献は、筆者(阪野)の手もとにある、限られたものであることを断っておきたい。

(1)中西正司・上野千鶴子『当事者主権』(岩波新書)岩波書店、2003年10月(以下[1])
(2)上野千鶴子『ケアの社会学―当事者主権の福祉社会へ―』太田出版、2011年8月(以下[2])
(3)日本福祉教育・ボランティア学習学会機関誌編集委員会編『日本福祉教育・ボランティア学習学会年報(特集 福祉教育・ボランティア学習と当事者性)』Vol.11、日本福祉教育・ボランティア学習学会、2006年11月(以下[3])
(4)石原孝二編『当事者研究の研究』医学書院、2013年2月(以下[4])
(5)柳田邦男『「人生の答」の出し方』新潮社、2004年4月(以下[5])
(6)一番ヶ瀬康子『社会福祉の道』風媒社、1972年12月(以下[6])
(7)一番ヶ瀬康子・大橋謙策編『学校における福祉教育実践 Ⅰ―保育所・幼稚園・小学校-』(シリーズ福祉教育 第2巻)光生館、1988年4月(以下[7])

〇周知のように、国(厚生労働省)によっていま、「地域共生社会政策」(「我が事・丸ごとの地域づくり」注①)が推進されている。確かで豊かな地域共生社会の実現を図るためには、行政や専門家による積極的・革新的な取り組みとともに、地域住民の学習・文化活動や「まちづくり」の主体形成、当事者の参加(参集、参与、参画)や共働が重要な課題となる。
〇「福祉教育」に関する主要な教育実践に、障害や高齢の疑似体験(車いす体験やアイマスク体験)や、障がい者や高齢者との訪問・交流活動がある。その展開に際しては、障がい者や高齢者などの当事者の参加や共働を如何に図るかが厳しく問われる。それは、場合によっては、「貧困的な福祉観の再生産」(原田正樹)を結果することになるからである。
〇「まちづくりと福祉教育」の当事者は、そこに暮らす子どもから大人までの全ての地域住民である。当然のことながら、「障害当事者」「高齢当事者」や社会福祉サービスの「必要者」「利用者」などもそれに含まれる。むしろ彼・彼女らが、「まちづくりと福祉教育」で重要な位置と役割を占めるべきである。まちづくりについていえば、地域・福祉意識の醸成・変革が求められる地域住民をはじめ、専門的な知識や技術をもつ実践者(専門家)や研究者も当事者である。学校福祉教育についていえば、子どもと教師、保護者、さらには地域住民も当事者である。
〇なお、『広辞苑(第7版)』(2018年1月)によると、「当事者」とは「その事または事件に直接関係をもつ人」をいう。「当事者」に関しては、「受益者」から「当事者」への移行、「当事者」研究から「当事者研究」への展開、などが指摘される。さらに、「当事者性」という用語に関して、当事者(障がい者等)の特性、当事者(障がい者等)の主体性、非当事者(非障がい者等)による当事者(障がい者等)の受容・共感や自己同一化の程度、などと多義的で、多様な意図をもって使われる。
〇このように「当事者」(広義)についてあれこれと思考を巡(めぐ)らしながら、[1]から[7]の文献における「当事者」とその立ち位置や姿勢に関する論点や言説の一部を紹介する(抜き書、要約)。

(1)「当事者主権」:中西正司・上野千鶴子
当事者とはだれか? 当事者主権とは何か?
ニーズを持ったとき、人はだれでも当事者になる。ニーズを満たすのがサービスなら、当事者とはサービスのエンドユーザー(商品を使う人:阪野)のことである。だからニーズに応じて、人はだれでも当事者になる可能性を持っている。
当事者とは、「問題をかかえた人々」と同義ではない。問題を生み出す社会に適応してしまっては、ニーズは発生しない。ニーズ(必要)とは、欠乏や不足という意味から来ている。私の現在の状態を、こうあってほしい状態に対する不足ととらえて、そうではない新しい現実をつくりだそうとする構想力を持ったときに、はじめて自分のニーズとは何かがわかり、人は当事者になる。ニーズはあるのではなく、つくられる。ニーズをつくるというのは、もうひとつの社会を構想することである。([1]2~3ページ)
当事者主権は、何よりも人格の尊厳にもとづいている。主権とは自分の身体と精神に対する誰からも侵されない自己統治権、すなわち自己決定権をさす。私のこの権利は、誰にも譲ることができないし、誰からも侵されない、とする立場が「当事者主権」である。([1]3ページ)
当事者主権とは、私が私の主権者である、私以外のだれも―国家も、家族も、専門家も―私がだれであるか、私のニーズが何であるかを代わって決めることを許さない、という立場の表明である。([1]4ページ)

現代社会に必要なのは、個人個人が当事者となり、自分自身の人生に対する主権を行使することではないだろうか。そうすることで、社会は自分たちの望む方向に変わる。障害者は一歩先に自立したが、むしろ多くの非障害者はまだ自立できてはいない。世の中をこんなものさ、と受け入れていれば、自分のニーズにさえ気づかない。そのために、非障害者は当事者にさえ、なれないのだ。障害者の自立の理念に学んで、変えられないと思っている社会を変えてみようではないか。([1]205~206ページ)

(2)「当事者主権」:上野千鶴子
「当事者主権」とは、中西正司とわたしが共著『当事者主権』のなかで造語したものだが、「主権」という強い用語を当てたのは、「他者に譲渡することのできない至高の権利」という含意から来ている。人権の拡張によって得られた「ケアの権利」は、この当事者主権にもとづいていなければならない。だからこそ、ケアの権利の積極的/消極的の軸は、ケアすること/ケアされることの自己決定権の有無にもとづいて立てられたのである。([2]65ページ)
日本語の造語である「当事者主権」には、対応する英語圏のテクニカル・タームが存在しない。「自己決定権」を字義通り訳してself-determinismという訳語を対応させることは、(中略)「自己決定・自己責任」のネオリベラリズムの用語と混同されるおそれがあるため、採用を避けたい。当事者主権の訳語には、individual autonomyを暫定的に当てることとする。それは社会的弱者の自己統治権を意味するからである。([2]66ページ)

「当事者主権」という概念が障害学の分野から生まれたのは偶然ではない。というのも、「消費者主権」同様、援助の対象となっていながらその実、援助の内容についての自己決定権を長きにわたって奪われてきたのが障害者だったからである。障害者に限らず、女性、高齢者、患者、子どもなどの社会的弱者に「当事者能力」が奪われてきたことを前提に、それらの人々の「自己決定権」を主張するために、「当事者主権」という用語がつくられる必要があった。「当事者主権」とは何よりも社会的弱者を権利の主体として定位するために、必要とされた概念なのである。([2]67ページ)

(3)「当事者性」:松岡廣路
(障がい者や高齢者などの:阪野)「当事者」の学習が周辺に置かれたり、「当事者」が介在しない「非当事者」の教育・学習中心の福祉教育・ボランティア学習が推進されたりすることを懸念して、「当事者性」という考え方を、理論的なキー概念とすることも必要ではないだろうか。「当事者性」は、個人や集団の当事者としての特性を示す実体概念というよりも、「当事者」またはその問題的事象と学習者との距離感を示す相対的な尺度と捉えられるべきであろう。「当事者」またはその問題との心理的・物理的な関係の深まりを示す度合いといってもよい。
「当事者性が高め深められる」とは、たとえば、気軽にボランティアをはじめた後、徐々に対象者が身近な存在となり、その人との関係抜きには自分の生活を考えられなくなるような状況を指す。あるいは、「社会的に恵まれない、かわいそうな人」という発想から抜け出て、対象者の抱える問題を自分にとっての問題と捉えるようになり、対象者がともに解決のための行動を起こす仲間になったりするすることを意味する。(中略)福祉教育・ボランティア学習とは、「当事者性」を高め深めることを支援することによって、何らかの成果(問題意識・主体性・解決に向けての具体的行動)を得ようとする実践と言い換えることができるだろう。([3]18~19ページ)

(福祉教育・ボランティア学習における教育的な実践課題〈方向性〉として、次の3つを析出することができる。:阪野)ひとつは、〈包括的な当事者をいかに組織化するのか〉という方向性である。「包括的な当事者」とは、障害当事者に限定または固定化するのではなく、個人を取り巻く、親・施設職員・ソーシャルワーカーそしてボランティアや地域住民まで拡張して捉えるべきであるという考えである。包括的な当事者を組織化するということは、いわゆる当事者や家族・専門スタッフだけではなく、ボランティアあるいはそこに暮らす地域住民や子どもたち各々が、より「当事者性」の高い人たちに触れ合うことで共感・一体感・同時存在感を増し、自らの「当事者性」を高め深めていく過程を内在するものということができる。
もうひとつは、〈潜在的な当事者の意識化をいかに進めていくのか〉という方向性である。ニーズを意識化している人々のみを当事者と捉えるのではなく、問題の真っ只中に居るにもかかわらず問題を意識化しえていない人々も、潜在的な当事者であり、子どもや地域住民も、本来の当事者である。潜在的な当事者の意識化とは、己の問題状況を自覚し、それとの心理的・物理的距離感としての「当事者性」を高めるということである。
(そして3つ目は:阪野)〈いかに異なる当事者の連帯を促進するのか〉という方向性である。子ども・女性・障害者・高齢者・勤労者・在日外国人などの多様な生活者が埋没している今日の反福祉的状況を克服する包括的な力動を推進するものとして、福祉教育・ボランティア学習の意義が期待されている。当事者の連帯とは、異なる「当事者性」を重ね合い、多極的かつ有機的に「当事者性」を高め合っていくということになる。福祉教育・ボランティア学習は、そうした「当事者性」の深化・統合をいかに具体的に促進するのかを課題とする実践と同定しえるであろう。([3]16~20ページ。抜き書き、要約)
の進化
(4)「当事者研究」:石原孝二・河野哲也・池田喬
(べてるの家の実践では:阪野)「当事者性」について独特の理解がなされてきた。つまり、「自分のことは、自分がいちばん、“わかりにくい”」という理解のもとに、「自分のことは、自分だけで決めない」ということが当事者性の原則として受け継がれてきたのである。
自分が受けるサービスを自分で選択する権利を取り戻すという当事者運動における「当事者」とは異なり、べてるの家における「当事者」とは、自らの苦労を取り戻し、人とのつながりを回復することによって、自分を再発見していく人のことなのである。そうした再発見の場として機能するのが当事者研究にほかならない。(石原[4]28ページ)

当事者研究が自己を再発見していく営みであることは、べてるの家の当事者研究においても示されていたポイントである。当事者研究とは、当事者が人とのつながりの中で、苦労を取り戻し、言葉を取り戻し、自らの歴史性を取り戻していく作業であった。また、べてるの当事者研究の理念「自分自身で、共に」の「共に」には、当事者の仲間と共に、というだけでなく、専門家と共に、という意味が込められている。しかしこの場合の専門家の立ち位置は、あくまでも、当事者の主観的現実に寄り添う、ということにある。(石原[4]48ページ)。

当事者研究において目指されているのは、障害当事者が自分自身で自分の問題に取り組み、自発的に生活の質の向上を目指すことである。この形を見るならば、当事者研究の過程は、治療というよりも、デューイがいう意味での自己「学習」に近いといえないだろうか。(河野[4]84ページ)
当事者研究は、デューイの問題解決学習(Problem Solving Learning)の一種だといってしまってよいほどだ。(河野[4]87ページ)
こうした当事者による学びにおける教育者の役割は、生活の質を向上させようとする当事者の試みを尊重しながら、それが可能になるような当事者のケイパビリティ(潜在能力)を共同で開発していくことにある。何を学ぶことがどのようなケイパビリティを開発することにつながるのか、それがどのような生活の質の向上と結びついているのか。こうした学びの価値が当人にとって可視化されていることが、学習意欲を維持する。教育者は、学習目標を定めてそこへの道を教授するインストラクターではなく、当人が生活の質を高めるための選択肢を示唆するコーチでなければならない。
当事者研究は、自分の成長にかかわる知、すなわち、自己教育であり、自己教育以外に成長の道はないのである。これが当事者研究の優位性である。(河野[4]88ページ)

当事者研究が目指しているのは、当事者同士の共同的な探求の中で自己理解を深め、自分の問題に対する対処法を知ることであり、それを通して最終的に自律性を確保することである。したがって、当事者研究とは、比較不可能な個性を主張するための閉鎖的な自己表現ではありえない。当事者が、自己についての言及が絶対のものであり、無謬(むびゅう。まちがいがないこ:阪野)であると考えてしまえば、それは集団・個人の両レベルにおいて当事者の孤立を招き、最終的に当事者の活動を閉塞させてしまうだろう。
当事者研究は、当事者同士の相互援助によって障害を持った人々の共同性を確保すると同時に、その個々人の差異化と分節化を促し、自分自身で自発的に学びながら生きる手段を提供するものである。当事者が医学定義によって外から分類されるのではなく、当事者が自分の抱えている問題をどのように対処しているかという自己学習の観点からつながり合うときにこそ、当事者研究の大きな意味が明らかになる。(河野[4]109~110ページ)

当事者研究は、診断名や社会的なカテゴリーによる理解ではなく、当事者たちによる研究によって自分たちについての理解を獲得しようとする。当事者研究における当事者性とは、結局、その人その人の身体と言葉を介した生きる主体性だといえるのかもしれない。だとすると、この主体性は、健常者や研究者・専門家といったカテゴリー的理解の適用によって「私は当事者ではない」と思考するときにまさに逸(そら)されているものである。当事者とは、一人一人が、当事者研究に触れることを通じて「自分自身で、共に」なるべき何かなのである。(池田[4]146~147ページ)
当事者研究は、研究者・専門家も含めた私たちの一人一人が共に自分自身で考えるチャンスの場なのである。(池田[4]147ページ)

(5)「2.5人称の視点」:柳田邦男
私はかねて、拙著『この国の失敗の本質』(講談社、1998年12月、のち講談社文庫に)や『緊急発言 いのちへⅡ―医療事故・鉄道事故・臨界事故・大震災』(講談社、2001年9月)などで、専門化社会の専門家あるいは専門的職業人に求められるのは、ひとりひとりが「2.5人称の視点」を身につけることと、その視点を業務のなかで確実に生かせるような組織的な取り組みをすることだと提言してきた。1人称は被害者や患者や障害者本人、2人称はその家族。3人称は友人・知人や仕事でかかわり合う職業人からアカの他人まで。医療者や福祉の従事者をはじめ、行政官、法律家、教育者、ジャーナリストなどは、3人称の立場なのだが、冷たく乾いた3人称であってはならないはずだ。これからの専門的職業人には、3人称の冷静で客観的な判断をする立場を維持しながらも、被害者・患者・障害者などの弱い立場の人に対し、《自分が当事者あるいは家族だったら》という気持ちで寄り添うことも求められている。かと言って、2人称の家族と同じ気持ちになってしまったら、感情が同一化して、冷静で客観的な判断ができなくなる。そこで私は、これからの専門的職業人のあり方として、3人称と2人称の2つの立場を視野に入れた潤いのある「2.5人称の視点」の定着を提言したのだ。
そのためには具体的にどうすればよいのか。問題に取り組むときに、まず自ら現場に行き、被害の状況を実感するとともに、被害者、患者、障害者の生の声を聞くことだ。法規や理論の適用を机上で考える前に、現場を踏む。そうしてこそ本当に「わかる」という事実認識ができるのだ。そして、「法規上できない」とか、「科学的に証明されていないから何もできない」といった、ネガティブな発想を捨て、「現行の法規でも被害の拡大防止と救済の対応をする方法があるはずだ」とか、「根本的には法規をどう変えるべきか」とか、「科学的な証明はまだできていなくても、因果関係が黒に近い灰色であるなら、被害の拡大を防ぐためにまず手を打とう」(結果として白となって企業に損害が生じても、それは社会的に必要なコストとして行政が責任をとろう)というポジティブな発想をこそ優先すべきなのだ。「2.5人称の視点」の実践とは、そういう取り組みを指している。それが専門的職業人と行政・企業・学問の組織が、今まさに水俣病事件から学ぶべき課題なのだ。(5]192~193ページ)

(6)「“熱い胸”と“冷たい頭”」:一番ヶ瀬康子
“熱い胸”と“冷たい頭”というのは、私は感性的認識と理性的認識ということを別の言葉でいっているわけです。つまり“熱い胸”というのは感性的認識で、それは、大事にしないといけないけれど、そこにとどまっている限りより根本的な解決につながらないし、また自分はよいつもりでやっていても、結果的には間違っている場合もでてきます。なぜそうなったかということを深めながらより深い実践の展望を生みだすためには、なぜそうなったかという科学的認識あるいは理性的認識を媒介におかなければいけない。これが、“冷たい頭”だということです。
“熱い胸”から出発して“冷たい頭”をねりあげていきながら、“熱い胸”の正しい生かし方というものを、互いに深めていこうということの意味です。([6]57~58ページ)

(7)「感性的認識・理性的認識・主体的認識」:一番ヶ瀬康子
私は社会福祉への認識は、つぎの3つの段階をへて行われると考えている。それは、(1)感性的認識、(2)理性的認識、(3)主体的認識の3段階である。
(1)の感性的認識とは、“社会福祉”の必要を、漠然と心情的に認識している段階である。ことに自らと異なる他への認識の壁をこえつつ、他者との共感・共鳴あるいは愛情などを基底として、連帯への想いをいだきはじめる段階である。この段階での行動は、単純で、偶発的なものが多く、いわば慈善的なものにおわる場合も少なくない。しかし、自己中心的また排他的活動ではない他者との積極的関係がめばえはじめる段階である。
(2)の理性的段階とは、(1)の連帯への想いと素朴な活動が展開する過程で、そのことの意味や在り方を、より考究し有効性を検討しはじめる段階であるといえよう。それは、感性的段階での素朴な経験の集積のなかから会得し、その在り方を確認するレベルのものからはじまる。そして、他者たとえば高齢者の心理や生活上の特徴などをふまえて、その高齢者の状況を尊重しながらかかわりあうというレベル、さらにたとえば高齢者をめぐる社会福祉の在り方などにかんする矛盾の認識にいたるまで、多層でまた多様な道筋をたどるものと思われる。いずれにしても、(1)の感性的段階よりは、関係や環境との矛盾を客観視しながら、その在り方の認識に到達する段階であるといえよう。
それらに対し、(3)の主体的段階は、たとえば高齢者をめぐる問題など社会福祉の状況や矛盾に対し、積極的にかかわりながら、その充実、改善あるいは開拓、創造のための在り方を把握していく段階である。この段階では、たんに制度的な社会福祉を知っている、あるいは活用できるだけではなく、それをくみこみながら、もっと本質的な福祉を実現する社会福祉を自発的に創造していくための方向、方法に対し認識し、さらに自らのかかわり方への自覚をともなっていく段階である。つまり偶発的なボランティアとしてのレベル以上に、福祉を実現するための自発的な社会福祉(Voluntary Social Welfare)実践者としての認識の段階とも考える。
もちろん、以上のような3つの段階は、確然としているものではない。それは、発達の道筋のなかで、いわば螺旋的に、しだいにひろがりをもちつつ深まっていくのではないだろうか。([7]6~7ページ)

〇以上のうち、とりわけ[4]は、筆者にとっては何回読んでも衝撃を受け、感動を覚える本である。[4]でいう「当事者研究」は、2001年2月に北海道の「浦河べてるの家」(精神障がい者の地域活動拠点)で始まったものである。その「研究」の成立に重要な役割を果たした一人に、向谷地生良(むかいやち いくよし)がいる。
〇べてるの家の当事者研究は、障害や問題を抱える当事者に対して、医師(専門家や研究者)が診断し治療(援助)するのではない。当事者自身が自らの苦労や困難、苦悩や苦しみに向き合い、自発的・主体的に問い直し、それを言語化し、問題解決へ向けて対処(行動)する。そして最終的に自律性を確保する。その実践(作業)を「研究」という言葉を用いて、仲間や支援者とともに共同的・公共的に行い、それを通じて人や社会との「つながり」の回復を図るのである。
〇べてるの家の当事者研究では、「3度の飯よりミーティング」「手を動かすより口を動かせ」というキャッチフレーズ(理念)のもとで、「自分を語る」ことが重視される。それは、単に個人的な体験談を話すことではなく、その閉塞性からの脱却を図るために、「共同的に言葉や知を立ち上げていく」(池田[4]133ページ)のである。別言すれば、当事者は自己体験を表現する言葉が少ないがゆえに、「自分を語る」なかで仲間と共に言葉を考え、紡(つむ)ぎ、それを通して見地を見出し、知見を広げていくのである。この共同行為によって、個人的な体験が「その人だけの自己完結的なものではなくなり、普遍性とか広がりとかつながり」(向谷地[4]153ページ)を持つことになる。
〇それは、1人称である当事者が、「研究」という3人称的な立ち位置から自分の問題を外在化し、仲間と共有化していくことを意味する。この点において当事者研究は、柳田邦男がいう「2.5人称の視点」の実践であると言ってもよい。客観的で冷静な3人称(他人、専門家)の立場を踏まえながら、1人称(わたし、当事者)や2人称(あなた、家族)の心情を共感的に理解し寄り添う(当事者や家族の身になって考える)姿勢(実践)がそれである(資料①)。さらに、この潤いのある「2.5人称の視点」は、一番ヶ瀬康子がいう「“熱い胸”と“冷たい頭”」や社会福祉への「感性的認識・理性的認識・主体的認識」についての言説を想起させる。[5]と[6][7]を紹介するところである。
〇なお、[4]で河野は、べてるの家の当事者研究は「障害当事者が自分自身で自分の問題に取り組み、自発的に生活の質の向上を目指す」(河野[4]84ページ)点において、デューイの「問題解決学習の一種」(河野[4]87ページ)であるという。また、向谷地によると、当事者研究はそれをまちづくり(地域づくり)に繋げていくことによって、「足腰の強い市民社会をつくる基本」となる。浦河では「地域の課題や困難を市民みんなが持ち寄って、研究的に、アイデアを出し合って形にしていく」「町民当事者研究」を進めている(向谷地[4]174ページ)。この言説には、「まちづくりと福祉教育」に関して「2.5人称の視点」に注目するとともに、障がい者や高齢者自身が中心的な役割を果たす「まちづくりと福祉教育」を推進したり、地域住民による「地域共生社会」の「研究」という意味での「住民当事者研究」のあり方を考えたりするためのヒントがある。付記しておきたい。


① 2016年10月に厚生労働省に設けられた「地域における住民主体の課題解決力強化・相談支援体制の在り方に関する検討会(地域力強化検討会)」(座長・原田正樹)が、2017年9月、『地域力強化検討会 最終とりまとめ~地域共生社会の実現に向けた新しいステージへ~』を発表した。そのなかで、「地域づくりの3つの方向性」について次のように整理し、「これら3つの地域づくりの取組の方向性は、(中略)互いに影響を及ぼしあうものということができる。『我が事』の意識は、その相乗効果で高まっていくとも考えられる」と述べている(7ページ)。
(1)まちづくりに広がる地域づくり
「自分や家族が暮らしたい地域を考える」という主体的、積極的な姿勢と福祉以外の分野との連携・協働によるまちづくりに広がる地域づくり
(2)ネットワークにより共生の文化が広がる地域づくり
「地域で困っている課題を解決したい」という気持ちで、様々な取組を行う地域住民や福祉関係者によるネットワークにより共生の文化が広がる地域づくり
(3)一人ひとりを支えることができる地域づくり
「一人の課題から」、地域住民と関係機関が一緒になって解決するプロセスを繰り返して気づきと学びが促されることで、一人ひとりを支えることができる地域づくり
なお、原田は、この「地域づくりの3つの方向性」を、(1)まちづくりにつながる「地域づくり」、(2)福祉コミュニティとしての「地域づくり」、(3)一人を支えることができる「地域づくり」、と別言している(『平成30年度 地域福祉推進セミナー―基本資料―』島根県社協・島根県社協地域福祉推進委員会、2018年10月、93ページ)。

資料

補遺
「障害学(ディスアビリティ・スタディーズ)とは簡単に言えば、障害、障害者を社会、文化の視点から考え直し、従来の医療、リハビリテーション、社会福祉、特殊教育といった『枠』から障害、障害者を解放する試みである」(石川准・長瀬修編著『障害学への招待―社会、文化、ディスアビリティ』明石書店、1999年3月、3ページ)。その「障害学」の成立の背景について、次の言説によって確認しておくことにする。「『まちづくりと福祉教育』の当事者」について思考する際に留意すべき点のひとつである。

医療・教育・福祉などの領域での各種専門職の働きかけが抑圧的なものであったという経験が、1960―70年代以降、障害者自身によって各国で語られ始めた。「〈障害〉を持つ障害者たちの「語り」ではなく、彼らを援助することの権限を与えられてきた専門家たちの「語り」が〈障害〉という現実を構成する支配力」を有してきたことが告発され始めたのである。障害者は、医療では治療やリハビリテーションによって「正常性」へと近づけるべき存在として、教育では社会への適応を支援すべき存在として、福祉では保護の対象となるべき存在として、非障害者の専門家によって位置づけられてきた。このことが、結果として障害者に否定的なアイデンティティを押し付けることにつながったという現実が、障害当事者からの強い批判の的となった。
そこには、問題の「代弁」や「共感」といったことに潜む危険性への自覚がある。これまで障害をめぐって「問題」とされたのは、多くの場合、障害者を取り巻く周囲の人々が「問題」としてとらえた事柄であって、障害者自身にとって「問題」と感じられた事柄ではなかった。したがって、問題解決を志向する取り組みは必ずしも障害者自身にとって望ましい方向に向かうものであるとはいえなかった。このような背景の下、ディスアビリティ・スタディーズは障害者自身による問題の定義づけを重視し、当事者の手による調査研究の重要性を強調したのである。それにあたっては、従来とは異なるオルタナティブな研究目標の探求も必要であるとされ、社会的抑圧の経験から出発して政治的取り組みを促進することへの貢献が一つの目的であるとされた。(星加良司「当事者性の(不)可能性―ディスアビリティ・スタディーズの存在理由」崎山治男・伊藤智樹・佐藤恵・三井さよ編著『〈支援〉の社会学―現場に向き合う思考―』青弓社、2008年11月、212ページ)